表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
150/227

逃げない女

◇14時半


城下町がある方角から煙がたった。


「ついに来たわ・・・」

シリの表情が固くなる。


ゼンシが城下町に火をつけたのだ。


2年前、グユウを挑発するためにゼンシは城下町に火をつけた。


ゼンシは目的達成のためならば、多くの人が苦しむことを平気で行う。


その時、シリは百戦錬磨のゼンシに敵わないことを実感したものだった。


家をなくし、家族をなくし、怪我をし、罪なき領民が泣き叫んでいる姿を見て、

悔しくて無力な自分を責めた。


あれから2年。


再びゼンシが攻撃する事を予想していたシリは、対策を立てた。


城の近くにある北の砦を、領民達の避難場所にした。


事前に避難を誘導した領民達は、貴重品を持って避難している。


家は焼かれるけれど・・・少なくとも命は取られない。


一方、燃え盛る火の帯と白煙を見てゼンシは薄く微笑んでいた。


「陣に戻る。明日は野外戦だ」


そう言い残してレーク城の麓から去った。


◇16時


カツイがシリとジムに報告してくれた。


「城下町に人的被害はありません」


領民達は北の砦にこもっていた。


その話を聞いて、シリは脱力した。

張り詰めていた気持ちが緩んで、急速に疲れを感じた。


胃のあたりがきゅっと縮む。

吐き気が戻ってきた。

下腹部に鈍い痛みが広がる。

急に力が入らなくなった。


立っているのがやっとだった。


「カツイ、争いが終わったら領民を呼んで死体の処理をお願いして」


「死体の処理?堀の中の兵のことですか?」

カツイが不思議そうな顔をする。


ミンスタ領が兵が引き上げるまで、死体はそのままにした方が良いと思っていたのだ。



「ええ・・・死体が堀に残ったままだと、その死体を踏み台にして乗り越える兵が現れるわ。

堀の中は空にしておかないと」

青ざめた顔でシリは伝えた。


死体は領民が片付けることになっていた。

その代わり、暗黙の了解として、金目になる武具や衣類などを剥ぎ取る。

これは家をなくし、畑を荒らされた領民にとって生活の糧になる。


「・・・わかりました」


「領民達が死体の処理をしている間、兵達は鉄砲玉と弓矢を回収して。

城に残っている男性陣に武器製造をしてもらいたいの」

シリの顔色はどんどん青くなってきた。


「シリ様。お身体の調子は・・・」

カツイが遠慮気味に聞く。


「私は大丈夫です。カツイ、今の話、グユウさんに伝えて」

シリは真剣な眼差しでカツイを見つめた。


「・・・はい・・・はい!!」

カツイは何度もコクコクと首を振る。


「シリ様。そろそろ城に戻りましょう」

ジムが声をかけた。


その声は後悔の音がこもっていた。


シリは疲れ果てたように見えた。


ーー無理をさせてしまった。


元軍人だったジムにとって、戦場に一日いるのは慣れていた。


ワスト領が善戦をしており、シリが楽しそうにしていたので職務を忘れてしまった。


一緒に城へ帰る時にシリが突然話しかけた。


「ジム。気にしなくて大丈夫ですよ」

怪訝な顔をしたジムにシリは力なく微笑んだ。


「グユウさんはわかっています。私が戦場にいたがる事を知っているはずです」

ゆっくり歩みながら話す。


「シリ様、申し訳ありません。もう少し気を遣えば・・・」

ジムは申し訳なさそうに視線を地面に落とした。


「今日は楽しかったです。作った堀の成果を見ることができました」

シリは澄んだ目で空を見上げた。


夏の暑さがだんだんと、透き通る青空に吸い込まれる時間帯だった。


「しかし・・・」

ジムは浮かない表情をしていた。


「グユウさんは大丈夫ですが・・・エマは怒るでしょうね」



実際、2人が玄関の扉を開けるとエマが鬼の形相で立ちすくんでいた。


「遅いお帰りで」

エマの声は低く怒りに満ちていた。


「エマ、私が悪いのです。争いを見ていたら・・・」

ジムが釈明する。


「シリ様が帰ろうとしなかったのでしょう」

エマはまるで見てきたかのように話す。


「エマ、堀の様子を知りたいじゃない」

シリが弱々しく弁明する。


「飲まず食わずで戦を見たい女性はシリ様くらいです」

エマはプリプリ怒りながら、シリを部屋に連れて行く。


汚れたシリの服を着替えさせベットに座らせた。


「召し上がりますか?」

エマは皿にのせた青いトマトを見せた。


シリは黙ってうなずいた。


「兵達の食事の支度を・・・」


「それは私が舵をとります」

エマはテキパキと答えた。


◇19時


優しい手で頭を撫でられているような感触がした。


シリはゆっくりとまぶたを開けた。


ベットのそばにグユウが座っていた。


優しい目をしている。


「私・・・すみません」

シリは慌てて起き上がる。


いつの間にか眠っていたようだった。


「良いから。休め」

グユウはシリをベットに再び寝かせた。


開いたカーテンから眩しいほどの月の光が見えた。


「シリのお陰で・・・争いは優位に動いている」

グユウはシリの手をとった。


争いの指揮官は自分ではなく、シリだとグユウは思っていた。

なので、シリを城に戻るように言えなかった。


それを今、後悔していた。


痩せて細くなった指を優しくなぞる。


「私も見ました。嬉しかったです」

月光の中で、シリは横たわりながら微笑む。

金色の髪が四方八方に散らばっていた。


「・・・すまない」

突然、グユウが謝ってきた。


「何がですか?」

シリは驚いた顔をしている。


「オレは何もできない。原因の半分はオレなのに」

相変わらずグユウは言葉が足りなかった。


シリの体調を気遣っているのだろう。


つわりの苦しみも、子を流さす悲しみも、

全てにおいてシリが担う。


「オレが・・・代わりになれば良いのに」

グユウは悲しそうにつぶやいた。


「グユウさん・・・今日はこれからお休みですか」


「あぁ」

明日も早朝から戦が始まる。


「それなら、一緒に寝てほしいです」

シリはグユウをじっと見つめた。


その後、慌てたようにつけたす。


「もちろん、その・・・そういう事はないです」

布団を鼻まで引っ張り上げながら伝えた。


「わかっている」

グユウの目元が和らいだような気がした。


長い腕が伸びてきて、シリをそっと抱き寄せた。


「シリ・・・」

グユウが優しく耳元でささやく。


互いの心音、身体の熱、ほのかな香りを衣類越しに感じ取る。

胸が痺れるような、切ない気持ちに2人は浸った。



◇19時  ミンスタ領 本陣


ゴロクの全身は汗だくだった。


それは真夏の暑さのせいではない。


これから、ゼンシに嫌な報告をしなくてはいけない。


「ゼンシ様・・・。ご報告があります」

ゴロクは声が震えないように努めた。


「なんだ。言ってみろ」


ゼンシは不機嫌そうな顔をしていた。


予想以上に戦況は不利だったのだ。


強固なレーク城が攻めにくい事は事前に把握していた。


その上、あの堀だ。


多くの戦死者が出てしまった。


「城下町を焼いたのですが・・・」


「あぁ」

ゼンシはカップで紅茶を一口飲んだ。


ゼンシはアルコールを飲まなかった。


ーーこういう時に酔ってくれればありがたいのに。



「街には1人も領民がいませんでした」


「何だと?!」

ゼンシの顔色が変わった。


ゼンシは何も言わず、紅茶のカップを口に運んだ。

しかし、その動きはわずかに震えていた。


次の瞬間、ゼンシはテーブルを叩きつけるように殴った。


カップが宙を舞い、紅茶が弧を描いて床にぶちまけられた。


液体が絨毯に染み込み、甘い香りが一気に部屋に立ちこめ、

床に落ちた陶器の破片が、ガリッと不快な音を立てて割れた。


ーー挑発するために街を燃やしたのに。


失敗した。


家臣達は、まるで自分にぶつけられたように身を硬くして目をつぶった。


「どういう事だ。説明しろ」


ゼンシの声が響くたびに、家臣たちは硬直し、沈黙した。


敗北ではない。ただの一手の読み違い──


だが、それを“妹”にやられたという事実だけが、彼の理性をじわじわと侵していた。


これは、ただの領地争いではない。


ゼンシとシリ──兄と妹の、誇りと執念の戦が、幕を開けたのだった。


2日連続でブックマークを増えました。

ありがとうございます。

これで元気に除雪ができます!


ーー次回



ゼンシの炎は、妹の知略に打ち消された。

燃やした街に民はおらず、放たれた矢も己の策を超えていた。

夜明け、再び始まる戦――シリとグユウは、最後の朝を迎える。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
, ,

,

,

,

,
,
,
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ