ふたりきり
味も悪くはなかったみたいで、玄はぺろっと納豆オムレツを食べてしまった。宣言通り、さつまいもご飯をやっつけたあと、炊きたてのご飯もかきこんでいた。
わたしは、玄がそうせよというので、隣に腰掛けてご飯と味噌汁を戴いている。玄は朝のふかし芋の残りを、軽く塩をつけて食べている。
「あの漬けものは、隣町で売っていたらしい。庭師が買ってきたんだ。馬に荷車をひかせて」
頷いた。味噌汁、少し味が濃かっただろうか。でも、おかずのひとつだから、これくらいでいいかな。
玄はお茶をすする。「お前、飯をつくるのがうまいなあ。僕はこんなにうまい飯は食べたことがない」
わたしは首をすくめた。
傍で、ランプの灯がゆらゆらしている。TVもラジオもない生活だ。本を読むくらいしかやることはない。あとは玄のように、楽しそうに食事をするか。
玄が欠伸をした。わたしは残りのご飯を口に詰め、味噌汁で流しこむ。水はちゃんとくんで張ってあるから、火をおこしてお風呂をわかさないといけない。
お勝手から出ると、玄がのそのそついてきた。なにをするんだ、と訊いてきたが、方角で察したのだろう。ああ、といって、さっと屋内へ戻った。
火をつけ、薪をつぎたしていると、風呂場から光がもれた。玄がランプを持って、風呂場まで行ったのだろう。
ぱたっと窓が開いて、玄が顔をのぞかす。といっても、黒頭巾をかぶったままだ。
「すまんな。いつもは日があるうちにはいってしまうのだが、最近朝起きられなくって、遅れてしまう」
玄はもごもごと、そういいわけして、ひっこんだ。わたしは火の番で、そこでしばらく立っていた。
玄が寝たので、ぬるくなったお湯をつかった。手拭いで体をこすり、髪の毛を解いてお湯を張ったたらいに頭をつっこみ、洗う。歯の欠けた櫛で髪を梳く。
玄はせっけんをつかっているみたいだが、ふうは一介の使用人である。勝手にせっけんをつかったら、怒られるだろう。それに、ふうは生まれてこのかた、せっけんなんてつかったことはない。そもそもお風呂にはいることさえまれだ。大概は、近場の川で体を洗ってお仕舞である。
せっけんはなくても、お湯だったので、だいぶさっぱりした。わたしは髪の水気をしぼって、箸みたいな飾りけのないかんざしでぐいっとお団子にする。さっきまで着ていた襦袢を、残り湯で洗った。
手拭いをしぼり、それで体を拭く。清潔な襦袢を身につけ、しごきでとめる。洗った襦袢もできる限りしぼって、浴室を出た。夜だけれど、星明かりはあるからものは見える。
襦袢、それからお湯をつかう前に洗っておいた玄の服を、竿に通して、物干し台に引っかけた。今夜はこれだけ星が出ているのだから、朝までにはだいぶ乾くだろう。浴室を簡単に掃除してから、寝よう。
翌朝になっても、庭師は帰ってこない。
わたしは浴槽に水をため、次はお勝手のみずがめへ水を運んでいた。「おい」
玄だ。
手に、羽織を持っている。繕い仕事でも申しつけられるのかと思いきや、彼はそれをわたしの肩へかけた。「これを着ておきなさい。少しはあたたかいだろう」
お辞儀する。玄は多分笑った。
またしても、玄は水くみをかってでてくれた。断ろうとすると、この家では僕が一番偉いのだぞと突然権力を振りかざしてくるので、わたしは結局玄に木桶を渡す。
玄が水くみをしてくれるので、その間に乾いた洗濯ものをとりこみ、板の間の拭き掃除をした。それから、玄の部屋へはいる。
特にかわったところはない。布団はきちんとたたんで部屋の隅に置かれ、窓は開け放たれて風が通っていた。つづらが重なってふたつ、その向かいに文机があり、高価そうな硯や筆置き、文鎮がある。本も数冊置いてあった。
布団を運んで、干した。水を運んでいた玄が、恨みっぽくいう。「僕の寝床を奪ったな」
見詰めると、玄は声をたてて笑った。
「いい、いい。わかってるさ。布団は日にあてたほうが、夜あたたかいしな」
玄の部屋の畳も、かたくしぼった雑巾で拭いた。玄は綺麗好きみたいで、部屋は清潔な雰囲気だ。
本の表紙の字は、かろうじて読めた。ふうは文字を読めないが、わたしは日本語なら不自由しない。「月下の菫」は日本らしき国が舞台なので、文字や地名は日本語である。ただ、実際にはないものが書かれているし、それは二次創作で顕著になった。
草書か行書なので、読むのに苦労したが、どうやら小説らしかった。玄は読書家なのだろう。それに、こんなところで隠居生活を強いられているのだ。本でも読まなければやっていられない。
朝食は味噌汁と、炒めてごまをふりかけた白菜の漬けもの、梅干し、番茶。
でがらしと醤油で炊き込んだ飯を、玄はおいしそうに食べた。わたしは玄と同じものを少しずつよそって食べている。度々、玄がおかわりするので、落ち着いて食べていられない。
食事が終わると、食器を綺麗にして(といっても、灰汁と藁のたわしでこすってからゆすいで、最後に熱湯をかけるだけだ)、棚に置いた。ぐらぐらするお湯に布巾を放り込んでおく。
「おい」
火ばさみで薪をとりだし、水を張った木桶にいれた。この水を、食器洗いにつかうのだ。
玄は胸を張っている。「魚をとりに行こう。この辺りには川があるのだろう?」
玄は釣りが好きなのか、丈夫そうな絹糸と釣り針を持ってきた。それを懐にいれ、玄は家を出る。わたしは余った飯を、なかに梅干しをいれて握って、葉蘭で包み、懐にいれた。ふかし芋も葉蘭に包んで持っている。それから、ざるもふたつ持った。
玄がかしてくれた羽織はあたたかく、歩いているとうっすら汗ばんできた。玄はみちみち、その辺の植物を物色して、しなやかで長い枝を発見し、肥後守で切りとった。それに糸をくくりつけて、釣り竿のできあがりだ。
お邸の裏手の森をぬけると、滝に出る。少し下流に行けば、魚がとれる筈だ。たまにお父さんが、そこで魚をとってきていた。
記憶のとおりのところに滝はあった。からすのたまり場でもあるのか、からすが数羽、上空を舞っている。玄はそれを仰いで、ふっと息を吐く。「からすは気ままそうだな」
からすに気をとられた様子の玄の袖をひっぱる。玄ははっとしてわたしを見、停まっていた足を動かした。
下流には、子ども達が数人来ていた。玄が木陰からそれを見ている。自分があらわれたらおどかすのではないかと気をもんでいるらしい。
わたしがそちらへ行くと、魚を数匹魚籠にいれた子ども達は、さっと走っていなくなった。ふうが森の奥の謎の若さまの妾になったと知っている大人が、それとなくそのことを伝えているのだろう。昨日村へ行った時も、わたしを避けるひとは居ないでもなかった。
玄が出てくる。「あの子どもらは、どうして逃げたんだ?」
首を傾げた。玄はそういったことに頓着しないようだ。
丁度いい石に腰掛け、玄は釣り糸を垂れる。わたしは羽織を脱いで、たすきを掛け、裸足で河原を歩く。石をひっくり返して、沢蟹を見付けるとざるに移した。川蜷も、ふうの記憶では食べていたのだが、寄生虫がこわくて手を出せない。
沢蟹はあまりふとっておらず、玄の食欲には応えられそうになかった。
「来た」
玄がそういって、ぱっと立ち上がり、勢いよく釣り竿を立てた。ぽんと魚が宙を舞う。
玄は手際よく、魚の頭を潰し、内臓をとりだして洗った。数匹、魚を釣り、そうやって処理する。
からのざるを渡すと、玄は嬉しそうな声をたてた。
「お前はよく気がつく」
帰り道、玄は滝のところで、からすの群れに魚を一匹放り投げてしまった。からすが一羽、ついっとやってきて、それをくわえ、どこかへ消える。
なんとなく不吉な感じだったのだが、玄は豹変したりはしないし、勿論からすが美女に変身することもない。わたし達はとぼとぼと、まだまだ明るいなか、家に帰った。
夕飯は、炊きたての飯と、川魚の塩焼き、沢蟹の味噌汁だ。玄は飯を残さず食べた。
庭師はまだ帰らない。




