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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
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第五章 「亀裂」1

 ゾライユの若い皇帝夫妻は、婚礼から半年遅れの蜜月を過ごしていた。

 亡き父を始めとする多くの縁者の仇であり、自分を傀儡の皇帝に仕立て上げたロジェンター王ウォストラル三世を、エクスカリュウトは恨み憎んでいたが、その王女であるルドヴィニアに対しては、それほど激しい感情を持ってはいなかった。

 苛烈な憎悪の対象とするには、ルドヴィニアがあまりにも子供じみていたからだ。

 愛しく思うことはないが、邪険にするほどの関心もない。ルドヴィニアが夫に恋心を募らせているのとは対照的に、エクスカリュウトが妻に示す態度は、 常に儀礼の域を出るものではなかった。


 夫の『義務』と男の『礼儀』で、夜毎寝所に渡るルドヴィニアを抱いていたエクスカリュウトであるが、十三を迎えたばかりの薄い身体はまだまだ発達途中である。控えめにした前戯をくすぐったがり、腰を進めれば叫ぶか呻き、萎えてやめれば終わったと思うのか、安堵してすぐに眠ってしまう……。都合がいいといえばいいのだが、連日連夜の蛇の生殺しに辟易していたエクスカリュウトは、初夜から十日ばかりを数えた頃、ルドヴィニアと二人寝所に残されると開口一番にこう言った。


「その幼い身体で無理をして、閨の務めを果たすことは無いのだぞ、ルドヴィニア」

 一拍をおいてから、ルドヴィニアの頬にさっと血が上った。

「わたくし、無理なんてしていませんわっ」

「強がりはいい。そう見える時があるから言っているのだ」

 エクスカリュウトは寝台に腰掛けると、機嫌を損ねる小さな妻を手招いた。ルドヴィニアはその傍らに身を寄せて、拗ねた様子でぎゅうと夫の首にかじりつく。

 こうして誰にも邪魔されず、エクスカリュウトに触れていられる時間が、ルドヴィニアには幸せだった。確かにまだ、男女の交わりは恥ずかしく痛いばかりで、心地良さなど微塵もなかったが、愛しい夫の温もりを感じる至福は何ものにも代え難い。


「何も二度と来るなと言っているのではない。身体が辛いことも、疲れていることもあるであろうからな、自分で来るのは時々にして、後はまた、今まで通りに代わりの宮女を渡らせてくれればよい」

「代わりの宮女……でございますか?」

 その言葉が理解できずに、ルドヴィニアは反芻した。当然のようにエクスカリュウトは情人の名を口にする。

「クリスティナという、白金髪の女だ。そなたがロジェンターから連れてきた宮女であろう?」

「クリスティナ……? 毎夜陛下の寝支度の、お手伝いに遣っていた……?」

 ルドヴィニアは首を傾げた。ロジェンターの女は、男をむやみに誘惑しないよう、人前で髪を隠す習慣である。エクスカリュウトは、どうして宮女の頭巾にすっぽり覆われているはずの、クリスティナの髪の色を知っているのだろう?


「寝支度――、か」

 エクスカリュウトは自虐的に、喉の奥で笑った。

「夜伽を務めることを、ロジェンターではそのように言い回すのか?」

「!!」

 想像もしていなかった事実を明らかにされて、ルドヴィニアの顔色が変わった。

 ロジェンターの父王には、ルドヴィニアが知るだけでも三人の側室がいた。兄や姉の半数以上が、母を違えた庶子であったにもかかわらず、不覚にもルドヴィニアは、夫が愛人を持つ可能性を失念していたのだ。


「クリスティナは、もうこの皇宮にはおりませんわ」

 愛しい夫が、急に汚らわしい生き物のように感じられて、ルドヴィニアはよそよそしくエクスカリュウトから身体をもぎ離した。

「何……だと?」

 虚をつかれたような顔つきで、エクスカリュウトは、立ち上がったルドヴィニアを見上げる。

「クリスティナは一昨日、ゾライユの皇宮を下がってロジェンターに帰りました」

「何故だ!?」

 責めるような鋭い剣幕で迫られて、ルドヴィニアは鼻白んだ。

「故国で見合いをするのだと、乳母が申しておりました」

「ふざけた真似をっ……!!」

 それが欺瞞に満ちた口実であるのは確かめるまでもないことだ。クリスティナの懐妊を、当然の如くエクスカリュウトは耳に入れていなかったが、知っていればなおさらに、怒りを募らせたことだろう。


「……陛下は、クリスティナがお好きなの?」

 嫌悪と嫉妬と屈辱感でルドヴィニアの感情はごちゃ混ぜになっていた。自分という妻を持つ身でありながら、エクスカリュウトは他の女を夜伽に呼んでいた。自分も休む、この寝所に。自分たちが結ばれるずっと以前から……。

 その相手が、よりにもよって、どうしてあの宮女なのだろうか? 女ならば誰もが羨み、決して比べられたくはないような、神の手で刻まれたような造形の、眩く美しい――。


「聞いてどうする?」

 凍てつく冬の闇のような眼差しで、エクスカリュウトはルドヴィニアを冷ややかにねめつけた。喪失の痛みは、エクスカリュウトの心の内に、黒々とした怒りの炎を点していた。

「好きだと言ったら返してくれるのかっ!? ロジェンターは……、お前の国はっ、どれだけ私を愚弄すれば気が済むのだっ!!」

 その激しい狼の咆哮に、ルドヴィニアの肌は粟立った。

 こんな男は知らないと思った。

 少なくとも、ルドヴィニアが恋した夫ではない。


 怖い――。


 とっさにその場から逃げ出そうとしたルドヴィニアの腕を、エクスカリュウトはさせじと引き戻した。

「や、めて」

 涙の滲む怯えた瞳で、ルドヴィニアはエクスカリュウトを睨みつけた。

「そんな、他の女に触れた不潔な手で、ルドヴィニアに触らないでっ!」

 その言葉がエクスカリュウトの心から、僅かに残っていた躊躇いを弾き飛ばした。エクスカリュウトは乱雑に、ルドヴィニアの華奢な身体を寝台に投げ出した。


「陛下は――、ルドヴィニアのことなんて、少しもお好きではないのでしょうっ!?」

 エクスカリュウトに無理やり組み敷かれて、もがきながらルドヴィニアは抗議の声を上げた。

「それがどうしたと言うのだ?」

 口の端に冷淡な笑みを上らせて、ルドヴィニアの顎を乱暴に掴み上げ、下唇に強く噛み付くと、エクスカリュウトはいっそ優しくすら聞こえる声音で囁いた。


「お前は私の妻だろうに――」


 エクスカリュウトがルドヴィニアを抱く理由はそれだけだった。ルドヴィニアが淡く期待したような、特別な想いなど一欠片もなかったのだ。

 半ば壊すようにして、啜り泣くルドヴィニアの小さな身体を犯しながら、その向こうに見えるロジェンターという大国に、ゾライユ皇帝エクスカリュウトは、 この日生涯をかけての復讐を誓ったのだ。

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