第26話 赤鬼吠える
憎き島津軍を追撃する井伊隊の前で、逃走中の薩摩軍が再び隊を分ける動きを見せ始めた。居残るらしい一団は道をふさぐように、薄く広く扇型に広がっていく。
「ヤツらの体制が整う前に突破しろ!」
井伊兵部の指令に、赤備えと呼ばれる彼の精鋭たちはさらに速度を上げた。
向こうの布陣も終わったようだが、準備ができる前に近づけば近づくほど、あちらは種ヶ島を連射する時間の余裕がなくなる。その為の突撃だ。
馬で駆ける先鋒隊のすぐ後ろには井伊本人が率いる本隊。騎馬隊で敵の構えを蹴散らし、すぐに騎馬と徒歩で混成された本隊が蹂躙、殲滅する。
この二段作戦で島津の足留めなど一息に踏み潰し、すぐそこを走る島津弘歌を捕捉できるはずだ……兵部はそう考えていた。
松平隊の仇を討つまで、あと一歩。
井伊の頭を占めるのはこの一戦の勝利ではない。そんなのはもう決まった話で、さっきから彼が考えているのはただ一つ。
(若に手柄を立てさせねば……)
それだけだ。
なんなら島津維新は生け捕りにして、下野守に首を討たせてもいい。とにかく期待の御曹司に殊勲をあげさせたい。その一念であった。
なので兵部君は、ちょっと注意力が御留守になっていたのだった。
◆
「井伊の赤鬼ともあろうものが迂闊だな。勝ちに驕っているのか?」
街道上に堂々と立ったまま、豊歌は傲慢な追手の戦術をせせら笑った。続いて周囲に座り込む配下に命じる。
「各個に照準、まず先頭集団を殲滅せよ」
「承知!」
迫って来る井伊隊が、馬上から発砲してくるが……豊歌は周囲をかすめる弾雨を、そよ風のように楽しんだ。どうせ騎乗での射撃はまぐれでしか当たらない。
「井伊勢は鉄砲の使い方を知らんようだ。田舎者どもに、正しい使い方を教えてやれぃ!」
「おうっ!」
◆
薩摩兵が一斉に射撃を始めた。やはりタイミングが遅すぎる。あれでは、突撃している騎馬隊相手に一撃しかできない。
先頭集団がいくらかやられるだろうが、許容範囲。冷徹な井伊はその程度の損害は予測済みだ。
……だったが、先鋒隊が丸ごとバタバタ倒れたのはさすがに想定外だった。
「……はっ!?」
さらに、本体の前衛までもが馬ごともんどりうって横倒しになっていく。意表を突く集中射撃に、撃たれた武者の悲鳴さえ遅れる。
そんなバカな!?
これほどの数の騎馬武者を一撃で叩くほどの数の鉄砲など……。
驚愕に眼を見開いた井伊兵部の視界の端に、異様なものが映った。
台座の上に据えられた、大型の不格好な鉄器。
種ヶ島の銃身のようなものを何本も円形に束ね、後ろの射手が横についた取っ手を回して丸ごと回転させている。グルグル回る銃身からは順々に煙が湧き上がり、その後尾にはカラクリへ飲み込まれる早込めと思われる円筒が列をなして……。
間違いない。アレは信じられない数を連射できる種ヶ島だ。
なんだ、アレは⁉
言葉にならない驚きで喉が詰まった井伊の馬が、ぐらりと傾いた。
そしてそのまま前方へ投げ出された井伊自身も、次々飛び来る火線の上に……。
「そんな、バカなァァァアアアッ!?」
◆
「井伊勢も、ちょうどいいところに次々と来てくれるじゃないか」
わざわざ当たりに来てくれるとしか思えない井伊隊の動きに、豊歌は満足げに秘密兵器を見やった。
実は薩摩、鉄砲については日ノ本の中でも先進国と自負している。何しろ鉄砲口伝の地・種ヶ島は薩摩領だ。
「どうだ、柏木。“辛子蓮根”の使い勝手は?」
多銃身機関砲を操る鉄砲方、柏木源藤は首をかしげた。
「想定よりも連射能力が遅いです。やはりいくら薄くしても、早込めに火縄を押し付けて着火するのでは一拍遅れます」
「うーん、しかし最新の火打石式だと、この機構自体が成り立たないのでは……考えどころだな」
「はっ」
そんな話をしているうちに、用意していた弾が尽きた。
「玉薬の消耗が早いのも予想以上だな。柏木、おまえはこの結果を持って叔母様を追え。貴重な経験を持ち帰れば、母様の怒りも多少は和らぐかもしれん」
「……分かりました」
ここに残らず逃げろと暗に言われた柏木が残念そうに駆けだすのを見届け、豊歌は敵に向き直った。
まだまだ周囲の島津兵が射撃を続けている。井伊兵は指揮官をやられて統率が取れておらず、混乱して浮足立っていた。
そのわりに、我を忘れて敗走する様子もない。
「逃げないのは大将を置き去りにできないからか? なるほど。井伊の赤備え、精強無比の看板もこけおどしではないようだ」
豊歌は失礼な評価をしたと反省した。
反省したので、精いっぱいの礼を尽くすことにした。
「集合!」
弾が尽きた種ヶ島を捨てて、生き残りの兵が駆け集まる。
「何人いる?」
「ざっくり二十ほどです」
「重畳だ」
豊歌は目を細め、犬歯を剝き出しにして笑った……いや、嗤った。
そして手にした槍を、混乱している井伊勢に向けて。
「さあ、者ども……大いに狂え!」
◆
味方した大名たちを次の戦いに向けて再配置する為、徳川本陣からは次々使い番が出入りしていた。なかなかの乱戦になったので、勝った側でも兵をまとめて状況を確認しないと全体の様子は分からない。
それでもすでに、反徳川派は崩れ去ったのは確定している。勝利に浮き立つ本陣の空気は明るかった。
「これは、今日中に大坂を押さえられるかもしれぬぞ」
そんな冗談を飛ばすほどに徳川内府は上機嫌だった。当然だ。後は外交交渉の領分で、もはや槍鉄砲で徳川に楯突く者などどこにもいない。
……そこへ。
「殿!」
「ん?」
血相変えた使い番が入ってくる。
「どうした?」
「はっ……島津勢を追った松平下野様、敵の銃弾を受けて負傷されました」
「なんと!」
最後の最後に息子が撃たれたと聞き、さしもの古タヌキも顔をこわばらせた。
だが、今は総大将として戦況の把握が先だ。
「それで島津は?」
「はっ」
一瞬口ごもった使い番の顔色を見て、内府と横にいた本多平八郎は悟った。
(あ、コレ……本題はここからだな……)
顔面蒼白の使い番は、主君の顔を見ないように早口で……。
「……代わって追撃した赤備え、壊滅ッ!」
「なんだとっ⁉」
「井伊兵部様も意識不明の重傷でございます!」
「やったあ!」
「おい平八郎!」
もうやけくそのような勢いで報告は続く。
「まるで長篠の合戦の武田軍の如く、突撃する井伊隊は猛烈な射撃を受けて弾幕の中でバタバタと倒れ……しまいには陣の中に乱入した島津兵に片っ端から撫で斬りにされたと」
「さすが赤備え、伝統に恥じぬ戦いぶりだな」
「言うとる場合か、平八郎! 赤備えもそんなことまで本家をマネないで良い!」
徳川の最精鋭部隊が、この期に及んで壊滅……。
仲の悪い井伊兵部の失態を喜んだ本多も、落ち着いたらさすがに口を慎んだ。
チラッと主の顔を見る。
「どうします? 次に誰に追撃させるか……」
「もういい!」
おそるおそる尋ねる本多に、半ギレの徳川が叫んだ。
「島津など放っておけ! これ以上損害を出したら割に合わぬわ!」
◆
未の刻頃、徳川内府より島津勢の追撃中止命令が下される。
これにてのちに“関ケ原の戦い”と呼ばれる世紀の一戦は終わりを迎え……“反徳川派が腰砕けの中、一矢報いた島津維新”という評判が世を席巻することになる。
だが。
その島津維新たちの苦難の帰宅は、まだこれからが本番だった。
物語の豆知識:
教科書に一瞬だけ「鉄砲伝来」で名前が出て来る種子島時堯さん、独立大名ではなく島津氏の家臣です(関ヶ原の二十年ほど前に亡くなってます)。
多銃身機関砲の元祖を作ったリチャード・ガトリングさんはこの二百年ほど後に生まれています。ガトリング砲ができるのは1861年。幕末ギリギリ。ペリー来航当時にはまだ無いですね。




