第35話 鍛冶師バルグ=グレインハート
火の都グラナフォルジュに足を踏み入れた瞬間、空気が違うことがはっきりと分かった。
鼻先をくすぐるのは、鉄と油、そして微かに焦げた炭の匂い。通りのあちこちから金槌の音が響き、低く腹に響くような打撃音が、街そのものの鼓動のように重なっている。建物は石造りが多く、壁や屋根には耐熱を意識した造りが見て取れた。
「……さすが鍛冶の街じゃな」
ミリュアが小さく息を漏らす。
人通りも多い。人間だけでなく、獣人、魔族、背の高い者もいれば小柄な者もいる。エルグラードと同じく多種族が行き交っているが、ここでは一つだけ、はっきりとした違いがあった。
ずんぐりとした体躯、太い腕、煤に汚れた髭。
「ドワーフ族が多いな」
ヴァルドの視線の先で、数人のドワーフが素材の入った木箱を担ぎ、陽気に言葉を交わしながら歩いていく。鍛冶槌を腰に下げている者も少なくない。
「他の街じゃ、ここまで見かけませんぞ」
ダリスが感心したように周囲を見回す。
「鍛冶といえばドワーフ、じゃからの。ここは、彼らにとっても特別な場所なのじゃろう」
ひとまず三人は通りから一本外れた宿へ向かった。分厚い扉の奥は意外にも静かで、旅人向けらしい簡素だが清潔な造りだった。
荷物を部屋に置き、軽く身支度を整える。
「さて……まずは情報収集だな」
ヴァルドが言うと、二人も頷いた。
「目的ははっきりしていますぞ。この街一番の鍛冶師に話をつけること」
「じゃが、闇雲に探すのは効率が悪い。噂から当たるのが定石じゃな」
再び通りに出ると、熱気と喧騒が身体を包み込む。露店には金属素材や工具が並び、鍛冶場の前では真っ赤に焼けた鉄が火花を散らしていた。
ミリュアは通りを行き交う者の中から、年嵩のドワーフに目を留めると、静かに声をかけた。
「少し、よいかの」
足を止めたドワーフが、彼女を見上げる。
「この街で、腕の立つ鍛冶師を探しておる。聖銀を扱える者がおれば、教えてはくれぬか」
その問いに、ドワーフの目がわずかに細められた。
そして、ひげを指先で撫でながらじっと三人を見比べる。
「……聖銀、か」
低く、岩を擦るような声だった。
「軽々しく口にする名じゃねえ。扱える者も、まして任せられる相手も限られる」
周囲を一瞥し、通りの喧騒に耳を澄ませるようにしてから、彼は一歩だけ距離を詰めた。
「名を名乗れ。話はそれからだ」
「ヴァルドだ」
短く答えると、ドワーフは鼻を鳴らす。
「ほう。で、そっちの嬢ちゃんが聖銀の短剣を持つ“不死”……隠す気もねえらしいな」
ミリュアの目が、わずかに細くなる。
「……見る目があるの」
「鍛冶屋なめるな。刃の匂いと因縁は、鉄より雄弁だ」
ドワーフはふっと笑い、胸を叩いた。
「俺の名はバルグ=グレインハート。この街で一番かどうかは知らねえが、三百年、火と金属とだけ向き合ってきた」
その名を聞いた瞬間、近くにいた別のドワーフが小さく息を呑むのが分かった。
「グ、グレインハート……?」
「おい、あの“火床の主”か……」
ひそひそとした声が、波紋のように広がる。
ダリスが小声でヴァルドに囁く。
「……どうやら当たりですぞ」
バルグは気にも留めず、ミリュアへ視線を戻した。
「で? 聖銀をどうしたい」
一瞬、沈黙が落ちた。
ミリュアは答えず、代わりにヴァルドを見る。
ヴァルドは、胸元に手を伸ばした。革袋の中から、古びた懐中時計を取り出す。蓋には細かな傷が刻まれ、長い時を越えてきたことを物語っていた。
「この中に、聖銀が含まれている」
バルグの視線が、時計に吸い寄せられる。
「……ほう」
「これを溶かして、大剣に加工できないかと考えた」
その瞬間、バルグははっきりと首を横に振った。
「無理だ」
即答だった。
「いや、正確に言やあ……“やっちゃならねえ”。その聖銀、量が足りねえ上に、長年別の役目を背負ってる」
彼は太い指で時計を示す。
「だがな」
その目が、わずかに鋭く光る。
「“聖銀の武器が必要”って話なら、別だ。この街には、まだ聖銀は残ってる」
ヴァルドは顔を上げた。
「……俺たちは、ただ武器が欲しいわけじゃない」
短く、だが迷いのない声だった。
「アルグレイドを討って戦争を終わらせる。そのために、必要な力を探している」
工房の空気が、一瞬だけ張りつめる。
バルグは無言のまま、炉の火へ視線を落とした。
赤く揺れる炎が、その皺深い顔を照らす。
「不死軍の元凶……か」
低く呟き、やがて鼻で笑う。
「厄介な相手に牙を剥こうってわけだ」
ミリュアが一歩前に出る。
「生半可な覚悟ではない。わらわたちは、そのためにここまで来た」
しばしの沈黙。
火が爆ぜる音だけが、工房に響く。
やがてバルグは、ゆっくりと頷いた。
「……なるほどな。話が少し、見えてきた」
彼は通りの奥、赤く揺れる炉の方向を顎で示した。
「条件次第で、打ってやらんこともねえ。もっとも――」
ごつりと足を踏み鳴らす。
「俺が刃を打つかどうかは、持ち主の覚悟次第だ」
ミリュアは静かに息を吐き、短剣の柄に指を添えた。
「……話を聞かせてもらおうかの。火床の主」
バルグは、にやりと歯を見せて笑った。
「いい目だ。嫌いじゃねえ」
火の都の奥で、新たな因縁と選択が、ゆっくりと形を取り始めていた。




