春、白き花と二つの選択
「お子を産んで、まだ3ヶ月ですよ!!早すぎます!」
エマの憤る声が寝室に響く。
春風がワスト領に届いたのは、五月に入ってすぐのことだった。
シリがこの地に嫁いで一年が経つ。
長い冬が明け、木々が芽吹くと、心まで浮き立つようだった。
身体はまだ完全ではないけれど、それでも――馬に乗りたくなっていた。
最後に乗馬をしたのは昨年の秋だ。
「エマ、りんごの花が咲いているのよ」
微笑むシリに、エマはため息をひとつ。
「りんごの花は毎年咲きます」
「グユウさんが・・・一緒にりんごの花を見たいと言うのよ」
シリは頬を赤らめて伝えた。
領主であるグユウが了解済みならば、エマは何も言えない。
「冬の衣装を脱いで、乗馬服に着替えると楽しくなるわね」
「お気をつけて」
ため息をつきながら身支度を手伝った。
窓の外、城の門前にはすでに馬を引いたグユウの姿があった。
乗馬服姿のシリを見ると、彼はふと目を細める。
何かを思い出すような、柔らかく嬉しそうなまなざし。
2人は、はしゃぎながら出かけた。
この2人の姿を、城の門の前でエマとジムは見送った。
「グユウ様はシリ様を甘やかしすぎです」
エマは呆れ気味で話す。
「シリ様が毛皮1枚で現れても、グユウ様は似合うと言い出しますよ」
その発言は、シリの身体が心配で棘が含まれていた。
「仲が良いのは素晴らしいことです」
ジムの返答は穏やかだった。
2人は5月によくある、何ともいえず気持ちが良い日に馬を走らせた。
風はそよそよと吹き、空は青く、ロク湖からは真珠色の霧が漂っていた。
「去年の今頃も、こうして馬を走らせたわね」
「あぁ・・・シリの乗馬服が眩しかった」
その言葉に、シリは少し頬を染めた。
普段、領主、妃としての振る舞いを求められているけれど、
乗馬をしている時は24歳と21歳の夫婦。
細い道を曲がると、りんご並木がある。
今年も、真っ白なりんごの花が咲き乱れていた。
「素敵だわ・・・」
シリは馬を降り、そっと花へと歩み寄る。
指先がひとひらの花びらに触れた。
「身体は大丈夫か?」
グユウは不安げだ。
「出産前より疲れますね。乗馬は体力が必要なのですね」
グユウの表情がかげる。
「大丈夫ですよ。グユウさんは心配しすぎです」
ふたりは去年と同じ、一本のりんごの木の下に腰を下ろした。
「こうしていると、1年前の事を思い出しますね」
2人で初めて乗馬をして、グユウは乗馬服のシリを美しいと誉めてくれた。
シリが初めてグユウを意識した瞬間でもあった。
「シリ・・・」
グユウが控えめに名前を呼ぶ。
こういう話し方の時は必ずゼンシの話題になるとシリは承知していた。
「兄上の話をして、この美しい午後を台無しにしたくないわ」
シリの声は不満げだ。
「そうだとしても・・・城内では話しにくい」
「どうしたのですか?」
シリの声が不安げに揺れる。
「東領の領主が、ゼンシ様に反旗を翻した。先週、開戦したようだ」
静かにグユウは話した。
「そこの領主の妻は・・・私の叔母です」
シリの声は震えていた。
「・・・ルビー夫人か」
シリは何回か面識があった。
モザ家の特徴である金髪と青い目をした美しい叔母。
シリの叔母ということはゼンシの叔母でもある。
「兄上は、自らの野心のために、血縁すら顧みない」
シリは拳をギュッと握った。
4月にゼンシは国王の城を完成させた。
ゼンシは、先月、ミヤビに王の城を完成させた。
その権威を背景に、他領への重税や兵の供出を強引に命じ、領主たちの不満を高めていた。
ゼンシの行動に、草木が風になびくようについていく領主達もいた。
その一方、トナカのように反抗する領主もたくさんいる。
国王率いる「ゼンシ派」か「反ゼンシ派」、どちらにつくか各領主たちは悩んでいた。
「できれば勝ち馬に乗りたい」
グユウは静かに話す。
選択を誤ると自分達の領地が危機的状況になる。
それだけは避けたかった。
「ワスト領は・・・どちらにつきますか?」
シリは恐る恐る聞いてみた。
シリは、ゼンシの命令でミンスタ領から嫁いできた。
ワスト領とミンスタ領の絆を深めるのが、シリに課せられた仕事でもある。
自分の立場なら、ここでゼンシ派につくように説き伏せなくてはいけない。
「オレ、個人の考えはゼンシ様についていきたい」
シリの問いに、グユウは木の幹に背をあずけ、空を見上げた。
「それでは・・・」
「父上や家臣のほとんどが反ゼンシ派だ」
その後、グユウはポツリとつぶやいた。
ーーやっぱり。
シリは、義父マサキ、オーエン、家臣たちの顔を思いだす。
「東領の争いを見極めて判断をしていきたい」
「グユウさん・・・私と結婚しなければ板挟みにならなかったですね」
シリは申し訳なさそうに話す。
「そうではない」
グユウは白く淡く咲くりんごの花を見上げた。
「ゼンシ様と一緒にいると・・・自分は凡人だと思い知る」
「グユウさんは特別な人です」
シリがハッキリ言い切ると、グユウは嬉しそうに目を細めた。
「ゼンシ様は、今まで誰もしなかったことを試す人だ。
何か新しいこと、違うことをやろうとすると必ず批判が出る」
「兄上は少しやりすぎだと思います」
「・・・それで良いと思う。
オレのように父上や家臣に反対されて揺らぐ人間は器がないのだ」
「・・・グユウさんは優しすぎるんです」
強い風が吹いて雪のように花びらが散った。
「シリ、いろいろあるがオレはゼンシ様に感謝をしている」
グユウの目が優しく揺れる。
「感謝ですか・・・?」
シリはグユウの発言が納得できずにいた。
挙式2日前にシリはゼンシに乱暴された。
3ヶ月前に産まれた子供の父親はグユウではなくてゼンシの子供だった。
グユウもそれを承知している。
それなのに感謝?
「ゼンシ様のお陰でシリと結婚できた」
グユウはゆっくり話す。
「オレは、この1年幸せだった」
グユウはシリの手を取ってつぶやいた。
「私も・・・あなたと過ごす日々が、幸せでした」
その言葉とともに、ふたりは自然と顔を寄せ、そっと唇を重ねた。
舞い落ちる花びらの中で、ふたりの影が重なる。
来年も、その次の年も。
毎年ふたりで、この花を見られますように――
シリは心の奥で、そっと祈った。
次回ーー
「子供部屋が賑やかになりましたね」
三人の赤子――シン、ユウ、そして乳母子シュリ。
その寝顔を覗き込むグユウの眼差しに、シリは温もりを覚える。
だが、外の世界ではゼンシが勢力を広げ、戦の足音が近づいていた。
「この子だけは、誰にも奪わせない」
幼い寝顔を守るため、シリは静かに誓う。
明日の17時20分に更新します
政略結婚 予想外の子育てと2人目の焦り
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