第15話 風裂きの獣と魔族の青年
食事を終えた三人は、風鈴の音を背に外へ出た。
ヴァルブリーゼの中央広場には、風よけの布が張られた円形の掲示板があり、旅人や冒険者が集まっている。
「何か手頃な依頼はあるかのう」
ミリュアが覗き込み、指先で紙をめくる。
ヴァルドはひときわ大きく貼られた内容に目を留めた。
「……“風裂きの獣”の討伐依頼か。高原に巣食う鳥型魔獣だな」
「最近、被害が増えておるらしいですぞ」
ダリスが腕を組み、妙に詳しい口調で補足する。
ミリュアは軽く頬を押さえて微笑む。
「風を裂く魔獣とは……なんだか楽しそうじゃの」
ヴァルドとダリスは同時にため息をつきつつも、どこか呆れ半分で笑った。
「よし、決まりだ。今のうちに巣の近くへ向かうぞ」
◇
三人は高原西部の“風道の崖”へ向かった。風が強く、渦巻く気流が岩肌にぶつかり独特の音を響かせている。
そのとき――
切り立った崖の下で、黒い影が倒れ込んでいるのが見えた。
「誰かおる!」
ミリュアが身を乗り出す。
「魔族……か?」
ヴァルドが目を細めた。
長い耳、赤みがかった褐色の肌。
黒い角が一本折れたままの青年が、風裂きの獣に追い詰められていた。
「くっ……来るな、バケモノが……!」
巨大な鳥型魔獣の風刃が地面をえぐる。
「考えてる暇はない。行くぞ!」
ヴァルドが崖下へ飛び降り、砂塵が舞う。
風裂きの獣が大きく羽ばたき、周囲に鋭い風刃が飛び散る。
ヴァルドは吸血鬼らしい瞬発力でそれをすり抜け、獣の翼へ斬り込んだ。
獣の羽が散り、風圧が弱まる。
「いいですぞ! ヴァルドさん!」
「まだだ……油断するな!」
ウィンドレイザーが翼をはためかせた。
空気が歪む。
「来るぞ!」
瞬間、風刃が横一線に走り、高原の草が帯状に吹き飛ぶ。
ヴァルドは剣で受け止めたが、衝撃で膝が沈む。
「ぐっ……!」
ミリュアは素早く横へ跳び、風刃を回避。
だが、二撃目がすぐ迫る。
「のわっ!? ちょっ、待つのじゃ、速すぎるっ!」
追撃の風圧でミリュアの身体が転がる。
「ミリュア!」
「わらわは無事……っ、でも強敵じゃの……!」
ダリスも拳を構えて飛び込むが、獣の風膜が衝撃を吸収し、拳は弾かれた。
「か、硬いですぞ!? 風で守られてますな!」
ウィンドレイザーは上空へ跳び、旋回しながら急降下してくる。
風圧がひとつの槍となり、地面がえぐれた。
これでは接近すらできない。
(誰かが隙を作るしかない……)
「わらわに任せるのじゃ!」
ミリュアが右手を掲げ、風と逆らうように青い光を放つ。
「風よ、鎮まりて――“氷縛の鎖”!」
輝く氷鎖が地面から伸び、獣の脚を絡め取った。
「今ですぞ、ヴァルドさん!」
ダリスが叫ぶ。
ヴァルドは一気に跳躍し、獣の首筋に剣を突き立て、そのまま地面へ叩きつけた。轟音が響き、魔獣はやがて動かなくなった。
「ふぅ……危なかった……のう……」
ミリュアはその場に座り込み、乱れた呼吸を整えた。
ヴァルドは彼女の肩を支える。
「無茶をしたな」
「ふふ……ぬしらなら、信じられるであろ」
◇
ヴァルドが倒れていた青年に駆け寄り、抱き起こす。
「大丈夫か?」
青年は赤い瞳で三人を見上げ、戸惑いながらも礼を述べた。
「……助けてくれたのか。ありがとう。俺はラグナ。風谷の魔族だ」
「わたくし、ダリスでございますぞ! こちらはヴァルドさんとミリュアさん!」
ダリスが得意げに紹介する。
ヴァルドは警戒を解かずに言った。
「なぜこんな場所に?」
「……本当は、人間の街と取引をするつもりだったんだ」
低くかすれた声で告げる。
「だが……最近は緊張が高まっている。俺たち魔族は、街に近づいただけで追い返されるようになった」
ラグナは悔しげに唇を噛む。
「それでも諦めきれなくて、物資を求めてヴァルブリーゼの近くまで行ってみたんだ。だが……街の外れで、あの風裂きの獣に襲われて──」
どこか遠くで、風車の羽根が軋む音が響いた。
高原を吹き抜ける風は、さっきまでの戦闘熱を嘘のように冷たかった。
ラグナの視線は、ヴァルドたちの背後に広がるヴァルブリーゼの街へ向けられていた。
その瞳には怒りではなく、深い疲労と諦めがにじんでいる。
「争うつもりなんてなかった。俺は……ただ、仲間のために薬草を手に入れたかっただけなんだがな」
ミリュアは小さく息を吸い、ためらいがちに手を差し出した。
水色の瞳が揺れる。
「……それでも、ぬしは助かった。生きておる。なら、まだ未来は変えられるかもしれん」
ラグナはその手を見つめ、しばし動かなかった。
風が二人の間をすり抜ける。
やがてラグナはそっと手を重ねた。だがすぐ離す。
「……いつか礼を返す。また会うことがあればな」
ヴァルドが一歩踏み出そうとすると、ラグナはすでに背を向けていた。
黒い外套が風にたなびく。
「気をつけて行けよ。高原の風は……人間と魔族の心すら裂くことがある」
それだけ告げると、ラグナの姿は風の谷の白い霧に溶けるように消えていった。




