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風がさらう銀の調べ

前々から書き溜めていた物に追加する形で作っていく…つもりでしたが、意外と総書き換えで時間が掛かっています。それでも引用した場合、名称等のズレがあります。その辺りと誤字脱字は徐々に直していく予定です。年齢設定を後日少しいじるかもしれません。死んだり、血も見ます、さらっと危ないシーンあります。苦手な方は申し訳ありません。今回主役は出番なしです。

感想などいただけましたら幸いです。

 

 女は美しかった。

 彼女は一人の男の子に恵まれた。

 子は大きくなるとその力が認められ、剣士として讃えられるようになった。

 しかし人生が傾いた時、母から見聞きした禁忌を犯した。

 




 

 セレフィードがレイルを抱えて出て来ると、屋敷の扉は重く閉まった。

「魔道士長様!」

 駆け寄ってきた少年はレイルと同じ年の頃。

 長めの黄金色の髪を後ろに流し、水色のカーディガンに黒のジーパンを履き、両耳を繋ぐ鎖。

 そう驚いた事にレイルと同じ髪型に服装をした少年だった。

 違うのは、黒塗りの鞘に入った長剣を帯びている事と、目が紫水晶瞳(アメジストアイズ)ではなく、金瞳(ゴールド)であった事だ。

 顔立ちは人形の様なレイルと違い、はつらつとして、断然子供らしく表情が豊かだった。明るい金色の瞳で他人とわかるだろうが、だがパッと見では良く似ていた。

 

 

「どうじゃね? ファリア。追手は」

「二人居ましたが、問題なく処理しておきました。パープルリボンの前科持ちでしたから、副長達が警察へ連れて行ってます」

「パープル……そうかね、怪我をせず何よりだの」

 褒めて下さいと言わんばかりの表情に、長は答えて頷いた。

 

 

 そしてファーラの家から二人は素早く離れ、レイルを柔らかそうな乾いた草の上に寝かせた。

 チェーンが千切れていたが、完全防音にした上で耳に栓を戻した。

 そこに長衣(ローブ)を纏って、薄いマントを身に着けた大人が二人、空より舞い降りる。

「セレフィード様、滞りなく引き渡して参りました」

「ご苦労じゃの、副長。細かい報告は後に。疲れた所に悪いが、二人でレイル様をお宅へお送りするのじゃ。時計に仕込んである音感知システムの使い方を母御に教え、レイル様に変わった場所に入る前には使う様に指示させるのじゃ。まさかこんなに早く使わせる事になるとは思わなんだが。母御には用心の為じゃと不安は与えぬように。学校の方も適当に理由を付けて早退扱いにさせるよう……」

 降りてきた二人が魔道士長の命を皆まで言わずに理解したのを察し、言葉半分にしてそこから離れる。

 

 

 その後ろにレイルによく似た、いや、故意によく似せた少年が付いてくる。

 

 

「ファリアは今日はもう目薬は必要ないのじゃ。夕までは起きられないじゃろう。八音以上聞かされておる。詰所に戻り、仮眠するがいい。それから今の額飾り(サークレット)はもう不要じゃ。新しい物を着けられるようになったら、同品を用意し渡す故」

 ファリアと呼ばれた少年が、目薬を握っているのを見て長は言う。

 その目薬は一時的に目の色を変えてみせる物で、彼が影武者を務める時には欠かせない特別のアイテム。

 レイルが動いた時に怪しい者がいた場合、ファリアが出て行き、ひきつけ、他の先輩魔道士達が倒すのが、この頃のセオリーだった。

 

 

 実はこの所、レイルが思うより頻繁に狙われている。彼が幼小学校に行き出し、行動の情報が出回り、狙いやすくなった事が一因だろう。

 そしてファリアはレイルがほぼ常時着けていた額飾り(サークレット)を着けていない事に、魔道士長の言葉で気付いた。

「さっきまで着けていましたよね?」

「レイル様は取引に使われたんじゃよ」

「え? 取引ってどういう……それにいいんでしょうか? あれは……」

「あれが誰の物じゃったかレイル様は知らぬ。彼が放出してしまった以上、我々にはどうしようもないんじゃよ」

 ファリアは耳に付けていた栓を外した。

 彼が付けている栓は見た目こそレイルのと同じだったが、仕様はその逆で聴覚をより研ぎ澄まさせるものになっている。手に取ったそれを眺めつつ、

「もう少し協力していただいたり、忠告を増やしたりしてはいかがでしょうか? 本人は守られている事も余り感じられていないようですので、守りにくい事この上ないです」

 ファリアの意見は最もだった。

 守られる者が危険と感じ、身を守って動いてくれるのと、天衣無縫に振る舞うのとでは、守る者の負担が全然違う。

 だが、長たる老人は目を細め、孫ほど年の差がある少年に言った。

「感じないのが当たり前じゃ。その様にしておるのじゃから。警護する者に我らは助言はしても、拘束、制限は基本的に禁止。わかっておろう?」

「ですが」

「彼らの人生や生活に関わってはならん。ワシらは空気じゃ、無ければ平穏に生きてゆけないが、存在を感じさせてはならぬ。我々の目的は彼らの安全と保護。それが出来ず不慮の事態の時は……」

「玉」(ジュエル)を奪取、または消滅させる事、ですよね」

 ファリアは少しだけ振り返り、副長と先輩魔道士に抱えられて連れて行かれる、ちょっと自分に似た少年を見た。

 

 

 殆ど同じ年なのに命を狙われる子供。

 正確には彼の体に秘めている「玉」が、なのであるが。

 対して自分は守る側。

 政府が自分達を派遣する意義は、建前上「命」を守っている。

 しかしその実、息の根が止められ、「玉」が取り出された場合には、それを持ち帰るか、最悪、誰の手にも渡らない状態にする事が厳命されている。

 

 

 「玉」の存在は公式には流布されていない。

 特別機密事項の部類になる。

 だが美しい物は生きる者を魅了し、尚且つ「玉」が不思議な力を持つ為、どこからか秘密が漏れる。密かに狩られ、裏で高く取引されているのが現状。

 また見込みのありそうな子供を盗んで育成し、取り出すと言った非道な商売や研究も絶えない。

 

 

「そんな顔をするでない。そうならぬように守るのが我らの仕事」

 魔道士が出来るだけ関わらぬようにするのは、「玉」は成長する物だからである。

 いい影響だけ受ければいいが、偏った考えは良い「玉」を育てない。良い「玉」の持ち主は、それだけ力を持つ。

 政府的にその芽は育て、いずれは利用したいのである。



 死をもって手に入れるか、生きたまま働かせるか。



 ……裏も表も現実はかなり黒いと魔道士長は常々思う。

 それに加担している自分も黒だろうが、彼は彼の信念でこの立場にいた。

 恥ずべき事は何もなかった。

 

 

「ファリアよ、伯父に頼んでいた調べはどうかの」

 長はゆっくり歩きながら、守るべき少年に似せた子供に水を向けた。

「はい、先の奉納舞の時にまた再鑑定したらしいのですが、レイル様の「玉」は見えないそうです。それからやはり痕跡から見て、あの教師を粉砕したのはレイル様のご友人に間違いがないと。狩り能力をお持ちのようですが、うまく狩れず潰したようです。おかげで魔化せずよかったですが。彼の「玉」は緑玉(エメラルド)ですが、既にあれだけの力があるなら、政府も認めて、保護プログラムの対象にしてくれるのではないかと言ってました。」

「そうかの」

 通常「鑑定」すれば、どんな種類の「玉」の持ち主か判る。

 それも鑑定の能力がなくとも、溢れる力はその瞳を美しく輝かせるので、レイルの紫水晶瞳(アメジストアイズ)が持つ、冷酷な美しさから彼には貴石紫水晶(アメジスト)が眠っていると予測された。

 だが「鑑定」能力を持つファリアの伯父は、「見えない」とレイルが生まれた時より言い続けている。

 鑑定による確証はないが、余りにハッキリとした瞳の色に、間違いなく貴石の持ち主であろうと政府は惜しみなく魔道士を派遣し、守らせている。

 

 

 そしてファーラは美しい緑玉瞳(エメラルドアイズ)の持ち主。

 だが鉱石では貴石に属するエメラルドも「玉」としては余り珍しくない部類に入る。

 緑玉瞳の所持者はレイルの住むこの街、イクスアルペイには少ない。

 しかし北の街エンア・エンター出身者には多くみられる。

 水晶ほどありふれた結晶ではないにしろ、北の街出身者からの良質な「玉」保持者を集める事は難しくない。

 その為、緑玉では相当の4Cの「玉」の持ち主と認められないとレイルのような保護を受けられない。

 

 

 4Cとは鉱石の場合カラット、クラリティ、カラー、 カットをいい、宝石の価値を決める基準となる。

 カラット(おもさ)クラリティ(透明度)カラー(いろ)までは「玉」(ジュエル)同じだ。

 しかし加工(カット)せずとも「玉」(ジュエル)は美しい形をしている為、そこは(ケージ)、または魂の箱(ケース)という言葉に置き換えられる。

 

 

 4C、これが揃っているほど「玉」も価値が高い。

 

 

 

 

「彼らの人生や生活に関わってはならん、ではなかったのですか?」

 少し意地悪に、唇を尖らせて子供らしくファリアが言うと、長は孫にからかわれた爺の様に苦笑し、だが即あの痛々しい姿を思い、表情を曇らせた。

「保護プログラムなど普通は与えたいと思わなんだが、あの傷を見ては……」

 別に彼が普通の生活を送れていれば、魔道士長も保護プログラムを受けさせようとは考えない。

 だが、「玉」(ジュエル)という機密事項の存在を知る知識の深さと、その上でレイルを親友として守ってくれたその心と強さを持ちながら、その背中に刻まれた尋常ではない傷痕に、彼も心を動かされたのだ。

 それでもレイルの長に頼れないと判断したのは間違いない、表立っては動けないのは事実だ。

 だからこそ陰ながら動いていた。

 天使界でも虐待の扱いは難しく、普通に保護を求めても時間がかかってしまう。

 だが「玉」(ジュエル)保護プログラムが働けば、ファーラを傷つける親から親権を盾にされても、簡単に引き離す事も可能となる。

「プログラムが発動する前に、ちょっこり聞いておいた方が良い事もありそうじゃが。あの子の兄も一筋縄では行かなさそうじゃ」

 それでも幼き少年を酷い虐待より守れそうな事を嬉しく思い、早く引退して気軽にしたい事をやりたいもんじゃなどと呟きかけた長に、ファリアは声を低めて続きを告げた。

「長。その緑玉なのですが、クラリティ(透明度)に問題と言うか……」

 その言葉に、今まで好々爺の笑みを浮かべかけていた長の顔に影が射した。

「プログラムに入れられる程の透明度がなかったか? だが、先程、既にあれだけの力があるなら、政府も認めてくれるじゃろうと言ったではないか。かなり魔化した相手をあれだけ見事に粉砕するなら、ちょっと透明度が低いくらいは問題がなかろうと思うじゃよ。緑玉は傷が多い種類であるしの」

 ファリアは何とも言えない表情で、長を見上げ、

「伯父からは、まず報告書には上げないで、長に相談しろとの事だったのですが。伯父の言う所ではレイル様のご友人は変彩効果(シャトヤンシー)だと」

 

 

 ファリアの言葉に長は一気に目を開いて、我が耳を疑った。

 

 

「シャ……変彩効果(シャトヤンシー)じゃとな? 緑玉の?」

「はい。伯父はまだ完成してないと言ってましたが、レイル様の近くにいるという事は「鍵の猫目石(キャッツアイ)」ではないかと」

「ば、バカな。「鍵の猫目石(キャッツアイ)」が二人も現れるわけは無かろう」

 いや、と彼は考え込んだ。

 

 

 変彩効果(シャトヤンシー)とは、繊維状組織(ルチル)等が鉱石中で一定規則に並び、それを特定の形に加工すると、光を受けて猫の目に似た縦目の線条を現す石である。

 「玉」の場合は加工が必要ないが、それ故に規則的なルチルの並びとケージのマッチングが必要な為、その希少性は高く、貴重な物だ。

 変彩効果が出やすい種類の「玉」もあるが、緑玉にそれが出る事は非常に稀である。

 中に内包物がある為、透明度は低くて当たり前だ。

 

 

「「鍵の猫目石(キャッツアイ)」の話はどうかとしても、これは要らぬ墓穴を掘ったやも知れぬ」

 今まで長の立てた計画から行くと、ファーラに保護プログラムを付けたいのなら、希少性のある変彩効果の持ち主という事で、簡単に許可が下りる。

 安心しても良い所だった。

 

 

 だが、「玉」に変彩効果が起こるのは、体ないし心に負荷や苦痛をかけた者に多く出るという仮説がなされている。

 ファーラは親から相当の扱いを受けている。

 仮説が体現された少年が見つかったとなれば、実験体と見做され、完成するまで放置などと、公的に誰も彼を救えない状態に追い込みかねなかった。

 また彼は救えたとしても、秘密裏にそういう実験をやろうという話が持ち上がりかねない。

 天使に苦痛を与えて、「玉」に変彩効果を与えるという人道的でない方法。

 価値ある物を手に入れる為に手段を選ばないのは、何処の世界も同じだ。

 

 

「どういたしますか?」

「この件は他言無用じゃ。プログラムを使うのも少々拙い事になった。緑玉の子は暫く保留にしておくように。先に詰所へ戻るがいい」

「どこへ行かれるのですか? お供いたします」

「いや、よい。リィ財団に行くからのぅ。ファリアはあそこの姫君が苦手じゃろう」

「紅お姉様には会いたくないですけど、いずれ対等に渡り合う身です」

「そうじゃったの。だがわしも紅様は苦手じゃよ。今日は別の娘に会いに行くから、居ないでいただけると有難いのじゃが」

 紅、と言う名を聞いて露骨に顔をしかめたファリアの頭を長はグリグリと撫でた。

「ちょっと待っていて下さい」

 彼がどこに持っていたのか、綺麗なガラスで出来たペンを取り出した。

 赤と紫が綺麗な渦を描いた透明なペンを、手元で走らせると、煌めく軌跡そのままのサイズがあるガラス板が現れた。

 そこに光る文字が流れ出した。タッチペンの様にガラスペンで板をつつくと、必要なデータが現れる。

「今日、紅お姉様は今、西のヨドに行ってるようですよ。財団本部には居られないです」

「そうか。しかし詰所よりもファースに戻って仕事をせねばならんかの? ファリア」

「大丈夫です。財団の方はまだお父さんの手伝いだけですから」

「ならば、仮眠を取っておくがよいぞ。何時レイル様がどういう行動に出るか不明じゃ。わしはリィ財団に寄ってから、東のエヘイエに行って対象者に不都合がないか見て、夜半に戻る」

 長は杖をその手に現した。

 とんっと軽く地面を叩くと、年老いた彼の体は空に浮き、ゆっくりとそのまま垂直上昇し、森の木を抜けて行った。

 ファリアは頭を下げて、長を見送る。

 現在、彼は容姿故にレイル専属の仕事を任されているので、魔道士が他にどんな人物を警護しているのか把握していない。

 魔道士の全体人数すらも知らない。

 

 

 魔道士も天使界に住む天使であるが、魔道士と天使を区分しているのは、「翼を持たない天使」、つまり見た目が人間と一緒である所だ。

 レイルも翼は無いような物だが、一応羽程度生えているので、彼らには分類されない。

 彼らは天使でありながら、翼の生える溝のような器官を持たない。

 

 

 異形の天使とも言われる彼らが名乗る「魔道」士はかつて「魔道者」と呼ばれ、差別用語であった。

 

 

 迫害されかけた昔の魔道者達は、サタンの瞳を持つ天使を守ったり、他の者が率先してやらない仕事をやったりして地位を固めた。これが要人警護を専門とする今の魔道士の始まりだと言う。

 彼らの仕事ぶりと、天使には操りにくい別種族の術を身に着けやすい事、独自に呪文をもって魔法技の体系を作り上げた事から、いつしか優遇されるようになった。

 その頃より魔道者ではなく魔道士と呼ばれるようになり、今となっては「翼を持たない天使」魔道士は特別スキルの専門職となった。

 また、魔道士の中には「多すぎる者」も含まれる。

 それは角と天使の輪を一緒に持っていたり、翼が2対、3対ある者で、その区分けをする場合は「多すぎる者」を魔導師と呼ぶが、基本的に魔道士と呼んで差支えない。

 

 

 長は空を移動しながら、紫水晶瞳(アメジストアイズ)、レイルの事を考えていた。

 紫水晶瞳はサタンの生まれ変わりとして嫌われるが、実際サタンの力の象徴である、極度に破壊に特化した者と言うのが生まれた記録は無い。

 「玉」の美しさ故に狙われたり、サタンの生まれ変わりとして忌まれて即殺された時代もある為、成人まで成長出来なかった事もあるだろうが。

 

 

 ファリアの伯父が持つ「鑑定」能力は天使界で最高位の物である。それが「見えない」という以上、彼を切り開かねば備わった「玉」が何であるかは不明だ。

 長はもしかしたらレイルの物は、一般的なただの水晶ではないかと思ったりしている。

 何故なら彼は良く言って「普通」、またはソレ以下なのだ。

 精巧な人形の配置がされた顔立ちと紫水晶瞳の冷たい美しさは目立っている。

 勉強はそれなりに出来るし、運動能力も悪くはない。

 

 

 だが、欠点を挙げるときりが無くなる。

 

 

 例えば剣技は苦手、飛ぶ事も翼など自身の力ではなく、ほとんど妖霊に頼った飛行しかできない。

 表情に表す事が苦手で、余りコミュニケーション能力は高くない。

 何より耳がまともには使えず、音楽を聞かせたら寝てしまうと言う弱点がある。

 彼には特別に破壊できるとか、ファリアの様に情報を手元に呼び寄せたり、ファーラの様に形無くなるまで押しつぶしたり、そういう特殊な能力は見当たらない。

 

 

 でも普通程度でいい、長はそう考える。

 彼の「玉」が何であろうと、彼は見た目で紫水晶瞳、サタンの生まれ変わりと判断されて生きて行く。

 それだけで試練の課せられる道なのだ、これで更にいろんな才覚があれば、回りから引っ張られ苦悩を繰り返す人生となる。

天使(ひと)はええんじゃ」

 そう言った時に、彼は昔知っていた女性の事を思い出していた。

 









 

 

 

天使(ひと)はいいから、故に辛い思いをするよ。守るのも大変だあね」

 セレフィードがもう少し若い時に当時守っていた男の件で、彼女の元を訪れていた。

「しかしいつ再開業したんじゃ。息子も育ち結婚したので廃業じゃーって言っていたじゃろうが」

「……じゃーって言った覚えはないけれど」

 その女は親しい長の訪問を喜んで出迎えてくれた。

 彼女の焼いたクッキーは素朴な味がしておいしい。そして彼女の入れるお茶が何より合う。

 若い時から懇意にしていた占い師、彼女の名はファーラ。

 

 

 ファーラ・アリエル・フィール。

 

 

 彼女と知り合ったのはさらに若い、新米の魔道士としてまだ教育係が付いていたぐらい昔だった。

 教育係の魔道士に、何かあった時は相談に行けと紹介されたのだ。

 当時の彼女は当たり前ながらもっと若かった。

 少しパサついた金の髪を無造作に結わえ、透き通った青い目をしていた。化粧気は無いが美しい顔立ちをしており、あの頃は傍らには敏そうな男の子をいつもそばに置いていた。

 そして美味しいクッキーにお茶が湯気を立てていた。

 彼女に始めて会った時は驚いた。

 何故なら彼女が結婚する前の職業は女優だったからである。

 天使界でも芸能界は流行り廃りのある職業だったが、印象強い勝気な演技も可憐な少女の役もうまくこなした彼女は、結婚後も繰り返しオファーされた実力と印象を残した名女優であった。

 セレフィードはファンと言うほどではなかったが、握手をつい求めて、先輩に怒られたのを良く覚えている。

 彼女は結婚して女優をやめ、男の子を儲けたが、旦那と死に別れ、喰う為に占い師をしていた。

 女優業に戻らなかったのは時間が拘束されて、息子との時間が割けない仕事と知っていたからだろう。

 彼女の占いの精度は高く、職業柄いろんな情報も入ってくるので、セレフィードも助けられた事が度々だった。

 

 傍らに置いていた小さい息子はやがて大きくなり、結婚したと同時に惜しまれる声も聞かずに廃業したのだった。それは女優をやめた時のように、それはあっさりと。

 それが再開業したのは長となっていたセレフィードにとっては心強い事だったが、その理由が気になった。

「何かあったのかの?」

「そうだね……孫が。二人目の孫を生んだ後、母親が死んだんだよ」

「え、嫁さんが。それは大変じゃったのう」

 死んだことは大変だったろうが、それが稼業再開とどう結びつくかはよくわからなかった。

 敏い目をした彼の息子は大きくなり、軍部で剣の使い手として英雄に祭り上げられるほどだった。そう言えばこの頃には彼の噂を聞かなくなっていたのを長は思い出す。

 彼女のパサついた金髪はもう殆ど白になり、綺麗にまとめて上にあげていた。

 もう彼女を見ても芸能界で名を馳せていた頃の面影を探すのは難しい。だが、肌が美しく綺麗なお婆ちゃんになっていた。

 毅然とした態度だが、人を落ち着かせる口調は10年以上引退していてもちっとも変わっていなかった。

 

 

「それでセレフィード、私はそろそろ死ぬので……」

 唐突に彼女が言った言葉にお茶を盛大に吹いた。

「ごほごほ……」

「汚いね……」

「ふ、不吉な事を言わんでくれんかの。しかし次の仕事をやめる時はその情報網を誰かに継がさんとだね、急に辞められて我々がどれだけ困った事か」

「それは相済まなかったね。で、それまでに探している物があって舞い戻ったのさ」

「ほう?」

変彩効果(シャトヤンシー)緑玉(エメラルド)が新しく回った噂を聞かないかい?」

「それはまた珍しい物を探しているのじゃの。だがそんな珍しい物ならすぐにファーラなら調べがつくだろうし。ほれ、占い水晶に聞いてはどうかい?」

「水晶で痕跡は追えなかった所から魔法障壁は張られてるのは間違いないよ。珍しいからこそ誰かの手に落ちたら、ほとんど出てこない物なのさ。ふう、魔道士長でも知らないかい……これは困ったね」

 ちっとも困った風ではないように長は思ったが、実の所どうだったのだろう?

 彼女は汚されたテーブルを拭き上げ、ビロードのような黒布を敷き、十字を切ってその場を清めた後タロットカードを並べた。

「変彩効果と言えば、紫水晶瞳(アメジストアイズ)の持ち主には「鍵の猫目石(キャッツアイ)」が傍にいると聞くが、本当かい?」

「ああ、そんなデータがあるのう。もともとサタンの片腕と言われたベルゼエルが、変彩効果の目を額に持っていたとか。何故か紫水晶瞳の血縁やら、縁者に一人、見つかるのじゃよ。確率的に紫水晶と変彩効果などと言う珍しい者同士が揃うなど、ありえん事。それが起こるという事は何か原理があるのかもしれんが。変彩効果は傍らにおる事で相乗効果を起こすのが特徴じゃ。この辺はセイティが詳しいと思うがの」

「フリートレンダーかい。セレフィードは変彩効果の「玉」を取り出す時を見た事あるかい? ……あるんだね」

 カードを見ながら彼女が口にした言葉にぴくっと長は反応した。

 

 

 「玉」(ジュエル)が取り出されるという事は、彼らの仕事が失敗した時。

 

 

 長い事この仕事をやっていれば、あってはならない事態も目にしてきた。彼女のカードにはそれがしっかり出ている。

 隠しても仕方がないので彼は頷いた。

「その時、変わった事はなかったかい?」

「変わった事?」

 

 

 「玉」(ジュエル)を取り出した者には魔化が起こる。

 

 

 天使(ひと)を殺すという禁忌を犯す事に対し、罰なのか。

 まずは頭痛や体の不調が始終起こり、白昼でも悪夢に襲われるようになる。更に狩り続け、魔化が進むと天使の姿を取れなくなり、記憶もなくし、ただ同族を殺して回る魔となり果てる。

「そういえば魔化が普通より進んだ気がしたのう。まだはっきり姿を留めていたヤツじゃったが、やった途端に尻尾が生え、手も顔も鱗化していたような……」

「変彩効果には、死の瞬間に呪いをかける能力があると私は見ている」

「呪い? 魔化自体が呪いのようなもんじゃろ」

「普通より強い魔化……ともいえるかもしれんね。あれは呪詛だよ。かかった者はゆっくりと死に落ちる。聖唱(スペル)も効かぬ上、回りも巻き添えるようだし、気を付けると良いよ」

 

 

 魔化を止める為には聖唱(スペル)と言う特殊な呪文を唱える必要がある。

 

 

 唱えられる者は特に聖唱使い(スペルメイジ)と呼ばれ、その秘術を伝えられし者は死ぬまで徹底的に政府管理される。

 それ故聖唱使い(スペルメイジ)を味方に持てない故、「玉」(ジュエル)を狩り続ける者に魔化は避けられない。

 しかし聖唱(スペル)が効かず、回りも巻き添える魔化の事を聞いたのは、この時が初めてだった。通常魔化するのは球封じなど魔法行使した者、また切り裂いた者だ。

「あんまり聞かん話じゃから、変彩効果である事と更に「玉」の種類も限定されるか、発動条件があるやもしれん。だいたい変彩効果自体が珍し過ぎるし、取り出す実験など出来んし、真偽を図るのは難しいのう。で、誰から取り出されたのじゃ、探し物は?」

 

 

「孫の、母親だよ」

 

 

 彼女の言葉に長は絶句した。

 だが大した事も無さげにカードをめくり、

「『数希な運命の中にある天使達の瞳を、正しく縒り集めなければならない』。さて、その、今、お前さんが守っている男。傍らの星が沈むねえ、可哀想にまだ若い子だよ。魔道士達にも守れまい。事が起これば彼が自暴自棄になって変な事をしない様せいぜい見張るしかないね」

 彼女が口癖のように繰り返していた言葉の後、占いの結果を告げながら、遠くを見て、

「見つけても相当、値が張りそうだねえ」

 

 

 ファーラ、彼女こそレイルの親友ファーラの祖母その人だった。

 

 

 

 

「魔道士ちょーぉ」

 彼の思考を遮るように、声が響いた。

 耳の後ろに仕込んである、魔道士用の連絡ツールから聞こえたものではなく、誰かの思念波(テレパス)だった。

 気付くと、下から、

「聞こえるーーーーーー?」

 っと、実際の綺麗な少女の声がした。凛とした鈴を思わせるその声は、じつに耳に心地よく音楽を思わせる。

 これをレイル様が聞いたら倒れるかもしれない、などと思いながら彼は杖を一振りし、下に降り立った。

 

 

 そこは花畑だった。

 低い丈の様々な色彩の花が咲き乱れている。

 彼女は籠を持ち、その中に立ち尽くしていた。

 少女は沢山のレイヤーが入ったレースのAラインの白いワンピースに、クラッシックレースが使われたフリルの服を着ており、風をはらんで揺れていた。

 

 

 彼女の一番の特徴は長い長い髪の毛が銀色であった事だ。

 

 

 前髪を眉が隠れる程度でぱっつんにし、後ろは自然に流している。

 花咲く地面までの長い髪だったが、風に揺れても地面について汚れる事はない。

 目は深い深い青。良くある水色を帯びた青ではなく、紺碧の美しさ。大きなその瞳は青玉瞳(サファイアアイズ)と呼ばれる色だ。

「お久しぶりです、銀姫」

「姫なんて呼ばなくていいわよ、誰が来るかと思ったら貴方だったのね」

 魔道士長は片膝をついて礼を取った後、彼女の前に立った。

 

 

 彼女はギリギリ成人を迎えた年の頃、十四くらいに見えた。

 しかし、本当は六歳前と聞く。彼女の一族は頭脳のみならず体の成長が一時的に早く、成人位の姿になると、以降は緩やかにしか年を取らなくなる。

「珍しいわねーーーーーでも紅様ならいないよ」

「いいや、銀様。今日は貴女に用があって参ったのですじゃ。わざわざ出迎えてくれたのですかな」

「誰か来るなーって思ったの。たぶん東のエヘイエに行く途中でしょ。確か臨時警護やってるって聞いたから。リィの本部まで行くと遠回りでしょ?」

 そう言って彼女は笑った。

「私に用事って何?」

「ファーラを覚えておられますかな?」

「あ、ああ、ばば様ね」

 銀色の彼女にとっては、教育係の一人だった、年のいった女性を良く覚えていた。

「彼女の孫が気になると言っておったでしょう?」

「ばば様が気にしてたの。死ぬのは怖くないが、それだけが気がかりだって。死ぬ前に息子を殺したいなんて言ってたけど」

 その言葉でファーラが自分の孫に犯す、または犯した息子の行為を知っていたと長は知った。

 

 

 あれ程当たる占い師だ。

 

 

 当たり前かと彼は思いなおす。

 それが止められなかった彼女の悔やんだ言葉が、今にも聞こえてきそうだった。

「その孫が、紫水晶瞳の近くに居たのですじゃ。どうも下の子が虐待を受けておるようで、庇ってやりたいのじゃが」

「それは立場上アウトでしょ? で、私に見て来て欲しいのね」

 皆まで言わずに言わずに彼女は悟った。

「悪い事してるなら、なかなか近寄らせてもらえないかしら? まあ、何とか考えてみるわ」

「上の子は別の意味で難しい子の様じゃから」

「うん、わかったわ。これあげるわ」

 手にしていた籠を長に渡して、彼女はゆっくりと花畑を歩き去る。

 

 

 籠の中にはファーラが焼いたのと同じ、懐かしい匂いがするクッキーが入っていた。

 

 

 

 

 暗い、暗い部屋。

 絡み付くような暗さは、気の強い者でも数分で発狂するだろう程の重圧感があった。

 暗い所では視細胞の杆体が働くものだが、この暗闇は墨で塗り潰したような単一の黒で、何も見えないのである。

 いや……唯一つ、細い、絹糸のような光沢を帯びた不思議な赤光があった。

 ただしその赤光は視覚を助けるほどの量はない。

 たった数m、まっすぐに伸びているだけ。

 

 

 パラリ……

 

 

 ひやりとした闇の中から何かの音が響く。

 空気があまりに張り詰めているため、その微風さえも空気に伝わり、闇を揺らすような感じを生ずる。

 

 

 パラ……パラリ……

 

 

 それは紙を捲る音だった。

「…………………………」

 冷たい闇の匂いがするこの部屋には間違いなく、誰かが生きていた。

 闇の中の住人は小さく言葉を吐いた。

「この本も読み終わっちゃったぁー今日あたり、本を持ってきてくれるハズだけど」

 小さな鈴を振ったような声を発したのは、冷たい石床にペタンと座った少女。

 

 

 この頃の年は三つ、銀天使特有の銀色の髪、そして大きな瞳は至上の富を集めても買えないような深い青玉色をしている。

 彼女の一族は体の成長が早く、既にこの頃には成人位の姿になっていた。

 彼女の白い手には、辞書のような大判の分厚い本があった。

 驚いたことに彼女は、この闇の中で本を読んでいるのである。

 

 

 ここは家具一式やトイレやバスは揃っていたが、どう見ても石牢と称するのに相応しい部屋だった。

 銀の髪の少女は床に手を付いて、ゆるゆると立ち上がり、手探りさえせずに今までの本を本棚に戻し、また本を取り出して座り込むと床にひろげた。

 パラリ……パラパラパラ……

 生まれて、彼女の記憶はこの暗い石牢の中の細い一条の赤光から始まっている。

 この闇の中でも動物のように、物を見る事ができた。

 文字も言葉も教えられた事はないが、人語を解し、字を読み書きができた。

 ただ記憶をどう探っても、両親という者の影はなく、日に三度食事を運んできてくれる数人だけが彼女に接触する天使だった。

 

 

 その大抵が女性で、少女を銀、またはルナと呼んだ。

 女性達は学識の高い人達ばかりで、彼女達は九回の食事に一度つまり三日に一度、ルナに素晴らしい本を与え、数々の質問に答え、教養や知識を叩き込んでくれる。

 剣術や超力の使い方まで……どうして自分がそんな英才教育を施されるのか、ここに閉じ込めておかれるのか……良くわからなかった。

 

 

 

 

「ばば様」

「何です? ルナ」

 ルナの世話をしてくれた女性の中にファーラという年老いた天使がいた。

 品良く髪をまとめたその天使は、占い師をやっていると言っていた。美味しいクッキーを彼女はこっそりルナにくれる。

 その日もそれを食べながら話していた。

「天使界は九つの天使一族が住んでいるって書いてあるわ、ほんと?」

 その頃、ルナは外に出たことがなかったので、この部屋に皆が出入りする瞬間に差し込む、僅かな薄光しか見たことがなかった。

 光は見たことがなくても、暗い中でも目がきくルナには、ファーラの表情が手にとるように見ることができる。彼女はいつもいたずらな感じで笑う天使だった。憎めない、とても不思議な天使。

 ルナは彼女によく懐いていた。

 そしてそう質問した時も、やはりいつもの表情を浮かべていた。

 

 

 天使は大きく見た目で天使と魔道士にわけられる。

 それ以外に天使は細かく金、黒、紅、緑、青、そして銀の六色に分ける。

 その6つに入らない中間特徴の天使は白天使と名乗り、この頃は見た目を拘らない聖天使を名乗る者も現れて、合計九つの一族が天使界にはいる。

 天使同士に確実な線引きがあるのは、天使と魔道士の間ぐらいで、他は純血と言われる貴族を除き、殆ど髪色や翼の色で適当に名乗る程度だ。

 

 

「それは常識ですけど、実際には嘘がありますよ」

「嘘?」

「ええ。銀天使一族、つまり貴女の事ですけどねえ」

「私? っ……痛いよ、ファーラ」

 ルナの長い髪を彼女は引っ張って、自分の側に寄せた。

「銀天使は一族ではなく、もはや貴女しかいないのですよ。銀の髪、銀輪、銀の翼、そして濃い青玉色の瞳を持った、純血の銀天使は貴女しか」

「純血じゃなくても……純血じゃなくてハーフとか……」

「居ないのだよ、混血の銀天使は」

 銀天使との混血で、もう一方の親の天使一族や白か聖の天使を名乗っている天使の中に、銀天使の容姿を持ち合わせている天使がいるハズだと思ったが、ファーラは優しい笑みを浮かべて首を振った。

「あまり遺伝子のことは、このババにはわからないがねぇ。銀天使と別の天使の間に銀天使は生まれないそうだよ。隔世遺伝っていうのもしないとバイオレットが言うていたし。つまりは銀天使の子供が欲しければ、銀天使同士の結婚しか成り立たないと言う事だね」

 バイオレットと言うのはここを訪れる一人の事で、仕事が医者なのだ。

「ふぅーん。バイオレットが言っていたなら間違いないね」

「混血が許されないが故に、数が少ない一族で、全員で二百人弱だったしね。そしてお前さんの生まれた日、お前の母親も父親も含めて全員消息を絶っているんだよ」

 

 

 どうして消えてしまったのかを聞こうとしたが、ファーラの視線がこれ以上は知らないといっているような気がしたので尋ねず、

「私だけしかいないんだぁ……」

 それでは幾ら自分の記憶を探しても両親が見付かるわけはない……と、続けて彼女が呟く前に、

「ルナ、手をお出し」

 残ったクッキーを口に押し込んで、言葉通りに戸惑いもせずに出した両手を、ファーラは優しく取った。

 

 ルナの胸前で何かを包み込むような形にして、

「『気』を集めてごらん。それがたまったら徐々に手を離して……」

 彼女は言われた通り、掌に集中した。

 『気』とは体内を駆け巡る『力』の事で、天使達の使う『力』に関係が深い。

 ここを訪れるマチルダと言う軍人から、気を集める方法は習っていたので、見る間に銀色がかった白霞みはビーチボール大になり、ルナの手は肩幅ほどに開かれた。

 

 

 それを見ながら、ファーラは、

「『数希な運命の中にある天使達の瞳を、正しく縒り集めなければならない』」

 自分の心と、部屋の闇に響かせるように強い口調でその言葉を唱えた。

「運命を信じるかい?」

「わかんないよ。運命ってなぁに?」

 強く濃い闇の中にあって、ルナの白銀は美しい光を放った。

「そうさ、ね。説明はつかないけれども、ババは……運命に流されてしまったんだよ。思いのままに、子供を生み、孫にまで運命を担わせてしまった。もうすぐ死ぬというのに、孫達が気になってたまらないのだよ。死ぬのは怖くはないのだが、息子も一緒に殺して、レテに連れていければどんなに気が楽か」

 ルナの体から発される煙のような銀色は、闇の中を明るく照らし出す。

 それを見ながらファーラは少しだけ笑ったが、やっている本人は体から流れ出ていくその銀煙に、どう対処すればいいかわからなかった。

 気によって生じる風に回りの黒い空気が揺れ、銀の長い髪が軽く空に巻き上げられる。

「とまんないよぉ?」

「ゆっくり押し潰してごらん。細くのばすように……あれあれ」

 言われるままに細くしようとしたが、勢い余って手を打ち合わせてしまい、集めていた銀白の靄は幻のように消えた。

 

 

 ファーラはクスクスと笑うと、ゆっくりと立ち上がった。

「もし私の孫に会う事があったら無茶はせず、自分を、気持ちを大切にするんだよ」

「気持ち?」

 首をかしげてルナは続けた。

「ここから出る事は無いのじゃないかしら? 私」

 今、ここから出ることは適わぬと知っていたから、ルナは外と言う世界があるのを知りながら、無理に出ようとはしなかったし、干渉しようとも思わなかった。

 ただ……暇に任せてひたすら本を読み続け、時折訪れる天使達と話して満足した。

 たまに持ち込まれるパソコンなどの機械を触るのも楽しかった。

 

 

 だがルナには目的も夢も希望も、何もなかった。

 

 

 他の人が見たら退屈でかわいそうだと言ったかもしれないし、楽で良いと言ったかもしれない。

 そして彼女に取って幸いなことは、悲観するほど悪い生活とは思えないこと。

 

 

 あれから少ししてファーラが亡くなったと聞き、またもう少しして外で生活するようになった。

 でもあの暗闇で過ごしていた日々と、今も変わらず目的も夢も希望も、何もなかった。

「ファーラの孫に会いに行ったら何か起こるかしら?」

 

 

 銀色の髪を風が攫う。

 

 

 長に渡したクッキーはうまく焼けたけど、それでも、ばば様に貰ったクッキーの様に美味しくできないのは何故だろう? そんな事を思いながら空を仰ぐ。

 輝く空は見慣れたけれど、いつも眩しい。

 そしてその日の風が連れてきた長の申し出は、彼女の心をも遠く運んでいく事になるのだった。

 

 


読んでいただけましたら、誤字脱字などご指導、感想、評価などいただけましたら幸いです。

9/26…叔父→伯父に変更

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