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第2話 ミルラの台頭①

 翌日、クリステラ・バリントンはいつものように朝の稽古をこなしていた。敷地内の広大な練習用ホールは、公爵家の贅を尽くした立派な造りで、巨大なシャンデリアが下がり、壁面には華麗な装飾が施されている。だが、そこにはジュークボックスとターンテーブルが常備され、日々ヒップホップのリズムが鳴り響いていた。


 朝食を終えた使用人たちは、クリステラのトレーニング時間に合わせて機材の準備を始める。豪奢なホールの中央で、クリステラはすでにストレッチをしており、付き人のリアンナが黙々と音楽のセットを手伝っていた。


「リアンナ、頼んでいた新しいトラックの準備はできている?」

「はい、DJにお渡ししています。すぐに再生できるはずです」

「ありがとう」


 クリステラはすらりと伸びた脚を軽くほぐしつつ、深呼吸をする。その顔に浮かぶのは、自信の裏に宿るわずかな焦燥感。昨日の「モーニング・ラップ・セッション」でミルラを見たときから、なんとも言えない落ち着きのなさが尾を引いていた。


 音楽が流れ出すと同時に、クリステラは鋭い動きでビートを刻み、続けざまにターンやステップを決める。周囲で見守る使用人やダンサーたちは、その完璧な動きに目を奪われる。豪華な衣装に身を包んでいなくとも、彼女が貴族社会の頂点に立つダンサーだという事実に疑いの余地はない。


 だが、クリステラ自身はもっと上を目指すかのように、さらなる完成度を追い求めている。それこそが彼女のプライドであり、存在理由でもあった。


「もう少しテンポを上げてちょうだい。細かなビートも感じ取りたいの」

「承知しました」


 リアンナがDJに合図すると、ビートはよりアップテンポになり、重低音も増す。ホール全体に響きわたるその振動を、クリステラは全身で受け止めるように踊った。いつもなら、そのままラップに入りたい衝動が自然と湧き出すのだが、今日はなぜか言葉がうまくまとまらない。


 彼女は軽く舌打ちをしそうになる気持ちを抑え、ダンスだけに集中する。そして曲が終わると同時に、はぁ、と息を整えた。


「……悪くない動きだったわね。けれど、何かこう……足りないわ」

「クリステラ様のご調子が優れないのでしょうか?」

「別に体調は問題ないわ。ただ……」


 ミルラという少女の踊りが脳裏をかすめる。昨晩も何度となく思い返し、自分なりに分析してみたのだが、言葉で説明しきれない「感覚」があった。あれは“貴族の踊り”でも“上級の技術”でもない。なのに、まるでステージの光をさらってしまうかのような輝きがある。


 クリステラは立ち上がり、棚に置いてあるペットボトルの水を口に含む。余分な考えなど切り捨て、自分の道を突き進めばいい。そう強く思いこもうとするが、胸の奥から抑えきれない棘が疼くように突き上げてくる。


「ねえ、リアンナ。王太子ラファエロ殿下は、最近あの子――ミルラとどこかで共演したりしているのかしら」

「そこまでは耳にしておりませんが、宮廷のダンス練習に招かれたという噂は聞きました。殿下の周囲も、あの子の独特なリズム感に注目しているようです」

「そう……」


 まさか、王宮の練習場にまで出入りしているとは。クリステラはなおさら気が騒ぐ。そう簡単に崩れる自負はないけれど、どこか落ち着かない。


 するとちょうどそのとき、屋敷の扉が開いて執事が駆け寄ってきた。


「クリステラ様、今しがた王宮からの使者がいらっしゃいました。殿下が“若手ダンサーとの交流練習会”を催されるそうで、クリステラ様にもお越しいただきたいとのことです」

「練習会……?」


 クリステラは眉をひそめながらも、心の奥底で期待めいたものを感じていた。もしかすると、そこにミルラが参加するのではないだろうか――そう思うと、むしろ都合がいい。彼女の技量を見極められるチャンスにもなるし、貴族としての格の差を見せつける場でもある。


「わかりました。ありがたいお誘いね。すぐに準備するわ」

「承知いたしました。こちらの日程で……」


 執事は詳細の書かれた書簡を手渡してきた。そこには、王太子ラファエロの名で「ダンスとラップの新世代を切り開く者たちに、貴族・平民を問わず門戸を開く」といった趣旨の案内が記されている。日程は明日。場所は王宮の専用ダンスホール。


 クリステラはそっと書簡を読み進め、最後に殿下自らが手書きしたと思われる一文を見つける。


「君の力を存分に振るい、この国の未来を彩るステージをともに作ろう」


 柔らかな筆致で書かれたその一言が、クリステラの胸を微妙にくすぐった。


 


 翌日。王宮の練習ホールは、想像以上に多様な参加者で賑わっていた。貴族の子弟を中心に、これから頭角を現しそうな平民ダンサーたちも大勢招かれている。クリステラがホールに足を踏み入れると、すぐに視線が集まった。


「クリステラ様だ……!」

「やはり優雅なオーラが違うわね」


 ひそひそと囁きあう声が聞こえるが、彼女は気にするそぶりも見せず、堂々と歩を進める。リアンナをはじめ、数名のバックダンサー役の仲間も同行していた。


 見ると、広いフロアの一角にはラファエロが立っており、ダンサーたちに何やら声をかけている。その向かい側――ちょうど目立たない位置で、ミルラが身体を軽く動かしながらビートを取っていた。


 クリステラはその姿を視界に捉えた瞬間、なぜか心臓が軽く跳ねるような感覚を覚える。シンプルな衣装に身を包んだミルラは、やはり特別に華美というわけではない。けれど、踊る前からすでに彼女の周囲には明るい雰囲気が漂っていた。


「ようこそ、クリステラ」


 ラファエロがこちらに気づき、穏やかな笑みを浮かべる。


「殿下、ご招待ありがとうございます。存分に力を発揮させていただきますわ」


 クリステラが礼を言うと、ラファエロはうれしそうにうなずく。周囲の貴族ダンサーたちがやや羨望のまなざしを向けるのも無理はない。この国において、ラファエロと肩を並べるダンサーと言えば、まずクリステラの名が筆頭に挙がるからだ。


「今日は、新たな才能と技術を掛け合わせて、さらにダンスシーンを盛り上げたいと思っているんだ。いまから対面練習とフリースタイルのセッションを行うから、ぜひ参加してほしい」

「もちろん。お任せくださいませ」


 そう応じると、ラファエロはフロアの中央に軽く手を掲げ、集まったダンサーたちの注意を引いた。


「では、これから数名ずつのグループに分かれてダンスとラップのミニセッションを行う。貴族や平民という区別は関係ない。遠慮せずに、自分の色を思う存分見せてくれ。最高のステージを作り上げよう!」


 一斉に拍手が沸き起こり、フロアのDJがビートを流し始める。複数のグループができ、順番にフリースタイルで踊ったり、即興のラップを交えたりしながら盛り上がっていく。


 クリステラは自分のグループが始まる前に、チラリとミルラの所在を探った。すると、ミルラはどうやら別のグループに組み込まれているらしい。そこには貴族の少年少女も混ざっていて、その一人がすでにミルラに声をかけているのが見えた。


「さて、今日のところはちょっと遠くから観察させてもらおうかしら」


 クリステラは軽く息を吐き、まずは自分のグループの番を待つ。DJのビートに合わせて、華麗なダンスを披露する者、慣れないながらもラップに挑戦する者など、ホールは熱気に包まれ始める。


 そしていよいよ、クリステラの番が回ってきた。彼女と一緒に組んだのは、宮廷付きの若手ダンサーや貴族の令息、そしてリアンナら数名。ラファエロも見守る中、ビートが流れだす。


 クリステラは流れるような動きで輪の中心に出ると、まずはダンスから仕掛けた。上半身と下半身を巧みに連動させながら、軽やかに床を蹴り、ターンを決める。


「見せてあげるわ。これがあたしのステップ――」


 そう独りごちてから、やおらマイクを手に取り、ビートに言葉を乗せる。


「刻むリズムは 光のスパイラル

 流れる動きで 描くダイアグラム

 ここは王宮 響く重厚なホール

 でも恐れはない 私がいるからオール・オーケイ


 誰が相手でも 私は勝ちに行く

 貴族としての誇り これが鍵を握る

 ビートに咲かせる エレガンスの華

 私のスタイルは まるで天空の輝きだわ」


 言葉と言葉を繋ぎながら、韻と韻がぶつかり合う。クリステラは華やかな表情を見せ、振り付けとラップを同時にこなしていく。その姿はやはり観る者を圧倒し、周囲からは拍手と歓声が上がる。


 次いでリアンナがコーラスを入れ、ほかのダンサーたちも合いの手を入れていく。間髪を入れずにクリステラはさらに畳みかけるようにリリックを放った。


「瞳に宿る 高揚のファイアー

 ここは私がリードするフロンティア

 無限のビートに 感性注ぎ込む

 荒削りの才能も 一瞬で飲み込む


 フローが流れる 金糸の旋律

 王宮に満ちる 息を呑む静寂

 さあ派手に盛り上げましょう ラストスパート

 これがクリステラの 真なるハート!」


 最後のラインでビートが決めどころを迎えると同時に、クリステラは腰を落として片手を高く掲げ、バックダンサーたちとシンクロしたポーズで締める。


 割れんばかりの拍手がフロアを包み、王太子ラファエロも満面の笑みで拍手を送っている。


「やはり見事だ、クリステラ!」

「ありがとうございます、殿下。少しは楽しんでいただけましたかしら」

「もちろん。君のパフォーマンスを見るたび、新しい刺激をもらっているよ」


 微笑むラファエロに対して、クリステラは深々と頭を下げる。鼻先がくすぐられるような優越感に浸りながら、目だけをそっとミルラのグループへ向けた。


 すると、ちょうどミルラの番も終わったところらしく、仲間たちから拍手を受けているところだった。彼女も笑顔で応じているが、その明るい表情は全く疲れを感じさせない。


 クリステラは少しだけ歯噛みする。自分より圧倒的にレッスン時間も環境も乏しいはずなのに、あの自然体。しかも、周囲のダンサーが一緒に踊るうちに、どんどんミルラの雰囲気に巻き込まれているようにも見える。


「ふうん、貴族が相手でも緊張しないんだ」


 感心というよりは、少し鼻で笑うような調子で呟きながら、クリステラは心中で思考を巡らせる。これほど早くミルラが注目を集めると、いよいよ次の舞踏会で一目置かれる存在になるかもしれない。


 それはすなわち、クリステラが築いてきた“絶対の王道”を脅かす可能性を秘めているということ。そんな事態は到底容認できない――そう、クリステラの内なるプライドが警鐘を鳴らす。

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