黒竜王様の住処
洞窟を抜けた先は、緑が溢れた幻想的な世界だった。まるで、絵本から抜け出したかのような光景に、私は自然と足を止め立ち尽くす。
私は一生、この景色を忘れないと思う。
そう確信する程に、目の前の光景に心を奪われていたの。
なんて表現したらしたらいいのかな、感嘆の言葉さえ思い浮かばない。綺麗とか、素敵とかの言葉で表現出来ない程の美しさだった。
そしてその光景は、心に、魂に、鮮明に焼き付けられた。それぐらい、黒竜王様の住処は衝撃的な場所だったの。
森とまではいわないけど、所々木が生えていて、人が二人ほど並んだくらいの、細い道があった。道の脇には石で出来た塀みたいなものも、ちらほら見える。
ここに家が何戸か建っていたら、村って紹介されてもおかしくない、そんな場所。
夜なのに、そこまで見えるのって不思議だよね。月明かりと仄かに光る小さな光の玉で、この場所全体が、薄っすらと光っていて、細部まで確認することが出来た。
「……ここは? それに、これは月明かり」
「ここは、元噴火口だ。今は死火山だがな。あの光る玉は妖精の足跡とタルノだ」
タルノは綺麗な水辺でしか生息出来ない昆虫。ほんの少しでも水が汚れたら、死んでしまうの。昼間は水辺の草に隠れているのだけど、陽が暮れたら出て来る習性があって、その時お尻が光ってるんだよね。
「タルノは分かるけど……妖精がいるのですね」
(始めて見たよ、妖精の足跡)
「特に珍しくもないだろ?」
「いやいや、とても珍しいですよ!!」
興奮しちゃって、黒竜王様の言葉を否定してしまった。
だって、学術書の中では、妖精の存在はさほど貴重なものだと捉えてない。だけど、実際、目撃例が皆無なせいで研究が進んでいないの。存在しないと考える学者もいる。特別に見る力が必要なのかと考える者もいたりする。
『それはしょうがないよ。妖精は人を警戒しているからね。寧ろ、天敵って捉えてるから。それに妖精って、自然の力が満ちている所を好むしね。反対に、人は便利さを求めるから、自然と接点は持ちにくいよね。姿は、ある程度の魔力があれば見えるよ』
ハクアが教えてくれた。
「なるほどね……すっごく避けているだけでなく、生息場所が真逆なら、余程の凡ミスか幸運じゃないと遭遇しないってことか」
納得した。タルノの生息地には、普段は人が立ち入るのを躊躇うような奥地だからね。妖精もそういった土地を好むなら、人族と接点はないわ。
(つまり、黒竜王様の住処はそういう場所にあるって事ね。まぁ、噴火口だしね。どうりで、空気が澄んでるはずだわ)
「ユーリア、我の住処はなかなか良いだろ」
黒竜王様が自慢気に言った。
「とっても、素敵です!!」
間髪入れずに答えたよ。だって、そう思ったから。
「そうか、そうか、そう言ってもらえると、我も嬉しいぞ。さぁ、家に案内しよう」
(黒竜王様、とっても嬉しそう。この地が大好きなんだって伝わって来るよ。その気持ち、少し分かるな)
機嫌が良い黒竜王様に案内されて着いた先は、こじんまりとしているけど、懐かしいと思えるような丸太で出来た家だった。
家の前には、花とかは植えてはいないけど畑があって、その脇には小川が流れていた。そして、畑の側には、さっき食べた赤い果物の木と緑の果物の木が植わっていた。
「……灰色狼さんが持って来てくれた果物って、ここのだったんだ」
小さい声で呟いたのに、黒竜王様には届いたみたい。
「美味しかったであろう。リコの実とシナの実の原木じゃ」
原木って言われても、よく分からない。でも、凄く貴重なものだっていうのはよく分かったよ。
「貴重な物をありがとうございます、黒竜王様」
「まだまだ一杯あるぞ。食べるか?」
黒竜王様がそう訊いてきた時だった。
ドアが開いた。中から出て来たのは、メイド服を着た人形のような綺麗な女性だった。
「お帰りなさいませ、主様。聖獣様と姫巫女ユーリア様ですね、お待ちしておりました」
(姫巫女?)
メイドさんは頭を軽く下げ、私たちを室内に招き入れてくれた。
「あ、ありがとうございます」
ハクアに訊ける雰囲気ではなかったので、お礼を言ってから室内に入る。
室内も温かいものだった。どこか家庭的で、木の良い匂いと甘い匂いがする。
所々に優しさを感じるのは、このメイドさんと黒竜王様の人柄なのかな。そんな人柄の黒竜王様が、強引な行動に出た事に、少しだけ違和感を感じた。
「適当に座ってくれ」
そう促されて、私は近くにあった木の椅子に座った。私の隣の木の椅子に抱いていたハクアを下ろす。灰色狼さんとリスさんは床の上でくつろいでいた。
(腹吸い、させてくれないかな……)
そんな事を考えていると、メイドさんが紅茶を淹れてくれた。
マグカップに注がれた紅茶から、リコの実の香りがする。良い匂い。始めてだった。貴族様はバラとかジャムを入れたりするって聞いた事があるけど、代わりにリコの実を入れたのかな。
「いただきます」
そうお礼を言ってから、一口飲んでみた。口一杯に、リコの実の瑞々しい香りと甘さ、ほんのりと酸っぱさが広がったの。自然と笑みが溢れる。
「美味しい!! とっても、美味しいです!!」
感嘆の声を上げると、少しメイドさんの目が吃驚したように大きくなった。だけど、直ぐに人形のような表情に戻った。
「ありがとうございます、ユーリア様」
メイドさんは嬉しかったのかな、テーブルの上に、リコの実を使ったお菓子とケーキが何皿も並んだの。
人間、美味しい物を食べてる時って、すっごく顔が緩むんだよ。だから、私の顔もだらしない程に緩んでいたと思う。少しでいいからお土産で貰えないかな。セシリアたちにも食べて欲しくなった。
「マヨイ、いくつかお土産用に包んでおけ」
「畏まりました」
奥に引っ込んじゃった。マヨイっていうんだ、あのメイドさん。奥に引っ込めたって事は、話が始まるのかな。灰色狼さんとリスさんも奥に移動する。
「まず、このような強引な真似をしてすまない」
向かいに座った黒竜王様は、マグカップをテーブルに置くと、固い声でそう切り出した。
(やっぱり、どうしようもない理由があったんだね)




