メルセの街(2)
(聖獣様の声を聞いてから、どれくらい経ったのかな? 十分……三十分、それより長いの。それとも、短いの?)
大丈夫だと信じていても、怖いものは怖い。焦る気持ちと恐怖のせいで、時間の感覚が麻痺してきて分からなくなっていた。手先が氷のように冷たい。
極度の緊張感の中、街の喧騒も聞こえない状態でいる事は、かなり身体と心に負担が生じた。
想像したくはないけど、想像してしまう。
悪いおじさんが近くにいるかもしれない。まだ、私を探しているかもしれない。最悪な事を想像してしまって、様子を伺う事すら出来ない。
そんな中でも、音を立てずに待ち続ける。今の私がやるべき事はそれしかないから。
皆が、私を助けに来てくれるまでは――
コンコン。
早く助けに来てくれますようにと祈る私の耳に、空樽を叩く音がした。
(まさか、見付かったの!?)
全身に緊張が走った。身体が強張る。そのせいで、反射的にビクッと身を竦ませてしまった。ずっと音を立てずにいたのに、その拍子に肘が空樽にぶつかってしまう。
(しまった!!)
声を上げそうになって、咄嗟に両手を口に当てる。また、空樽に肘をぶつけた。我慢出来ていたのに、ガタガタという音が頭上から聞こえてきた。誰かが蓋を外そうとしている。
(止めて!!)
必死で外されないようにしようとしたけど、掴む所がなくて無理だった。私は頭を抱えて震える。
『…………ったね。大丈夫だよ。安心して、ユーリア』
(……聖獣様?)
声を認識したと同時に蓋が開いた。
飛び込んでくる聖獣様。蒼白な顔色をしたジュリアス様とライド様が、空樽を覗き込んでいる。私はそれを、茫然と焦点の合わない目で見ていた。
『ユーリア!!』
「「ユーリア様!!」」
遠くから皆の声が聞こえてきた。必死で私の名前を叫んでいる。
その声が、一際大きく聞こえた瞬間だった。
何かに弾かれたように、目の前がパッと明るくなったの。まるで、霧がはれたみたいに。すると、胸がギュッと痛くなって目頭が熱くなった。ボロボロと涙が溢れ落ちる。堰を切ったかのように大泣きしてしまった。こんな泣き方をしたのは、生まれて始めてだった。
『もう大丈夫。怖かったね。頑張ったね。怖い思いをさせてしまってごめんね』
頬を伝う涙を舐めながら、聖獣様は何度も私に謝った。
「迷子になった私が悪いの」って言いたいのに、声にならない。
泣きじゃくる私を、ジュリアス様が空樽の中から出してくれた。地面に下ろされた私をライド様が抱き締め、聖獣様と一緒に謝り続けた。声にならない私は、何度も首を横に振り、聖獣様とライド様の服を摑んだ。
泣き止まない私をあやすように、ジュリアス様に抱っこされた。温かい体温と背中を軽く叩く感触、心臓の音に安心して、いつの間にか眠ってしまった。
目を覚ましたのは、夕方だった。
『ユーリア!! 大丈夫!? 何処か痛い所ない!? 気持ち悪くない!?』
目を開けた途端に、白いモフモフが視界一杯に広がっていた。
「……大丈夫だよ。何処も痛くないし、気持ち悪くもないよ。ありがとうね、助けてくれて。皆が助けに来てくれて、すっごく嬉しかった」
白いモフモフの頭を撫でながら、私は微笑む。視界の端に、ジュリアス様とライド様の姿を見付けた。二人ともまだ青い顔をしていたけど、ホッとしている様子だった。
『当然だよ!! ユーリアは僕の聖女で、仲間なんだから!!』
(仲間か……)
そっちの方が嬉しい。僕の聖女よりも。
「うん、そうだね……迷子になって、皆に迷惑を掛けてしまって申し訳ありませんでした」
頭を下げ謝る。
『ユーリアは悪くない』
聖獣様は責任感が強くて優しいから、自分を責めてるのかもしれない。声が固くて厳しかったから。私は聖獣様の頭を撫でながら否定した。
「私が悪いの。私が恥ずかしがって、ライド様の手を握らなかったのが原因なの。聖獣様やライド様のせいじゃない、全部、私の無知のせい。私が起こした事なの。だから、私が悪いの」
自分が原因だと、何度も伝えた。そうしないと、聖獣様もライド様も責任を感じてしまう。特に、ライド様は皆から責められそうだもの。下手したら、私から離されてしまうかもしれない。それだけは嫌だった。
『ユーリア…………分かったよ。ライドは外さない』
「ありがとう、聖獣様」
その台詞に安心したのか、また眠くなってきたよ。
その様子に気付いたジュリアス様が、「今は、ゆっくりとお休み下さい」と言ってくれたので、私は安心して目を閉じた。だから聞こえなかったの。聖獣様の呟きが。
『…………ユーリアがこんな目に合う可能性を考慮していなかった、僕の落ち度だ。もっと早く、名前を付けてもらうべきだった。そうすれば――』