静寂の毒 迷いの夜に、娘たちの名を呼ぶ
19時
「落ち着いてきたわね」
シリがつぶやく。
「そうですね」
エマの声に疲労が滲んでいたが軟膏の補充をしに地下に足を運んだ。
兵士たちが戻ってきてからは、城内はしばらく戦場のように忙しかった。
重傷者は城の各部屋に、軽傷者はホールで寝かせている。
懸命に看護したけれど、助からなかった命もあった。
この1日で様々な経験をしたシリは、
頭と気持ちの整理がつかず、ため息をつき重い足を引きずった。
重臣会議の結果は、どうなったか不明だ。
話し合ったところで作戦などはないはず。
グユウはトナカがいる医療室で打ち合わせをしている。
もう随分と話している。
領主は心身共にタフではないと務まらない。
ホールの階段でオーエンに出会った。
「オーエン、傷の手当ては?」
シリが尋ねると、オーエンは無言で首を振った。
オーエンの左腕は矢が刺さった。
荒治療で矢を抜き、布で止血をしただけで重臣会議に参加した。
きちんと手当をしないと傷が化膿する。
医師と看護師は重傷者にかかりっきりだった。
「オーエン、左腕を見せて」
シリが手当をすることにした。
アルコールを染み込ませた布で患部を消毒して、血止めの軟膏を塗る。
簡易的な手当だけどしないよりはマシだ。
「妃、自ら・・・申し訳ない」
オーエンは困惑しているように見える。
「前に私の首の手当をしてもらいました。これで借りはないです」
オーエンの暗灰色の瞳を見つめてシリが微笑む。
手当をするため、うつむいたシリのまつ毛は長く、瞼は厚ぼったく夢見るようだった。
その姿に心奪われそうになったオーエンは、わざとぶっきらぼうにつぶやいた。
「戻らないのですか」
「戻る?」
不思議そうに顔をあげてシリが尋ねる。
「ミンスタ・・・」
言いかけたところでジムがやってきた。
「シリ様、客間にお越しください。ミンスタ領のキヨ殿が来られています」
切羽詰まった顔をしていた。
「キヨが?」
シリの顔に不快な表情が出た。
ミンスタ領の家臣 キヨ・トミ。
背は低く、声は高く、見た目はハゲネズミのよう。
舐め回すようにシリを見上げる小男をシリは嫌っていた。
「キヨが私に何の用事なの?」
言葉尻が強くなる。
「ゼンシ様からの伝言を賜っているそうです」
「兄の伝言?」
シリの眉毛が上がる。
「行くわ」
気持ちが動揺したせいか、手荒に包帯を巻いた。
「オーエン、明日の朝に医師に傷を診せて」
「承知」
客間にむかうシリの背後に、オーエンが声をかける。
「お世話になりました」
振り向いたシリにオーエンは微笑んだ。
「お元気で」
そっとつぶやき、その後ろ姿を見つめた。
客間にはグユウとキヨ、他数名の家臣が座っていた。
本来、こういう話はホールでするべきだけど、
今のホールは軽傷者で足の踏み場がない。
「お待たせしました」
シリが客間に入ってきた。
いつもより、顎を上にあげ、冷ややかに頭を下げた。
勢いよくグユウの隣にある肘掛け椅子に座る。
後ろにジムが立った。
「シリ様、そのような格好・・・!」
キヨが驚いた顔をしている。
キヨが驚くのも無理がない。
ミンスタ領のシュドリー城にいた頃のシリは、豪華なドレスに身を包んでいた。
この日のシリは、作業や看護をするために質素な黒い服を着ていた。
めくり上げた腕は、象牙色の大理石のように白く輝いていた。
華美な装いをしてなくてもシリは、際立つほど美しかった。
しかし、この1ヶ月働いていたせいか、なめらかだった手は荒れていた。
キヨはシリの姿を見て、切なさそうな顔をし、
その後、責めるようにグユウの顔を睨みつけた。
ミンスタ領の姫に、女中のような事をさせた事に憤りを感じているようだ。
「キヨ」
凛とした声が客間に響く。
「私が望んだことです。ワスト領に非はありません」
主君に似た強く青い瞳でキヨをにらむ。
「キヨ、どうされました」
シリが冷たい口調で声をかける。
その言い方は針のような軽蔑がこめられていた。
シリが冷たい態度を取ればとるほど、キヨは嬉しそうな顔をする。
「ますますお美しい」
ゾッとするほど、いやらしい目はシリの白い腕や胸、唇を見つめている。
「要件を教えてくれ」
静かな声だけど、グユウの声に若干不機嫌さが混じっていた。
キヨの視線に欲を感じたからだ。
「これは失礼しました」
一転、キヨは人好きするような笑顔をみせた。
「ゼンシ様から伝言です。我々は明日、レーク城を攻撃します。
シリ様、お子さんを連れて私と一緒にお逃げください」
「私はレーク城に残ります」
間髪を入れずシリが返答した。
キヨはシリの返答を予想していた。
ーー離婚協議の時も手を焼いた。
隣に座る無表情のグユウを見る。
ーーあんな暗い男、どこが良いんだ。
心の中で毒づいた。
「そうですか・・・。私には子供がいないのでわかりませんが・・・
姫様達は1歳と0歳。可愛い盛りですな」
さも、切なさそうな顔をしてキヨはつぶやく。
ユウとウイの話が出ると、シリの空気が変わった。
もうひと押し。
キヨは低くつぶやく。
「この手で抱いて差し上げたくなるほどに・・・可愛らしい姫様方が、
この城に残ったら・・・」
キヨはそう言いながら、口角だけを歪めて笑った。
シリの瞳に迷いが出た。
・・・ユウのくるくるした髪。ウイの小さな指。
ーー二人を守れるのは、私しかいないはずなのに。
唇を噛み締める。
シリの表情が変わったのを察したキヨは、会話を切り上げた。
タイミングが上手な男だ。
「姫様たちのためにも、今晩はよく考えてください」
肘掛け椅子から立ち上がった。
青ざめた顔で肘掛け椅子に座るシリに、帰る間際に笑顔で話す。
「明日の朝、再び伺います」
「ジム、城門まで付き添いを」
グユウが命じた。
ーー自分の命はどうでもいい。
グユウのそばにいたい。
けれど、ユウとウイが・・・
このまま、城に残れば危険な目にあうかもしれない。
大切な人がいるということは、強くもなるし弱くもなる。
シリの胸中は乱れた。
次回ーー
敗戦の夜、諦めぬ妻と抱き合い、明朝、運命の城攻めが始まる。
明日の17時20分 戦う前から諦めるつもりですか?
暖かい感想を頂きました。
明日からの激務もこれで頑張れそうです。
ありがとうございます。




