主人公絶望する
翌日、約束からもう一日以上経っているし、食糧も減ってきたので、玄に庭師のことを相談しようと思った。
案の定、水くみをすると起きてきた玄に、庭師のことをいおうと口を開く。が、どうしても言葉が出ない。
だが、玄はなにかいいたいことがあると察してくれたようで、水をくむ手を停めた。
「どうした? ああ……」
玄はちょっと、黙り込む。「そういえば、お前の名前を知らない」
庭師から聴いていないのか、聴いたが忘れたのか、玄はそういって肩を落とした。
「僕もなのっていなかった。僕は玄だ。お前は?」
ふう、といおうとしたが、やはり声が出なかった。咽になにかつかえたみたいで、まともに発声できないのだ。
玄はつるべ桶から木桶に水をいれ、運んでいった。わたしはそれを追いかける。玄は木桶の水をみずがめへ移して、板の間へあがり、奥へ行ってしまった。
追いかけようかどうしようか迷っていると、玄は紙と、細い筆を持って戻ってきた。「文字は書けるか?」
頷いて、筆と紙をうけとった。筆の穂先にはたっぷりと、墨がしみこんでいる。
板の間へ紙をおいて、「ふう」と縦に書いた。玄はわたしの隣に立って、それを見る。「ふうか。お前はふうだな?」
頷く。
「それで、ふう、なにをいいたい?」
庭師が戻ってこない、約束よりも帰りが遅い。そんなようなことを書いた。玄はふんふん頷いて、わたしの手から紙と筆をとる。
「そうか。なにかあったのかもしれんな。ふうは知らないだろうが、この間も道が崩れてしばらく移動が制限されたんだ」
成程、土砂崩れなり崖崩れなりがあったら、移動できなくなるのは当然だ。
庭師がどうなっているのかは知らないが、まさか逃げているということはないだろう。
雑巾を持ってきて、板の間を拭いた。ちょっとだけ墨がつく。
問題は、食糧が減り続けていることだ。玄は沢山食べるし、そもそもここに来た時にすでに干物や納豆はなくなりかけていたのだ。
納豆は、村ではつくっている家がない。食べたかったら、隣町まで買いに行かないといけない。干物もそうだ。干物は年に何回か、行商人が来てくれるが、村まで来てくれてもそれがここまで来るとは限らない。そもそも、昔この村に通っていた行商人が相次いで失踪したとかで、行商人はなかなか来てくれないのだ。
高野豆腐はあるが、玄の食べる勢いでは数日保つかどうかだ。
そうなると、タンパク源はたまごや川魚、沢蟹くらいになってしまう。昨日は玄が魚を釣ってくれたが、毎日魚が釣れるという保証はない。
玄は育ち盛りなのだ。栄養が不足するのはよくない。
食糧を指さした。玄は、わたしの困った顔で意味がわかったらしい。絶望したような声を出す。「く、くいものがなくなりそうなのか?」
なくなりそう、ではないが、玄がこの調子で食べていたら、遠からずなくなる。だから頷いた。
玄はふらっと、よろけた。それから、下駄を蹴るように脱いで板の間にあがり、どたばた走っていく。
すぐに戻ってきた玄は、札入れを握りしめていた。「村に、食いものを売っている店はあるか?」
村では大概、物々交換で手にいれていたし、お金が絡む取引は外のひととだけだ。ふうの記憶では食べものを買ったことがないので、適正価格がわからない。多すぎても少なすぎても問題が起こりそうだから、お金を持っていくことはしたくない。
頭を振った。玄はああっといって頭を抱える。この子、食べることに命をかけてるな。まあ、ほかに楽しみなんて、そうないものね……。