第3話 舞踏会での衝突①
待ちに待った大舞踏会の当日、王宮の広間は早朝から慌ただしく準備が進められていた。鮮やかな織物で飾られた壁には、国の紋章とともに大きなステージが据えられ、その周囲にはダンスバトル用のフロアが広がる。幾重にもシャンデリアが吊り下げられ、さながら星空を切り取ったような光が床を彩っていた。
王家主催の舞踏会は、華やかなワルツやフォーマルな音楽がメインとなるのが通例だ。しかし、この国の独特なヒップホップ文化が根付いた近年では、ダンスバトルとラップパフォーマンスこそが最大の見どころ。今回、王太子ラファエロがホストを務めるとあって、貴族も平民も問わず幅広い来客が詰めかけることが予想されていた。
クリステラ・バリントンは、控室として割り当てられた王宮の一室で入念に支度を整えていた。豪奢なドレスとヒップホップスタイルを融合させた衣装は、彼女がデザイナーと共に何度も打ち合わせを重ねた自信作だ。踊りやすさだけでなく、遠目にもわかる圧倒的な華やかさを兼ね備えている。
付き人のリアンナがそんなクリステラの周囲を回り、細かな調整を施していく。
「仕上がりは完璧ですね。ドレスのすそも動きやすいようカットしてありますし、新調した靴も問題なさそうです」
「ええ、ありがとう。今日こそ、全ての人に見せつけてあげるわ――私が“女王”としての実力を」
クリステラは言い切るようにそう宣言すると、鏡の中に映る自分の姿に鋭い視線を落とした。前回のパーティや練習会を通じて、否応なく意識することになった平民出身のダンサー、ミルラ。彼女の純粋で伸びやかな踊りに苛立ちを覚える一方、どこか胸が高鳴るのも事実だ。
この大舞踏会でこそ、その力の差をはっきりと証明してみせる――そう燃えるような決意が、クリステラの瞳に宿っている。
一方その頃、ミルラは王宮の廊下を落ち着かない面持ちで進んでいた。袖口にあしらわれた小さなレースが、普段の彼女の装いには似合わないほど気品を醸し出している。平民の彼女がこんな場所に呼ばれるなど、夢にも思わなかったはずだが、いつの間にか注目される存在となり、王太子直々に「思う存分踊ってほしい」と招待を受けてしまったのだ。
「これって、すごいチャンス……だよね。でも、めっちゃ緊張する……」
廊下を曲がると、ミルラの視界に豪華な装飾が連なる広間の入口が見える。あちこちから聞こえるビートのリハーサルや、音響スタッフらしき人々の打ち合わせの声が混ざり合っていた。
そんな中、遠目に見るだけでも華やかさが伝わる来場者たちが集まっており、その多くが貴族の雰囲気を漂わせている。けれど、平民らしきダンサーもチラホラと姿を見せていて、誰もがそれぞれに胸を弾ませているようだ。
「平民だって、王宮で踊ることができる。……そうだよね、私もやるしかない!」
何度も自分を奮い立たせるように呟いていると、楽屋担当の係員に案内され、控室へと通される。そこには同じくダンスやラップで名を馳せる若者たちが何人かおり、それぞれ衣装を直したり、ウォーミングアップをしたりしていた。
やがて、夜の帷が降り始めるころ、王宮のメインホールにはたくさんの貴族や招待客が集まり、あちこちで華やかな挨拶が交わされる。そして定刻。高らかなファンファーレに乗せて、司会進行役の貴族が壇上に立った。
「さあ、皆様、お待たせいたしました。これより王太子ラファエロ様の主催により“ダンス&ラップバトル大会”を開幕いたします!」
拍手喝采が巻き起こり、場内のテンションが一気に高まる。王太子ラファエロがステージに現れると、その華やかな存在感だけで周囲の空気が変わった。
「皆さん、今夜は最高の夜にしよう。格式ばったパーティもいいけれど、この国に根付く自由なビートとリズムを、存分に感じ合ってほしい!」
優美な姿勢でマイクを握り、そう語りかけるラファエロに、誰もが期待の眼差しを向ける。そして彼は、特別席に座る来賓らの前へ歩み寄り、さらに口を開いた。
「このバトル大会では、貴族も平民も関係なく、その実力と表現力を競い合ってほしい。もちろん見るだけでも構わないけれど、せっかくなら踊って、歌って、楽しもう。まずはエキシビションとして、私が選んだ注目のダンサーたちを紹介しよう」
会場がざわつく中、ラファエロが名前を読み上げる。その中には当然、クリステラ・バリントンとミルラも含まれていた。二人の名がアナウンスされると、ひときわ大きな拍手と期待の声が上がる。
「では、ステージへどうぞ!」
呼び込まれて舞台に上がるクリステラとミルラ。対照的な衣装と雰囲気でありながら、そこに立つ姿はどこか引き合うように鮮烈だった。貴族としての気品をまとったクリステラが光なら、飾り気の少ないミルラの姿は風のように軽やか。二つの異なるテイストが今、同じ場所で火花を散らそうとしている。
まずはクリステラが軽やかなステップで中央へ進む。ふわりと裾の広がるドレスが、ヒップホップのビートと不思議に融合し、観客の目を奪う。拍手が自然と起こる中、彼女はマイクを手に取り、トラックのリズムが鳴り始めるのを合図にラップを紡ぎ出す。
「貴族のエレガンスに 込める鋭い矜持
優雅なドレスに 宿る情熱の本質
華やぐステージ 私が奏でるフロー
身分の垣根を超えて 轟かすショウ
王宮の夜に 花開くダンスの韻
ラップで示すわ この体に刻む誇りの印
ミルラ? その才能は認めてあげる
でも頂の座は 渡さない、見ててあげる」
韻を踏むたびに拍手と歓声が膨れ上がり、クリステラは余裕の笑みを浮かべる。王太子ラファエロもステージ脇でうれしそうに拍手を送っていた。
続いて、ミルラが少し緊張した面持ちで前に出る。しかし、その瞳には恐れよりもやる気が宿っている。トラックが繋がるように続くと、ミルラは体を揺らしてビートを感じ取り、ためらいなく言葉を放った。
「まだ見習いの身 だけど夢は無限大
この場で踊る姿 そこに嘘はない
貴族の華やかさ それも素敵だけど
私は私のままで 高みを目指したいよ
一歩ずつだけど 確かに進むんだ
枠にはまらず 笑顔で踊るのが私のスタンダード
クリステラ様の華 まぶしいほど輝いてる
でも私だって 心の炎は消せやしない」
拙いところもあるものの、ミルラのラップには彼女の素直さと内なる熱が感じられる。拍手はクリステラのときほど圧倒的ではないが、それでも温かい歓声が沸き起こった。
両者がステージを下りるころ、会場は早くも高揚感に包まれていた。
その後、公式の乾杯や来賓の挨拶など、舞踏会としての進行が行われる。煌びやかな装いの貴族たちがグラスを掲げ、軽やかな音楽が一時ホールを満たした。しかし、人々の意識はやはりバトル大会に向いており、ラップやダンスのセッションが始まるのを心待ちにしている。
そうしてメインイベントの時間がやってきた。舞台にはラファエロと司会進行役が並び立ち、ダンス&ラップバトルがいよいよ開幕となる。複数の組が交互にパフォーマンスを披露し、観客の歓声や審査員の得点で勝者を決める形式。貴族も平民も混ざり合い、華麗なトリックから奔放なフリースタイルまで、バリエーション豊かなパフォーマンスが次々と繰り広げられる。
その熱気に引き込まれるように、観客たちも体を揺らしたり、手拍子を打ったりして楽しんでいた。
クリステラは、余裕の表情で控室のモニター越しに他の組のパフォーマンスを見つめる。どのダンサーも、かつてないほどハイレベルだ。しかし、まだ彼女が本気を出せば負けることはない――そう確信していた。
やがて自分の順番が近づくと、付き人のリアンナが声をかける。
「クリステラ様、もう少しで出番です。準備はよろしいでしょうか」
「ええ、問題ないわ。最高のステージにしてあげる」
再び衣装を整え、真紅のルージュを軽く引き直すと、クリステラは舞台袖へ向かった。その直後、ちょうど先の組で踊り終えたミルラの姿がステージ裏を通り過ぎる。息は上がっているが、瞳はやはり輝いているように見える。
クリステラとミルラの視線が一瞬交わった。互いに言葉は交わさないまま、すれ違いざまに火花が散るような空気を感じる。
「次の組、準備はいいか?」
スタッフの声に、クリステラは毅然と頷いた。いよいよ、自分の真骨頂を見せる時だ。
ステージに上がったクリステラを迎える拍手は大きい。王太子ラファエロも期待に満ちた表情でこちらを見つめていた。手にしたマイクを静かに握りしめ、DJに合図する。
瞬間、濃密なビートが会場を震わせ、照明が一斉にクリステラを照らした。華麗な衣装がきらめき、彼女は舞台の中央へと進む。
「皆様、ごきげんよう。これが私の“本気”ですわ」
そう言い放った刹那、ドレスの裾が大胆にめくれ、まるでステージ衣装のように踊りやすいフォルムへと変形した。観客が息を呑む間もなく、クリステラは足をさばき、力強いステップとしなやかなアームワークでステージを制圧していく。
その上で繰り出されるラップは、これまでにも増して鋭く、洗練された韻が畳みかけるように流れる。
「高貴なる血筋と 熱き魂のフュージョン
ここにいるだけで 示すエボリューション
王宮のフロア 私が揺らしてみせる
これがクリステラ その名を刻みつける
踊りは優美に ラップは刺激的
誰もがひれ伏す 頂点の美学
声援の渦に 溶け込むこのビート
一度味わえば 二度とは離れられないシート」
クリステラのパフォーマンスが進むにつれ、観客の熱狂も最高潮に達していく。貴族的な気高さと、ストリートの激しさを融合させた独特のスタイルが、この場の空気を支配していた。
フィニッシュに近づくと、周囲の照明がさらに明るさを増し、まるで光が彼女ひとりに集中しているかのような演出が施される。真紅のドレスが舞い、クリステラは最後の決めポーズをとった。
盛大な拍手と歓声が巻き起こり、「クリステラ様、ブラボー!」という声があちこちで響く。彼女はゆるやかに呼吸を整えながら、うっすらとした微笑みを浮かべ、深々と一礼した。
それを見つめるミルラは、舞台袖で圧倒される気持ちを噛み締めていた。すでに自分の出番は終えているが、クリステラとは段違いの完成度。こうして改めて目の当たりにすると、底知れない壁を感じずにはいられない。
「やっぱり……すごい。私があんなに踊れるようになるには、どれだけ練習すればいいんだろう」
ステージ中央のクリステラがまぶしく見える。だが同時に、自分だってもっと上に行きたいという欲求がむくむくと湧き上がる。どこかで恐怖と向き合いながらも、ミルラは拳を握りしめた。