効率の悪い魔法分析
前々から書き溜めていた物に追加する形で作っていく…つもりでしたが、ほぼ総書き換えで時間が掛かっています。
それでも引用した場合、氏名、名称等のズレがあります。
その辺りと誤字脱字は徐々に直していく予定です。
年齢設定はずらす場合があります。
感想、誤字脱字等ご指摘いただけると助かります。
真剣に取り組めば何かが見つかるわけではない。
やれば成果が望めるかと言えば、そうでもない。
でもやらないよりはマシかもしれない。
気付くと明け方だった。窓辺に白みかけた空が見える。
薄く白やオレンジに輝く紫雲の隙間に、たった一つだけ取り残された星が見えた。
明けの明星だろう、どんなに必死に輝いても、仲間に受け入れられない孤高の姿にレイルは淋しさを抱く。
少し離れた所に月と地球が輝いているのがせめてもの慰めになるのか。
自分が何日こうしていたかはわからない。
でも月の形と自分の感覚で2週間は経っているだろうと予測する。
今の今まで、口を開くと全てが零れていきそうだった。食べ物を口にする時間が惜しくて、ペンを握る。今まで無視してきたものを形にする為に、ひたすらペンを走らせた。
輪郭のはっきりしない物は木炭で描くと何か形になる気がした。
一応かけておいた鍵は、きっとすぐ突破されるだろうと思ったが、意思表示には役に立ったらしい。
塩入りの水は何の嫌がらせかと思ったが、母から塩分がないと動けなくなると言われたので、渡された塩をたまに気持ちだけ嘗めた。
後は意識が続く限り、紙に向かい、余りに眠くなると床に転げてそのまま寝た。
ベッドの上には描いては捨て、捨てては書いた残骸達が占領し、溢れて舞い落ちている。
「どうなってるんだよ。これ」
ずっとそう呟きながらもパーツをドライバーでバラし、ルーペで覗いては書き写す。
途端に頭に溢れてくる何かも別の紙に書き取る。形になってきたら、ケント紙に清書して、烏口にインクを入れて一気に引き上げ、電卓を弾いた。
乾かない紙は適当に上に干して、次に取り掛かる。
レイルが長い時間をかけて、バラしていたのは懐中時計だった。
魔法。
そう聞けば、唱えれば全てが自分の思うままに動く言葉だと思われる。しかし天使界にある魔法は違う。全てはきちんとした術式や言葉の法則に則った一つの科学だ。
過酸化水素水に二酸化マンガンを放り込めば酸素ができ、石灰石に薄い塩酸を注げば二酸化炭素が出来るように、原理は決まっている。
ただ、天使達はそれを全て意識しながら使っているわけではない。
人間が呼吸をして二酸化炭素を吐き出す時に、赤血球に酸素が取り込まれ、血液の流れに運搬されて全身で使われて、水になり……と、考えなくても、自然に出来るように。
使える魔法は自然と身についており、何も考えなくても使えるのが当たり前だ。
天使に一番顕著な魔法は翼を出して空を飛べる事だろう。
応用したり、新たな呪文を学習したりする事で、個人の色が出て、出来る事のバリエーションが増えて行く。それらの得手、不得手は、足が速いとか、足は遅いが料理が上手とかといった完全に個人差だ。
はっきりと出来ない事は出来ない。
死体を生き返らせる事も出来ないし、失敗、成功を問わず、逆凪や呪いを喰らうモノもある。それらは一般に禁忌魔法と呼ばれる。
そんな科学に魔法行使者の資質や血脈、思想、経験、複雑な技になればなるほど、込み入った様相を見せ、それが形となれば魔法発動という事になる。
レイルは全般的に魔法が不得意だった。
家にいた時は母に、学校では授業で、各種魔法に必要ないろんな数式や呪文、関連知識を教わってきた。
知識も呪文も記憶は可能で、ペーパーテストは悪くない。
だが、使用するとなると頭が混乱する。
一つの呪文を知るとその一つ一つが気になって、先に進めない。
音が聞けないせいもあるのだろうが、一音ずつの強弱の付け方から気になり、その意味、色や形、象徴される物や配置などが、後から後から湧き出てくる。
自然に息をするようにはこなせない。
過呼吸になったように苦しくなって操作が出来ず、魔法を形作るのを諦めてしまう。
どうしてみんな、そんなにすんなり頭に入って理解し、行使できるのかレイルには不明だった。
父の護符づくりを真似て、時計の蓋をデザインする時、似たような状況になったが、父の助けもあり、それらを紙に書き写す事でまとめる事が出来た。
それからは絵にすると魔法を形にしやすくなる気がして、描いてはみるが、授業中では時間が足りず、最終的に複雑すぎて迷宮入りする事ばかりだった。
その絵を見て、よくファーラは「絵は上手いけど、細かすぎて、何かわからない。無駄に記憶しすぎ」と評価した。
レイルが記憶してるわけではなく、浮かんで来るだけなのだと言うと、彼は首を捻っていたが。
魔法の籠った物、魔法具という物には何らかの術式がかけて魔法が編み上げてある。それを紐解けば、どうやってその魔法が組みあがっているのかその骨格を知れる。
今回バラしたのは、球封じと言う魔法に対し、防御が備わっている懐中時計。
その体系を知り、それをうまく組み合わせて自分の物に出来れば、時計を持たずとも、その魔法を打ち砕けたり、相手が発する魔法まで発展させたり、突き詰めて知り尽くせば、その両方を行使する事も可能になる。
また別の魔法具を開発する事もできる。
「理論的には、だよな。でもこれじゃ、強度計算に無理がある気がする」
二週間ほどをかけた作業の結論は、残念過ぎる事に自分の今の力量では「無理」、つまり結果として徒労に終わったのだった。
ただ無効にする対象である「球封じ」の構造が予測できたのがただ一つの収穫。
球封じは空間魔法に類する。
対象の肉体を傷つける事なく、自らが作った球を体内に侵入させ、「玉」を囲って、空間を歪めて取り出す魔法だとレイルは結論した。
禁忌魔法に入る事は「無尽蔵に狩れる訳でも無い」と言っていたヤツの言葉で、うっすらわかった。
球は特殊加工された金属に弱く、それを所持しているだけでいとも簡単に術が破れるようだ。
簡単に説明すればこのような感じだが、これにたどり着くだけでどれだけかかったか。
また金属があれば球を崩せるのは間違いないが、加工状態と比率に鍵がある。それを持つ者によっても配合量を変化させるようで、ファーラの兄が時計を見て「これは貴方用」と言った意味がここでわかった。
そこで冷静になって考えれば、これは「球封じはどんな種類の魔法か?」とヤツに問えば、この辺は簡単に解決される問題ではなかったかと。
レイルは自分のアホさ加減にここで気付いたワケであるが、ヤツには聞きたくなかったので、それは良いと思った。
それと同時に、今まで無秩序に頭になだれ込んできていた図形や文言は幻や杞憂ではなく、分析しさえすれば意味があるのだと悟れた。
球を壊す金属の配合量を間違えると何ら効果を発さない。更に簡単には配合が読み取れないように多重ロックしている事にレイルは気付く。
天使の中に「玉」が眠る事、それを取り出す球封じという魔法。それらが機密であるなら、防御側もそうに違いない。
それも政府が全面的に秘密にしているとなると、簡単に解けるわけがない。やり出す前から気付けよと突っ込みたい所だが、彼とて全然予測していなかったわけではない。
だからこそ一応の終着点と思われるロック部分に気付いた所で、今回の追及は断念したのだった。
球封じを打ち砕ける魔法には行きつかなかったが、いつも放り投げていたそれらの整理法が、少しは身に付いた気がした。
あくまで気がしただけだが。天使界に生まれながら、こんな効率の悪い方法でしか魔法が理解できない自分に、もう笑うしかなかった。
懐中時計を元に戻しながらも、また何かが浮かび上がってきた場合は絵に残し、メモに取る。そして最後のネジを細いマイナスドライバーで締め上げた。
そして今回のバラし作業でわかったのは、魔法具に込められた誰かの「想い」のような物が、読み解くと自分に理解できるという事だった。その魔法を組み上げ、時計と言う一つの形に昇華した創作者の想いだとレイルは感じた。
それは優しい光だった。
持ち主になる者を守ってあげたいという想いに包み込まれる。これに魔法があるのだと聞いた時には感じなかったその光が、今なら感じ取れた。
見回せば天使界の物には魔法がかかっているものは少なくない。
ペンにカバン、携帯に本、集中すると薄く光っている。
ただ集中して探ろうとすると、2週間書きなぐり生活をまた再び繰り返すことになると気づいて止めた。
「身分証が手に入ればバラしたいな。でも父さんのバラしたら怒られるじゃ済まないよな。今回みたいに飛ばすと体崩しそうだし」
分解中に気付いた小さなボタンを針で突いた後、裏ぶたを閉める。
竜頭を回すと時計はいつものように時を刻み出す。
壊れていなかったことにホッとした。でもゴム手袋にマスクなど付けていたとはいえ、素人が開けたので、いずれ修理に出さないといけないだろう。
「だけど、こんな機能があったのかァ」
耳栓が完全防音にして、時計の隅にあった秒針の別窓を凝視する。
そうしながら音楽を傍で鳴らすと針が反時計回りし、手で調子を取って打ち鳴らすとその度、秒が二秒~三秒ずつズレるのを確認した。
これがあれば、目でその場に音楽がないか調べる事が可能になる。
そんな事を確認している間に、太陽が昇り、星は消えた。
レイルは脂っこくなっていた髪に気付き、ウヘーっと変な声を出す。
集中していた時には気付かなかったが、自分がべっちょりと薄汚れている事に注意がやっと向く。
一度寝てから、とも思った。が、学校もこの間、サボりっぱなしだ。
適当に教科書を入れ、着替えを持って下に降りた。
「おはよう、かーさん」
「へ!? やっと降りてきてくれたの、良かった……けど貴方痩せて……」
「まず風呂ーーーー後から片付けるから、部屋はまだ入らないでーーーー」
完全防音のままだったので、母の小言は聞こえない。
自分が言いたいことだけ言うと、脱衣所で服を脱ぐ。
寝不足のひどい顔と汚い髪、かなり痩せたような気が自分でもする。紫水晶瞳は冴え冴えとして、朝の光をも吸い込むかのようだった。
シャワーのお湯を熱めにして浴びる。肌がしずくで叩かれ、生き返るような心地がした。
同時に倦怠感も襲い、今日までは学校休もうかなっとも思う。
盛大に石鹸を泡立てて、何回も頭や体を洗った。そしてバスにお湯を張ろうかと思ったが、時間が掛かるので断念した。
脱衣所で服を着て出ると、鏡の前で歯磨きを終えた父マハイルと目が合う。
彼はまだレイルの髪から滴っている水分を見て、タオルでわしゃわしゃと拭きあげてやりながら、
「レイル、おはよう。気が済んだかい?」
「おはよう。とりあえずね」
これで振出しに戻ったが、何も得なかったわけではない気がした。
すぐに生きる事はなさそうだが。レイルはふと声を落として、
「部屋にはまだ母さんには入らないように言ってあるけど、借りた鍵、しまっておいた方が良いよ。父さんから借りたなんて母さんには言わないから」
「レイル! おま……」
「部屋入っても良いけど、散らかってるのは目つむって。それから、額飾り、失くしたんだ、ごめん」
話を聞く為、対価に差し出したとはどうしても言えずに嘘をついた。
父はタオルを取ると、いつも息子の額を守っていたソレが、そこにないのにその時気付く。彼は言葉に詰まった。
「あ、ど……、そうか……」
変な音を飲み込んで、それだけしか返せなかった。
レイルは怒られまいとして、さっと台所に行った。
「母さん、今日まで休んでいーいー?」
「レイルいい加減にしなさいよ。勝手ばっかりして。食事してないワリに元気じゃないの。心配したわ。それに今日、何の日かわかってる?」
「えー? 何だっけ?」
「飛び級試験の日よ。受けないの?」
「あー? えー? そうか。何で日付、知ってるんだよー」
「こないだファーラ君が来てくれた時に話していたから、学校に確認したの。急がせる気はないけど、貴方、何も言わないから。通らなくても殆どの子が受けるらしいわよ。で、おかゆでも作る?」
食卓には両親分の目玉焼きにサラダ、トーストが用意してあった。真向いの席にも誰も座らないがトーストがあった。だがレイルが下りて来るとは想像していなかったからだろう、彼の席には水のボトルが置いてある。
あれだけ絶食したと言うのに、良い匂いとは思うが食べたいと思わなかった。席に座るとプチトマトだけ、摘まんで口に入れ、転がす。
「ファーラ、来てくれたんだ?」
「ええ。先週の話よ。でもお父様が帰って来るから、急いで帰って行ったけど……レイル?」
「先週って……もう学校行くから、まだ部屋は触らないで、母さん」
「あ、魔道士長が、音センサーみたいな機能があるから、今度から色んな所に行く時は確かめなさいって。懐中時計の裏蓋をあけてボタンを……」
「あ─────あれね。もう使い方わかったから、いーよ。行ってきます」
慌ただしく出て行く音を聞きながら、父が洗面所から無表情で出て来た。
「レイルったら何なの? で、貴方までどうしたの?」
「…………額飾り失くしたそうだよ」
それを聞いたメアリが黙ってしまい、表情を暗くした。
あの額飾りはレイルの為に作った物ではない。グリーン夫妻の長子は現在レイルになっているが、その前に男の子を儲けていた。
その誕生を祝って作ったのがあのリングだった。その子は複雑な事情があって天使界を離れている。その子が赤ん坊だったレイルに最後に残したのが、あの額飾りだった。
解体を終えて、作り手の気持ちが感じられる今、もしあの額飾りをレイルが手にしていたら、父が初子に込めた気持ちや、まだ赤子だったレイルに差し出した気持ちを感じ取れたかもしれない。
だがそのきっかけを掴む為に、大切な物を手放してしまった事に彼は気付いていなかった。
メアリはほんの少しだけ考えてから、溜息をついた。
「仕方ないわ。大切にした上で失くしたなら、きっとあの子も怒らないわよ」
「ああ、サイファは怒らないだろうね、レイルの事が大好きだったから。仕方ない、か」
居なくなった息子を思い出す手段の一つであった額飾りを、レイルが失くしたからと言って怒り上げるのは、お門違いだ。
無論、むやみに物を失くすのは、後から叱らないといけないだろう。
父は残念そうにしながらも、二階へ上がった。
メアリに気付かれる前に魔法錠を回収しなくてはならない。
レイルの籠っていた部屋に鍵はもうかかっていなかった。
そして彼を迎えたのは紙クズの山だった。散らかってるのは目をつむってと言われてはいたが、想像よりひどかった。
インクを乾かすために、洗濯干し紛いに即席で張った紐に、図形や文字が掛かれた紙が万国旗よろしく吊り下げられていた。破られたクロッキー帳に走り書きされた紙屑の山。
ベッドも床も紙屑だらけだ。よくもまあ、これだけの量を書き散らかせたものだ。その量で籠っていた間、殆ど寝てないのだと知り、今日学校に行かせて良かったのだろうかと考えた程だ。
くしゃくしゃにしてあるメモの何枚かを拾って、皺を広げる。
そこにはマハイルには何かわからない記号や図形で埋め尽くされていた。
芸術的と言われればそうかもしれない。洗練されていて包装紙ぐらいには使えるだろうと言うレベルだ。
マハイルは護符などを作るだけに、言語には通じている方だが、見た事のない文字と思われるモノが書き連ねてある紙もあった。
旗のように吊り下げた清書してある方は、部品や組立図の様だった。
烏口の使い方は均一で、上手に製図できているのは褒めるべきだろうか? 木炭で描いてある紙に至っては、全く意味不明だった。
「う? ーーーーんーーこれを書くために籠っていたという事か」
紙や画材が勿体無いとは思わなかった。
レイルの落ち着いた顔が見ただけで、彼にとっては十分に何かの効果があったと父は判断した。
入口に引っかかっていた鍵を取ると、メアリに見えない様、レイルが書き散らかしたクズ紙に包んで、服の下に隠し、部屋を出た。
青い屋根の教会を見ながら、レイルは街を浮遊靴で走って行った。
走ると言うよりバスケットゴールに向かう選手のように、大きく脚を広げてとーんとーんと飛び跳ねる様な動きだ。
バスに乗ろうと思っていたが発車時間を逃した為、次を待つよりこれで歩いた方が早かった。
風がなく、飛ぶには『妖霊』カデンツァの助けが要りそうな気候。
魔法の編み上げをやってみようと思わなくもなかったが、疲れているのでいざと言う時に余力を残しておきたかった。
学校が見えて来た時、自分の横に誰かが舞い降りてくる。
回りにも何人か翼を背にした者がいたが、一際大きな黒い翼だった。貧弱な翼しか持たないレイルが憧れる大きな翼の持ち主は、間違いなくレイルの親友だった。
「おーい、レイル、生きてたか?」
「それはこっちの台詞だ、ファーラ」
抱き付きまではしなかったが、久しぶりに顔を合わせた親友の両肩を持って、彼の生存を確かめた。
先週、父親が帰って来たと聞いて何か嫌な予感がしたのだ。
杞憂に終わって良かったとレイルは思う。
緑玉瞳は相変わらず夏の新緑色をして美しかった。
ただその色に陰りが見えるのは気のせいだろうか。
一方のファーラは紫水晶瞳の真っ直ぐさにたじろいだ。
彼が自分の秘密を知っているとは思わなかったが、何もかも見透かされている気がした。二週間ほど学校に来なかった間に、かなり痩せて、紫の瞳が際だった輝きを見せている為だろうか。
それとも彼に挨拶もなしで、父を殺して消えようとした罰の悪さからだろうか。
もう自分に未来は見えなかったファーラは今日、本当は学校に来るのをやめようと思っていたのだ。
今日は飛び級試験、未来の無い少年には必要のないモノ。
それでも来たのは黄金色の髪をした親友が来るのではないかと思ったからだ。
「今日はさすがに来たなー」
「今日? ああ試験? さっきまで存在忘れてた」
「おいおい、お前籠って何やっていたんだよ? 試験勉強にいそしんでるのかと」
「じゃあ、そういうファーラはやったのかよ」
浮遊靴のスイッチを切る。
時間がさらに経過したおかげか、違和感なく喋る事が出来た。
そうしながら二人はお互いに心を痛めている事に気付かなかった。
レイルは友を守れない事に。ファーラは友を置いてココを去ろうとしている事に。
「リュリアーネって『妖霊』?」
「近いけど、人魚って生き物だと思う。ばあちゃんからの預かりもの」
「あの日の件は放課後、もう少し詳しく話してもらうからな」
「へーい」
学内に入ると、ロッカーに向かう。
二人のロッカーは隣り合わせなので、向かう場所は一緒だった。
「なあ、ファーラ。お兄ちゃんがいるって言っていたよな?」
そいつと会ったし話したし、ロクなヤツじゃないな、そうレイルは続けたかったが、その句は告げなかった。
ファーラはレイルが言葉を飲み込んだのに気づかず、
「ああ? ああ、前にも言ったけど、学校に来れるのも兄さんのおかげなんだ。父さん俺の出来が悪いから期待してなくて。そう言えばレイルの母さん料理美味いよな。兄さん気にいったみたいで、良く食べてくれるんだ。病気のせいか、食が細いんだけど。習いたいぐらいだ」
「なら母さんに言っておくよ。今度、習いに来いよ。ファーラの所はお母さんいないから料理も大変なんだろう?」
「あ、え、うん、助かるよ。今度な」
ファーラは果たせないだろう約束をしてしまった事に後悔していたが、レイルは他の事を考えていた。
彼の兄に対する口調を聞く限り、やはり絶対的な信頼が読み取れる。
彼の崩壊寸前の心を精神的に支えているのはあの兄の力が大きい。
だがヤツはどう見ても悪意の塊。もし本性を剥き出しにして、ファーラに全てを語ったならどうなってしまうだろう。
そんなに鬼畜でない事を祈りたいが、レイルが考える以上に性悪だ。
「おーい、レイル。そろそろ時間になるぞ。急ごう」
「ああ」
そう言いながらロッカーの扉を閉めた時、少し遠くに立ちすくんでいる女の子が見えた。
豪華に金の巻き毛に、遠くからでも分かる品のある雰囲気。
副生徒会長、プリシラだ。
レイルが気付いたのにあちらも気付いた。すぐに彼女の姿は、他の通路へと消える。
嫌われたのだな、避けられてると思いながらファーラを見やると、彼は鋭い視線で彼女の消えた方向を睨んでいた。
試験は五時間に及んだ。
クラスの四分の三以上は受験していたから、殆ど全校あげての試験となる。通るのはごく一部だが。初めての受験になるレイルは緊張するかと思っていたが、思わぬ伏兵が現れた。
睡魔だ。
眠い、眠すぎて気が遠くなる。
今暫くは、ファーラと同じ学年で居たかった。
いくら同じ学校でも学年が離れれば疎遠になる。
危ない状態の彼に何がしてやれるわけでもなかったが、せめて一緒に居てやりたかった。ユリが自分の為に命を落とした件から遠ざけようと思ったこともあるが、今は彼から離れられなかった。
試験中は視界が揺れて、気付いた時には瞳が閉じてるなどという事を繰り返す。とにかくマスを埋めて、寝ないようにするのが精いっぱいだった。
昼休み一時間を、机に突っ伏して爆眠したら、午後は何とか起きて回答する事は出来た。
ただ次は空腹感に悩まされて集中できないまま、試験終了。
りりんりりん、りりんりりん─────
軽いベル音が終了の合図。レイルにはその音は聞けなかったが、前の生徒が立ち上がったので、それに気付く。教室を出てファーラの姿を探す。
伏せられた解答用紙を先生が回収するまで、廊下で待機させられる。
ヒトがごった返す中、緑がかかった黒髪は目立った。カラーの濃淡はあるにせよ、天使の髪は金髪が一番多い色で、次に茶、赤系、が多い。
「腹減ったーーーーー」
「だから食っとけっってあれほど。俺、ダメだー基礎、最後の問題、配点高いのに時間がなかったー」
ファーラは艶のある髪をかきむしりながらそう言った。
レイルはロッカーにおいていた、ブロック菓子、乾パンのような物を口にした。
賞味期限切れだったが味に変化はない。大丈夫だろう。
「算数基礎? あれ、最後から二番目、引っかけ問題。アレ自体に時間喰うと最後が解けない仕組みだぞ」
「ええっ! 見事に引っかかったぞ、俺」
「みえみえじゃんか、あれは」
二人の会話を聞いて、回りの生徒が動揺する。
「レイルー本当かよ。あれ解かないと最後に入れないだろう?」
「そもそもそれが間違いだって。これを……」
割った入ってきたのは比較的仲の良い生徒だったので、レイルは問題用紙を広げて、その子と話し始める。それを見ながらファーラは思っていた。
もし父親の暴力を我慢して受け続ければ、死なない限りはココに戻ってきて、笑い合える生活が続けられる。
兄ももう少し待とうと言っていた。
だが父親の異常さは限界を超えている。
自分に暴力を振るって暫くは微妙な正気で生きているようだが、いつ完全に魔化するか時間の問題だと思う。
そもそも魔というのは、天使を喰う生き物の事。
天使界の食物連鎖の頂点は、天使ではなく「魔」になる。
魔は血肉を持ち、子を産む。天使を餌とする獣、ライオンや虎に近い生き物だ。
それなりに駆除されている為、自然派生種は減少傾向、また滅多に天使を襲わないし、対応と時間帯さえ気を付ければ恐れるに足らない。
例えば、ファーラの住む森にエポデと言う魔がいるが、昼や街には出てこない。対魔獣用の壁があれば魔は入れない。
そして天使が堕ちると魔となると言われているが、その原因の一つが「玉」を狩る事で起こるのは一般には知られていない。
魔王サタンは邪悪の樹から生まれたとされているが、何らかの理由で堕ちた天使ではなかったかという見解もある。
そうやって生まれた天使からの変異魔は異常に強く、子は作らないとされる。
自然派生種と違うのは対魔獣用の壁は無効な事と、天使を執拗に襲って喰らう事。魔など、天使を害する生き物を駆除するために、天使界には「軍」が存在する。
「完全に魔化する前には……」
手を下さねば自分がやられる。
軍に知らせる事も考えたが、一時は軍人だった父の誇りを傷つけたくなかった。
この期に及んで何を気にするのだと、レイルに全てを話したら問い詰められるだろうか? 出来るなら知られたくない親との関係を、口にするのは憚られた。
親友から奇異の目で見られるのだけは耐え難く、言葉に出来ない。
「え? 何か言ったか? ファーラ」
「いや、何でもない」
ファーラは首を振って否定した時、声が聞こえた。
「フィールさん、ファーラ・アリエル・フィールさん、居ませんか?」
それは事務のお姉さんだった。レイルはファーラの視線が移った事で、その呼び声に気付く。
事務のお姉さんは名前から推測して、女の子を中心に聞いて回っている。
苗字は多い方なのでフルネームで呼ばれており、更に完全に女の子を探している中、手を上げるのが流石に恥ずかしそうなファーラに変わって、
「おねーさん、こっちー」
っと、呼んでやった。慌てて来るお姉さんに、俺がファーラですと彼がと言うと、虚を突いた顔になったがすぐにとりなおして、
「急いで帰りなさい。お父さんがかなり酷いお怪我で危篤らしいのよ。今は意識がないみたい。担任には伝えておくから急いで」
今の今まで殺そうと考えていた人物の事なのに、それを聞いた途端、見る間にファーラは落ち着きを失くしてしまった。
「れ、レイルどうしよう。父さんが……」
どんな酷い事を強いられても、親なのだ。
抵抗できない血の絆が、彼を混乱させ、顔色を変えさせる。口に上った彼の声音はレイルには聞こえなかったが、弱々しい唇の動きで、彼が本気でそう言っているのがわかる。
このまま死んでくれれば良いと思えない彼の優しさが、レイルには痛かった。
「早く帰ってやれよ。手伝いが要る時は呼んで。気を付けて」
送り出したくなかった。だが彼はレイルの言葉で、弾かれた球のごとく、廊下の人波に消えて行った。
レイルはぼんやり見送って、自分自身に歯噛みする。
「レイル……」
背後からだったので名前を呼ばれた事には気が付かなかったが、回りの気配が変わった事で振り返った。
そこには奉納舞、そしてユリの葬儀の後は、今日の朝まで全く姿を見せなかったプリシラが淡い金色の瞳でレイルを見つめていた。
「副生徒会長さん、何の御用事ですか?」
奉納舞は終わった。
時間も空いて、避けられている気がしていた。
前のようにプリシラと呼ぶのは馴れ馴れしい気がして、初めて合った時と同じにそう呼んだ。
途端に彼女の表情が崩れて泣き出し、その場にいた全員の敵意を買ってしまったレイルだった。
ご指摘、感想などいただけましたら幸いです。お気に入り登録いただいた方、本当に感謝です。頑張って続きを書きます。