たまごを手にいれる
玄は森から出ようとしなかった。ここで待っているという玄に、お握りの包みを渡す。玄は戸惑った様子でうけとる。
「交換するのじゃなかったのか?」
もうひとつ、懐からお握りの包みをとりだすと、玄はふっと笑った。「手妻のようだな」
わたしは、おやつ、といおうとしたが、口は動くものの声が出なかった。けれど、玄は、おやつだな、といって、その辺の切り株へ腰掛けた。わたしは玄へお辞儀して、村のなかへとはいる。
森から近くは、村でも外れだ。「よう、ふう」
今はからっぽの畑のなかで、農具の手入れをしている男性達が、こちらに気付いて手を振ってくれる。わたしも軽く手を振った。
「ねえちゃん」
そのなかから、鉄砲玉のように、垢じみた顔の子どもが走り出してきた。お尻は丸出しで、裸足だ。ふうのやっつ下の弟、作次である。
わたしは作次を抱いてうけとめ、作次はきゃっきゃっと笑った。
「ねえちゃん、もどったの? おさとがえり?」
「さく坊、姉さんを困らすなよォ」
農具の整備をしている男性が、手を停めていう。目は笑っていた。ほかの男性がこちらを見る。
「ふう、なにか必要になったんじゃないのか?」
「森の若さまは、大飯ぐらいらしいからなあ」
作次がぴょんぴょことびはねた。「めしをたくさんたべられるの? いいなあ」
「さく坊もご奉公したらいいんじゃねえか」
「する!」
男のひと達が一斉に笑った。「おとこじゃあちゃんとしたご奉公はできめえ」
「ふうは女のなかでも特別、濃やかだからな」
「さくもできるよ! さらあらったり、みずくんできたり!」
男のひとがひとりやってきて、作次を抱え、つれていった。「じゃあ、さく坊は自分のやることをしなくちゃな。ほい、これを全部きれいに拭いてくれ」
「うん! ねえちゃん、またね!」
作次がぶんぶんと手を振っている。それに手を振り返し、わたしは再び足をすすめる。
すぐにまた、村人に掴まった。「おふうちゃん」
二軒隣のおかみさんだ。洗濯の途中だったようで、濡れた着もののはいったたらいを抱えている。
わたしは立ち停まって、ぺこっと会釈する。女将さんは顔色が悪くなっていた。
「どうしたの? 旦那さんにいじわるされたの? あのばかがあんたをおいて隣町まで行くなんていうから、心配してたんだよお。うちの娘もさア、あんたのこと気にしててねえ」
あのばか、とは、庭師のことだろう。
わたしは頭を振って、大丈夫ですといおうとした。相変わらず、声が出ない。
だが、わたしの表情で、なにか起こった訳ではないとわかってくれたらしい。おかみさんはほっと息を吐く。その拍子に、簡単に結った髪から櫛がすべりおちそうになった。ぱっと手でおさえている。
「それじゃあ、どうしたの? おかあさんの具合でも見に来たの?」
頭を振る。そういえば、ふうの母親は頭痛持ちで、時折酷く具合が悪くなる。
先程、玄にしたみたいに、身振りでたまごのことを伝えた。おかみさんはすぐに合点してくれて、笑顔になる。
「ああ、旦那さんは相当召し上がるかたなんだってねえ。たまごならひとつ余ってるから、持っていって」
お辞儀をし、懐から葉蘭の包みを出すと、おかみさんは笑顔のままそれを手で制した。ここには玄をいじめるようなひとはひとりも居ない。
おかみさんが近所に走って報せてくれたので、羽毛がくっついたたまごがみっつも手にはいった。いらないというおかみさんに、お握りの包みをおしつけ、かわりにたまごを大切に懐に抱いて、森へ向かう。
畑にはもう人影はなく、からすが数羽まいおりて、地面をほじくりかえしていた。
玄は待っていたが、切り株に腰掛けたまま眠っている。お握りは膝の上で、包みを開いてさえいない。
軽く肩を揺すぶると、玄はすぐに目を覚ました。「おお。たまごは手にはいったか?」
こっくり頷く。玄は喜んだらしい。弾んだ声でいう。
「それはいい。それじゃあ、今夜はたまごをいれた納豆を食べたい」
納豆は藁苞に三分の一だけだ。今朝、玄に食べさせたから、それしかない。
頭を振るが、玄はたまご納豆を食べたいとだだをこねる。わたしはちょっと考えて、頷いた。玄は嬉しそうだ。
「では帰ろう。お前が飯をこしらえている間に、お前の着るものをなんとかしてほしいと、おばあさまにお手紙を書く」
子どもっぽくいい、玄は歩きだした。わたしはそれについていく。不思議なことに、並んで歩いているのはどことなくいい気分だった。
玄はああいったが、やはりこれではたまごのはいった納豆というよりもたまごに間違ってはいってしまった納豆みたいだ。
お鉢のなかで、卵液に納豆が揺れている。これではあまりおいしくないだろう。
仕方がないので、くどに鉄鍋をかけた。一升壜から油をそれに注ぎ、人参のみじん切りをいれて軽く炒める。たまご納豆にもうふたつ、たまごを足し、醤油でしっかり味をつける。人参がやわらかくなったら、納豆入りの卵液を注ぎ込んで、まぜながらかためる。
火が通ったので、杓子で掬って皿へよそった。丁度、のそのそと玄がやってくる。「手紙は書いたぞ。明日にでも、誰かに遣いに走ってもらおう。さあ、飯だ」
いいながら、あがり框に腰掛け、いそいそと葉蘭を解く。さつまいもご飯の握り飯を食べるつもりらしい。
おひつを示す。
「それはあとでくう」
健啖家だ。
煮干しと干し大根と葉もの野菜の味噌汁、白菜の漬けもの、と並べると、玄は不満そうにこちらを仰いだ。「納豆は?」
納豆オムレツの皿を置く。玄はしばらくそれを見ていたが、うーんと唸った。
「うむむ。たしかに、産みたてのたまごでないと、腹を壊すかもしれんからな。気遣い、感謝する」
単に、納豆が少なすぎてやったことだが、玄はそういってくれた。