62 今度こそ、お前の好きにさせるか!
ドラゴンの凶暴さを宿した禍々《まがまが》しい面立ちは、臆病な者なら、ひと目で腰が砕けているだろう。
だが、森の中から不意を打とうとした行動は、ただただ力押ししてくる単純な相手ではないと物語っている。
頭側部から生える闇よりもなお濃い大小二対の角は、まるで王冠を戴いているかのようだ。
そして美しい装束のようにすら見える鱗は、生物のものにもかかわらず、鉱石を磨き上げらたような光沢を放ち、生半可なことでは傷つかない硬度であることがひと目で見て取れた。
ところどころ、鱗の色に差異があるように見えるのは、ドラゴンが脱皮直前のために違いない。
まだ新しい鱗ならば、強度が落ちているかもしれないとフェルリナは密かに期待していたが、見る限り期待は捨てたほうがよさそうだ。
長めの首をもたげた頭の高さは二階建ての建物ほどもあるだろう。
鋭い鉤爪のある足に、うねるように動く太く長い尾。見上げるほどの体躯は、恐怖の対象でしかない。
人では敵わぬ暴威が具現したかのような姿。
だが、騎士団員に戦慄が走ったのはほんの一瞬。
「撃てっ!」
アルヴェントの声に応じ、三台のバリスタからいっせいに矢が放たれる。
毒を塗られた矢がドラゴン目がけて真っ直ぐに飛ぶ。
それだけではない。屋根の上の射手達がいっせいに矢を放った。
だが。
ひと声吠えたドラゴンが機敏な動きで尾を振るう。
風が唸り、たったひと振りでバリスタの矢がすべて弾かれる。
雨あられとドラゴンに降りそそいだ弓の矢も硬い鱗を貫くことができず、ばらばらと力なく地面に落ちた。
魔法士が放った氷の槍や風の刃も、あるものは鞭のようにしなる尾に撃ち落され、あるものは噛み砕かれる。
巨体に似合わぬ俊敏さで動くドラゴンの足止めをしようと、魔法士が土魔法でドラゴンの足を固めようとするが、ドラゴンがひと踏みしただけであっけなく崩れ落ちる。
バリスタに次の矢を装填しようとする団員に、お返しとばかりにドラゴンがブレスを放つ。
が、フェルリナも予想していた。
「障壁っ!」
あらかじめいつでも発動できるように唱えていた魔法を発動させる。
「くぅ……っ!」
ブレスの威力に障壁が震えるが、何とかこらえる。
だが、このままではじり貧だ。際限なく吐かれればいずれフェルリナの魔力が切れるだろう。
それをわかっているのか、別の建物の屋根に向かってドラゴンがブレスを吐いた。
「障壁っ!」
再度張った障壁に衝撃が走る。
ドラゴンに狙われなかったバリスタや射手からふたたび矢が放たれるが、ふたたび避けられ、尾に弾かれる。
ドラゴンがブレスを放つと同時に、真っ先に走り出したのはアルヴェントだ。
他の騎士達もアルヴェントに続き、狙われにくいよう互いに距離を取りながらドラゴンへと駆ける。
先頭を走るアルヴェントを見とめた途端、ブレスを吐き終えたドラゴンが大きく咆哮する。
空を斬り裂くような雄叫びは、憎しみゆえか、それとも左目を傷つけた敵との再会を喜んでいるのか、フェルリナにはわからない。
「今度こそ、お前の好きにさせるか! 三年前の決着をつけてやる!」
アルヴェントの言葉に応じるようにドラゴンが吼える。
ドラゴンもまた、アルヴェントを最初に倒すべき敵だと見定めたらしい。
アルヴェントを捉えたドラゴンの片方残った瞳が、紅蓮の炎が燃え盛っているかのようにぎらつく。
鉤爪を備えた木の幹ほど太い右の前足がアルヴェント目がけて振り下ろされる。
鎧を着ているとは思えないほど身軽な動きでアルヴェントが前足を外にかわし、右側に走り込む。
空振りした足が叩きつけられた地面が見るも無残に陥没し、土煙が舞う。
だが、ドラゴンの攻撃はそれだけでは終わらない。
飛びすさったアルヴェントを迎え撃つように太い尾が薙ぎ払われる。
しかし、他の団員達も手をこまねいているわけではない。ドラゴンの意識がアルヴェントに向けられた隙をついてバリスタから矢が放たれる。
魔法士達も自分が得意とする魔法を放つ。
風を斬ってアルヴェントに迫る尾が、バリスタに反応して動きを変える。
だが、バリスタのほうが速かった。
硬い音を立てて鱗に矢が突き立つ。しかし、射抜くまでには至らない。
魔法の刃が何枚かの鱗を傷つけ、わずかに血を流させる。だが、巨体にとっては微々たる傷でしかない。
バリスタの援護の間に体勢を整えたアルヴェントが踏み込み。後ろ足に斬りかかろうとする。
素早く身を翻したドラゴンの硬い鱗に刃がすべり、金属同士がこすれるような嫌な音を立てた。
「団長を援護しろっ! 誤射をしないよう、腹から上を狙え! 間違っても味方には当てるなっ!」
忙しなくバリスタに矢を装填する騎士達にロベスの指示が飛ぶ。
地面に立つ他の騎士達はアルヴェントとドラゴンの攻防に手を出しかねているようだ。
下手に手を出せば、アルヴェントの足手まといになりかねない。
だが、ドラゴンの意識を逸らすように、声を上げ、大きく斬りかかる様子を見せるだけでも牽制になる。
いかにアルヴェントが強くても、人間がドラゴンと一対一で戦うなど不可能だ。
団員達がアルヴェントを援護することで、何とかドラゴンの直撃を受けることなく戦えていると言っていい。
アルヴェントにとっては、たった一撃喰らうだけでも致命傷になりかねないのだから。
動きを遮るように飛んでくる魔法や矢に、ドラゴンが苛立ったように唸る。
それでもドラゴンの紅い片目はアルヴェントを捉えたまま離れない。
アルヴェントさえどうにかすれば、残りの団員達は物の数ではないと思っているのだろう。
「今度こそ、お前にいいようにやられる気はないぞ!」
アルヴェントの言葉に応じるようにドラゴンが吼える。
怒りに任せてか、広い範囲を薙ぎ払うように大振りに繰り出された左前足をアルヴェントが横っ飛びに避ける。
そのまま数度転がり、勢いを殺さぬまま立ち上がろうとしたアルヴェントの上に影が落ちた。
「障壁っ!」
間髪を容れず噛みつこうとした顎をフェルリナの障壁が防ぐ。
だが、それだけでは終わらない。
ドラゴンが弾かれた勢いを利用するかのように首を後ろに反らし、身体をひねって尾で追撃する。
ふたたび障壁を張ろうとするも呪文が間に合わない。
避けらないと判断したのだろう。風を斬って迫る尾にアルヴェントが盾をかざす。
しかし、ドラゴンの巨体と人の身では、魔法の補助があろうとも、勝負になるわけがない。
心の中で悲鳴をあげたフェルリナの視界の中で、咄嗟にアルヴェントが盾を構えたまま大きく後ろに飛ぶ。
尾を盾で受け止め、可能な限り衝撃を殺しながらも、鞠のように大きく宙に投げたされたアルヴェントが、それでも驚異的な身体能力で受け身を取りながら地面に転がった。
地面に横たわるアルヴェントの姿に、ドラゴンの紅い片目に凶悪な喜びがよぎる。
ブレスを吐こうとドラゴンが口を開けたのと、アルヴェントの口角が吊り上がったのが同時だった。




