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憧憬の音

作者: 高宮 咲

Sing,Sing,Singを聞きながら読むと、ちょっと想像しやすいかもしれないです。

 春の暖かな空気で満たされた体育館。長々とした集会を大人しくやりすごしていると眠くなるのは必然で、大きな欠伸を噛み殺しながら、教師や先輩たちの話をぼうっと聞き続ける。あとどれだけ大人しく座っていれば、この苦行から解放されるのだろう。そんな事を考えながら、夏美はぽけっとした頭を何とか起こしながらステージの上を見つめる。

 長い受験生活を漸く乗り越え、数日前から高校生になった。ずっと憧れていた学校に通う事になっただとか、憧れの先輩を追いかけてきたとか、そういったドラマチックな事は一切無い。通えるのならどこでも良かったし、特にやりたい事も思い付かない為、自宅から近い学校を選んだ。通学にかかる時間は自転車で片道十五分。これなら真夏でも何とか通う気になるだろうと考えたが、どうにもこの学校は面白くなさそうだ。

 まだ授業らしい授業も始まっていないが、教師の話は面白くない。中学で仲の良かった友人たちとは離れ離れになってしまったし、新入生同士仲良くしましょうねといった空気は何となく漂っているものの、今からどうやって新しい友人を作ったら良いのかも分からない。何となく固まるグループが決まり始めているようだが、夏美は今の所、どのグループにも属していない。所謂一軍と呼ばれるような煌びやかなグループに入る勇気なんて無いし、かといって三軍と言われるような大人しいグループに入るには少々浮く。どこにも入る事の出来ない気まずさが、この先三年間もこの学校でやっていけるのだろうかと少しの不安を覚えさせた。


「では、これより部活動紹介に移ります。明日から見学が始まりますので、気になった部活にはどんどん顔を出してくださいね」


にっこりと微笑んでいる校長は、さあどうぞとやや演技がかった仕草で上級生を呼ぶ。ステージ以外は照明を落とされ、ステージ上が目立つようにされたが、今はそんな事をされると眠気が余計に酷くなるだけだ。早く終われと念じている最中、元気良くステージに上がったのは数名の男子生徒で、自己紹介を聞いているとどうやらサッカー部らしい。

 やれ、全国大会を目指していますだとか、選手だけでなくマネージャーも募集していますだとか、ハキハキと明るい声色で話す上級生は、キラキラとして眩しく思えた。正直、ああいったキラキラした人間は夏美にとって苦手な人間だ。出来れば近寄りたくないし、近寄ろうとも思わない。何となく、あのキラキラとした雰囲気に気圧されて、ドロドロと溶けてしまいそうな気がするから。一部の女子は部長だと名乗った生徒を「格好いい」と評価したようで、コソコソとマネージャーになろうかな、なんて話している声が聞こえた。


 この集まりはあとどれだけ続くのだろう。部活になんて興味はないし、部活をする時間があるのならアルバイトをしてみたい。放課後に時間を使うというのが同じなら、お金を稼ぐ事の出来るアルバイトの方が良いと思った。この三年間を無事に乗り越えて、適当に大学に進んで、適当に就職をして、それなりの生活をしながら結婚出来たらそれで良い。何事も普通に。目立たず生きていたい。そんな事を考えて、次々にステージの上でパフォーマンスをする生徒たちをぼんやりと眺めた。


「続きまして文化部……吹奏楽部からお願いします」


いつの間にかステージの下に用意されていた名前もよく分からない大きな楽器たち。ステージの上には楽器を持った生徒たちが集まり、にっこりと口角を上げて笑っている。中学の頃にも吹奏楽部はあった。放課後になるとどこからか楽器の音が響いていて、夏休み期間中でも必死に練習している姿を何となく見た事がある。


「えっと……吹奏楽部部長、早川冬香です、どうも。私たちはコンクールでの入賞は絶望的なので……その、音楽を楽しむ事を重視して活動しています。楽器に触れた事が無くても大丈夫ですので……あの、興味がありましたら是非、見に来てください」


おどおどと自信なさ気な顔をして、眼鏡を掛けた女子生徒がマイクを手に話す。もごもごと喋っていて、部長のくせに何だか頼りないなと思った。周りの部員はクスクスと笑っているが、部活動のPRとしてこれは正解なのだろうか。まだ何か話しているが、今の夏美は強烈な眠気に襲われており、瞼はもう殆ど閉じている。早く終わらないかな、そう思いながら完全に目を閉じた瞬間だった。


 体育館に響き渡るドラムの音。腹に響く音とはきっと、こういう音の事を言うのだろう。何が起きたのか分からず、夏美は目を見開きながらドラムはどこにいるのかと探す。ステージの下、中央に置かれたドラムセットに座るのは、先程マイクを持って喋っていた生徒だった。他の生徒が着ているジャケットを脱ぎ、腕まくりをしてドラムを叩いている。二本のスティックを操り、次々に音を弾けさせるその姿が、先程自信なさげに喋っていた女子生徒と同じ人間には見えない。堂々と胸を張り、パンと弾けるシンバルを鳴らすその姿は、とても美しく、華々しく見えた。


「ね、これディズニーで聞いた事あるよね?」

「Sing,Sing,Singでしょ?これノリ良くて好き」


隣に座っていた女子生徒がコソコソと話す声も聞き流しながら、夏美はじっと演奏を続ける面々に視線を向ける。いつの間にか体育館内は手拍子が響き、誰もが楽しそうにリズムを取った。ドラムだけではなく、トランペットやサックス、他のどのパートの面々も楽しそうだ。体を動かし、ソロパートを奏でる部員はステージの真ん中に来て、体育館内に音を響き渡らせる。自分のソロパートが終わると、まるで役者のようにお辞儀をしてみたり、アイドルのように手を大きく振って元の位置に戻るなど、それぞれのキャラクターが出ていた。

 しかし、夏美の視線は一点から動かない。動かせない。地味だと思っていた、頼りないと思っていた、早川と名乗った女子生徒から目が離せない。細く見えるのに、どうしてこんなにも迫力のある音を響かせられるのか分からない。ドラムを叩いた経験のない夏美では、次にどこをどう叩けば良いのかなんて事も分からないし、よく考えたら両手だけではなく両足も動かさなくてはならない。体全体を使ってリズムを刻むのは、きっと想像出来ない程難しい。それをあんなにも簡単そうに、楽しそうにやってしまうのだから、先程持ってしまった「地味で頼りない」という印象は、すっかり消え失せてしまった。


 格好良い。素直にそう思ったのは生まれて初めてだった。他の奏者の邪魔にならないように音量を控えめにしているのが勿体ないと思う程、もっと大きな音で叩いてほしい、もっと聞きたいと思ってしまう程、早川の叩く音は心地が良い。


「すげぇ!」


男子生徒の一人が声を上げた。控えめに叩いていた筈の音が、一気に音量を増した。ドラムのソロパートだ。ステージの上で演奏している奏者たちは楽器を持ったまま横に揺れ、体育館の照明をキラキラと反射させる。少し薄暗い体育館の中で、スポットライトを当てられる早川は、今日見ている姿で一番輝いて見えた。

 もう少し、もっと聞いていたい、見ていたい。ドキドキと高鳴る胸を押さえつけながら向けた視線の先で、奏者たちは誰もが皆輝いて見えたが、中でも早川が一番輝いているように見えた。ドラムという嫌でも目立つ楽器を演奏しているせいなのかもしれないし、オドオドしていたとは思えない程堂々としている姿が信じられないだけなのかもしれない。どちらでも良い。ただ、生まれて初めて憧れの人を見つけてしまったような気がした。


◆◆◆


「先輩!また腱鞘炎になりました!」

「あーあ……痛いですよね、腱鞘炎。暫く安静にしていてください」

「後でSing教えてもらおうと思ったのに」


ぶすっとした顔でむくれる夏美は、あの日頼り無く見えた早川にすっかり懐き、師匠と呼んで慕っている。部活動紹介が終わってすぐ、見学は翌日からだと言ったにも関わらず音楽室に飛び込んだのだ。ドラムがやりたい、早川先輩に教わりたいと。顔を真っ赤にして、音楽室の扉を開いたまま叫んだ夏美の行動は、「押し掛け弟子」として笑い話となっている。

 望み通り夏美は吹奏楽部に入り、早川と共に毎日のように練習に明け暮れている。基礎練習や筋トレでひーひー言っているが、頑張ると早川が目の前でドラムを叩いてくれる。それを眺めているだけで、どれだけ疲れていてもまた頑張ろうと思えた。


「筋トレは出来るだけ頑張ってくださいね。筋肉が無いと良い音出せないので」

「うう……筋肉痛しんどいんですけど」

「パーカスは筋肉があった方が格好良いですよ。頑張ってください」


にっこりと笑った早川は、普段制服で隠れているが実は筋肉質だという事を知った。早川が言うに、ドラムを格好良く叩くには筋肉が大事なのだそうだ。毎日沢山食べ、筋トレをし、体力をつける為に走り込みもしていると聞いた時には眩暈がした。自分にも出来るだろうかと不安になったが、憧れの人がやっているのなら頑張りたい。この人のようになりたいと思って、後を追いかけるのが楽しい事を知った。何の目標も無く、ただ毎日をのんびりと生きているだけの人生がこの先も続くと思っていたのに、あの日たった一曲で魅了され、考える事が変わってしまった。


「先輩、Sing叩いてほしいです」

「ランニング終わったら良いですよ。今日は10㎞いきましょうか」

「死んじゃう……」

「死んだら聞けないですねぇ」


一緒に行ってやると笑った早川は、さっさとジャージに着替え始める。ドラムを楽しく叩く為だけに鍛えている彼女の腕は、とても美しく見えた。

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