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30 王妃様からのお茶のお誘い


「すまん……。母上がフェルリナとお茶をしたいと言い出していてな……」


 アルヴェントが申し訳なさそうに切り出したのは、王城を案内してもらった翌日の朝食の席でのことだった。


 主だった貴族を招いてのフェルリナと国王達との正式な拝謁は、三日後に予定されている。


 『クライン王国から第二王子の花嫁として来た聖女』としてのお披露目ひろめだ。


「その前に内々にお茶でも飲んでおけば、多少でも当日の緊張がましになるんじゃないかという母上のお言葉だが……」


 爽やかな朝だというのに、そこだけ夜の闇が残っているのではないかと思えるような暗い表情で、アルヴェントが大きなため息をつく。


しゅうとめにお茶に誘われても、気を遣って憂鬱ゆううつなだけだよなぁ……っ! うちの母が本当にすまん……っ!」


 大柄な身体を縮めるようにして深く頭を下げられ、フェルリナは大いにあわてる。


「ア、アルヴェント様っ! どうか謝らないでくださいませっ!」


 テーブルに手を突いて身を乗り出すが、アルヴェントは頭を下げたままだ。


「王妃様のお心遣いはたいへんありがたく存じますっ! 憂鬱だなんて、とんでもないことです……っ!」


 気を遣うという点はアルヴェントが言ったとおりではある。


 内々とはいえ、一国の王妃とお茶を飲むのだ。しかも、それが嫁いだばっかりの夫の母とくれば、気を遣わないと言い切れる者など、大陸広しといえどいないに違いない。


 ぶんぶんぶんっ! とかぶりを振り、なだめるように広い肩に手を伸ばす。その指先がかすかに震えた。


「ただ……。私は淑女としてのたしなみも不勉強な粗忽そこつ者ですから……。私がいたらないせいで王妃様に叱責されるのは当然だとしても、そのせいでアルヴェント様にご迷惑をかけたらと思うと、申し訳なくて……」


 聖女の力に目覚めて以降、ほとんどの時間を勉強と訓練、遠征ばかりですごしてきたため、お茶会の経験などほとんどない。


 フェルリナを招いてくれるような友人もいなかった。


 一応、男爵家の娘として、淑女としての教育も多少は受けたが、どう考えても一国の王妃とお茶ができる身ではない。


 こんなことなら、ゴビュレス王国に来るまでの間、馬車でもっとしっかり礼儀作法の復習をしておけばよかったと思っても後の祭りだ。


 てっきり、クライン王国と同じく、フェルリナに求められているのは聖女として騎士団の遠征についていくことだけなのだと……。


 こんな風に、第二王子の花嫁としてぐうしてもらえるなど、想像もしていなかった。


 たとえ、謁見の際にフェルリナがみっともないことしでかして王家の威信が落ちぬようにという理由であろうとも、こんな風に心を砕いてもらえることが嬉しくてたまらない。


 緊張と不安と、けれどもそれを上回る感謝と嬉しさに涙ぐみそうになり、唇を噛みしめると。


 不意に強い力で指先を掴まれた。


 いつの間にか下を向いていた視線を上げた途端、強い光を宿す黒い瞳と視線があった。


 何やら覚悟を決めた表情で、アルヴェントが決然と立ち上がる。


「やはりお茶会は取りやめにしよう! 母上には俺から断ってくるっ!」


「え? えぇぇぇぇっ!? ア、アルヴェント様っ、お待ちください……っ!」


 フェルリナの手を放し、足早に歩き出したアルヴェントの袖を何とか掴む。が、勢いに負けて引きずられて転びそうだ。


「だ、大丈夫ですっ! 王妃様のせっかくのお心遣いなのですから……っ! 喜んで参りますっ!」


「大丈夫だ、フェルリナ。気を遣わなくてもいい。……本当は、嫌なのだろう」


 このままではフェルリナを転ばせると思ったのか、足を止めたアルヴェントが、フェルリナを振り返る。


 掴まれた袖をほどこうと、そっとフェルリナの手にふれた指先には気遣いがあふれていた。


 放すまいと指先に力を込め、フェルリナはアルヴェントを見上げてふるふるとかぶりを振る。


「誤解ですっ! 決して嫌ではありませんっ!」


 嫌ではない。緊張と不安はあるが、決して嫌ではないのだ。


 フェルリナに怖いことがあるならば、それは……。


 本心から告げたのに、アルヴェントのまなざしが、強がる子どもをいたわるようなものになる。


「ありがとう、フェルリナ。その優しさだけで十分だ。だが、ただでさえ無理強いをしているきみに、これ以上の負担はかけたくない。大丈夫だ、母上には俺からちゃんと言っておくから……」


「ほ、本当に嫌じゃないんですっ! ただ……っ!」


 どうしてうまく伝わらないのだろう。


 泣きそうな気持ちで声を張り上げると、アルヴェントが驚いたように目をしばたたいた。


「ただ、何だ?」


 フェルリナの話を聞いてくれる気になったらしい。


 身を屈めて視線をあわせてくれたアルヴェントが、顔を覗き込み、優しい声で続きを促す。


 気遣いに満ちたまなざしはどこまでも優しくて、背中を押されるようにフェルリナは言葉を絞り出した。


「王妃様のお心遣いは、本当にありがたいと思っているのです……っ! ただ……。私は無作法者ですから、私が呆れられたせいで、アルヴェント様にまでご迷惑をおかけしたらどうしようと思うと不安で仕方がなくて……っ!」


 不安に目を潤ませながらも何とか告げると、言い終えた途端、アルヴェントが膝からくずおれた。


「アルヴェント様っ!?」


 ずしゃあっ! とテラスに四つん這いになったアルヴェントに、すっとんきょうな声を上げて膝をつく。


「どうなさったんですかっ!?」


「……あ、愛らしさの破壊力が……っ!」


 口元を分厚い手のひらで覆い、何やらくぐもった声をこぼしたアルヴェントが、きりっと表情をひきしめ、宣言する。


「わかった。俺も一緒に行こう!」


 最初、アルヴェントから聞いた話では、王妃とフェルリナの二人きりでのお茶、ということだったのだが、よいのだろうか。


「フェルリナなら大丈夫だとは思うが、なんせ相手はあの母上……っ! 味方はひとりでも多いほうがよいに決まっている……っ!」


 悲壮な決意を固め、こぶしを握り締めるさまは、これから魔境に赴く騎士のようだ。


 王妃とのお茶会は、それほど覚悟を決めねばならないものなのかと、どんどん不安が増してくる。


 初めて出会った時は、国王も王妃も、少なくともフェルリナを疎んじていないようだと感じたのだが、誤解だったのかもしれない。


「あの、アルヴェント様。無理に付き添っていただかなくとも……」


 もし、王妃とのお茶会がアルヴェントが恐れるほどのものならば、付き添ってもらうのは申し訳ない。


 やんわりと断ろうとすると、


「いや、男に二言はないっ!」


 きっぱりとかぶりを振られた。


 きりりと引き結んだ表情は、頼もしいことこの上ない。


 先に立ち上がったアルヴェントが、フェルリナに手を差し伸べてくれる。


「ありがとうございます……っ」


 大きな手を借りて立ちながら、フェルリナは感謝の気持ちを込めてアルヴェントを見上げる。


「アルヴェント様は、本当に頼もしい御方です……っ!」


 心からの尊敬を込めて告げると、なぜか「うぐっ」とふたたび呻かれた。



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