長い夜になりそうだな(ハクアSide)
深夜、ユーリアが深い眠りに入ったのを確認してから、僕は音を立てずに部屋を抜け出した。向かう先は下僕であるライドの部屋だ。起きていようがいまいが、僕には関係ない。
ライドは事務作業をしているのか、ガラスペンの音が室内に響いていた。僕の気配に気付いたのか、ライドは作業を中断し、僕の前で片膝を付いた。
服従の姿勢。だからなんだ。気にせず、僕はライドに声を掛ける。外に声が漏れないように結界を張る事も忘れない。
『あれをどうするつもりだ?』
主語もなしに、ただの要点のみ伝える。そこに、僕の怒りが滲んでいた。
そう、僕は怒っていた。
メルセの街もそうだが、学園入学の準備などでユーリアが外出する度に、自分たちの後を追い監視しているハエがいる事にたいしてだ。
それを排除出来ていない事に、静かに怒りを増していた。
僕にとって、一番大事なのはユーリアだ。当然、優先順位もユーリアが一番に決まっている。聖王国なんて下の下だ。ユーリアが住んでいるから、護ろうと思える。
それ程大切なユーリアが、害される恐れがある。
僕にとってそれは、到底許される現状ではなかった。
同時に、その恐れを排除出来ない下僕のライドとジュリアスにも、怒りの矛先を向けた。とはいえ、ライドとジュリアス以上に、優秀な者はこの大神殿にはいない。それが、尚自分を苛立たせた。
聖獣である僕の怒りの圧をまともに受けても、苦痛の声を噛み殺し耐える態度に、更に苛立ちが増す。完全な八つ当たりだが、それがどうした。
「雇い主は、既に把握しております」
それは、明確な答えになってはいない。僕が求めている答えは、今直ぐ排除するだ。僕はマズルに深い皺を寄せ、ライドを恫喝する。
『その答えに、僕が納得するとでも思っているのか』
「納得して頂くしかありません、今は」
その返答に、僕は声を荒げた。
『何かあったら遅いのだぞ!! メルセの街のような醜態を繰り返すつもりか!!』
その台詞に、ライドは僅かだが表情を歪めた。
それは自分に対しての怒り。そういう人間だからこそ、僕は同行を認めた。人間の中では、まだマシな方だからな。
「今は我慢して下さい、聖獣様。どうしても、確かめなければならない事があるのです。ハエどもの雇い主が何を知りたいのかを。そして、何を掴んでいるのかを」
(それによって、対処を変えなければならないという事か)
『……それは、ユーリアが【聖女スキル】を持った少女か、【姫聖女】かという事か?』
【姫聖女】
それは、聖獣が自ら選び、傍にいる事を許した聖女を称してそういう。
聖女の中でその者は最高位の位を持ち、敬われる存在。この聖王国において、最重要人物でもある。簡単に言えば、聖王国国王よりも、教皇よりも尊い存在だという事だ。
そしてその事を、ユーリアはまだ知らない。
「そうです。それによって、対処法が変わります。【聖女スキル】持ちを囲い込もうとしているだけなら、通常の対処で事足りますが、【姫聖女】である事に少しでも疑念を抱いているならば、早急に踏み込んだ手を打つ必要があります。誰から漏れたのか、誰かに話したのか、気になりますから。ただ……」
ライドが言い淀む。その理由は容易に想像出来た。
『……王室か』
「はい。彼らが動けば、疑念が更に濃くなります。要らぬ憶測も生まれます。平民の聖女候補を王室が取り込もうとしている。明らかに、おかしい動きですから。今年の聖女候補の中には、公爵家と侯爵家の方がおられますのに。ましてや、二学年上には、王女殿下が在籍されています」
ライドの台詞に、僕は大きな溜め息を吐いた。
『全く、王室ってやつは、厄介事しか生み出さない……分かった。そっちは僕が抑え込む。事実を教えて脅してもいいし、やりようはいくらでもある』
「……その顔、私とジュリアスの前だけにして下さい」
『ライドに言われなくても分かってるよ』
僕の台詞に呆れ顔をするライドを残し、僕はまず教皇の元に向かった。長い夜になりそうだなと思いながら。




