組合わさる盾と矛
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生死を分ける境目は、ごくごく小さな積み重ね。
その積み重ねが崩れない事を祈りながら歩く。
「レイル!」
その叫びは母の物か叔父の物かわからなかった。アレードは兄、更に甥っ子までもがやられたと覚悟した。
レイルの体に球が当たった途端、それは爆ぜ、室内一杯に爆風が巻き起こる。レイルの体が跳ね、吹き飛ばされ、壁まで飛んで叩きつけられる。室内にいた者全員がその風を受け、体を低くしていなかった者は煽られた。
「うううっ…返せ!」
「アレード!」
シラーの言葉で、彼の縛られたように動けなかった体が解放された。
「警察の、俺の前で狩るとは!」
球封じがかかった場合、球は体に取り込まれ、倒れるだけで、体を弾いたりしない。
何故? とにかくレイルはまだ生きている!
メアリはマハイルの体の近くで座っていた為に被害がなかったのを確認しながら、アレードは素早く対抗する。魔化した警官は二発目が崩されるとは思っていなかったのだろう。慌てて三発目を作動させようとするが、ブルーリボンの名にかけてこれ以上の不覚を取るわけにはいかなかった。
一方のシラーはアレードに犯人を任せ、再び犯人に飛び掛からんと再び態勢を整えたレイルに、チャーチと共に飛びつき、床に這わせた。
「止めるんだ、紫水晶」
もはや正気とは思えない紫水晶瞳に宿る暗き意思に、シラーは感じた事のない恐怖と焦りを感じた。
奪われた物を取り返す!
その一つに集約された彼の頭は、火事場の馬鹿力を思わせる子供にはあり得ない腕力を開放していた。大人のシラーが押さえてもなお、余りある力。チャーチなしでは押さえられなかっただろう。
また何よりも驚いたのはその右手の肘から下が、彼の髪色にも似た黄金色に変わり、輝いていた事だ。
チャーチが四肢と爪、さらに口、シラーが関節を掴んで床に押さえつけているが、間違いなくその腕は手ではなく刃物、一振りの剣に変化していた。
これに弾かれ、球封じが解除された事を知る。
「これは……あの図から精製したのか!」
不思議な文字を読む事の出来るシラーには、レイルの腕が変化した剣に、球封じを壊せる力とそれを上回る圧倒的な力がそこに集約され、具現化されているのを感じた。
その構成は、矛と盾、あの図から作られていた。
盾部分は時計を壊した時にだいたい把握しており、そこにはレイルが欲しかった攻撃部分「矛」のデータもそこにあった。身分証に懐中時計、見た目に誤魔化されていたそれは、金属で構成されてないのだと、その図を見た今の彼にはわかっていた。
今の状態でこの剣を思いのままに振るえば、彼の希望は遂げられる。父の石を取り戻し、かつ、その仇の「玉」を奪って息を止めるられるだろう。
だが、そうさせる事は出来なかったし、もうそうしなくても良かった。
「落ち着け!もう終わった!」
レイルともみ合っているうちに、アレードはマハイルの「玉」を手にしていた。魔化した男はもう他の警官に縛り上げられている。レイルの目から一条の涙が落ちる。
「自分の「腕」の感覚を思い出せ」
荒れた感情が落ち着いたせいか、剣は容易にレイルの手に戻った。ただ右掌は皮が一枚剥けて無残であったはず。なのに、包帯は緩んで絡んでいるだけで、その手が普通に戻っている。その事に気付いた者はこの時点で誰もいなかった。
「早く、「玉」を戻せ。間に合うかもしれん」
シラーの言葉にアレードは従い、青瑠璃をマハイルの体に触れさせようとした。まだ「玉」が離れて間もない。彼らは一縷の望みを持って、それを戻そうとしたが、
「待って!それじゃあダメだ!」
レイルはシラーに押さえつけられたまま、叫んだ。正気とも気が狂ったともつかない叫びだったが、シラーは狂気じみたそれがもう紫水晶瞳にないのを見て、チャーチを退かせ、体を解放する。
レイルは這うように側に寄り、マハイルの左脇に手を、右耳のみ栓を外してその胸にを当て、自分の胸にも手をあてがう。倒れた時はうつ伏せだった彼の体は、仰向けにされていたがそれ以上は触られていない。ピクリともしない体は肉の塊でしかなく、生き物のそれが感じられない。
何が起こっているかわからず呆然としているメアリは、息子の様子を泣きもせずに放心した顔で眺めている。アレードは苛立ったように、レイルに言葉をぶつけた。
「お前にはわからないだろうけど、これを一秒でも早く戻した方が良いんだ、レイル」
「わかるよ!でもそれは違う、そうかもしれないけど、違うんだ叔父さん」
ワケのわからない一言で、アレードに言葉を返す。
何度も、何度も繰り返し見る、ユリの空っぽの体を抱きしめた夢。
あの時の無力さ、喪失感、そして怒り。
もう二度と起こらないで欲しいと願ったのに。
普通に寝ていた時も、ひたすら何かを追って絵を描いていた時も、何度も繰り返す夢に苛まれながら、飛び起きた。
その度に、あの時、何が出来たか考えていた、何千回も、何万回も。
「球封じか、空間魔法を使えるヒト!誰か早くここに来て!」
見回すが誰の返事もない。奪った犯人以外、球封じの出来るモノなど居なかった。彼が協力してくれるわけは無かろう。右耳の栓も外したまま、もう一度レイルは叫ぶ。
「誰か、球封じか空間魔法使えるヒト、「玉」を元の位置に戻してくれよ!」
ファーラの兄は言ったのだ、
球封じで抜き取られて、五分以内に戻せば生き返るかもしれません。
が、その間、脳に酸素がいかないし、心臓がぼろぼろになるので、実質死んだも同じ……
と。
だが抜き取られた「玉」は体の中にありながら、血の一滴も纏わない美しさだった。では心臓がぼろぼろになるのは、戻した時ではないのか?
短い間に得た知識と、自分の見えるいろんな図形と、ファーラの傷に触れた感触など、色々な物を組み合わせて総合したレイルの考えは当たっていた。
自分の心臓とマハイルの心臓を、ファーラの患部を触った時と同じように比べる。すると違いは子供と大人の大きさの違いと、酸素が薄く、聞けば眠ってしまいそうな心音がない事だけで、全く「傷」を感じなかった。レイルの胸のどこに「玉」が入っているかはわからない。ただマハイルの心臓には何かが入っていたような空洞を感じた。傷や出血はないが、細い血管が集まった袋のような場所がある。たぶん極秘故、医学書を眺めても載っていないし、普通に切っても取り出せないのだろうが。
「玉」の戻す場所はそこだ。そして血管や神経を切らぬよう、戻す時も魔法を使い、寸部違わない位置に細心の注意を払い、戻さねばならない事を指していた。
心臓マッサージをしていなかったのも幸いした。もし下手に動かせば、「玉」があった位置の血管がブチ切れる所だった。ユリが口から血を流していたのは、奈落に落ちた衝撃の為、切れた血管から肺に血が入り、気道に逆流したのだろう。
「誰か、魔法を! 父さんを助けて!」
体に触れさせて戻すと、体は「玉」を自然に受け入れ、定位置に運ぶが、細胞や核、細胞をミクロやナノ単位ですり抜ける間に心臓を傷つけてしまう。
だが、彼の希望する力や魔法を持った者はいなかった。
「誰かっ……」
「もう、いいな?」
そこまでわかっている。
この場にいた者でレイルの言う事がある程度、理解できたのは、シラーだけだったが。
せっかく導き出した答えも、それを体現するのに必要な能力を持っている者はいなかった。
ファーラは球封じが出来た、確かその兄も、目の前で額飾りを仕舞って見せた。
だが彼らを呼び寄せるまでは待てない。心臓が正常に動いても、次は酸素が脳に回っていない今、脳死が来るのが先になる。
アレードは「玉」が奪い取られた場合、それを体に戻すまでは、心肺蘇生も酸素供給もやった方が、死亡率が跳ね上がると教えられていた。とにかく一秒でも早く「玉」を戻した後、救命行為を行わなければならない。ただそうやって助けた所で、目を開け、通常生活まで戻れた者の話は少ない。
「急がせてくれ、兄さんを殺したくない」
アレードの言葉で諦め、場を譲りかけた時、一人の少年の声が飛ぶ。
「空間魔法、使えますよ?」
何故ここに子供の声がするのだろう?
その子供は長衣を着て、外にいたのか全身濡れていた。長衣は床に付かぬようベルトで止めてあり、薄い濡れたマントを羽織っている。腰を短い紐で結ばれている今のレイルと少し違うが、耳に付けた栓、髪型などがどう見てもレイルに見せかけられている。
「ファリア!我々は魔道士、関わってはいけない!」
同じようなマントを着た男が叫ぶ、それで彼らが魔道士だとそこで知った。ファリアと呼ばれた少年は、激しく先輩の同胞に言い返した。
「我々の仕事を肩代わりしてくれた!それが彼の父親なら尚の事、敬意を払い協力すべきです。全ては我がファースの名の元に責任を取ります!」
言葉は丁寧、だが子供ながらファリアの発する威厳に先輩は口を挟めない様子だった。
何処に握っていたのか、くるくるっとガラスで出来た華奢なペンを取り出す。その空間能力こそレイルの求めていた物だった。
「心臓に、これを元の位置に戻してほしい」
「あの、失礼ですが」
彼はニコリと笑った。レイルにはできない可愛い子供の笑いだ。
「元の位置って言っても、元の位置を僕は知らないのですよ、レイル様」
「あ、少しもズラしたらダメで、えっと心臓の……太い血管があって、何だろうこの……」
レイルは手に取るようにその位置がわかる、血管の、たぶんこのペコぺコ動く、それを邪魔しないギリギリのこの辺り。だが少しもズラすなと言いながら、誰かにその位置を教える事がどれだけ難しいか。
「これを見て、指示できますか? 心臓ですよね?」
彼が赤と紫が綺麗な渦を描いた透明なペンを振るうと、四角い板のようなものが現れた。それを素早く突くと、その板が光の塊になり、形を取る。
レイルは医学に詳しくはない。だが、理科室の模型か何かで見た「心臓」を模っているのだとわかる。キラキラ光る立体映像に手を突っ込んで、レイルは示す。
「ここ、ここに薄い袋みたいな血管の網がある」
「そんな所に入れるんですか?」
レイルの指差したのは大動脈と肺動脈の真下、心室ではなく心房寄りのその位置。近くには|三尖弁や僧房弁《けつえきのながれをつかさどる部品》があり、変な場所にはめ込めば血を逆流させ、肺に血液が入り、マハイルの死は確定するだろう。
「ま、やってみましょう」
それを軽い感じで請け負うと、マハイルの「玉」を、戸惑うアレードの手から受け取る。
「こんなの入っていて、天使ってよく稼働すると思いません?」
っと、独り言をハッキリといい、ガラスペンで「玉」を軽く突く。
一瞬だった。
「はい、やってみましたよ」
呆気なさすぎた、え?っと聞く間もなく、マハイルに触れると心臓の空洞に、それは戻って来ていた。途端に血管の網も「玉」もレイルに知覚されなくなる。これはたぶん正しく入った証拠。
「いいな!」
アレードは焦れたようにレイルと入れ替わると、馬乗りになり、マハイルの着ていたシャツを引き裂く。そして両手を組み、掲げると、魔法で何かを込めたような間を一秒ほど挟んで、思い切り心臓に振り下ろす。
バン!
「心停止3分で死亡率は約半分だ」
「嫌なこと言うヤツだな!シラー!」
アレードは心音を確かめて、バックしていないのでもう一度魔法を込めなおし、腕を振り下ろす!
「帰って来い!魂は戻したはずだ!」
バン!
二発目でガっっと変な音を立てながら、マハイルが息をしだしたかのように見えた。
「アレード、それは死戦期呼吸だ」
「まだか」
マハイルが始めた下顎が動く、不自然なこの呼吸は死戦期呼吸と言われる物だった。
それは生命活動が止まろうとするとき、生体防御として血液中に酸素を取り込み易くし、血液量を増やす為に起こる。呼吸のうちに入らない呼吸だ。
アレードは横に座りなおし、普通の心臓マッサージに切り替える。
「30回に一回、人工呼吸2回、カウント、気道確保も頼む。出来るか?メアリ」
「は、はい!……1・2・3・4」
アレードの指示にやっとメアリの時が動く。早く深く、その押しでマハイルの体が弾むのを、レイルはじっと祈るように見ようとして……母のカウントで眠りに落ちそうになった自分に気付く。耳栓を戻し、簡単な防音にする。
心臓マッサージを続けるそこにバタバタッと警官の一人が走りこんできて、扉を閉めた。
「少将!魔が、屋敷内に侵入して来ました。途中で押さえてますが、時間の問題……数が異常です!もうそこまで来ています」
「何ぃ?」
「ああ、忘れてたな」
アレードは両手が塞がっていなければ頭を抱えていた事だろう。
この建物に入る時、扉を壊したのは自分達だ。あの激しい建物の揺れは扉を爆破した時の物。そうしなければ対魔獣用に建ててあるこの建物に入れなかった。素早く制圧したら、退避をすればいい、そう思っていたのに、こんな事になるなんて。
それにしても、数で攻めてくるエポデがこの森に主に棲んでいるが、扉が開いているからと言って、大量と言うほど入って来るとは思えない。それが解せないアレードだったが、胸骨圧迫に気を取られ、冷静な分析が下せない。
「朝まで缶詰だと……」
魔は時間が過ぎればおとなしくなり、去って行くはずだ。普通ならそれでいい。この部屋は壁は対魔獣用に出来ている。気を配るのは扉だけでいい。
だが、マハイルを一刻も早く、病院に搬送すべきだ。だがこの建物内は壁が特殊なので、無線が使えない。外に出た警官の誰かが知らせてくれればいいが、混乱しているだろう。
部屋にはレイルと両親、シラーにアレード、魔道士二人に、駆け込んできた警官を含め四人。シラーの連れていた黒豹は見当たらない。
「私達が森に居た時は、変化はなかったはずだが」
「そうですよね、先輩」
魔道士二人の会話を聞きながら、振り向きざまに、
「そこの少年」
シラーが魔道士の少年に声をかける。暗い穴の底から響くような声は、何処から来るのだろうと思いながらも、だいたい言われる事を察して、
「あ、無理ですよ。私が安全に空間移動させられるのは、大きくて辞典二、三冊です。ヒトを通して無事かは試したくないですね」
「ちっ!使えない」
「貴方に言われる筋合いないんですが」
ファリアの言葉にもう耳を貸しておらず、彼は壁を探り出した。
「どこかに逃走用経路があるはずだ。探せ」
四人の警官がシラーの指示で壁や床を当たりだした。
この部屋でレイルの「玉」を奪った場合、利点は警護の魔道士はレイルの視界に入らない位置にしか居ないため、個室の中には付いてこない事、警官に紛れていれば目立たない事などがあげられる。
だがこの部屋は窓もない、扉を閉めればいわば密室、他の逃走経路の確保なしでの犯行はあり得ない。
すぐそれは見つかった。犯人が立っていた近くの壁が既によく見れば凹んでいたからだ。アレードの動きが遅ければ、マハイルの「玉」を持ったまま逃走される所だった。
壁を蹴り破ると、即席とは思えない階段が出てきた。
ここ「別荘」は従来目撃者をかくまう施設で、場所や数は移り変わる。とはいえ、こうまで見事な仕掛けをしている所をみると、レイルの「玉」を奪う為だけに相当、労力が費やされているのがわかる。
だが、それを今、追及している場合ではなかった。
「装甲車……いやヘリに、お前の所の医療班乗せて寄越す」
医療搬送用の水晶玉はあったが、それで移送できるのは自発呼吸があり、意識のはっきりして居る者だけだ。まだ心肺蘇生も覚束ない人工呼吸が必要な者には使えない。一人しか入れられないからだ。
今回の場合、普通の救急車で駆けつけても、乗せこむ時点で魔に阻まれてしまう。それなりに対抗策のあるブルーリボンの警官が正解だろう。
「教授を回復させ、持たせろ」
「早く、頼、む」
シラーはその場にいた警官がパープルリボン、自分側だったのを思い出し、アレードに従うよう指示する。その後、上に向かうその階段に足をかけ、手配を急ぐ。
「手伝い、に、二人残して、屋、上から出ろ」
既に息が切れ、長文がしゃべれないアレード。死戦期呼吸はもう消えていたが、何度確かめても、脈は触れない。
「基本、この森にいる、エポデは、飛べない。私は、この部屋を閉鎖して、救助を、待つ」
「レイル様とメアリ様は私達魔道士が責任を持って守ります」
「頼む」
「いやよ、マハイルの傍に私は付きます」
「行くんだ、メアリ、マハイルは、必ず」
「いいえ、ここに居て人工呼吸を続けます」
アレードは必ずと言ったものの、マハイルはこのまま逝ってしまう可能性が高いことぐらいメアリにもわかる。もしもの時、ここに居なかった事を悔いたくはなかった。
マハイルの母から受けた徹底的な仕打ちは義理母から聞いている。古傷に触らぬようにしてきたが、たまに音も立たずに訪れる幻影に、彼が怯える事も彼女は知っていた。あのヒトのように一人では逝きたくない、いつだった酒に酔って一言だけ漏らした想いをメアリは忘れていなかった。
「魔道士の子、レイルを頼みます。貴方はお行きなさい」
「レイル様、急いで」
ここに居ても、母のように役には立たない。それどころか、ここを出る時の邪魔にしかならない。
レイルは自分と似た少年と、もう一人の魔道士に連れられ、階段を上る。
部屋に残った警官が4人、コソコソと言い合っている。必死でやっているアレードの耳には何と言っているかよく聞こえない。褐色の肌に汗と来がけに濡れた雨が混じり、不快指数をあげる。
「頼む、誰で、も、良い、手伝ってくれ!」
今まで取り調べていた被疑者の兄などどうなってもいいか、そう思っているのだろう。だがどうしても手が必要だった。
「俺の警察として、やってきた事、全てかけて良い。私はとにかく、マハイル、兄は、無実だ。彼、は、ただ家族を、息子を守りたかっただけだ。頼む、誰か……」
「いえ、アレード少将。我々四人全員、残留を志願します。彼は父親として立派でした。ただ我々は彼を痛めつけた。彼も奥さんも、そんな我々が身体を介抱するのを……許してくれるでしょうか?」
アレードとメアリは顔を見合わせ、ほんの僅かだけ、圧迫の手が緩む。
「兄は、そんなに、心の狭いヒトじゃない、大丈夫だ」
「お願いします。マハイルは、夫は、目覚めたらきっと笑うと思います。その顔が私はもう一度見たいの」
「替わります!」
アレードの腕の力が落ちているのを見て、一人が替わってくれる。
「二人、その階段を上って、どこまで続いているか、確認。通路確保に一人、それから一人は報告に戻れ」
「了解」
「了解です!」
アレードは残りの一人と封鎖作業にあたる。
マハイルの胸骨圧迫は様子を見て、更にもう一人に替わった所まで続いた。だが心拍が戻りきらないのをみて、絶望感と疲労感が漂う。
「少将、もう一度。もう一度だけ、入れてみましょう!お手伝いします」
「わかった。皆、下がれ、俺がやる」
アレードはまた入れ替わると、手を組んで、高く、気持ちと力を込めて振り上げる。
一人の警官が一度軽く手を添え、力を分けてくれる。
これで戻らなければ、時間的にアウトだ。
張り付けたようなマハイルの笑いが、昔アレードは嫌いだった。
頭が良く賢い兄は、謙虚に生きてきた。
見ているこちらがイライラするほど、真っ直ぐなヒト。あんな笑い方をしなくなるまで、人生の半分は費やしたのではないかと思う。
そんな顔をさせる原因は自分にもあったはず。
だが兄弟だからこそなかなか向き合えずに反発した。やっとまともに歩めるようになった期間の方が彼らには短かった。
「起きろよ!兄さん!」
ドン!
変化は無いように思えた。
そっと、アレードは胸に耳をあてる。そして首に手を当て、呼吸をみて、
「メアリ、人工呼吸はもういい。自発がある。ただし胸骨圧迫は続けよう。圧迫者が入れ替わる時、呼吸が止まってないか確認して。救助を待とう」
「は、はい」
メアリはただただマハイルの呼吸が穏やかに出ているのに喜びを感じた。
「通路、屋上まで続いてます」
「わかった、救護の方、頼む」
アレードは兄の傍を離れて、部屋の封鎖作業が完全か確かめながら、零れそうな涙を堪えた。心臓は動いた、だが脳はどうなっているか。
それでも今は、兄が息を返しただけで幸いと考えるしかなかった。
一方、レイルは、右耳の栓をもう一度確かめ、完全防音に近くしながら、階段を急ぐ。
「早く」
壁越しに悲鳴や喧騒が聞こえる。
まだあの部屋以外に、建物内に残っている警察官がいるようだった。
唸り声が聞こえる、たぶんあの白髪警官が連れていた豹だ。高く聞き慣れない耳障りで複数の声が、大量に入り込んでいる魔の物だろう。何度か壁にぶつかる音がして突き破られるかと思ったが、音は通すものの、強固な壁で助かった。
「なあ、何で同じ服なんだ?真似だよな?」
「あ、僕、ファリア、魔道士です。よろしく、レイル様」
彼は回答ではないが、呼びかけには答えてくれた。
「さっきはありがとう」
「いいえ、当然の事です。ただ長がいなくて良かった」
階段を上りきると、屋上へ続く扉は開いていた。シラーの姿はもうない。自分達が出ると扉を閉めた。
外の空気は冷たく湿気が高い。足元は濡れているが雷も雨ももう感じられない。ただ、空が夜であるのにどこか異常な明るさを感じた。
レイルは目を疑った。
「燃えてる!」
森が惜しげもなく燃え、黒煙を上げていた。かなり近いのに熱を感じないのは、風向きのせいだろう。魔道士二人も唖然と見入っている。
「ここは南の森?」
「ええ、そうです」
暗い森。
いつもは夜になると魔が住むこの森は静寂に包まれ、密やかな捕食活動のみが蠢くのみと言うのに。その森は今、赤々と燃えていた。
鳥が焼け出され、朱色に染まった空に駆け上り、小動物が逃げ惑う。魔であるエポデがこの屋敷の扉がなかったとはいえ、大量に入り込んだのは火の手から逃げる故だった。
「風が強いようですが、この建物には炎は来ないようですから、大丈夫ですよ」
レイルが歩を止めたので、この建物に残る両親を心配してだと思い、大人の魔道士が声をかけた。
「行きましょう、レイル様」
「レイル様?」
いぶかしげにファリアがレイルの顔を見やる。
だが、レイルが考えていたのは別の事だった。
「まさか、ファーラの家?」
血の気が引く、嫌な予感がレイルの背中を滑り落ちた。
「待って下さい」
彼の言葉に行動を察したファリアは、今にも飛び出さんばかりのレイルを止める。
「貴方が行っても無駄でしょう。今は自分の身の安全を考えて下さい!」
「でも!」
「貴方が自由に振る舞う事で、迷惑がかかる者がどれだけいると思っているんです!」
「ファリア! それは俺達の事情だ!」
先輩の台詞で、今回は彼の方が黙った。
「ごめん、ファリア。でも行かないと」
「待って下さい!」
「止めても行……」
ファリアはレイルの胸倉を掴んだ。戦うようにして躾けられているのだろう。同年代と言うのに、力が半端なく強い。このタイミングは耳栓抜かれるっとレイルは思った。
だが、彼は逆の手で、掴んでいたそれをお腹に押し付けた。
「持って行って下さい。取り返しておきました」
レイルが彼の手から、両手で受け止めたのは、きらきらと光る丸い懐中時計。
「これがあれば、先程の狩りぐらいは何もせずとも対抗できます」
その時、自分の手掌が普通に動いている事にやっと気づいた。
何故かはわからないが、自由に動くようになったその指と、彼の心遣いに心から、
「ありがとう」
珍しくレイルの顔に綺麗な笑顔が浮かんだ。
時計のふたを開ける、指の動きは間違いなくスムーズだった。
時間は九時半を指しており、正常に動いていた。
それを見ながら自分の『妖霊』を急ぎ呼び寄せると、彼女は眉を寄せ、激しく嫌そうな顔をした。
「そんな顔、他のヒトに見せなくていいの」
「え?」
「いいわよ、行くんでしょ?」
「ああ。あ、おい!」
ファリアは、にやっと笑って、頭を下げた。
そのタイミングが魔道士長に似ていた。長はそんな笑いはしないが。
「気を付けて。警護に付きます」
他に二人来ている魔道士と連絡を取り始め、笑いはすぐに消えた。
そこで火事に続く、異常事態を聞いたのだが、レイルの体はもう高い空にあった。
そしてレイルの体が舞いあがる。足元には広く燃え上がる火の海。予想以上に広い範囲が燃えている。
高く飛べば、遠く、街が見えた。
いや、見えるはずだ。そう、街は見えている、でも見えないのは光だ。
夜とはいえ、九時半。
まだまだ街の明かりが消えるのは早い。だが街の明かりがあまりにも少なすぎる。
この森が火事になっても送電線などは地下に埋設されている為、関係ない。光が少ないのはこの森寄りの街だ。
「森が街を襲っている?」
そう、森側から、何かが蠢いて、街の方に進む。
暗くてわからないが、その一つ、一つが生き物。ただそれは森の可愛い動物ではない。
魔。
天使を喰う生き物。
それもかなり大きいモノが複数。
そして数えきれない小さいヤツが蟻のように湧き出し、街への道を辿っていた。
お読みくださった後に感想、
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