第53話 聖銀の巨槍、絶望を薙ぐ
最上階の重厚な扉を押し開けた三人の視界に、その男――アルグレイドの姿が飛び込んできた。
石造りの広間の中央、高座へと続く階段の上。彼は、この世のすべてを見下ろす絶対的な守護者の如く、圧倒的な存在感を放ち立っていた。
闇に溶けるように流れる長い黒髪が、彼をいっそう浮世離れした存在に見せる。
冷徹な光を湛えた真紅の瞳は、射抜いた三人の魂を凍りつかせるかのようだった。
不気味なほど白い肌は、まるで生者の温もりを一度も知らぬ大理石を思わせ、身に纏った漆黒のローブは、周囲の光をすべて飲み込んで背後の闇と一体化している。
薄く開かれた口元には、残酷な慈悲を孕んだような微笑が浮かび、唇の間から覗く鋭い牙が、彼の本性が夜の支配者であることを物語っていた。
その手に握られているのは、聖銀で造られた巨大な長槍。
虚空を穿つかのように鈍く輝く穂先は、ただそこにあるだけで周囲の魔力を乱し、空間を歪ませている。
彼が一歩も動かぬまま放つそのプレッシャーに、広間の空気は物理的な重さを伴って張り詰め、三人は本能的な恐怖から足を止めざるを得なかった。
超越者の威厳と、逃れられぬ死の予感を同時に体現するアルグレイド。
広間全体が、彼の呼吸一つに支配されているかのようだった。
「ダリスは死んだか」
氷塊が砕けるような、硬く冷徹な声が広間に響き渡る。
「……最後まで使い物にならぬ男だった」
アルグレイドは三人を視線で踏みにじるように吐き捨て、ゆっくりと一歩を踏み出す。
そのたった一歩で、広間の床が激しく軋んだ。
格の違いは明白だった。
ヴァルドが渾身の力で大剣を叩きつけても、巨槍の石突一つで赤子の手をひねるように跳ね返される。
ミリュアの全魔力を込めた魔法も、グレンの疾風の如き爪も、その巨槍が描く不可視の結界に阻まれ、微かな火花を散らすことさえ叶わない。
三人が膝をつき、死の影が濃く立ち込めたその時――
背後の大扉が再び弾け、闇を裂くような眩い援護の光が差し込んだ。
「待たせたな、助けに来たぞ!」
凛とした声とともに現れたのは、折れた黒い角を持つ魔族の青年――ラグナだった。
赤みがかった褐色の肌には戦いの痕跡が刻まれているが、その瞳に宿る光は一点の曇りもない。
彼の背後には、同じく武器を手に取った多くの魔族たちが、怒涛の勢いで整列していく。
「真の敵が誰なのか、彼らに伝えて回った……俺たちも、この理不尽な運命に抗わせてもらう!」
ラグナの言葉は、冷え切った広間の空気を熱く震わせた。
ヴァルドは口元の血を拭い、再び大剣を握り締めて立ち上がる。
「……まだ、希望の火は消えていなかったようじゃの!」
ミリュアの瞳に再び魔力の灯が宿り、グレンの爪が闘志に応えるように鋭く光り輝く。
絶望の淵に立たされた戦場に、反逆の狼煙が上がった。
ラグナたちが持ち込んだのは、加勢という名の「希望」そのものだった。
ラグナ率いる軍勢が加勢し、静まり返っていた広間は一転、怒号と鉄錆が舞う戦闘の嵐に飲み込まれた。
しかし、アルグレイドの強さはなおも常軌を逸していた。
巨槍が閃くたびに真空の刃が奔り、仲間たちの連携をことごとく打ち消していく。
その猛威が、ヴァルドたちの喉元に迫った瞬間――
風を切る鋭い音が響き、一本の矢が吸い込まれるように飛来した。
矢の先端に括り付けられた小さな薬瓶が、アルグレイドの目の前で弾ける。
「ぬっ……!」
立ち込める魔力攪乱の煙に、アルグレイドが初めて体勢を崩し、その絶対的な槍筋を止めた。
「噂を聞き付けて、追いかけてきちゃった。お父さん、私も戦うわ!」
力強く告げる声の主は、獣人の少女――メルティだった。
「メルティ……!」
グレンは目を見開く。
メルティは迷うことなく、次々と矢を番えた。
特殊な薬剤を仕込んだ矢先が、空中で奇軌道を描き、アルグレイドの急所を的確に穿つ。
「不埒な虫けらどもが……この私を、これほどまで煩わせるとは!」
ついにアルグレイドの冷徹な仮面が剥がれ、怒号が広間に轟く。
猛攻はなおも熾烈を極めるが、ラグナの統率、ヴァルドの剛剣、ミリュアの魔法、グレンの爪、そしてメルティの狙撃。
五つの力が、そして意志が一つに重なり、鉄壁だった絶望に、わずかな亀裂が走り始めていた。
そのとき、アルグレイドの瞳に、昏い殺意が宿る。
彼が聖銀の巨槍を天へと掲げると、大気を凍らせるほどの魔力が極光となって溢れ出した。その輝きは神々しいまでに美しく、そして残酷なまでに冷たく広間を飲み込んでいく。
「……くっ、耐えろ……ッ!」
ヴァルドが大剣を盾にするが、巨槍から放たれた魔力の衝撃波は、防壁ごと彼らを蹂躙した。
石床は砂利のように砕け散り、ラグナの兵たちは木の葉のように吹き飛ばされる。
メルティが放った決死の矢さえも、その圧倒的な圧力の前に、触れることすら許されず空中で塵へと帰した。
ミリュアは必死に防御呪文を紡ごうとするが、肺を押し潰すような魔圧に指先が震え、詠唱は悲鳴のように途切れる。
グレンもまた、地を這うような執念で飛びかかろうとしたが、不可視の衝撃に叩き伏せられ、無念に膝をついた。
「……これほどの、力……今までの戦いすら、余興に過ぎなかったというのか……!」
ヴァルドの言葉が、絶望の混じった吐息となって漏れる。
広間に響くのは、砕け散る石の音と、空間を震わせる不気味な軋み、仲間たちの苦悶に満ちた呻き声だけ。
どれほど傷を重ね、どれほど心を一つに重ねても、アルグレイドという巨大な断崖は微動だにせず、ただ冷然とそこに君臨していた。
「……俺たちだけでは……届かないのか……」
かろうじて立ち上がろうとするヴァルドの視界が、絶望の色に染まっていく。




