魂の在り処
前々から書き溜めていた物に追加する形で作っていくので、名称等のズレがあります。その辺りと誤字脱字は徐々に直していく予定です。死んだり、血も見ます、さらっと危ないシーンあります。苦手な方は申し訳ありません。感想などいただけましたら幸いです。
消えない傷。
生まれただけで忌まれる者など居ないはず。
レイルはぼんやりと席に座っている。
ユリを送った日、あれから何日も経っていた。
全て何事もなかったかのようにレイルは学校に通う。
ただ奉納舞の練習に割いていた時間がぽっかり空く。今までは何をしていたのだろうと思うほど、退屈な時間。
プリシラは思ったように、用事の済んだ彼の所に来ることはなかった。
ユリが生きていたら、遊びに来てくれただろうかと、考える時もあるがそれはもうありえない。
最後に打ち上げをと言う話も、幼くして心臓発作で逝ったユリの死を悼んで大きく立ち上がる事はなかった。
持病もない生徒会所属の美しい生徒が急死したのは、紫水晶瞳と関わったからだとか、サタンの呪いだとか、噂が立っていた。あながち嘘でもないのでレイルは反論する気はなく、放っていた事で炎上せず沈静化していた。
そう、いつもの静かな生活が戻ってきたのだ。
でもレイルはユリが心臓発作で逝ったわけでない事を、忘れられる立場にいない。
そして彼女が失われた理由を誰にも問えず、日々を送っていた。
更に親友ファーラに起きている暴力にどう対処していいか、ただ迷っていた。
飛び級試験がもうじき始まる。
一年ほどの飛び級は約束されているが、レイルの押さえている成績でも、もう少し上を狙えると先生に言われた。
だが今、そんな気分にはなれない。
自分が何の為にここに居るのか完全に見失っていた。
天使界では幼小学校には四歳から入学でき、その後六年過程、中級学校か専門学校の四年過程合計10年、十四歳で基礎教育を終える。
その後は上級学校および特別専門学校が二年から六年の単位で用意され、研究機関や医師など特殊技能系学校なども存在する。
基本十四歳で成人とみなされ、就職の門戸も大きく開かれていた。
徒弟制度もあり、長く学校にいるより早く師について学び、その後に資格を取る方が一般的だ。
幼少学校卒業には自分の進む道を決めていないと、大きく回り道することになる。
「しけた顔してるなーーーーーー」
レイルの頭を軽く突き飛ばし、そう言ったのはあれから一度も学校に来ていなかったファーラだった。松葉杖は持ってない、いつもの表情だった、とレイルは思う。
思うだけだ、顔がまともに見られない。
「おお! 久しぶりだなー怪我したんだって?」
そう言ったのはレイルではなく、近くの友達だった。
レイルは突然現れた彼に反応できない。
酷く痛めつけられていた彼の姿を思い出すだけで、頭が混乱する。いろいろ聞きたい事があるのに、あの姿を見た今は言葉が出てこない。
あんな痛みを抱えている親友を、助けもせず、ただ見殺しにしている自分を恥じた。
いや、助ける事など出来るわけもない。
何をどう切り出したらいいだろう。「見たよ」なんて軽々しく口に出来ない。
人間の五歳なら良くわからなくても、天使の五歳はあれが既に虐待を通り越して、男同士で更に親子間でされるべき行為ではない所まで及んでいる事はわかる。
「冷たいな。久しぶりに来たのに挨拶もなしかよ、レイルー?」
「ちょっと忘れ物した、取ってくる」
レイルは何とかそう言って、目も合わせず、教室の扉に向けて足を運ぶ。
「レイル?」
ファーラが不思議そうに呼んでいるのが微かに聞こえたが、レイルは振り返りもせず、
「後から」
そう言って、そのまま立ち去った。
後を追いかけてくる気配はない。授業がもう始まってしまう。
休んでいたファーラは単位が危ないので、すっぽかすわけはない。飛び級があるという事は、留年もあるのだから。
レイルはロッカーに行くわけでもなく、学校を出た。
バスに乗って移動する。
今日は学生証を持っているので無料だ。
黒のジーパンに水色のカーディガン、もう半袖では寒い時期になっていた。ユリを葬った日はまだ暑かったと思いながら、あの日は着けていなかった額飾りをきっちり止めなおす。
だいぶ長くなった髪を後ろに流し、懐中時計を一度ぐっっと握って胸のポケットに落とした。
ズボンのポケットには短い護身用のナイフが入っている。
天使界ではナイフも剣も、日常に持っていても怪しまれない。
そんな装備で彼が向かったのはファーラの家だった。
大きいだけで空っぽのヒト気のないその家。昼間なので、回りは明るく、遠目には古さはあるが、品のある瀟洒で大きな建物に見えた。
ファーラが学校に来たらどうしようかと幾つもシミュレートしてみたが、最善ではないがレイルに出来る最大の行動だった。
どうしても周りには口に出来なかった。
言えばファーラが受けている辱めを話さなければならなくなる。それは親にも誰にも言えなかった
魔道士長は洗面所に彼が意識を失っていた件で、絶対にファーラの体を見ているはずだ。
重ねたような酷い火傷に擦傷、あの場が血まみれだったとしても尋常でないのがわかるだろう。レイルに行かないよう忠告した件もある。
酷すぎる虐待を知っている。
でも動けない立場なのだ、頼れない。
話が出来そうな人を考えると、どうしてもあのヒトしか思いつかなかった。
耳の防音は揺るませ気味にする。
「どなたかいますか?」
「まさかまた来るとは思いませんでしたよ」
こないだの様に扉を叩こうとしたが、その前にすうっと開き、あの子供が現れた。
「お兄さん、ですよね?」
「今日は父がいませんから、どうぞ」
それは最初から親と話すのは荷が重すぎる、何かあれば殺されかねないともと思っていたので、居なくてよかったと思いつつ後に続く。扉はゆっくりと彼の後ろで閉まった。
レイルが感じる限り、人見知りには見えなかった。
病気がちは、間違いない。
枯れ枝の様な指は病気でないとありえない細さとねじ曲がりが入っていた。服は前回と同じく白、目が隠れるフードに、今日は大きなシーツの様な白布も纏っている。
中に入ると外の明るさも汚れた窓からは入らず、電気もつけられていなかった。
しかし昔は美しいシャンデリアで飾られ、清潔な絨毯が人を出迎えただろう立派な吹き抜けの玄関だと、レイルにでも分かる。
「一時は使用人だけで二十人は超えていたのではないでしょうか? その頃は呼び鈴もあったのですが、今は誰も来ないので、必要ないのですよ」
通りがかりに開け放たれた部屋を覗くと、厨房だった。
立派なオーブンに沢山の鍋、壁に下げられた調理器具。磨けば使えるだろうが、その全てが蜘蛛の巣やら何かわからないホコリに塗れていて使いたくもない。
だがその規模は一般家庭のキッチンではなく、相当な人数の腹を満たせるサイズだ。
こないだ来た時にも見たピアノなどの楽器の部屋や大広間みたいな部屋もあったが、全てが薄汚れた廃墟で見る影もない。
ただ思ったより空気は汚れていなかった。
「どうぞ」
彼が案内し、電気を付けた奥の小部屋は片付けてあり、綺麗だった。
窓はなく、家具は小さな机と椅子が二個と棚、ベッドそれだけ。皺一つなくベッドメーキングされた白いシーツ。
掛け布団は適当に置かれており、机の下に置いてあったゴミ箱から、汚れた包帯がはみ出している。
傍の木箱は救急箱だろうか?
机の上には本が何冊置いてあり、それが今レイルのクラスで使っている教科書だったり、ファーラが持ってきていた本だったりしたので、ここが彼の部屋なのだろうと見当は付く。
お茶を出して歓待する気はなく、一応イスだけレイルに示した。
「で、ご用件は?」
彼は幾つなのだろう?
ファーラの兄と言うからには彼より年上に間違いないが、その枯れた手肌、身長も低く、フードを目深に被っているので推察できない。パサパサの唇から吐き出される声だけが少年で、見た目は歯の抜けた老人のようだ。
ただレイルはそんな事を聞きに来たのではない。前置きもなく切り出した。
「なんでファーラがあんな事に?」
「あんな事?」
疑問に疑問で返したベッドに腰掛けた白服の少年の態度に、レイルは切れかけた。
返事的には正しい、抽象的に聞いたのはレイルなのだから。
だが信じられない事に、彼は問いの意味を知りながら笑っていたのだ。
顔が半分隠れていてもわかる。
ファーラがどんな目に合っているのか、あんな絶叫を聞いていて、されている行為が見える場所も知っていて、なお。笑っている、声も出さず、静かに。
それは明らかな悪意。
「扉、こないだワザと開けたんですか?」
「良い声でしょう?」
この家に入ってから、音と言う音は外から聞こえない。
それは扉を叩いても聞こえない構造。それはレイルの耳を塞いでいる栓の様に。
そして中の音も外に聞こえない。
彼が開けなければ、レイルがファーラの絶叫を聞く事はなかったのだ。
彼を助けて欲しいという意味合いで開けたのかと、彼の笑みを見るまでそう思っていた。しかしそんな善意はなく、レイルに扉を開け放ったのを返事から悟り、ぞっとした。
苦しむ弟の声を「良い声」などと、そうでなければ間違っても口に出来ない。
面白がっているのだ、弟の友達にそれを聞かせたらどんなに慌てるのか、どんな態度を取るのか。
でも、思い違いかもしれない。
レイルにはファーラが優しい兄と言っていたのを思い出し、もう一つ質問を重ねた。
「何で止めないんですか?」
「私が? 父を怒らせたアリエルが悪いんです」
「怒らせた?」
「父が帰宅するのは言っておいたのに。遅れたから」
帰ってくるのが自分より遅かった、それだけの理由で受けた折檻。
ただそれだけであんな責め苦を受けなければならないのか。
ファーラの父は常時家に戻れる仕事ではなく、家にいる時間は短いと聞いている。
だが今回に限らずその短い帰宅の間も、難癖をつけて日常的にファーラがあんな目に合っているのは傷を見れば明らかだ。
レイルはかみ合わない会話に、この少年はダメだ、感覚が狂ってる、おかしいと思った。
父親の異常な行動に彼の心も壊れてしまったのだろうか? それともこの家族が狂ってるのか。いつも屈託なく笑っているファーラを囲む家族が恐ろしくなった。
そして怒りを感じた。特に何もできない自分の無力さに。
ファーラの兄を一発殴って、この場から走り去りたい衝動にかられながらも我慢する。
レイルは質問を変える事にした。
「「玉」って知ってますか?」
レイルは水の中で聞いたファーラの台詞の中で一番残っていた言葉を聞いた。
この単語を聞いた時に相対する女の態度が変わったのは会話からでも感じ取れたからである。
ファーラが知っている事ならば、彼も知っているかもしれない。そして彼に聞いたのは正解だった、何の戸惑いもなく、
「貴方は天使が何で作られたといわれているか知ってますか?」
と、疑問を疑問で返した。
ただ今回は何処まで何をレイルが理解しているかと言う、判断を下すための質問だった。
人間と天使の体の構造は殆ど変わらない。飛ぶ能力を有している為か、気圧の変化に耐えるため肺の作りが違う。後は角や翼など多少付属品が付いてくる程度。
水やたんぱく質、アミノ酸やらなんやら、成分的に生物としての基本は同じだ。
だがファーラの兄が聞いているのはそれではなかった。
レイルは奉納舞でミカエルが言っていた言葉を繰り返した。
練習中に何度も聞いていたので宙で覚えていた。
「神は『イエソド』に魂を守り導く者として、我らが祖先を宝石や鉱物で創造した。金と黄玉、銀と青玉、銅と紅玉、鉛と緑玉、水銀と水晶、そういうこと?」
「…………天使の心臓を生きたまま引き裂くと出て来るんですよ、美しい石が。それを「玉」と呼びます」
「???????」
そんな事、信じられなかった。
だいたい天使が神に宝石や鉱石で作られたというのも、こないだの奉納舞で語られたミカエルの叙事詩も、結局は神話の時代などおとぎ話だ。
その反応に満足したかのように、彼は続けた。
「神が天使を作ったか、天使が神を作ったかそんな事はわかりませんし、天使から石が取れるなんて、信じるか信じないかは勝手ですが。それにその辺の天使を引き裂いてもまともな結晶は出ませんよ。それに引き裂くと言っても、球封じで「狩る」のが普通ですね。原因不明の死で片付けられますから。例えば心臓発作とか。…………ユリナル、でしたか、お友達」
「あの水晶が、「玉」?」
レイルの言葉を聞いて、ファーラの兄は事も無げに、
「水晶の「玉」ですか。さほど価値はないですが」
「価値がない?! そんな問題じゃないだろ? 死んでしまったんだぞ、ユリは!」
「「玉」は魂と一体ですから、死ぬでしょうね」
レイルをあからさまな怒りの感情も、彼には何も感じておらず、薄ら笑いを続けて、
「球封じで抜き取られて、五分以内に戻せば生き返るかもしれません。が、その間、脳に酸素がいかないし、心臓がぼろぼろになるので、実質死んだも同じですね」
ファーラに握らされ、空を駆けて届けた清らかな光を放つ石。
あれがユリナルから「球封じ」とやらで奪い取られた「玉」だとしたら、ファーラが「これは「ユリ」だ」と言った言葉に納得がいく。
レイルは奈落に落ちてきたユリ。
誰に聞くわけでもないが「魂が抜けた」体だとレイルにも感じられたことを思い出す。
あの感覚は正しかったと言える。
あの瞬間に「玉」を取り戻し、彼女に返せていたなら、ユリは死なずに済んだかもしれない。
取り戻せたわけも無かろう、戻しても廃人、でも知っていたら何かが変わっていたかもと思うとやりきれない。
苦悩するレイルの姿を見て、彼が読める事を知っているのだろう「何も知らないのですね」と、嘲るように、声に出さずに彼の唇が動いた。
そして思ってもいなかった事を切り出した。
「情報がこれ以上欲しいなら、対価を」
え、っと虚を突かれ、紫水晶瞳が丸くなる。
「か、金取るのか」
「金めの物に限りません。貴方が大切に思うものが欲しいのです」
何かを支払ってまで聞く価値はあるのか。
この子がいろいろ知ってるのは間違いない。余りに突飛で、信用に足るものかはどうかとしても。
話をすればするほど、思想が違いすぎて、反吐が出そうな感覚に襲われながら、対価を支払ってまで聞かなかればならないか?
レイルは迷いながらも、今自分が身に着けているものを考えた。ズボンのポケットに入っていたナイフを思ったが、別に高価でも大切な物でもない。胸ポケットにある懐中時計は大切だ。
「これ、母さんが入学祝にくれたんだ」
鎖の部分を持って、彼の前でブラつかせる。
きらきらと金色に光る丸い表面に浮き彫りされた月桂樹、その中に鳥が遊び、天使界の古代文字が計算された図形の中に配置されている。美しい逸品。
「護符になってますね。見せていただけますか」
彼は手に取ると、紫の石が付いた竜頭を回してみたり、表面のレリーフを触ったりした。
パチン! と、蓋を閉める音さえ大きく耳につく静けさの後、彼は、
「これは後掘りですね? 基本は貴方が掘ったのですか? 素人にしては良くできている」
「と、父さんが趣味で作っているんだ。お店にも出してるくらいで。俺も見よう見まねでやったんだけど。仕上げは父さん」
レイルは素で驚いた。
これを見せて、彼が彫ったと当てた者はお店のマスターぐらいだった。
とても子供が作ったとは思えない素晴らしい出来栄えなのは、レイルが護符を作るための計算が的確だったのと、何より最後に父の手が入ったからであるが。
目利きができる、でなければ金銭でやり取りした方が早い。
レイルも父の趣味に引っ張られて、鑑賞眼はあるつもりだが、とても彼には及ばない。彼は時計をもう一度見直した後で、
「時計自体もよい物で、美しいですが、これは貴方用ですね。それより額のリング、ではどうですか?」
「額飾り?」
レイルは頭からそれを取って、時計と取り換えた。
時計と違い、見た目で豪華ではなかったが、きちんと角取りがしてあり、丸みが美しいリングである。
文字が書いてあるが細かすぎて読めない。
着け心地はよく、これを付けると気分が引き締まる気がする。父からもらったものだが、使っている材質からいって、どう見ても時計の方が高価だ。
「父さんが俺の誕生の時に作ってくれたらしい」
「誕生の時? もっと古い物のハズですが。まあ、こちらではいかがですか?」
レイルは迷った。
どちらも大切だが、ここで追い出されたらもう話を聞く事は出来ない。
誰も話し相手は居ないからここまで来た。
多分に気分を害するのは耐えるしかない。
こっくりと頷いた。
「では、いただきますよ。で、何が知りたいのですか?」
彼の手元から手品のように額飾りが消える。
その手捌きに驚きながら、
「まず「玉」の事を」
「そうですね。「玉」は魂の入れ物と言ったらいいでしょうか? 瞳を見れば「鑑定」という能力でどのくらいの石の持ち主かわかります。「鑑定」しなくても、貴方の色なら貴石だと誰もが判断するでしょうね」
「貴石?」
「鉱石ならダイヤ、サファイア、ルビー、エメラルドなどです。アメジストは鉱石では半貴石になりますが、「玉」だとなかなか生まれない紫水晶瞳の持ち主からしか取れない「玉」です。貴石に入りますね。どんなに小さな結晶でも」
「俺が狙われるのは「玉」のせい?」
「理由は他にもあるかもですが、「玉」として貴方の物を欲しい者はごまんといるでしょうね。それに「玉」は不思議な力があります。鉱石ではありえない美しさのモノもあります」
対価を支払ったせいか彼は笑う事をやめ、レイルの質問に答えてくれた。
その口調は弛まず、レイルにわかる様、更に続ける。
「普通に天使が死ぬと魂が体を離れ、『冥界』などに送られて行きます。当然必要のなくなった魂の入れ物である「玉」は魂が体を離れた時点で消えます。だから死体を切っても、石の欠片も出てこないのです。これ、何かわかりますか?」
彼は何処から出してきたのか、掌に小さな金属片を持っていた。大きさは三センチ前後のやや長方形。
「成人式でもらう身分証だよね」
天使界の者なら誰でもわかるそれは、十四歳の成人式に渡される物だ。
年齢的に彼の物ではないと思うが、では誰の物だろう?
そう思っている間に身分証はその手から消えた。それは免許などのデータも入るので、大人になってそれなしでは生活できない。
「「玉」が成熟するのは十四歳前後、政府はこの身分証にそれなりの「球封じ」など魔法系の「狩り」を相殺できる力を込めて渡してます。そうでなければ何も知らない一般人が狩られ放題とか、殺し合いとかになりませんから。まあ、狩り人は「癒し」を受けねば魔化していきますので、無尽蔵に狩れる訳でもありませんが。こんな事、貴方の母親は知らないでしょうから、魔道士長が調達してきたのでしょうね、その懐中時計。身分証と同じ力を感じます」
「これに?」
レイルは懐中時計を見る。
だがいつもと同じに時を刻んでいるだけで、別に変わった物だとは思わなかった。
ただ、この懐中時計が「球封じ」と呼ぶ攻撃を弾いてくれるなら、これを手放す時、奉納舞の邪魔にならない様、外していたあの時がレイルの「玉」の狙い目。
レイルが不思議そうに眺めて居るのを横目に、彼は説明を続けた。
「「玉」を狩られると体は死にますが、魂は閉じ込められたままになります。そうなった魂はいずれ「玉」に吸収され、消えてなくなります」
「魂が消える」
死んだ者の魂はパスとも呼ばれる「川」を伝い、『冥界』『地獄』『天国』など、その魂が必要とする世界に送られ、調節され、また再びいろんな結界に生れ落ちるとレイルは聞く。
それは心臓から血液が送られ、体を巡り、また心臓に戻るように、そうやって何度も生と死を繰り返す魂の輪舞。転生輪廻、ファーラも言った魂の輪と言われる自然の摂理。
しかしその流れに戻れない魂は転生できない。
「葬儀などの儀式で体が失われると急速に魂は消滅します。魂を確実に、魂の輪に戻すなら、「玉」を遺体と共に埋葬するのが良いのです。だからアリエルは貴方に水晶を預けたのですよ。自分の体がどうなろうと、ね」
足を引きずり、レイルを泉から引き揚げた彼の顔を思い出す。
レイルが去った後、癒えぬ体に慣れぬ杖で家に戻ったのだろう。
元気なレイルでもちょっと距離を感じた場所だったし、腐葉土で出来た肥沃な森の土に杖は相当辛かった事に間違いない。
帰り着いた先に待っていたのは父親の怒り。
「ひどすぎる、ファーラは何も悪い事をしていないのに」
「生まれただけで忌まれる者は貴方だけではないという事ですよ」
「え?」
「アリエルも、忌み子なんですよ」
そこまで言った後、彼はさて、と切り返した。
「対価をもらったので、貴方が言う所の「あんな事」になった経緯、私からお話ししても良いですが。アリエルは知られたくないと思うのですよ。聞きますか?」
知られたくない事を見せたのは誰だよと突っ込んで、文句を言ってやりたかった。
レイルが言わなかったのは、もっともだと思った所もあったからだ。
もし自分が同じように知られたくない秘密を抱えているのを、第三者から理由まで聞いて知っていたなど、後から知ったら死にたくなるぐらい悔やむだろう。
「本人に聞くか、彼が話し出すまで待った方が良いって事?」
「情報の出し惜しみではありませんよ、助言です。でも聞きたければいつでも応じます。貴方からはそれ相応の物をいただきましたから。それから断っておきますが、アリエルの唯一の支えは、私ですから」
「え……」
開いた口が塞がらない。
ファーラは兄さんを優しくて人見知りだと評していたのを思い出す。
「アリエルは「病気がちな兄を守るという自分」でいる事で、もう細くなって切れそうな神経を、何とか保たせているんですよ」
笑っている、笑っている。天使を小馬鹿にした、目深に被ったフード下の唇に浮かべた笑い。
きっとファーラは自分が逃げれば、自分の兄が父に同じ事をすると考えると身動きが取れないのだ。
彼はファーラの前ではいい兄を演じているに違いない。
だがレイルの目前にそんな少年はおらず、何を考えているかわからない不気味な子供がいるだけだ。彼は続けて、
「学校に行かせて正解でした。通うようになって、貴方と言う友人が出来、可愛い女の子とも出会い、更に苦悩は増したようですよ。さて、他に聞きたい事があればいつでも応じます。あまりに複雑な事でしたら別料金いただきますが。今日はここまでといたしましょう」
言葉に全く淀みがなく、もはやレイルには何を彼が考えているか見当もつかない。
一つだけわかるのは彼の弟に対する周到で執拗な仕打ち。押さえきれない怒りがレイルを締め付ける。
「貴方、何者なんだ?」
「アリエルの兄ですよ」
彼はベッドから立ち上がると、レイルに手を伸ばした。
その動きに敵意を感じ避けようとしたが、今まで見せなかった素早い動きに対応できずに、イスごとひっくり返る。
その最中に彼はレイルの耳栓の鎖を引っ張り抜き、自分は巻き添えられない様に体を引く。鎖はブチ切れて、栓は彼の耳から外れて枯れ枝のような手中にあった。
「何者かもわからない他人と話す時は気を付けた方が良いですよ、紫水晶瞳の子」
余りに小さな音源。
ゴミ箱の横に置かれていた木箱から、とても小さく音楽がずっと流れていた事に気付いた時には、レイルはもう夢の中の住人だった。
「懐中時計を取り上げて、胸を抉られたらアウトですよ。ねえ、魔道士長セレフィード」
床に倒れたまま寝入った彼に言葉を投げ、今にも飛び出さんとしていた老人に向けた。
手に握っていた栓を無造作に倒れた彼の体に放り、薄く笑った。
「私は紫水晶の「玉」に、今は興味はありません。でも気が変わらないうちに彼を連れて早くこの家を出て下さい。招き入れましたが、騒ぎを起こせば二度とここから出しませんよ。貴殿は強いが、この家は私の縄張りですから」
「その様じゃの」
「貴方が思っているより、彼の「玉」を狙うものは増えてますよ。せっかく仕込んでいるなら、音感知させる用心くらい教えておけばいいのに」
「そうか。お主はファーラの遺産を継いだ者か。こんなとこに居ったとは思わんじゃった。レイル様のご友人の名前がそれで、もしやと思ったが。耄碌したわい」
セレフィードはグレーがかかった黒の瞳で、白服の子を見やり、レイルを抱え上げると出ていく。
その背中を見送り、イスを立てると、音楽を消してシーツの皺を丁寧に伸ばし、部屋から出た。
彼が手を上げると、屋敷の扉が重く閉まる。
開け放っていた厨房や楽器の部屋の扉も、勝手に次々閉まって行った。その後、床にある扉を開けて、地下に移動した。
湿り気のある石造り階段。
粗削りなそれをゆっくり降りると、小部屋が立ち並んでいる。
折檻部屋、ファーラが閉じ込められ怖ろしい目に合う場所を感慨もなく一瞥し、彼はもっと奥の壁に向かう。
その壁の石を幾つか押すと、そこには小さな光が点滅する機械が立ち並んでいた。
彼がキーを押すと、画面が立ち上がり、文字が流れる。
フード越しにそれを睨みながら、随分と昔の記憶を思い出していた。
白いベッド。
それに横たわる女に馬乗りになった一人の男。
手には血まみれのナイフ。
もう片方の手に握られた緑色の結晶。
床に広がる血の流れが大きくなっていく。
もう生きてはいない女の躯を、生きていた時、自分は何と呼んでいただろう?
女の魂たる緑の結晶を握りしめた男は誰だったろう?
「おとうさん、おかあさんだよ? それは」
自分がその時に呟いた言葉を思い出しながら、彼は薄く笑った。
何処からともなく、すうっと細い糸が伸びて来て、彼の耳に入り、彼の脳とリンクする。
「継いだというより、必要に駆られただけです。母の呪いを解くために」
読んでいただけましたら、誤字脱字などご指導、感想、評価などいただけましたら幸いです。
9/06レイルとファーラ兄の会話追加。