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悲しみに浸る暇はない

シンを乗せた馬が遠ざかっていく。


「シン!」

居ても立ってもいられず、シリは馬の後を追いかけるように駆け出した。


「おい」

グユウが慌てて後を追う。


シリは泣きながら、がむしゃらに走った。


涙で滲んだ馬は、どんどん小さくなる。


呼吸が荒く苦しくて脇腹が刺すように痛くなった。


ドレスが足に絡まり、もつれ転んだ。


「シン!!!」

名前を叫んだ時に、山の斜面に溶け込むように馬の姿が消えた。


「あぁ・・・」

絞り出す声と共に、膝を抱えて泣きじゃくる。


足音が近づき、すぐ傍で止まった。


顔を上げると、グユウが隣に腰を下ろしていた。


こんな悲しげな瞳の彼を見るのは初めてだった。


「グユウさん・・・」

この苦しい胸の痛みはグユウとしか共有できない。


グユウはシリの肩に手をかけ、震えるシリを抱きしめた。


シリはグユウの胸に顔を埋めながら、悲しい現実が胸に深く刻まれる。


ーーシンは行ってしまった。


もう二度と逢えないだろう




城に戻ったグユウは、書斎に戻り、領務に取りかかる。

悲しみに暮れても領主の仕事は待ってくれない。


黙々と仕事をこなしていると、ほんの1時間前までシンがここに立っていたことを思い出す。


「たった1人の息子なのに」

声に出すと、胸が重く沈む。


「善良な聡明な子だった。亡くなった祖父を思い出させる」

寂しそうにつぶやいたグユウに、ジムは黙ってうなずく。


「寂しいのは・・・ジムもだな」

そうつぶやき、再び領務にむきあった。


一方のシリは、エマに付き添われて廊下を歩いていた。


泥だらけのドレスに引きずった足、

泣き腫らした瞳で、擦りむいた膝、うつむきながら歩いている。


廊下でシリとすれ違ったオーエンは、一瞬目を見開き、黙って一礼をした。


寝室に入ると、エマは黙ってシリを着替えさせた。


普段のエマなら、散々小言を浴びせるだろう。


今回はしなかった。


できなかったと表現した方が正確だ。


悲しみと寂しさで心が張り裂けそうなシリに、必要なのはお説教ではない。


擦りむいた膝とふくらはぎを、手早く処置をした。


処置が終わった後も、シリは遠くを見つめたまま座り込んでいた。


悲しい、辛い、苦しい胸のうちに杭を打とうとしていた。


身体の方は徐々に成長していくが、精神の方は飛躍的に成長する。


わずか1時間で、その全能力を兼ね備えた状態に達することもできる。


その時からシリの精神は苦しみに耐える能力、忍耐力、強さが備わった。


なぜなら、もうすぐゼンシが城を攻めにくるからだ。


ーー悲しみに浸る時間は・・・ない。



「シリ様、どうしますか?」

エマは呆れたように質問をした。


質問に答えようと、シリはゆっくりと顔をむけた。


「作業着は全て洗濯に出しています。今日の服も泥だらけです。昔の服を着るしかないです」


争いが始まって3年半。


シリは極力、生家で仕立てたドレスを着なかった。


もちろん、着たとしても誰も文句は言わないだろう。


けれど、シリ自身が嫌だったのだ。


生家で仕立てたドレスは、ゼンシが指示をして作られたものだった。


ワスト領を攻める兄が選んだ服を着ることに抵抗があった。


加えて、シリは野外に行き、アオソを摘んだり、軟膏作りを行うなど、作業がすることが多い。


それゆえ、動きやすい、汚れても目立たない侍女のような服装をしていることが多かった。


「一日中、下着というわけにはいきませんよ」

エマが急かすように伝えた。


「・・・なるべく質素なものを」

観念したようにシリがつぶやく。


エマが持ってきたドレスは、淡い紫色のものだった。


黙って袖を通した後に、鏡を見たシリは驚く。


身体にピッタリと沿うようにデザインされたトップにボリュームのあるスカートが裾まで続く。

そのドレスを着ると、いつもより見目が良く見えた。


胸から胴にかけては全体に銀色の刺繍をほどこし、

シリの白い肌と金髪に映え、青い瞳はより青く見える。


「その服を着ている限り、今日は作業をお控えください」

鏡をまじまじと見つめるシリに、エマは忠告をした。


「エマ・・・着る服って大事なのね」


「今更ですよ」

エマはため息をついた。


寝室のドアがノックされ、ジムが入ってきた。


「シリ様、キヨ殿が面会を希望しています」


「また?」

シリは露骨に嫌そうな顔をした。


ーーどうせ、ミンスタ領に戻れと言われるのだろう。


「シリ様、良くお似合いです」

ジムはシリの姿を見て微笑んだ。


渋々、シリは立ち上がった。


ホールの階段を降り、シリが現れるとグユウは驚いたように目を見張った。


グユウは女性のドレスに疎かった。


ただ、シリがいつもと違う装いをしているのはわかった。


「いつもの服は・・・洗濯中で・・・」

シリが口ごもる。


「似合う」


本当はもっと褒めたいけれど、口下手なグユウはそれが精一杯だった。


その代わり、優しい瞳でシリを見つめるた。


その瞳を見るだけでシリは心が満たされる。


グユウの瞳は、美しいを100回表現しているように思えた。



◇◇


「いいですか?今日は私が話を進めます。兄者は黙ってくださいね」

エルはキヨに小声で話す。


2人はレーク城の客間の椅子に座っている。


この日も暑い夏の日だった。


古い客間は物音ひとつしない。


「わかっておる」

キヨは薄くなった頭を撫で憮然とした表情をした。


「兄者はシリ様の前にいると失言をする」

エルが釘を刺す。


ーー自分は、シリの容姿を見ても、心を乱されることはない。


そんな妙な自信があった。


領内で名高い美姫と呼ばれる者にも会ったが、胸は動かなかった。


あのように気の強い女は、むしろ苦手だと思っていた。


だから今日も、冷静に用件だけを伝えて帰るつもりだった。


「わかった。任せる」

キヨはため息をついた。


扉が開き、グユウが静かに入ってきた。


エルとキヨは頭を下げる。


その後、シリが入室すると部屋の雰囲気がガラッと変わった。


淡い紫色のドレスをまとい、女性らしい、丸みを帯びた腕や喉をあらわにしていた。


エルは思わず息を呑む。


その姿は、これまでの自信を音もなく打ち砕いた。


この前、シリと逢った時は怒りのオーラがみなぎっていた。


ーー今日は違う。


悲しげな瞳は、どこまでも青く美しい。


少し憂いを帯びた表情をしており、何とも儚げに見える。


美しい・・・。


それ以外、考えられなくなる。


この前と別人のようなシリに、エルの時間は完全に止まった。


隣にいるキヨは、口を開けてだらしがない顔をしていた。


エルは気を取り戻す。


シリの美しさに、しばらく見惚れていた自分を恥じた。


「兄 キヨが喉を痛めているので、本日は私が話すことになります。エルと申します」

エルは深々と頭を下げた。


「承知した」

グユウの返事は短かった。


しかし、キヨの惚けた表情をチラッと見た。


シリは大人しく隣に座っている。


「今日はゼンシ様からの伝言を伝えにきました」

エルは少し身体を前に出す。


「申してみろ」

グユウは静かに話した。


「グユウ様、シズル領は滅びました。争いはやめませんか。

今、降伏をすれば、ゼンシ様は許すと話しております」

エルが切り出した。


降伏とは、争いに負けたことを認めて相手に従うことを差す。


その言葉が部屋の空気を一瞬で変えた。


シリの胸に、微かな希望が灯る。


ーーこの戦いを、終わらせられるかもしれない。


だが同時に、敗者として兄の前に跪く自分の姿が脳裏に浮かび、全身が冷えた。


視線を横にやると、グユウもまた黙してエルを見つめている。


その沈黙は、慎重さとも、怒りとも、諦めともつかない。


グユウとシリは互いに目線を合わせた。


「・・・詳しく聞かせてくれ」

グユウの低い声が、張り詰めた空気をさらに深く沈めた。



明日の17時20分 生きていれば…逢える

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