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告白

氷室饅頭 ~告白

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/04

 梅雨の湿気が、窓の外を白く曇らせている。

 冷房は入っているのに、どこか空気はやわらかく、重い。六月の終わり特有の匂いだと、大樹(だいじゅ)は思う。


 そこへ支店長が菓子箱を抱えて現れた。


「は~い、今年もこの季節が来ましたよ。一つずつどうぞ」


 箱の蓋が開いた瞬間、視線が集まる。

 白、ピンク、黄、緑。艶のある丸い饅頭がきれいに並んでいる。


「『氷室饅頭』だ」


 紫音(しおん)の声が弾む。


 氷室饅頭。


 ググった中の知識としてはある。だが、実物を見るのは初めてだ。


「おっ、『板屋』のだ。今年は俺の好きな店~」


 そんなに違うものなのか、と大樹は内心で首をかしげる。

 葵ものぞき込みながら言う。


「子供の頃はすごい嬉しかったんだけどね~」

「じゃあ、葵さんいらないですね。その分、俺もらっていいですか?」

「もらうわよ。ま、私は食べ慣れてる『美福』の方が好きだけどね」


 鈴木が笑う。


「金沢の人は良く言うけど、今でもその感覚はよくわからんわ。どの店も普通に美味いと思うんだけどなあ」


 大樹は箱をまじまじと見つめた。

 四色。しかも黄色はカボチャ餡らしい。


「・・・これ、初めて見ました」


 正直に言うと、鈴木が肩を叩いた。


「大樹さんも話のタネに一つ食べておいた方がいい。知らんと話しにならんからな。この時期、市内のあちこちの店で、同じ商品が売ってるんだよ。今なら『氷室饅頭』」

「でも、同じじゃないんですよ」


 紫音が即座に言い返す。


「その店によって微妙に味が違うんですから。多分、砂糖の量とか蒸し時間とかのせいでしょうね」

「蒸し時間まで言う?」


 葵が笑う。

 本気なのか冗談なのか分からないやり取り。けれど、そのわかっている人達の輪の中に、自分がいる事が少し不思議だった。大樹は、迷った末にピンクを手に取る。

 無難だと思ったからだ。


 その時、鈴木が箱の中を見渡す。


「持って行ってない子は~」


 少し間。


「彩さんがいませんね」


 名前が出た瞬間、意識が一瞬だけそちらに向く。


「ああ・・・」


気のない素振りで言う。


「じゃあ、俺がもらっておこう」


紫音がすぐに手を伸ばす。


「残しておかなくても?」


思わず口をついて出た。自分でもなぜ気になったのか、わからない。

葵がふっと笑う。


「あー彩さんはね、ああ見えて好き嫌いがはっきりしてるの。確か『板屋』なら『こもかぶり』」


紫音がうなずく。


「定番、『中田屋のきんつば』、『松葉屋の栗蒸し羊羹』、『圓八のあんころ』……」


 次々と店名が出る。

 大樹は軽く目を瞬いた。


「・・・すみません、何の話です?」


 正直に聞くと、葵が説明する。


「大多数が美味しいって言ってる所。だから“どこどこの店の何々”って言われてる」

「『氷室饅頭』は美味しい所はいろいろあるんですけど、『どこどこの店の氷室饅頭』とはあんまり言わないですね」


 紫音が続ける。


「それで、どこの店もまあまあ美味しいってなると、それぞれにお気に入りができる」

「彩さんもそれです」


 箱を閉じながら紫音が言う。


 彩さん。


 職場ではいつも苗字で呼ばれる。線を引いたような距離。

 けれど、時々視線が合うと、ほんの少しだけ柔らかくなる。あの目は・・・嫌いではない。


「俺はさっきも言ったけど、氷室饅頭なら『板屋』。黄色のカボチャ餡が一番好きですね」


 紫音が黄色を取る。


「私は『美福』ね。食べ慣れてるのが一番」


 鈴木が苦笑する。


「地元民のこの手の話は、話半分に聞いておいた方がいいぞ。昔信じて、客先で『どの店も美味しいですよね』って言ったら大変な目にあった」

「何があったんですか?」

「『氷室饅頭は森八だろ』って機嫌を損ねた」


 葵が笑う。


「その話を家に帰ってしたら、『次にその会社に行った時、うちの氷室饅頭は水本のでしたって言っておきなさい』って言われてな……訳もわからずその通り言ったら、機嫌は直ったんだが。未だによくわからん」


 紫音が声を立てて笑う。


「『水本』は『森八』で修業したご主人がやってるんですよ」

「余計ややこしいな」


 鈴木が頭をかく。

 そのやり取りを聞きながら、大樹はふと考える。もし彩がここにいたら、どんな顔をするだろう。少し困ったように、でもちゃんと聞いて、きっと最後に小さく笑う。

 あの人は、距離を取っているようでいて、ちゃんと見ている。

 自分が話す時も、視線を外さない。


 嫌われてはいない。それどころか・・・。

 そこまで考えて、思考を止める。


 手の中のピンクの饅頭を見る。まだ食べていない。けれど、すでにこの土地の物語が詰まっている気がする。


「・・・とりあえず、まずは食べてみます」


 ゆっくりとかじる。

 しっとりとした生地。

 やさしい甘さ。


「どう?」


 紫音が身を乗り出す。

 少し考えて、笑う。


「正直、違いはまだわからないです。でも・・・」


 もう一口。


「こういう話を聞きながら食べると、なんか特別ですね」


 甘さが、ゆっくりと広がる。

 この街の事も。

 この会社の事も。

 そして・・・あの、少しだけ不器用な人の事も。

 知らない事ばかりだ。


 けれど。


 知りたい、と思っている自分に、大樹はまだ気づかないふりをした。

 ピンクの甘さが、まだ舌の奥に残っている。

 その時、入口のドアが開く音がした。反射みたいに顔を上げる。


 彩さん。


 外回り帰りだろう。薄いグレージュのブラウスに黒のテーパードパンツ。

 湿気を含んだ空気を連れて、静かに室内へ入ってくる。

 前髪がわずかに頬に貼りついている。そんな細部にばかり、不自然なくらいに目が行く。


「あ、お疲れさまです」


 いつもの、きちんと距離を保った声。

 返事をする前に、気づけば体が先に立ち上がっていた。


「お疲れさまです。今、氷室饅頭配ってて」


 気持ちだけが先走って、声がわずかに弾む。箱を持つ手に、意味もなく力が入る。


「まだありますよ。よかったら」


それだけでいいはずなのに、言葉が止まらない。


「俺、初めて食べたんですけど。思ってたより甘さがやさしくて。ピンク、結構美味しかったです」


 なぜ感想まで報告しているのか。聞かれてもいないのに。自分でもわからない。わかりたくないだけだと心の底では、わかっている。


「『板屋』らしいです。黄色はカボチャ餡で、紫音がすごい推してました」


 余計な情報を重ねる。会話の糸が切れないように、細い糸を次々と投げるみたいに。


 彩が箱をのぞき込む。

 その横顔を、つい目で追ってしまう。少し屈む。その動きに合わせて、無意識に体もわずかに前へ寄せる。

 ふわり、と熱を帯びた空気にふれた。

 外気を含んだ空気に混じって、微かな汗の匂いと、ほのかに甘い香りが届く。強くはない。ただ、近づいたからわかる距離の匂い。


 喉が渇く。鼓動が一拍、強く跳ねる。腹の奥が重く沈む。


 まずい。


 視界の端で、首筋にうっすらと光る汗が見えた。

 ブラウスの襟元、わずかに開いたその奥を、見てはいけないと思いながら一瞬だけ視線が滑る。体温が、急に上がる。熱が、腹の底に溜まっていく。理屈じゃなく、男としての本能がざわめく。


 まずい。

 そう思うのに、距離を取れない。

 ほんの数十センチ。

 この横顔を。

 この首筋を。

 この距離を。

 簡単に共有されたくない。


 ほんの数秒の沈黙が、自分のもののように思えてくる。

 もし、ここで他の誰かが割り込んだら。笑って譲れるだろうか。・・・多分、無理だ。

 そんな自分に、薄く笑う。


 壊したいわけじゃない。

 奪いたいわけでもない。


「どれがいいと思います?」


 聞く必要のない問いまで口にしてしまう。

 彩は少し迷ってから言う。


「・・・じゃあ、ピンクを」

「ですよね」


 思わず、笑みがこぼれる。いつもの笑顔に、溜まっていく熱をうまく隠す。


「俺もそれにしました」


 同じ色。それだけの事でささやかな共有になる。

 彩が袋を開ける。細い指先が、包みをほどく。その指先を、無意識に見ている自分に気づく。


「もし甘さが物足りなかったら、黄色もあります」


 まだ続ける。

 自分でも少し可笑しい。


 彩は小さく笑った。


「まずはこれ、いただきます」


 その笑顔を向けられた瞬間、胸の奥がじんわり温かくなる。

 ただ饅頭を勧めただけ。それなのに、何かをもらった気がしている。

 


  ●●



 誠は、その光景を斜め後ろから眺めていた。


 わかりやすい。


 普段は落ち着いている大樹が、今日は違う。

 彩が戻った瞬間の反応。

 一拍も置かず立ち上がる動き。声のトーンがわずかに下がり、柔らかくなる。

 相手の表情を、いちいち確認している。

 笑ったか。

 困っていないか。

 話は続いているか。

 尻尾でもあれば、騒がしく揺れていそうだ。


「どうした?」


 いつの間にか葵がデスクに戻ってきていた。

 向こうでは鈴木の声が続いている。


「今の時期、『若鮎』っていう菓子もあってな・・・」


「・・・どうもしません」


 葵は即答する。

 けれど視線は、無意識にあちらへ戻る。

 誠は小さく息をつく。


「俺、ああいうのできないわ。無理~」


 半分本音だ。あそこまで迷いなく近づけるのは、才能だと思う。

 紫音もいつの間にか戻ってきている。


「誠さんのキャラじゃないでしょ」

「だよな」


 誠は苦笑しながらも、目は逸らさない。

 大樹は鈴木の話に相槌を打ちながらも、体の向きがほんの僅かに彩の方へ傾いている。

 彩が饅頭を口に運ぶと、ほんの一瞬、目がそちらへ動く。


 待っている。

 反応を。


 彩が「美味しいです」と小さく言う。

 その瞬間の、大樹の表情。


 誠は見逃さなかった。


 ああ、これはもう。


 紫音がぼそりと呟く。


「わかりやす・・・」


 言い切らない。


 葵はマグカップを持ったまま、飲むでもなく、机に置くでもなく。

 指先に、わずかに力が入っている。

 視線は落としているが、焦点は合っていない。

 さっきまで会話に混ざっていたはずなのに、今はほんの少し、遅れている。


 向こうで彩さんが笑う。


 ほんの小さな声。その瞬間だけ、葵のまぶたがぴくりと動いた。


 誠はそれを見逃さない。

「どうもしません」と即答した声は、早すぎた。否定する準備を、あらかじめしていたみたいに。強がりだとまでは言わない。


 けれど。


 マグカップを持つ手が、白くなるほど力んでいる。


 机に置く。

 音が、わずかに強い。

 それだけで十分だった。

 葵は何も言わない。ただ、視線を戻さない。見ないという選択。


 それもまた、わかりやすい。


 誠は、静かに目を細める。


 なるほど。

 こっちも、か。

 止める理由もない。

 助言する義理もない。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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