第48話 希望の灯は、まだ消えていない
「……もう、父ではない。皮を借りた“不死”じゃ」
ミリュアの声は静かだったが、逃げ場は与えなかった。
「うそだ! 父さんだ! ねえ、僕の名前を……呼んでよ!」
フェンの叫びは、白い空気に吸い込まれるだけだった。不死兵は、何の反応も示さない。ただ、ぎこちない動作で刃を握り直し、再び振り上げる。
その切っ先は――迷いなく、フェンへ向いていた。
「……見ろ、フェン。あれはもう、お前の知る父ではない」
ヴァルドが一歩前に出る。
「全部、終わらせる」
フェンを庇う位置に立ち、ヴァルドは聖銀の大剣を構えた。白い雪の中で、その刃だけが淡く光を帯びる。
ミリュアが、祈るように小さく告げる。
「苦しみは、一瞬で終わらせてやれ」
次の瞬間、剣が閃いた。
不死兵の体が揺れ、斬られる刹那――ほんの一瞬だけ、その瞳に人の色が戻る。フェンだけが見た、錯覚かもしれない、確かな温度。
雪に崩れ落ちる影。
フェンはその場に立ち尽くし、震える手で目元を擦った。
涙を拭い、唇を噛みしめて、前を向く。
「……僕は、逃げない。あいつを……アルグレイドを討ち取って、戦争を終わらせる……!」
ヴァルドはゆっくりと頷いた。
「それは俺の仕事だ。希望は、後ろに残すものだからな」
雪原に吹く風は冷たかった。だが、その中に、確かに消えない熱が生まれていた。
◇
五人は、静かにシンダルへと戻った。
村の入口が見えた瞬間、フェンは足を止める間もなく駆け出す。
「フェン――!」
声を上げたのは、待ち続けていた母親だった。
雪を踏みしめ、転びそうになりながらも息子を抱きしめる。その腕の強さに、フェンは小さく息を詰めた。
「……ごめん。勝手なこと、した」
母親は首を横に振り、ひと呼吸置いてから、今度は何度も頷いた。
「……生きてて、よかった」
その光景を、村人たちは黙って見つめていた。
誰もが、目を伏せるようにして生きてきた。不死軍の話題からは目を逸らし続けてきた。
だが――フェンは逃げなかった。
自分よりも大きな恐怖の前に立ち、傷つき、泣き、それでも戻ってきた。
「……あの子が、立ち向かったんだ」
誰かが、ぽつりと呟く。
「俺たちは……ずっと、諦めてただけじゃないのか」
別の声が続き、沈黙が村を包む。
その沈黙は、絶望ではなく、問いだった。
今こそ――立ち向かうときではないのか。
ヴァルドは一歩前に出た。
振り返らず、ただ村の前に立つ。
「俺たちは、先に行く」
背中越しに、静かに言う。
「全部を守れるとは言わない。だが――終わらせに行く」
ミリュアが隣に並び、短く頷いた。
「希望は、まだここにある。わらわたちが、それを証明してこよう」
ダリスは肩をすくめ、いつもの調子で言う。
「帰ってきたとき、胸を張れるようにしておきますぞ」
グレンもまた、村人たちに視線を向け、低く告げた。
「希望は、勝手に生まれたんじゃない。あの子が、恐怖の中で選んだものだ。私はそれを、踏みにじらせない」
やがて、誰からともなく、頭を下げる者が現れた。
続いて、拳を握りしめる者、涙を拭う者。
村は、ようやく前を向いた。
ヴァルドたちは、見送られながら歩き出す。
背中に感じる視線は、もう重荷ではなかった。
それは――託された、希望の重さだった。
◇
四人が雪を踏みしめ、黙々と歩を進めていく。
やがて、白い山肌の向こうに、異質な影が姿を現した。
それは本来、この地にあるはずのない光景だった。
雪と岩の山岳地帯を切り裂くように、黒々とした要塞がそびえ立っている。
城壁は不自然なまでに高く、山の稜線に沿う形で幾重にも巡らされていた。
冷たい石材に、どす黒く濁った魔力の紋様が浮かび上がり、まるで脈打つ血管のように城全体を覆っている。
塔という塔は無駄に尖り、装飾は悪趣味なほど過剰だった。
骸骨を模した彫像、不死兵を象った像、意味を成さない呪文の刻まれた旗が、雪風に煽られてはためいている。
その色は赤黒く、雪原の白を汚すように目に刺さった。
要塞の中心部には、ひときわ大きな主塔が突き立っている。まるで山を嘲笑うかのように、聖銀を産み出す鉱山を丸ごと飲み込む形で築かれていた。
かつて人々が汗を流して掘り進めた坑道は、今やアルグレイドの城の基礎として踏み潰されている。
周囲の空気は重く、息をするだけで胸の奥が冷たく締めつけられる。
雪は降っていないのに、要塞の周囲だけが薄暗く、陽光すら拒んでいるかのようだった。
ダリスが、低く息を吐く。
「……鉱山というより、完全に巣ですな」
ミリュアは目を細め、静かに告げた。
「ここが、不死軍の心臓部じゃ」
ヴァルドは答えず、ただ要塞を見据える。その視線に、迷いはなかった。
奪われたもの、踏みにじられた命、そのすべての先にある場所――。
ついに、辿り着いたのだ。
アルグレイドの要塞、その目前へ。




