第17話 開戦! 関ヶ原
【警告】
定時更新しましたが、今回は小学生男子の好みそうな下ネタ描写が入っています。
食事から前後二時間あいだを空けて読んで下さい!
ようやく空が明るみ始めた夜明け時。
朝もやが立ち込める薄明の平野に、騎馬武者の影が浮かぶ。
「来たぞーっ!」
見張りの緊張が伝わる叫び声に続き、攻め寄せた足軽隊からやけくそのような音量で鬨の声が巻き起こった。
「始まったか」
響き渡る戦場音楽に、弘歌隊を実質仕切る長寿院盛淳はつぶやいた。
「いよいよですね」
同僚の新納旅庵も眠たげに遠方を透かし見た。
「霧が邪魔ですね」
「受ける側は不利ですな」
視界が効かないと、場所を移動している攻撃側は数を悟らせないことができて有利だ。逆に守る側は陣地の場所もバレているので、弓鉄砲を適当に撃ちこまれても当たってしまう。
とはいえ。
「ま、朝もやがかかっているのも日が出るまでですよ」
「腹ごしらえでもしときましょうかね」
戦場の有利不利はいくらでも入れ替わる。開始直後にどうしようもないことを気にしても仕方ない。老練な家老たちにとって、こんなのはどうでも良いことだった。
一方、そうそう簡単に諦められない者もいる。
「むう」
島津弘歌はまるで視野の効かない戦場に頬を膨らませた。
「全っ然見えぬのじゃ」
「朝ですから」
「お天道様も気が利かぬと思わぬか?」
「それがお天気です」
「せっかくのいくさなのにのう」
そんな話をしているうちに山の稜線から太陽が顔を出し、戦場の霧は急速に晴れて行った。
「お、見通しが良くなってきたのじゃ」
近くにいたでっかいのに肩車をせがんだ弘歌が、嬉々として高い所から見回してみると……。
「……徳川方がめいっぱい押して来とるのじゃ」
兵数に劣り形勢が悪いはずの徳川派連合軍が、なぜか反徳川派の陣へ猛烈な勢いで攻めかかって来ていた。
「磨り潰される前に先手を取って、こちらの軍の中枢部を潰してしまえという作戦ですね」
「自棄なのじゃ?」
「これも立派な戦いです」
自軍を包囲する十万の兵全体と戦うのではなく、主導する石田治部の周辺だけを集中して叩く。その一局面だけを見れば、部分的に優勢になる。
「言うことは分かるが、そこだけ攻撃しているあいだに周りから袋叩きに遭うと思わんのじゃ?」
「石田や小西ならサクッと殺れると見ているんでしょう。そして石田勢を潰せば反徳川派は頭がいなくなって、それ以上やる気が無くなると見込んでいるのではないかと思います」
「なるほどなのじゃ」
徳川方はこちらが烏合の衆だというのを見抜いて、機敏な判断ができないのを逆手に取ってきていると。
弘歌は自分の左手のほうにいるはずの石田軍を振り返った。
「石田は内府からも舐められとるのじゃ」
「そういうことですね」
石田君の評判はともかく、島津軍としてはどうするかを決めねばならない。
「反撃……と言っても、我が隊だけが突出しても意味ないですね」
全体が一斉に動いてくれないと、それこそ“出る杭は叩かれる”事になりかねない。せめて両側の石田、小西勢と同時に動きたいところだが……。
「両方とも、防戦一方ですね」
「軍議の時にも、勝手に一人で動くなとくどいほど念を押されたのじゃ」
子供に言い聞かせるみたいに、石田治部は弘歌にくどくど耳にタコができるほど言い聞かせてきたのだ。あの態度は全く腹が立つ。
「あんなに言わんでも……ワシ、勝手に一人で動いたことなど一度も無いのじゃ」
「…………」
「お豊は大丈夫かのう……」
なぜか返事がない家老を放っておいて弘歌は、今まさに防戦中であろう前衛部隊を思いやった。
「物足りなくって、欲求不満で血管切れてないかのう」
◆
前衛部隊を率いる島津豊歌は、血管は切れていないが欲求不満ではあった。
「面倒ですね」
島津隊の前面にも、功を焦った松平隊が押し寄せてきている。激しい叩き合いが始まっているが……。
「突出するなと釘を刺されているので、防戦一方で反撃に出ることもできない。それでは力押しをする意味もない」
左右を見ても、早朝の不意討ちで友軍は押し込まれている。とても押し返せる状況ではない。
「……逆襲もできない受け身の戦いなど、無駄過ぎてやる気も起きないですね」
豊歌が好きなのは侮って襲いくる大軍の横っ面を殴りつけ、立てなくなるまでぶん殴って自尊心を踏みにじる。これだ。
静かに忍耐力を切らした豊歌は、応戦を指揮していた副将を呼んだ。
「伊勢殿」
「はっ、ここに。どうなさいますか?」
全面反攻を期待している家老に“まだ駄目だ”と首を振り、豊歌はやる気の見えない顔で後ろを指した。
「ここ数日の駐屯でだいぶ溜まっているでしょう。二番手に肥桶と柄杓を配りなさい」
◆
「押し潰せ!」
松平隊は大将自ら槍を振るい、烈火のごとく敵陣に襲い掛かった。後見の井伊兵部の軍勢と合わせれば七千を超える。彼らは勇猛と名高く、かつ数の少ない島津軍を狙っていた。規模の大きい小西や宇喜多を狙うより、大将首が取りやすいだろうと思えたのだ。
松平下野守は血気にはやっていた。
「この戦いで大手柄を立てれば……!」
後の言葉はさすがに言葉に出せず、飲み込む。“兄たちを押しのけ、徳川本家の家督を獲る!”などと、おおっぴらに言える言葉ではない。ないが……。
それでも期待に突き動かされ、下野守はあらん限りの声で叫んだ。
「行けえええっ! 島津の首を取るぞ!」
「おおおうっ!」
家臣たちを鼓舞し、自らも突き進む松平の前で……島津の動きが変わった。
◆
体格が良いので先導に指名された木脇祐秀の横で、戦友が手に持った柄杓を見ながらぼやいた。
「なんつーか、うちの姫様……顔はお綺麗だけど考えることはえげつねえな」
「その辺りもご当主様の若い頃に似てるわな」
「弘姫様も、そう育っちまうんかな」
「すでに片鱗が出とるたい」
作戦がどうあれ命令は命令だし、正直これぐらいやってもいいかという気はしている。木脇は指示が出ているのを見ると、中身をこぼさぬように柄杓を振りかぶった。
「さーて、目にもの見せてやるたい」
◆
愛馬を急がせる松平下野守の目に、何か違和感のある光景が飛び込んできた。
最前列がこちらの足軽と槍で突き合っている、すぐ後ろ。なぜか武器を持たず、水汲みでもするような道具を持っている。
「なんだ? 島津ども、何を考えている……?」
指揮官の常で思わず異常な動きを観察してしまった下野守が、考えをまとめきれないうちに……。
他の者より頭一つデカい兵が、柄杓らしきものを大きく振りかぶった。そして松平隊でも最も目立つ騎馬武者である彼に向けて。
ヤバい、と思った次の瞬間。
「グハァッ!?」
顔面に形容しがたい物体が高速で衝突し、松平下野守はそのまま後ろに飛んで落馬した。
◆
今戦っている最前線からかなり後方の桃配山で、徳川内府は遠眼鏡で戦況を見ていた。
「うむ、こちらが優勢なようじゃの……ん?」
敵主力のいる戦線中央より右翼寄り。そちらには相手の主導者である石田治部がいることもあり、福島勢や黒田勢が猛攻を加えている。
ところがなぜか、その激戦地の真ん中でぽっかり味方が迂回して通る場所がある。内府は腹心の武将を呼び寄せた。
「おい、平八郎よ」
「はっ」
「あそこ……なんで島津勢の前だけ空いとるのじゃ?」
「それなのですが……」
豪胆ぶりを亡き豊国大公からも絶賛された猛将が、なぜかひどく言いずらそうにしている。
「どうした?」
「それが……下野様、それから井伊と福島が入れ替わり攻撃したのですが……」
「ふむ」
「やつら、こちらが攻めかかると」
「うん?」
「ウ……排泄物を投げつけて威嚇して来るそうで」
世間の荒波に揉まれて五十余年。あらゆる辛酸を舐め尽くし、いかなる事態にも動じない古狸が……状況を理解できなくて固まった。
「……島津はどこのチンパンジーじゃ!?」
「籠城戦ではよくあるのですが、まさか野原の真ん中の野戦でそんな事をしてくるとは思いませんで」
「じゃろうな!? それにしても、攻め寄せるこちらも何をやっておる! たかがアレじゃろ!? それぐらい我慢して槍を合わせられんのか!」
「それがどうやって投げているのか威力がすさまじく、下野守様が顔面に受けて落馬・失神……一時意識不明で後送されました」
「忠吉ぃ……!?」
「とんでもない剛速球で飛んで来る排泄物に次々指揮官が狙い撃ちにされ、配下の兵も武器が武器だけに士気がダダ下がり……この華やかな一大決戦に、なぜしょっぱなからこんな目に遭わねばならぬのかと悲しくなるそうで」
「聞いてる儂が泣きたいわ!」
内府はかぶっていた烏帽子を投げ捨てると叫んだ。
「ええい、島津など放っておけ! 向こうから打って出てこない限りは無視で構わん。とにかく治部を突き崩せ!」
◆
「……なんでか、うちの陣の前は敵が避けていくのじゃ」
「我が軍の恐ろしさが徳川方も身に染みたようですな」
「うむ!」
どうやら敵の心胆を寒からしめたようで、弘歌は満足して軍配を振った。
「良きかな良きかな! これは姉ちゃんに良い報告ができるのじゃ!」
物語の豆知識:
松平忠吉は家康の四男ですね。




