ミカエル生誕祭にて
初投稿です。前々から書き溜めていた物に追加する形で作っていくので、名称等のズレがあります。その辺りと誤字脱字は徐々に直していく予定です。死んだり、血も見ます、さらっとHなシーン(だいぶ先になりますが)もいずれあります。苦手な方は申し訳ありません。感想などいただけましたら幸いです。
また、世界観など難しいとご指摘があり、減らすとわからないと指摘され、試行錯誤中です。話の内容には触れない範囲で直しますので、気軽にお読みくだされば幸いです。
スクールバスに揺られながら、彼は窓の外を眺めた。
白い石畳の街並みは年一度のお祭りに沸き返っていた。
所狭しと露店が立ち並び、肉の焼けるこんがりとしたいい匂いや、色とりどりのフルーツの香りが辺りに立ち込めている。子供向けにひらかれた玩具やくじの屋台も人気があり、電池仕掛けで光る剣やバンドを手に子供達は嬉しそうにしている。
傍にあった噴水広場に設えられたステージには、きらびやかな布地を纏った女達がダンスで喝采を浴びていた。きっと綺麗な音楽が流れているのだろう。
彼には聞く事が出来なかったが。
バスは通りを抜けると、道が広くなり、急に露店がない場所に入った。
検問の敷かれた場所には、渋い緑の制服のオジサン達が数人いたが、通行証を見せると、バスは難なくそこを通過する。
そこから石畳が白からくっきりと黒に変わった。
人はバスと同じく一方向に向かって歩いていく。乗合馬車や車も何台か同じ道を同方向に走って行った。
すれ違い通行可能な道幅はあったが、出口は別にこしらえてあるのだろう。対向車というものは通って行かない。
道はなだらかな螺旋を描きつつ、町の中心にある、黒い壁に覆われた巨大な建物に向かっている。太陽を背にしてその巨大な建物は威風堂々と聳えていた。
この世界で最大、最高位を占めているルネ・フォース神殿。
堅固な城を思わせるこの建物は一番高い塔で大雑把に300メートルはあるという。その頭に付けられた鐘が鳴れば、遠く、周りを囲む樹海の先にまで鳴り響く。
そして神殿一帯を囲む壁をぐるっと歩けば、どんなに急いでも半日かかる大きさだ。
その中にある本神堂は一個の巨大な黒石をくり抜き、技師たちが何代も時間をかけて削り磨き出して作ったという。
そんな製法で本当にこんな巨大な建造物が作れるのかは彼の知る所ではない。
バスの現在地からは細かい彫刻などはまだ確認できなかったが、大岩を削り出す大胆すぎる建築方法でありながら、繊細な作業の施された黒い神殿は重厚感を持ってそこに建っていた。
遠方でも威圧感と重厚感を持って迫ってくる。
神殿都市であるこの街ヴァルハラには、他にも美しい小ぶりの神殿がいくつか立ち並び、それに調和させた50メートル以下に制限された白壁の低層建設の街並みが見事である。
町のどこからでも黒い神殿は眺める事ができ、高層建築は今にも町に倒れ掛かってきそうに見えた。
「おーいレイル、そろそろだぞ」
隣に座っていた黒髪の男の子が、外を眺めていた彼の耳に入った耳栓かイヤフォンのような物をスポンと取り、話しかけた。
外を熱心に眺めて居た彼の名はレイル・グリーン。
濃すぎて黄土色に見える程の黄金色の髪、そして紫色の双眸をした、体は小柄で見た目が5歳ほどの男の子だった。
少し彫りの深めな顔立ちに、冷たく煌めく理知的な紫色の瞳、健康的な程度に焼けた白い肌。嫌味なまでに整った位置にある目鼻に可愛らしい程度に丸めの輪郭。
形の良い唇は固く結ばれていた。
彼は耳から抜かれた栓を慌てるように耳に戻す。
その栓は両耳に差し込まれており、首に回された細い金の鎖で両方の栓は繋がれて、落ちて無くならないよう工夫されていた。
パッと見は音楽を聴くためのイヤフォンだが、音源につながっておらず、彼の耳から音を遮断する用途に使われていた。
「ああ、ごめん聞こえなかった。魅入ってた」
口調と表情で何度か声をかけた事が伺えたので、レイルは頭を下げた。
耳栓された状態では聞こえないのも無理からぬ事だ。
だが完全防音にしていなかったので集中すれば辛うじて言葉も拾えるし、慣れから読唇術も身についている。
彼にとって物心ついた頃から、この耳栓は手放せないものとなっている。
「バスの中に音楽ないから大丈夫だろう?」
「そうもいかないんだよ、エンジン音が…」
黒髪の友人はそれを聞く気もなく、レイルを乗り越えるような体勢で、窓を占領した。
年は少し違うが同日入学で同学年同クラス、以来親友となっている。
「ホントだな。すごい建物だなー要塞だよな。レイル」
「要塞…神殿だぞ、あれ」
「知ってるけどさー、ほら天使戦隊アエティールの敵艦隊みたいだ。かっこいいな」
「敵かよ」
今、男の子に流行のテレビ番組の話題に突っ込みながら、レイルは纏った黒のチュニックの座り皺を伸ばし、バスに揺られる間に脱いでいた皮の編み上げ靴を止めなおす。
金の額飾りを取って、足元に置いていたカバンに大切そうに詰めた。
周りにいた外の生徒もイソイソとバスから降りる準備を始めたり、長旅で寝入った者を叩き起こしたりしている。
にわかに騒がしくなってきたバス内に、先頭に座っていた教師から、バスが完全に止まってからにしなさいと注意が飛ぶ。
「荷物忘れるなよ、アリエル」
「その名前で呼ぶなよ、レイル。あ、着いたみたいだ」
「ファーラでも十分、女の子だろ。気にするな」
「じゃあフィールって呼べよ」
「かぶるだろ、その苗字」
黒髪の少年はファーラ・アリエル・フィールという。
ファーラもアリエルも、この世界では女性につけられる名前だが、それもその筈、彼の名前は祖母から譲られたモノだと言うから仕方がない。
何故そういう成り行きになったのかはレイルも知らない。
フィールは天使界では多い名字で被る事が多い。彼的にはファーラの方が、アリエルと呼ばれるよりマシらしい。
ファーラの黒髪は緑の光沢があり、光の加減で黒にも緑にも見えた。
しっとり落ち着いた闇色ではなく、南国の鳥のように煌びやかな黒い緑。
瞳は美しい新緑色をしている。体格は良いが肥っているという事もなく、年齢はレイルより三つほど年上だが、現在同級生である。
顔立ちはレイルほどではないがそれなりに整っており、まだまだ子供であったが少しずつ表れだした男の精悍さが見え隠れしている時期であった。
レイルと同じく黒いチュニックに皮の編み靴を履かされている。何よりも彼の中で目立つのは金色の二本の角が生えている事である。
周りの同年代の生徒を見れば彼らも頭に角のある者もいれば、光輪を戴いている者、耳に鳥のような羽が生えているものもいる。
服装は二人とそんなに変わらず、ギリシャの彫刻にみられる一枚布を体格に合わせ縛ったりピンで止めたりして、体に巻いた形のチュニックや長衣を着用している。
ここは地球ではない。
地球は彼らにとって月のように、夜に輝く青い星であり、ただの天体の一つにすぎない。
この世界は特性や性質により、『結界』と呼ばれる壁によって区分されており、その中に魂は流れ、生と死のドラマを繰り返す。
彼らがいるのは『イエソド』と呼ばれる『結界』の中にある、『天使界』。
名前から想像する通り、ここは背に翼を、頭上に光の御印を持つ者、『天使』が住む所。
ちなみに『人間界』と呼ばれる地球は、結界『クリファ』に位置している。
晴れて蝕になっていない夜には『天使界』から『人間界』は良く見えた。
逆からは見える事はないのに。
二百年ほど前までは魔法が完全にこの世界を支配していたが、昨今では他界の技術も流用され、携帯やパソコンなども存在する。だが普及率は低めだった。
科学が流入した頃には魔法が確立しており、科学技術に特化せねばならないほど、過酷な状況の地区は少なかった為だ。しかしそれでも個人資質による魔法より、均等に恩恵が与えられる科学はそれなりに生活に組み込まれている。
また翼を持つ者が住むので、電線などは地下に走っており、それ故、景観が乱される事がなかった。
「半日はかかったな。俺は半分以上寝てたけど」
ファーラは背伸びをしながら、角の生えた頭を掻いた。
天使には人間でいう「悪魔」の角が生えた種族も含まれており、ファーラもここでは珍しい存在ではない。
「飛んではいれないから、迂回路しかないし」
普段レイル達の通う学校や家からは随分離れている神殿都市ヴァルハラ。
神殿の上空はおろか、神殿都市で飛行するには、それなりの規則があり、下手すると管制官から捕まえられ兼ねない。
翼があるからと言ってどこでも飛んで回れるわけではないのだ。
ヴァルハラの周りは樹海が広がっており、そこも神殿の一部と認識されており、許可制で超低空飛行しか認められていないため、樹海内も徒歩か馬車、バスなどで移動する。
更に神殿都市に入る車類は制限されている。
身体障害者や老人の為に乗合馬車が用意されているが、基本参拝者は徒歩となる。
徒歩を補助する浮遊靴の使用は許可されているが、神の社という事で、律儀に徒歩の者が多い。
そんな中、彼らが都市内をバスに乗って入れたのは、祭りに招かれた一団だからである。
「ここまで来たら本堂も見てみたかったな」
「午前中に来た一陣と二陣は行ったみたいだけど、深夜早朝の出発は嫌だな」
「キャストは最終の打ち合わせがあったから仕方ないか」
レイルが仕方なさそうに呟いていると、
「降りたら速やかに控室に入って準備を始めて下さーい。浮遊靴は使用せず徒歩にて入って、施設の人にあったら挨拶をして下さいね。ここから演舞場までは地下通路経由です。我が校の名誉がかかってますから…」
新任の先生が叫んでいるが、30名ほどの生徒達はざわざわして落ち着かないまま下車していく。
この祭りは聖ミカエル生誕祭と言って、年一度三日かけて行われる伝統的な行事である。
ミカエルと言うのは天使界を危機より救ったという、伝説の天使の事である。
その天使が本当にこの日に誕生したかは定かではないが、その功績を讃え、天使界の最高神殿の指示で長く絶える事なく執り行われているのであるから、それは素晴らしい天使だったのだろう。
レイル達はこの祭りの奉納舞を行うために学校から派遣されたのだった。
舞と言われるが、ダンスだけでなく、歌や楽器演奏なども対象となり、余程ふざけた内容でなければ幅広くいう披露が認められている。
今回の彼らが選んだ演目は比較的スタンダードな演舞だ。
この「奉納舞」は、天上界の五大学園の生徒会運営で、毎年学園から各一つ収められる事が習わしとなっている。各学園から一つずつ、5つの出し物。舞台の出来はその学園のレベルや名誉に関わってくる、らしい。
…………そう、レイルにとっては余り興味のない事だった。
彼は普段舞や劇に打ち込んでいるわけでもなければ、人前に出て目立とうなどとは思っていない。
今年レイルとファーラの通う幼少学校が組する幼小学校が奉納に選んだのは、この祭りに由来する聖ミカエルが天使界を救う叙事詩を題材にした演舞。
奉納される演舞にしてはポピュラーで古典的、手堅い選択ではあったが、それだけに誤魔化しのきかない題材だった。
レイルはバスから降りる。
空調で整えられたバスを出ると、夏の終わりのむっとした空気に捕えられるかと思ったが、冷たく鮮烈な爽快感をもった空気に満たされていた。
もう一度ルネ・ファース神殿を見やると、友人が要塞だと言ったその大きな影にゆっくり太陽が沈んで行こうとしていた。
千切れ雲が少し暗くなりかけた空に忘れられた様に浮かんでいた。
彼らの奉納する演劇は本神殿ではなく、元来た道を戻って都市の外、樹海に設置された舞場である。
先生の話からすると地下通路が存在するらしかった。彼らは控室にとあてがわれた小さな神殿に連れだって入っていく。
聖ミカエルが追い払いし「敵」
サタンと呼ばれし魔王は…
「おおおおおおおお……似合ってんなー」
気合を入れて学校が借しだしてくれた小道具を身に着けつつ、ファーラは近くに座っていたレイルに話しかけた。
長い黒髪にガッツリとした黒い鎧。
頭には品のある、だが黒くて禍々しい光を放つ冠が乗せられていた。
夜の漆黒を思い浮かべる衣装、内側が深いワイン色の長いマントが更に重みを加えていた。
衣装係に言われて頭を垂れていたレイルは顔をあげる。
「面白がっているだろう??????」
その双眸は濃い葡萄の紫色をしていた。
瞳に光が当たると重く辺りに低温の威圧感が漂う。
首筋から顔に描かれた奇怪な印章や目の周りの装飾はメイクであったが、それとわかっていても彼の雰囲気を凍らせるのに一役買っていた。
「似合ってるぞ、魔王レイル登場だな。流石、紫水晶瞳」
魔王サタンの姿は闇に染まった黒髪に、瞳は己の刻んだ者の血と涙を混ぜた「紫」をしていると言われている。
レイルが生まれながらに授かった、紫水晶瞳。
この瞳は天使界でも、殆ど見る事が出来ない稀有な色なのである。
それを珍しいという言葉で片付けられるようになったのは、そう遠くない昔だとレイルは聞き及ぶ。
「天使界では…昔はこの瞳を持って生まれただけで、サタンの生まれ変わりと即殺されたらしい…」
レイルはそう呟きながら、カツラ下の派手な金髪が覗いていないか確かめる為に、鏡に映った自分の姿を眺めた。
我ながら……サタン役は合っていると思っている。
今回の出演者の中で、一番小柄だが、誰よりも醸し出す雰囲気が冷たい事は承知している。
いつもの明るい黄金髪の時でさえ、自分の持つ紫水晶の瞳が冴え冴えとして辺りを凍らす雰囲気が漂ってしまうのだ。
あえて本人は取り繕うつもりもないので、彼を外見で判断して近づかない者には、永遠に冷たい少年と記憶される。
でも彼的には喋り出せば意外に普通の少年。ファーラをはじめとして軽口を叩ける友人も多い。
「サタン役の恰好で、こっえー事、言うなよ」
「いや、自分で見てもこの色は異常だろ」
「自分で言ってちゃ世話無いな」
ファーラは髪を黒に染め、レイルよりは軽装であったが、闇の将軍をイメージした鎧風の衣装を身にまとっていた。彼の役はサタンの参謀であったベルゼエルという妖の役。元々持っている大きな二本角はそのイメージにぴったりだ。
額にはめた緑の石が第三の目のように光っていた。
小道具の長剣がすらりとベルトに差し込まれ、子供ながら風格がある。
「しかしいつの間に着替えたんだ? ファーラ。メイク係がさっき探してたし」
「ん? ああ」
「それにしても珍しいっていえば、ファーラの緑眼もだろう?」
「緑石瞳な。この辺では珍しいけど母親の血縁が全員この色だったらしいぞ」
「らしい…って」
そこまで言った時、レイルの眺めて居た鏡に金の長い髪に金の瞳をした少女が写りこんだ。
「ごめんなさいね、無理を頼んでしまって」
背後からでは声が小さくて、耳に栓がしてあるレイルには聞き取りにくかったが、鏡に映った彼女の唇はそう動いていた。
今更何を言う。
と、レイルは思ったが、口には出さない。
「プリシラ、見てやってくれよーお前の見立ては間違っていないな」
ファーラの言葉に彼女は微笑んだ。その後ろから別の人物が現れる。
「レイルーファーラ~見て、プリシラも綺麗でしょ。私も着替え終わったよ、どーう?」
用意の終えたレイルは振り返る。
そこには白い衣装を身にまとった聖女が2人いた。
「2人とも綺麗だよ」
白い鎧にゆったりした丈の長い白いスカート。
どちらも美しい豪華な衣装を身に纏っているが、華奢な白銀の冠を被っているのは、遅れて現れたレイルと殆ど同じ身長の女の子の方だ。
初めに現れた長身の彼女がプリシラ・グラシエンド、小さい方がユリナル・グラシエンド。彼女達は姉妹である。
グラシエンド姉妹は同じ学年でもクラスでもなかったが、レイルの通っている学校では有名人だった。プリシラは副生徒会長、ユリは会計を務めている。
天使界の学生にとって生徒会に所属することは容易ではない。
知能指数の高さだけでなく、教養や話術にも優れている事が要求される。
自主性を大切にする風潮が強い天使界の学校は、スポンサーであるお客の相手を学生に任せる事も多い。接した学生の質の高さが今後の支援に繋がると言っても過言ではない。
ユリは幼いながら計算機並みの頭脳とその運用能力を買われ会計を務めている。
さすがに幼少3年という事で、対接客まで求められてはいないようだが、姉の補佐を十分に担っている。
何より彼女達が有名なのは、その美しい容姿である。
なめらかな白肌に、金色の巻き毛。レイルの黄金色には遠く及ばない色ではあるが、とても艶やかで彼女達の金色の瞳を引き立てる。
大きすぎない金色の瞳に宿される強い意思と対照的に、唇の端に浮かべた品の良い笑みは育ちの良さを内包し、彼女達の心深さを感じさせた。
年の差はあったが二人ともよく似た雰囲気の持ち主だった。
だがユリ的には姉と一括りにされる事は抵抗がある。レイルの褒め言葉に文句を呟いている。
妹の様子に微笑みながらプリシラはもう一度詫びを口にした。
「レイル、本当に申し訳ありません。こういうのはお嫌いだとわかっているのですが……」
レイルは軽く片手で制した。
子供らしからぬ動きであったが、衣装と相まってプリシラはドキッとした。
彼女は数か月前の事を思い出した。
奉納舞に今年、古典的でやりつくされた感がある聖ミカエルの叙事詩を押したのは誰だっただろうか。
ミカエル役はすぐプリシラに決まったが、相手のサタン役が決まらなかったのである。
彼女とお知り合いになりたい男子生徒は多く、希望者は多数だったが、どうにもイメージに合わなかった。迫力に欠けたのである。
そこで湧いて出たのが、今年新入生で入ってきた、幼小学校の生徒にサタンの紫を持った子が居るという話だった。
プリシラが調べた所、成績はそれなりで、性格についての評価は聞く学生によって異なった。
演劇などの経験はなさそうだったが、遠目に見る所、雰囲気は充分だった。
生徒会としては絶対に成功させなければいけない奉納舞。時間もそこそこあるので、演技は何とかなるだろうと踏んで、とりあえず彼に白羽の矢を立てた。
「それは無理ではないですか?」
だが上級生の彼女の誘いに、やんわりした口調とながら、視線でバッサリ断ってきた。
この瞬間に彼女は今回の役はこの少年こそ似合うと確信した。
似合うと言うより、彼以外に居ない。と。
「副会長だぞーレイル。奉納舞って結構名誉なんだぞ。幼小学校から選抜されるって滅多にないんだし」
「名誉に何の意味があるんだよ、ファーラ。食えるのか?」
レイルでもそのくらいは聞き及んでいた。
天使界でいう「学校」は広大なスペースに、4歳以上から通う幼少学校6年課程と、中級学校は4年課程、更に専門学校と呼ばれる施設が併設される。
天使の知能は人間より高い。
4歳児でだいたい7歳児程度、5歳児のレイルの思考は10歳程度まではね上がっている。
この伸びは10歳頃までであって、20くらいになるとその差は努力なければ埋まってしまう。
知能は先んじるのだが、体格は人間とさして変わらず、5歳の彼は1メートルと少し、10になるプリシラとは頭2つ違う。
それでなくても紫水晶瞳を持っている事で閉口している。
目立つ事に積極的ではなかった。
やりたくない一心も手伝って、レイルは、
「仮にも魔王様が小さいって間抜けでしょう。それに…」
自分の耳に差し込んだ耳栓を指差した。
これではまわりの音が聞けず、演技など難しいはずだ。
そう言いたげにこれ見よがしにチェーンを持ち上げる。
受け入れる様子はなく、かたくなな姿勢と紫の瞳の圧力に、彼女は気圧されかけた。
しかし彼女はレイルの態度に悪意がない事を見て取る。
悪意があるとすれば自分の方であろう。やりたくもないと言う少年を、功の為に頷かせようというのだから。
「大丈夫です。身長差については問題ありません。貴方は体育も記憶系もほぼトップクラスですね?入学試験の時は」
「……まぐれですよ、副生徒会長さん」
レイルの父は上級学校の教授であり、母は貴族の出である。
親が出来がよければ、子も出来が良いわけではないが、入学が遅れた分、両親に仕込まれる時間は長かった。
自分が意識しない間にそれなりの成績が取れていた。
それでは目立つと気付くのにさして時間はかからなかったので、意識して現在は点数を下げている。
その点をプリシラは嗅ぎ取っているらしく、言葉に滲ませた。
「プリシラとお呼びください。耳の件で不自由はされておられる様子はなく、健常者と同じ行動がとれている、いえ、それ以上に素晴らしい能力をお持ちなのは確認済みです。こないだグラウンドで鋼球をプレゼントして差し上げましたでしょう?」
「へ?」
「お気に召しませんでしたか? うちの中級学校のエースは腕がいいんですよ」
不意打ちを食らわせる事に成功したプリシラは、怪訝な顔のレイルに天使の微笑を投げた。
だが彼には悪魔の微笑に見えた。
数日前、グラウンドで背後から鋼球が飛んできたのを思い出したのである。
それも剛速球だったので直撃すれば、無傷では居られなかったはずだ。レイルは難無くよけは出来たが。
脅すのかとも思える告白であったが、彼は彼女がそういう気ではなく、舞台に乗って役をこなせる能力をレイルが保有している事を知っている事を見せたいだけらしかった。
「……プリシラさん、サタン役の方がお似合いですよ」
「褒め言葉と受け取っておきましょう。では今日はこれにて」
彼女は立ち去り際に、
「出来たらお友達も一緒に参加されませんか?」
と、要求を追加した。
「それから…………名誉と言えば、そうですね。参加者は飛び級試験、1年分ほど免除になる事もお伝えいたしておきますわ。テスト免除ですので、目立たないと思いますよ。実際そういう方も多いですし」
それでレイルは参加を決意し、若干巻き込まれ気味にファーラもキャストに加わったのである。
レイルは聴覚の件で入学を1年遅らせていたし、ファーラなど3学年も遅れているのだ。
2人とも諸事情による入学時期の問題で、素行が悪くて留年を喰らった物ではなかったが。
劇の配役はレイルの身長に合わせて、ミカエル役を妹のユリが、その補佐にあったと言われるラファエル役をプリシラがやる事に変更された。
レイルだけ捻じ込んでは居場所が難しくなるからという配慮から、プリシラが声をかけたレイルの友人ファーラの気さくさのおかげで、彼は精神的ダメージを受けずにその舞台稽古に入ることが出来た。
ファーラは学校を終えるといろいろと部活動をやっていて、顔が広い。
ユリは飛び級をしているので上級生だが、レイルと同じ年で身長差はほぼ無い。
彼女となら立ち回りの時に剣も合わせやすい。
幼い子が頑張って演技をすれば、年長が同じ事をするより評価が高くなる。レイルには音を聞く事が出来ないので、タイミングには苦労させられたが、効果と照明担当者の努力もあって問題は解決していた。
音を聞く事が出来ない。
この言葉には語弊があるだろう。レイルの聴力は正常であったから。
「レイル、耳の方、完全防音でお願いいたしますね。そろそろ移動しましょうか」
「了解、ってわけで用事のある人は正面からよろしく」
ここ数か月で何の理由かは知らないものの、彼が自分の耳から音を遮断している事を知っているので、回りの生徒も軽く頷く程度で気にもかけていない。
現在、耳の栓は小さなつまみの調節で、集中すれば聞こえる程度まで防音効果を下げたり、更に完全防音にしたりできる。
幼い頃に急ごしらえの栓では完全防音にはできなかった。彼の入学に合わせて開発は急がれたのだが、結局完成が遅れた事で彼は入学が遅くなったのである。
彼はこれなしには普通に生活する事は出来ない。
「行こう、レイル」
ユリは座り込んでいたレイルの手を取ると、控室に入ってきた時に使った扉と別の扉を開けた。
彼女は練習の期間中にレイルにすっかり懐いていた。
同じ年の子で自分とほぼ同回転出来る頭脳、紫色が人目を引くが、誰と比べても見劣りしない容姿、付き合ってみるとわかる柔和な性格。
耳を聞こえない様にしているからか、表情や感情を読む事に長けている。
レイルはプリシラには未だに固い口調を崩さなかったが、妹の彼女は同じ年で親しみを込めた目で見つめられる為か、友達のように感じていた。
「レイル、落ちる時は気を付けてね。ぶっつけ本番だから」
「タイミングは気を付けるよ。ユリが切りつける前に落ちたら間抜けだから」
「そうじゃなくて怪我しないようにって意味よ」
2人の会話の間に、鷹のバックルでまとめられた長衣に薄いマントを羽織った老人が、すれ違いざまに丁寧に頭を下げた。
天使界政府は要人警護集団『魔道士』を特別にレイルに対し派遣している。
昔、紫水晶瞳を持った天使は理由もなく殺されていた為、警護をつけた、その名残だそうある。
現在は危険な場面というのも、とても縁遠い存在であったが、両親が断らなかった為いつもどこかで彼の傍にいる。
すれ違った老人はセレフィード・リィ・アード。
現在魔導師長を務めている御仁だ。
セレフィード魔道士長はレイルの祖父ぐらいの年齢で、その年齢差にかかわらず、君主に対する家臣のようにレイルに礼節を尽くし敬意を払う。
それによって生ずる違和感がレイルは苦手だった。
他に数人いるそうだが、レイルはその姿を見た事はない。
控えにとあてがわれた小さな神殿は、しっかりとした美しい建物だった。
白亜と言うほど白くはない、時代の流れを感じさせるアイボリーがかった廊下には、毛足の短いベージュの絨毯が長く敷かれている。
その縁を流れるように描かれた同色の模様は、壁のレリーフと同じ形で、揃いで作られたようだ。
何気ない所に描かれたそれらの模様が統一感と格調を漂わせた。
シンプルだが小さな神殿だからといって、決して手の抜かない美しい仕事がされた建物だった。
「見て、みて」
地下に入りこむ通路は中央祭壇---―と言うか、小さいので一つしかないのだろうが---―の横にあった。
その祭壇の前には丁度赤ちゃんを抱いた母親や親族と思われる数人が、白い服に黒のケープを羽織った神官に祝福を受けていた。
天使界では生まれて3か月ぐらいで、神殿に参るのが常だ。
「レイルも祝福はヴァルハラで?」
「たぶん。ちょっと距離はあるけど、来れない場所じゃないから、うちの学校のやつらはこの町まで来てるんじゃないかな」
「そうよね。あ、かわいいね、女の子みたいよ」
母親に抱かれた子供を神官が受け取る。
神官の胸には黒縞瑪瑙の嵌め込まれた十字架がキラリと揺れていた。
蓮の花を銀で編み上げ、透かし十字に成型した中心に輝く黒は、白い服にはえて見事である。まるでそこにいるのが当たり前のように彼の胸で存在を放つ。
神官が朗々と祝福を授ける間に、学生達は地下通路に入りこんだ。
地下への階段は少し薄暗く、装飾などは施されていなかったが、掃除は行き届いており、空気は澄んでいた。
螺旋階段の段差が大きめで急であるのは、社の出来るだけ真下に向けて掘られている為だった。
マントが皺にならないように持ち上げ、慎重に降りる。
上級生の衣装係が世話を焼いてくれた。
「頑張ってねー練習通りにやればうまく行くから」
「コケない様に頑張ります」
下まで降りると、演舞場までの道は石で造られた動く歩道になっていた。
急ぎ設置をしたい大道具班は隣の動かない道を小走りに通り抜けたり、忘れ物があった言って、慌てて控えの神殿に戻る生徒がいたりしてごった返していた。
レイルは冠がずれない様、固定し直してもらう。
プリシラはマントが長すぎると小道具係に急遽処理させていた。
「ファーラって何だか訓練受けてます? 前から思っていたのですが」
「父親が訓練……もどきを少々。プリシラも剣を?」
「たしなみ程度には。レイルのお友達って事でどなたかをお誘いする予定でしたが、当たりでした」
この劇が終わってしまえば、縁は切れるだろうが、プリシラはファーラに好意があるようにレイルには見えた。
ファーラの方は口の利き方こそ普通と変わらない物だったが、そういう対象としては恐れ多いらしい。
二人の剣技は舞うように美しい。
プリシラは花から花へ移る蝶の華麗さを振りまき、ファーラは蜘蛛の様に身軽に追う。試合として剣を重ねるならば、実際はファーラの方が上手だが、プリシラにギリギリの所で花を持たせるタイミング。
レイルとユリのタテは決まっているが、二人のソロ対決は勝者がプリシラにすると決めてあるだけで、その他の動きや台詞のタイミングはフリーになっているので、毎回動きが違う。
稽古中の動きに皆で釘付けになって眺めた。
「私が主役だからね」
ユリはレイルの手を取る。
天使界では帯刀が認められている為、剣技を習うものは多い。
だがあくまで習い事の域を出ない者が普通。
レイルは剣技に関しては普通の域を超えるものではなく、好きでもなかったが、ユリが「たしなみ」程度に上手く、彼を引っ張って「接戦」を演じられるレベルにまで持って行っている。
動きの定まらない実戦では全く歯が立たないだろうが。
「あ、北校」
歩道が切れて、突き当たる。後ろを振り返るとレイル達が使った歩道トンネル以外に、四本トンネルがあり、ここで集約されていた。
その一本を水色の薄い衣装を身にまとった女子の団体が戻って行く所だった。
他の学校にあてがわれた控えの社にそれぞれ続いている。
プリシラはその何人かと挨拶をし、ユリはそこに控えた。
レイルとファーラは頭を下げるとその場を後にして、先に演舞場に入った。
道具係ではないので、一緒に二階席に通され見学できた。
二階席は学校関係者の指定で、一般の客はいない。
もう演舞を終えた学校生徒が見学し、各学校の引率教諭がひそひそ会話している。
衣装を着こんでいるものは多かったが、主役級の衣装を身にまとい、意識しようとしまいと辺りを凍らせる紫水晶瞳は目を引いた。そして後ろに控えるように進んでいたファーラの威圧感にレイルは驚く。
「他の学校に引けを取ると、プリシラに迷惑がかかるからなー」
などと、本人は冗談ともつかないセリフを口にした。
もう演技に入っているらしい。
レイルが見やると、舞台には赤い衣装で力強く舞う男子生徒達がいた。
先程すれ違った衣装と似ているので、対の演舞なのだろうと思っていたら、脇より出て来た赤色衣装の女子一団と踊り出した。
主格となる男女一組は緑の衣装を着ており、中央で激しくステップを踏む。
レイルは完全防音中なので耳には届かないが、美しい調べが辺りを支配している。残響が大きすぎず、この建物の出来が素晴らしいのが窺えた。
「北校が終わったら次がラストのうちらよ。間三十分ほどで始まるから舞台袖に降りてね」
ひょこっとユリが現れて、レイルの前で言った。
口の形が綺麗だなと思いながらその言葉を読む。
「何の話だったんだ? 挨拶か」
ファーラが尋ねるとユリが眉根を寄せ、声を低めた。
「挨拶もあるんだけど、嫌なゲームがあちらでも流行ってるらしいのよ。その情報交換」
「ゲーム?」
「タイムターゲットよ」
それは予め標的と期限、その内容を決めて行われるゲーム。
その内容が期限内に、標的に行えた者に掛け金が支払われると言う。
『タイム・ターゲット』と呼ばれ、学校側は実態をつかめずにいた。机から文具を取る、水をかけるといった程度だが、規模が大きくなるにつれ悪戯もエスカレートしている。
イジメの温床になると生徒会もその尻尾探しに動いているらしい。
「意外と厄介なのよ、学校での交友関係も調べつくして、仲良しに見える友達同士の心理を付いてきたり、クラスで目立つ子が対象になりやすかったり。何より成功報酬の払い方が……」
「ユリナル、お喋りが過ぎますよ。不穏分子が居るのは確かなようです。お二人もお気を付け下さいね」
仲間意識が強くなっているため、つい口が軽くなっている妹を軽く窘める。
美人が怒ると怖いなっとレイルに口パクでファーラが告げた時、前の学校が演技を終えた。
割れんばかりの拍手が起こったが、レイルの耳には聞こえない。
しかしユリナルが手をたたくのを見て、自分もそれに倣う。
満場に溢れる拍手の中、ファーラは手を叩かない者に気付く。
「確か新任の先生だったかな」
先程バスを降りた時に生徒達に聞きもしない指示を飛ばしていた先生。
どこにでも居そうな小柄な女性。
学校が大きく先生だけで百名は下らない。だから知らない先生が多くても仕方ない。
目立たないベージュ色のローブを身に纏った彼女は、舞台の中央までの位置を図っている。大道具の配置を修正するのかもしれないとファーラは思い、別段不思議を感じなかったが、何故か目が離せない。
話しかける間もなく、彼女の姿は観客の波に消えた。
「ファーラ、おい、アリエル行くよ」
「だからその名で呼ぶなって」
「これで呼んだら一回で振り返るから、楽なんだよ。下に行こう」
二階席から舞台袖右に降りると、幕を閉じた舞台上では急ピッチで舞台の準備が進められていた。
間幕は三十分、意外と大きなテラス状のセットもあり、大変そうだ。
レイルは舞台の中央位置を確認する。
舞台終盤、ミカエルに追い詰められ、後ずさりしながら剣を受け、最後にユリの振り上げた剣が振り下ろされるのに合わせ、中央の観客席前にある、下の奈落に後ろを見ずに落ちなければならない。幕が引かれているので上から穴を眺められなかった。
「頑張れよーレイル」
「そっちもなー」
舞台左袖に移動するファーラと軽く声を掛け合いつつ、自分は右袖に戻る。
「下から眺めるなら、この階段下りてみて」
「準備どうですか?」
「幼小学校の生徒に怪我なんかさせないから任せといて。沢山クッション用意しておいたから」
ユリと道具係に急かされるように、隅にあった階段を下りる。
そのフロアは柱が多く、天井は思ったより高かった。幾つか天井に穴が開いており、迫り出して舞台に押し上げる装置があり、他にはレイルが落ちるだろう穴の下には分厚く柔らかいマットが幾重にも重ねてある。ユリは迫り出しの上に立って足場を確かめていた。
「意外に高いですね」
「舞台の高さが三メートル位プラスされるから、ヘタに首からは堕ちない様に」
「でも怖いからって浮遊靴とか働かしたら勢いがないからダメね。二年前だったかどこかの学校の子がやってそれは無様だったから」
「マットから転がり落ちない様に支える役もいるから安心していて」
何度かその高さを想定して後ろ向きに落ちる練習はしているが、衣装を着てここでやるのは本番のみ。
少し緊張しだしたレイルに、励ましとも脅しとも取れる言葉がいくつが投げられた。
皆、出来るだけ口を大きく動かしてレイルに読み取れるようにしてくれている。
良い仲間だった、この劇が終わったら皆で集まる事はないが、期待に添えるように努力しよう。
レイルは階段を上がって、自分の位置に付いた。黒い剣を衣装係が渡してくれる。重さはない作り物の剣だが、光を受けると本物と同じ輝きを見せた。
「遥かなる悠久の昔、神は全天界を分かち、それぞれに役割を与えた。
魂を生む結界『クリファ』
魂の受け止め手となる結界『マルクト』
魂を守り導く結界『イエソド』
魂の総てを尽くした者の結界『ホド』
魂の保護を司る結界『ネツァク』
魂の穢れをはらう結界『ティファレト』
魂の罪を裁く結界『ゲブラー』
魂の安らぎを告げる結界『ケセド』
魂の在り方を問われる結界『ビナー』
魂の言葉が量られる結界『コクマー』
魂の到達点である結界『ケテル』
魂の巡りは途切れる事なく、悠久の川守によってそれを守る。
それは神に定められし流れとダートの意思」
幕が開き、照らされた一本のスポットライトの下で、長いセリフを一言も噛む事無く、プリシラ、いやラファエルは言い切った。
ライトが移り、せり上がりから現れたミカエルは神々しいまでに光を受け、その剣を高々と掲げ、現れる。
「神は『イエソド』に魂を守り導く者として、我らが祖先を宝石や鉱物で創造した。
金と黄玉
銀と青玉
銅と紅玉
鉛と緑玉
水銀と水晶
彼らは神に従い、魂を慰め、導いた。
しかし意思を破るべく邪悪の樹より生まれしサタンにより、『クリファ』は壊滅的な状態に陥った。
神は使いとして、私、ミカエルは全権を託され、その討伐に当たったのである」
ミカエルは闇の中から這い出てきた魔物役と剣を合わせる。
舞台上は舞台袖から現れた複数の白と黒の衣装の入り乱れた混戦模様を呈した。効果用に撒いた黒と白の羽、自前の翼を広げて空中戦も見られる。
「闇の者よ! 我が前にひれ伏し、神に許しを乞うが良い」
ここから彼女の舞が始まり、魔物役は退散。
そこにベルゼエルが現れ、彼女を狙うが、ラファエルに今一歩の所でに阻止される。捕えられ、白い軍勢に取り囲まれた時、レイルは舞台袖からマントを翻し、舞台に立つ。
照明が落とされ、雷と光が交錯する。
「我は神の意思に背くものなり」
剣を抜いて正眼に構え、体制を低めて、左に流した剣を一気に右に薙ぐ。
音響のタイミングは絶妙、それに合わせて白い衣装の者が倒れる。
演技なのだが、演技であるはずなのだが、ラファエルとミカエルまでもが、風圧の様な物を感じてたじろいだ。
今までの練習では感じなかった重厚な気配。
ベルゼエルも驚きながら、素早くレイルの側へと動き、頭を垂れ臣下の礼を取る。
そこを席巻する地獄の底を彷彿とさせるその気配こそ、プリシラが彼を選んだ理由だった。
「神の名の元に、サタン、そなたを討ち果たさん」
ミカエルの剣がサタンに迫るが、ベルゼエルを取り戻した事で、一時撤退するサタン。
ここから叙事詩として伝わる双方の戦いの幾つかが舞われる。
ラファエルとベルゼエルの剣舞もここに組み込まれていた。
この時ベルゼエルが負けた事で、サタンは怒り狂い、激しい攻勢をかける。
彼の勢いは止まらず、天使界にまでも乗り込み、蹂躙していく。
ミカエルは総指揮官としてよく戦ったが、突破口を見つけられずに劣勢を強いられ、捕えられてしまう。
「よくぞここまで抵抗してくれたものだ、ミカエルよ。これもじき終わる。魂が生まれる場所クリファは全滅し、天使界は我々の支配下に落ちる。お前には穢れの接吻を与えよう」
サタンは捕えられ身動きの取れないミカエルの顔をつかみ、接吻をする。
キス
あくまでお芝居なので、口をギリギリに寄せるだけ……の、つもりだったが、練習の時にはなかった動きをユリが取った。
「!」
レイルは素でたじろいだ。
ユリの可愛らしい形良い唇が、不意にそれも深く長く、自分と重ねられたのだ。
たかだかキスだがされどキス、校内で噂の美少女に顔を寄せるだけでもおこがましいというのに。
間抜けにも足がもつれ倒れかけた様が、異変に気付き飛び退いたと演技上は見えた。
……たぶん……
ユリは少し頬を染めていたが、レイルの慌てた様子に勝ち誇った笑みを向けた。
それは姉のプリシラがレイルを驚かした時に見せたあの表情とそっくりだった。
舞台上で叫ぶわけにはいかなかったが、この姉妹にはやられたな感いっぱいになっているレイルだった。それを密かに抑え、演技に集中する。
「恐れを知らぬ不埒な者よ、神の御力の前に平伏すがいい」
ミカエルを捕えた棘鎖が解け、その言葉を合図にミカエル軍勢の白服と光がステージを埋め尽くす。
ここから徐々に追いつめられたサタンは劣勢に転じる事になる。
そしてサタンにとって最後の時が来た。
ミカエルの剣に追い詰められていく。鍔迫り合いをしつつ、徐々に後退し、予定通り舞台端、観客席前の奈落に落ちる用意が出来た。
これで終わるんだ。
と、思ったら、レイルの胸に淋しさがよぎった。
お祭りは終わり、ユリがキスしてくるなど予想しもしない事があったが、概ね成功なはずだ。
「永遠に闇へと去れ!サタン」
「闇の中からみているぞ、ミカエル。神の使いよ」
感慨深げにサタンは最後の捨て台詞を言い出した一瞬に、彼は何かが飛んで来るのを感じた。
それはプリシラが中級学校の生徒に投げさせた鋼球のソレより、鋭い何か。避ける事は可能だが、今避けるのは舞台の失敗を意味する。
避ければその何かが上段に構え、今にもサタンを袈裟切りにしようとしているミカエルに当たってしまうだろう。
避けない。
そう選択したレイルの体がガクッと傾いた。
誰かが足を引っ張っていた。傾いた体は抱きかかえられ、奈落へと沈む。
レイルが不在となったその場所が煌めいたのが、彼にはわずかに見て取れた。抱かれたまま着地して、自分を引きこんだのが誰かわかった。
「セ……セレフィード魔道し……」
彼が何が起こったかわからず、その名を口にし終わる前に、レイルが着地すべきだったクッションの上に何かがドサッっと降ってきた。
白い、塊。
何かは、見なくてもわかった。見なくてもわかったが、彼には信じられずその塊へと引き寄せられた。
手にした剣が軽い音を立てて転がる。
魔道士長が見ない方が良いと声をかけたが、完全防音を施した彼の耳には届かない。
回りの者も何が起こったのか判断できず、凍ったように身動きも取れなかった。
白い塊を抱きかかえると、白い冠が虚しく落ちた。
虚空を見上げる金色の瞳にもはや生気の色はなく、さっき重ねた可愛らしい唇から細い赤の絹糸のごとく血がしたたり落ちた。
「ユリ? ユリナル? どうして」
実感が沸かない彼だったが、ユリの命がもうココにはない、空っぽなのが彼を取り乱させた。
だが完全に取り乱す前にセレフィード魔道士長が素早く動き、彼の耳にねじ込んでいた栓を解き放つ。
両手がユリの体で埋まった彼には、舞台から流されていた音楽を塞ぐ術はない。
音楽と一緒にプリシラの声が聞こえた。
耳に音楽を入れた途端に、レイルの力が抜ける。
耳に入ってきたのは練習の時、ミカエルが言っていた言葉。
何とか舞台上は取り繕っているのか……
そこまで思考したレイルの体は急激に力を失って弛緩し、眠りに落ちた。
お読みくださった後に気持ちで良いので、
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酷評も受け付けてます。
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細かい語尾の変更。控え神殿の建物描写追加。
「叙事詩として伝わる双方の戦いの幾つか」部分の追加思案中08/20
劇中のミカエルの台詞追加08/21
「叙事詩~」部分の追加08/23
ご指摘のあった少し目障りそうな説明を省き、
言葉を書き換えました。本文に影響ない程度です。10/05
世界設定で、天使界は平らな大地部分消去。後々使用10/06
魔法と科学の混在について少々説明入れました。10/13