足福地福
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
む、こーちゃん、そこらへんでいいから腰下ろしてもらっていい?
いや、靴の先がずいぶん汚れているなと思ってね。おせっかいながら、ちょっと磨かせてもらおうかと思ったんだよ。
磨き布だけじゃないぜ。こんなこともあろうかと、靴クリームも用意してるのさ。革靴相手だってばっちりだぜい?
よーし、こんなもんでいいか。
いつも世話になっている靴だしな。きれいにしとくに越したことないさ。それをくっつけられる地面の立場にもなってみればな。
なんの話をしているのか、だって?
いや、最近いとこに足元と地面について、奇妙な話を聞いたのよ。それ以来、少しは足元を気をつけるのも悪くないと思ってな。
よかったら聞いてみないか?
靴のかかとをつぶして履くな……とは親によくいわれることの、ひとつじゃなかろうか。
科学的には、靴のかかとを潰してしまうと、歩行がすり足になってしまうというのがあげられるからいけないらしい。
すり足は長時間続けると、足の疲れから身体の疲れへつながる。猫背や肩こり、それらの痛みや疲労からくるイライラ。こいつは怒っているときの状態に匹敵し、身体の血管にも負担をかけ病気の呼び水にさえなる……との話だ。
しかも、靴のかかとを支える芯はただの一度、踏みつぶされただけでダメになってしまうことがほとんど。そうなれば遅かれ早かれ靴は本来の機能を失い、すり足への道へいざなわれる。
実際の親御さんがどれほど考えていたか分からないが、口をすっぱくして注意するのも、無理ない事情がそこにあったわけだ。
家なら靴ベラとかが用意してあるけど、出先にまで都合よくあるとは限らない。ヘラがないとき、かかとを潰さず履くために、君は何を心がける?
あがりかまちに腰かけて、丁寧に履けるのならそれがいい。でも友達に呼ばれたりして、わずかでも時間が惜しい際など。
とんとん、とつま先で地面を叩かないか? 特にスニーカーとかだとやりやすい。
いとこのクラスメートにも、そのとんとんと地面を叩く子がいたらしいのさ。
普通、運動靴といったら足にぴったりおさまるサイズのものを選ぶだろう? その子はいつも、わずかにぶかぶかなサイズの靴を履いていたそうなのさ。
制服などは数年間使うことも考え、でかめに注文するケースが多いだろう。しかし、靴は足元のパフォーマンスに直結する。下手すりゃケガしかねないのに、大丈夫なんだろうか?
しかも見間違いじゃなければ、すでにつま先の一部がはがれかけている。あかんべーの舌といわんばかりに垂れさがり、彼がつま先を打つときは、その舌とつま先の間に土が入り込んでいるんじゃなかろうかと思ったよ。
そして校内のみならず、外でも彼は同じようなしぐさをしばしば見せる。
元より、彼は外を出歩くことが好きだと聞いている。通学路や学区外の道々で、例の「とんとん」を見せる分には、そこまでおかしいとは思わなかった。
だが、いとこは彼の行動半径を見くびっていた。
家族で出かける旅行先でも、まれに彼の姿を見かけることがあったのだとか。
県をひとつ、ふたつまたぎ、地方区分さえ越える旅行だって、あるにもかかわらずだ。
ストーカーしているんじゃないかと、疑いをもたれるレベルではあるが、実は他のクラスメートたちも家族との旅行先で、やはり彼を見たという声が。
それぞれの家の旅行の日程など、赤の他人が把握できようはずがない。極めつけに、彼の以前からの友達にとっては、「いつものこと」という認識だったとか。
いわく、彼は休みがとれると全国行脚と称し、日本のいろいろなところへ足を運ぶらしい。ウソかまことか、公共の交通機関を使うこともまれで、多くは自分の足を頼りにすると豪語しているらしい。
その目的は、例の「とんとん」をより多くの場所で行うため、とうそぶいていたとか。
お盆の時期を迎えて、母親の実家へ帰った際に、いとこはいよいよ怖さを募らせるようになった。
その先でもやはり彼は姿を見せたのだが、母親の実家は離島のひとつ。人口数百人といったところで、めぼしい名所もない。観光目的にここを選ぶことは、まずないだろう。
彼もまた、この島に住む親類を持つか。あるいは、本当に気合の入った「行脚」だというのか……。
いとこたちが滞在したのは三日間。比較的、自由に動ける二日目に、いとこは家の外で彼の姿を探す。
島の中の村は、実家のあるここひとつしかない。さいわい、さほど歩かないうちにとある民家の軒先で、休んでいる彼を見かけたのだそうだ。その間も、またつま先をとんとんと、地面に打ち付けている。
声をかけてみると、やはり本人。他人の空似ではなかった。
最初、いとこの顔を見て驚いたようだが、かねてよりの「とんとん」について尋ねると、こいつが大事な行事なんだと、のたまったらしい。
彼いわく、これは常日頃、人をはじめとする生き物や、数えきれないほどの家屋、ひいては自然の樹木にいたるまで支えている地面に対する、ねぎらいなのだという。
むしろ、地面をいじめているんじゃないか、といういとこの突っ込みに、彼は少し困った顔をしたあと、「実際に見てもらった方が早い」と、軒先を出て、いとこについてくるよう促してきたらしい。
この島の標高は最大地点でも200メートル足らず。地図で見ると、東部に大きめの山がひとつ、西部に小さめの山がひとつ。特に後者に関してはのんびり歩いたとしても、山頂までの往復はさほど時間がかからない。
いとこたちは、その西の山へ向かった。これまでに人が利用する機会が多かったため、舗装はされておらずとも、草がはげて自然と登山道ができている。登るのは苦にならなかった。
けれど、山頂に着くかという10数メートル前。
彼がぴたりと足を止め、近くの木立に身を隠すような仕草。いとこにも、ちょいちょいと手振りで、真似するように指示を出してくる。
何かがいて、身を隠したいのかとも思ったけれど、視線の先には腰かけられそうな大きさの石がいくつかうずまる、山頂の景色のみ。いとこ自身も見慣れたもので、そこにはいま誰もいない。
「あそこはまだ今年、ねぎらいをまだ受けていない。一年間、ずっと働きづめなんだ」
こうしているのも心苦しいけれど、と付け足しながら、彼はなお足元を、つま先でとんとん叩いている。
見張り出して、10分近く経ったろうか。
彼は腕時計を気にしながら、何度か山頂を見やっていたが、その10分後のタイミングで。
うずまりながら顔を出していた岩たちが、ふっと姿を消した。
同時に砂利といくらかの短い草を生やしていた地面が、一緒になくなっていた。彼らはもろともに、突然の地面の陥没に巻き込まれてしまったんだ。
誰かが上からすくい取ったかと思う、見事な形の穴。あっけに取られるいとこの前に、木立から出た彼が立った。
「あそこもやる気が限界なんだ。いよいよストライキを起こしちゃった」
いうが早いか、彼は穴へダッシュ。ためらうことなく、その中へ飛び込んでいってしまった。
自殺じゃないか、といとこは穴へ駆け寄る。その瞬間に見た穴は、底さえ見えない深いものだったけど、長続きはしなかった。
ほどなく、先ほど見えなくなった景色が底からせり上がってきたからだ。まるで舞台装置であるかのように、ゆったりと音を立てず、そのうえでぴったりとおさまる形と大きさの地表がね。
その中心部で、微動だにせず共に上がってくるのは例の彼。両のつま先を地面に突き立てたまま固まる様子は、ホールケーキに飾られる人形さながらの出で立ちだったとか。
彼は同じことは、全国で起こりえると話してくれたらしい。
だから自分は時間を見つけて各所をめぐっている。ローテは気にしているようだけど、ときにへそを曲げる奴がいて、そいつが突発的な事故として、ニュースで報じられるパターンなのだとか。