第29話 聖銀を嗅ぎつける者たち
夜明け前の静寂を破るざわめきが、宿の外から微かに聞こえてくる。
物音に気づいたヴァルドは身を起こし、すぐに外套を掴んだ。
「……外が騒がしい」
同時に、ダリスも目を覚まし、ミリュアはすでに気配を察して立ち上がっていた。
三人が宿を出ると、広場の一角に人だかりができているのが見える。
近づくにつれ、低く押し殺した声と、不安げな息遣いが耳に届いた。
倒れていたのは、獣人の行商人だった。
命はあるものの、衣服は裂け、荷は無残に散乱している。袋は徹底的に探られ、底まで引き裂かれていた。
「……聖銀を、探しておったんじゃな。恐らく不死軍の連中であろう」
集まった住民のざわめきの中で、ミリュアが低く呟く。
ヴァルドは唇を噛み、無言で拳を握り締めた。
◇
――翌朝。
市場が開くにはまだ早い時間、宿の中に微かなざわめきが流れ込んできた。
遠くで何かが倒れる音、押し殺したような叫び声。まだ眠りの残る空気の中で、それだけが妙に鮮明だった。
ヴァルドは静かに身を起こし、腰の剣に手を伸ばす。
同時に、ダリスも寝台の上で身じろぎし、ミリュアはすでに気配を鋭くしていた。
「……外、また騒がしいのう」
ミリュアの低い声に、ヴァルドは短くうなずく。
「様子を見る」
三人は足音を殺しながら宿の廊下を進み、軋む扉を押し開けた。
冷たい朝の空気が一気に流れ込み、不穏な気配が肌を刺す。
外へ踏み出した、その瞬間だった。
「きゃっ――!」
聞き覚えのある声が、通りの向こうから響く。
「メルティ!」
三人は一斉に駆け出した。
路地裏で、メルティが壁際に追い詰められていた。
灰色に濁った瞳の不死の斥候が二体、無言のまま彼女に手を伸ばしている。
「行商人……確認……聖銀……」
機械のような声が漏れた刹那、ヴァルドの剣が間に割り込んだ。
「そこまでだ!」
刃が閃き、ヴァルドの一撃が夜気を切り裂く。
同時に、ダリスの拳が地を叩きつけるように振るわれ、重い衝撃が足元を揺らした。
体勢を崩した不死の斥候に、影のようにミリュアが踏み込む。
無駄のない動きで短剣が突き出され、喉元――急所を正確に貫いた。
不死兵は声ひとつ上げることもなく、力を失った人形のように崩れ落ちる。
地に伏したその身体は、もはや二度と動かなかった。
膝をついたメルティの肩を、ヴァルドが支える。
「大丈夫か?」
「……ええ。ありがとう。朝一で品を確認してただけなのに……」
震える声でそう答え、彼女は唇を噛んだ。
周囲に集まる人々の表情は、恐怖と怒りが入り混じっていた。
不死軍は、もはや隠す気もなく街に踏み込んできている。
「行商人を狙う理由は一つじゃ」
ミリュアが、倒れた不死兵を見下ろす。
「聖銀。持ち込む者を、力ずくで洗い出しておる」
ダリスも腕を組み、重く頷いた。
「噂ではなく、現実ですな。不死軍は、相当焦っているようですぞ」
ヴァルドは通りの先を見つめた。
穏やかだったはずの街が、見えない緊張に包まれているのをはっきりと感じていた。
――ここも、もはや安全な場所ではない。
その予感だけが、胸の奥に重く沈んでいく。
◇
朝の光が街路を照らす頃には、明け方の騒ぎはすでに街全体に知れ渡っていた。
荒らされた荷袋、倒れていた獣人の行商人、そして夜明け前に起きた不死軍の斥候との衝突。
市場の準備を始める者たちの顔には、不安と警戒が色濃く浮かんでいる。
ヴァルドたちは、人だかりのできている広場へと向かった。
そこでは、衛兵や街の古参らしき者たちが集まり、低い声で言葉を交わしている。
「……斥候、で間違いないでしょうな」
ダリスが、回収した装備の一部を見つめながら言う。
黒ずんだ金属の留め具には、見覚えのある刻印が刻まれていた。
ミリュアは一目見るなり、表情を険しくした。
「間違いないのう……アルグレイド軍の印じゃ。しかもこれは――」
「ヴィオレッタの部隊、か」
ヴァルドの低い声に、ミリュアは静かにうなずいた。
「やつの配下じゃ。聖銀を嗅ぎつけて、先に目を付けた場所へ必ず斥候を放つ……ヴァルブリーゼの時と同じじゃな」
その言葉に、周囲で話を聞いていた者たちがざわめく。
「じゃ、じゃあ……ここも狙われるってことか?」
「不死軍が……この街に?」
不安が、波紋のように広がっていく。
そこへ、街の代表らしき年配の人間と、魔族の男が並んで進み出た。
二人の間に、明確な上下はない。互いに顔を見合わせ、短くうなずく。
「皆、落ち着いて聞いてくれ」
人間の代表が声を張り上げる。
「昨夜の件は、偶然ではない。聖銀を探るための偵察だ。つまり――」
魔族の男が、言葉を継いだ。
「この街も、すでに戦場の候補に入っているということだ」
空気が、重く沈む。
メルティは荷袋を抱え直し、唇を噛んだ。
「……最近、行商仲間が減ってると思ってた。荷ごと消えた人もいるわ。みんな、聖銀を扱ってた……」
その視線が、ヴァルドたちに向く。
「ここはもう、安全な通過点じゃない」
ヴァルドは拳を握り締め、ゆっくりと息を吐いた。
「逃げれば、被害は広がる。だが、留まれば――戦いになる」
「選ばねばならんのう」
ミリュアが静かに言う。
「この街を守るか。あるいは、被害が出る前に人を逃がすか……どちらにせよ、不死軍は引かぬじゃろう」
ダリスも腕を組み、低く唸った。
「中途半端は最悪ですぞ。覚悟を決めねば、街も人も守れませんな」
広場に集まった視線が、次第にヴァルドたちへと集まっていく。
望んだわけではない。それでも、彼らはすでに――事態の中心に立たされていた。
この街は、通り過ぎるだけの場所ではなくなった。
そう、誰もが言葉にせずとも理解していた。
選択の時は、すぐそこまで迫っている。




