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母を許して ――託された命と、残された祈り

渡す直前、手がわずかに震えた。

けれど、それに気づいたのはシリだけだった。


「この手紙をお願いします」

シリは3人の手に手紙を渡した。


部屋に呼ばれたヨシノ、モナカ、サキは戸惑った。


3人はシリの子供達の乳母であった。


「シリ様、この手紙は・・・」

一番の古株 ヨシノが口を開いた。


「姫達への手紙です。折を見て渡してほしいの」

シリは薄く微笑んだ。


モナカ、サキはシリの発言の意図がわからず不思議そうな顔をした。


けれど、ヨシノは気づいた。


「ええ。私はレーク城に残ります」

シリがうなづいた。


シリの背後に、紙のように青白い顔をしたエマが立ちすくんでいた。


「もうすぐ争いが始まります。シンは無理だとしても・・・子供達は助かる可能性があります。

いつ出ても良いように荷物をまとめて欲しいの」

シリが指示をした。


ヨシノは、足元が崩れるような感覚に襲われた。


ーーシリ様が、この城に残るというのは


――つまり、自ら死地に赴く覚悟を決めたということ。


そしてそれを、よりによって自分に告げたのだ。


「ユウを頼む」と。


ヨシノは、ユウの乳母だった。


産声を上げたその日から、目を離したことなどなかった。

熱を出せば夜を徹して背をさすり、笑えば自分のことのように嬉しかった。


ーーそんな“娘のような存在”を、母親が置いて先に死のうとしている。


ヨシノは理解できなかった。


いや、理解したくなかった。


「シリ様・・・まさか・・・」

声がかすれ、膝が震えた。


ーーこれは命令ではない。


母としての、最期の願いだった。


心が張り裂けそうだった。


ーーユウ様を守りたい。


けれど、シリ様をこのまま行かせてよいのか。


そう思った瞬間、ヨシノは“託される側の重さ”に戦慄した。



「シリ様・・・姫様達はまだ幼いです」


ーー子供達は母親が必要な年齢なのだ。


ヨシノは必死になって訴えた。


「後のことはエマに任せています」

シリが後ろを見ると、硬い表情をしたエマが深くうなづいた。


エマの顔を見て、ヨシノは凍りついた。


ーーいつか・・・自分もこんな表情をする時が来るのではないか。


そんな予感がしたのだ。


エマの顔に自分の顔が重なった。


「ヨシノ、モナカ、サキ、姫達を頼みます」

シリは3人の元ににじり寄った。


「ユウは特別な子、頼みます」

ヨシノの手を握る。


「ウイの笑顔が好きな事を伝えて」

モナカの瞳を見つめる。


「レイは・・・一緒にいてあげることができずにすまないと」

サキの顔を見て切なそうにつぶやいた。


3人の乳母達は泣きだした。


「お気持ちが・・・変わることはないのですか?」

ヨシノが涙ながらに訴える。


「これは決めたことです。姫達をよろしく頼みますね」

シリは微笑んだが、その表情は硬く、ヨシノは何も言えなくなってしまった。



ミヤビとワスト領の距離は近い。


ーー明日には兵達が来るだろう。


シリはやるべきことが山のようにあった。


けれど、準備は順調に進んだ。


この3年間、何度も籠城と争いの準備をした。


振り返れば、3年間籠城の準備をずっとし続けたと言っても過言ではない。


何度も経験すれば、例え大きな争いがあるとしても慣れてしまうものだった。


シリはジムと共に城内の敷地内を確認した。


「投石棒も石の配置も万端です」

ジムは微笑む。


それでも、シリの不安は尽きなかった。


準備に準備を重ねても心配と不安が尽きない。


それは、シリの心が不安で揺れている証拠なのだろう。


馬場を通ると、シリがこの世で一番好きな景色が目の前に広がった。


少し日が傾いたロク湖が輝いていた。


ロク湖の手間の丘は、明日にはミンスタ領の兵で埋め尽くされるだろう。


その前に・・・この景色を目に焼きつけたかった。


「ジム・・・しばらく1人にしてもらえる?」

シリのお願いにジムは躊躇した。


城の敷地内とは言え争いが迫っている。


ーー妃を1人にするのは危険だ。


「それはできませんが・・・少し離れたところにおります」

ジムは後ろにあるモミの大木を指差した。


「ありがとう」


シリはグユウと何度も話し合った片隅の青々とした草の上にひざまづいた。

倒木の苔むした幹にうなだれ頭を寄せた。


灰色の雲から太陽が射し出て、シリに淡い金色の光がそそいだ。


「神様、私に力を与えてください」

シリはささやいた。


神に祈ることは、争いの勝敗ではなく勇気がほしかった。


最後まで負けず、挫けず、力強く生きる勇気が欲しい。


長い間、シリはそこにひざまづいていた。


立ち上がった時には落ち着き、決然とした態度になっていた。


「ここにいたのか」

聞き慣れた声がして振り返ると、グユウがいた。


黒い髪をなびかせ、相変わらず無表情に見えるけれど、

5年前より表情が豊かになった。


「グユウさん」

シリは微笑んだ。


シリはグユウの瞳をじっと見つめた。


結婚した当初、この黒い瞳に自分を映してさえもらえなかった。


ーー寡黙なグユウと会話をしたい。


意思の疎通をしたい。


半分、意地になってグユウの瞳を見続けた事を思い出した。


吸い込まれて、落ちてしまいそうな黒い瞳、今はシリだけを見てくれている


「どうした」

グユウもシリと同じように落ち着き、淡々とした表情だった。


「なんでもありません」

先ほどまで抱えた弱気は胸にしまった。


「ここは冷える・・・子供部屋に行こう」

グユウはシリに声をかけた。


争いが始まれば家族で集う時間がない。


ーー家族で集まるのは、実質これが最後になるかもしらない。


その日の子供部屋は、いつも以上に穏やかな空気が流れた。


相変わらずグユウは口数が少ない。


話す言葉は「そうか」「あぁ」のみ。


けれど、子供達を見守る瞳はどこまでも優しかった。


シンも、ユウもウイも、その瞳を見るのが好きで一生懸命に話した。


傍にいるレイは、ぐっすりと眠っていた。


姫達の寝室に入ると、3人は夢の世界を漂っていた。


「この3人は・・・似てないわね」

シリは微笑んで、それぞれの頬を優しく撫でた。


確かに3人は似ていなかった。


グユウは黙って、金色、金褐色、黒色の髪を持つ子供たちを見つめた。


「母を許して」

シリは震える声でつぶやいた。


絶対に寝ないと言い張っていたシンは、シリの腕の中でウトウトしていた。


「母上・・・どうして昔は帰ってこないの」

寝つく直前にシンはつぶやいて眠ってしまった。


ーーあぁ、どうして帰ってこないのだろう。


シンが赤ん坊の頃に戻れたら良いのに!


争いがない平和な穏やかだった昔が懐かしい。


あの当時、シリが考えていたことは、グユウの瞳に自分がどのように映るか。


そればかりだった。


あの頃の悩みは世の中が平和だったのだ。


「昔は決して戻らないのよ」

シリは掠れた声で返事をした。


腕の中で寝息を立てた小さな男の子は

領主であるグユウの命と同じくように揺らめいている。


「今」は先が見えない暗い雲に包まれ、「明日」はレーク城を滅ぼすためにゼンシが来る。


それでも、母として、妃として――私は、ここに立つ。


次回ーー



その昼、使者として現れたのは――キヨ。

だが、面会を求めたのはシリではなく、グユウだった。


「グユウさん、私も同席します」

シリの言葉に、場の空気が凍る。


女が政治に踏み込むなど、許されぬ時代。

それでも、彼女は退かない。


――この城と、この人と、最後まで共に。


明日の17時20分 気が強く強情な女ほど面白い

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