初夜見聞録 ―乳母エマの4日間―
番外編 シリの乳母エマの視点
「ここが隠し小部屋・・・」
エマはぽつりと呟いた。
領主夫妻の初夜には、見張り役がつくのが習わしだった。
その任を任されたエマは、事前に“現場”の確認を怠らなかった。
寝室の隠し小部屋は、一見するとただのチェスト。
だがその扉を開けば、大人一人が身を潜められるほどの空間がある。
内側には、数か所の小さな覗き窓。ベッド上の様子がしっかり確認できるという仕様だった。
「・・・領主夫妻にプライベートはないのね」
本音を言えば、せめて初夜ぐらいは二人きりでいてほしい。
だが、この時代において、子作りは純粋な愛ではなく、政治だった。
後継ぎを確実に作る――それが、妃に課された義務だった。
そのため、左の隠し部屋にジム、右の小部屋にエマという配置で、見張りと記録が行われることになった。
この日の2人は寝ずの番の見張り役になり、一晩中聞き耳を立てて、覗き、記録を行う。
グユウとシリが無事に交わり、それをお互い確認をしたら任務終了になる。
◇ 初夜 ―一夜目―
エマは隠し部屋で息を殺す。
気がかりは、シリが無事に初夜を終えられるかどうかだった。
夜の所作は12歳から指導してきた。
乳母として当然の務めであり、今夜もアドバイスを伝えた。
「黙ってグユウ様に身を任せればよいのですよ」
グユウは23歳。
前妻との間に子がひとり。
女性の扱いにも慣れているはず。
それに任せれば大丈夫――と、思っていた。
しかし、問題はシリがその通りに振る舞えるかどうかだった。
緊張したまま寝室に入った2人は、ぎこちなくベッドに腰を下ろす。
「これは・・・いけるかも!」
エマが手応えを感じた直後、事件は起きた。
「泣いてません!!」
シリが涙声で絶叫。
ーー泣いてるじゃないの・・・。
エマは目まいを覚え、首がガクンと折れそうになった。
泣いた末、シリは「眠くない」「疲れてない」「平気」と
子供のように言い張りながら、グユウの胸で眠りに落ちた。
こうして――初夜は失敗に終わった。
驚くべきは、グユウが怒っていないことだった。
蝋燭の灯が消えた後、シリの髪をそっと撫でていた。
・・・気のせいかもしれないが。
◇ 翌朝の報告
エマとジムは記録を提出。
「作法が行き届かず、申し訳ありません・・・」
エマが謝ると、ジムはまさかの笑顔で返した。
「面白い妃が来られました。グユウ様にとって、良いことかもしれません」
エマは訝しげに首をかしげた。
昨夜の態度を“面白い”とは――?
彼女は恐る恐る尋ねる。
「前妻の方は、どんな方でした?」
「淑やかで、口を開かない方でした。グユウ様も寡黙なので・・・会話はほとんどありませんでした」
なるほど。
理想の妃像でもあり、シリとは正反対でもある。
初夜も静かに終わったという。
その後、妊娠を機に寝室を別にし、会話も交わさなかったらしい。
「昨夜もほとんど会話をしていませんよね」
「いえ。あれはグユウ様にとって話した方だと思います」
この日の記録には未完成婚と記入した。
未完成婚とは、新婚初夜が全うされていない状態の夫婦のことだ。
◇ 2夜目
ーー今夜こそ!!
そう思いながらエマは隠し小部屋に入った。
グユウとシリは、ベットの上に正座をして話し合っている。
ベットの上とはいえ甘い雰囲気がない。
シリが笑顔でグユウに近づく。
グユウは引け腰になっている。
ベットに横になった2人は、一向に始まる気配がない。
しばらくして、先に寝たのはシリだった。
ーーシリ様・・・!寝るの早すぎ・・・!
エマは歯痒くなった。
グユウは滑稽なほど、ビクビクしながらシリの顔を覗き込んだ。
眠りながらほほ笑むシリに、グユウもまた、微笑をこぼした。
ーー起きてるシリ様にも、その顔を見せればいいのに。
記録は、再び未完成婚
「焦らず、夫婦になればよいのです」
ジムは穏やかに言ったが、エマの疲労は蓄積していた
◇ 3夜目
ーー初夜に3回目はあるのだろうか?
エマはふと疑問に思った。
そろそろベットで眠りたい。
腰が痛い。
寝室でグユウとシリの会話は、少しずつ増えてきた。
最も会話はほとんどシリの方が行ない、グユウはたまに相槌を打っている程度だ。
この日は披露宴の疲れもあり、シリは即座に眠った。
寝返りを打った彼女の手が、グユウの腕に触れた瞬間――彼の顔が優しくゆるむ。
グユウはおずおずとシリの頭を撫で、優しい瞳でシリの寝顔を見つめていた
未完成婚 3夜連続達成。
翌朝、ジムは予言めいたことを言った。
「グユウ様とシリ様の距離は近づきつつある」
ーーこの調子なら半年後かも・・・。
エマは内心うなだれた。
◇4夜目
「4日目・・・もはや初夜じゃない」
エマはついにぼやき始めた。
しかし、今日は何かが違う。
乗馬帰りのシリは、ふわふわとした表情でパジャマを何度も確認。
窓辺でグユウと立ち話し、楽しげに袖を引くと――背伸びして口づけをした。
ーーきゃっ・・・!
エマは思わず頬を染めた。
今度はグユウが応えた。
シリを抱き上げ、そのままベッドへ。
オドオドしていたグユウだったけれど、
シリと数回会話をして勢いにのってきた。
「グユウさんっ!グユウさん・・・っ」
助けを求めるように、何度も呼ぶシリの声を聞きソワソワしてしまう。
――そして翌朝。
グユウは眠るシリの髪に、そっと口づけを落とした。
こうして、4夜にわたる見張りは終了。
「成婚と記録します」
ジムとエマは笑顔で報告をまとめた。
「良いご夫婦になられるでしょう」
「そうですね。お二人とも幸せそうでした」
ーーようやくベッドで眠れる。
エマは、心の底から安堵した。
次回ーー
夢のような夜のあとに訪れた、いつも通りの距離。
消えない不安と、募る苛立ち。
そして、シリの口から飛び出したのは――禁じられた問いだった。




