小径を歩く
玄はよく食べ、よく眠る。
なにもすることがないのか、玄はのそのそとやってきては水くみをしたがったり、なにか食べたいとねだってきたりした。その度わたしは、水くみのごほうびにさつま芋をふかしてあげたり、からっと菜種油で揚げた里芋に塩をまぶして食べさせたりする。
庭師は翌日のお午頃になっても帰らず、わたしは育ち盛りで腹ぺこの玄に少しでもなにかタンパク質をと考え、まだ日が高いのもあって、村へ向かって歩いていた。「おい」
はっとして立ち停まり、振り返る。と、玄が息を切らして走ってきた。あれだけ食べているのにどこへ消えているのか、彼はすらっと痩せている。おそらく、栄養はすべて、背を高くするのにつかわれているのだ。
玄がわたしの目の前で停まった。わたしはお辞儀する。
「どこへ行く」
答えようとしたのだが、どうしても言葉が出てこない。わたしは困って、村の方向へ手を伸ばす。
玄は不満に思ったみたいで、伸ばした手を掴んでぐいっと乱暴に下ろした。「なにか不満があるのか?」
そう訊いてから、はっと息をのんで手をひっこめる。
「すまない。脅すつもりじゃない」
わたしはそうでもないのだが、ふうは吃驚したみたいで、心臓がどきどきしていた。
「僕とふたりなのがこわくなったのか?」
なにか勘違いされている。わたしはぶんぶんと頭を振った。しばらく頭を洗っていないので、脂じみた匂いがする。
玄は小首を傾げる。わたしは、勘違いされているのはいやなので、両肘を曲げてから両手をぱたぱたさせた。
「なんだ?」
ぱたぱたしながら、口をぱくぱくする。玄はしばらく考え込んでいたが、わたしが頭の上で手をひらひらさせるとああっと声をあげた。
「鶏か?」
頷く。
今度は、手でたまごの形を示した。ひびをいれて割る動作も加えてみる。玄はははっと笑う。
「たまごだな。今度はすぐにわかったぞ」
楽しそうな声だ。わたしもつられて、ちょっと笑う。
玄はぴんときたみたいで、手を打った。
「成程。鶏を買いに行くのか」
ゆっくりと頭を振った。鶏を簡単に売ってくれる家庭はない。
鶏はおもにたまごを得る目的で飼っていて、雄鶏も飼っている家庭は少ないのだ。繁殖はめったにさせられない。たまごをあまり産まなくなった鶏なら潰してしまうが、それもたまにしかないことである。
鶏を売るくらいなら、子どもを売るほうが簡単にできる。人間なら繁殖は容易だ。
わたしがもう一度、たまごのゼスチュアをすると、今度こそ玄に通じた。「たまごだな。お前はたまごを手にいれたいのか」
通じたのが嬉しくて、にこっとした。玄も心なし、満足そうに見える。
「金はあるのか」
頭を振る。
「では、買えない」
それにも頭を振った。
懐に仕舞いこんでいた、さつま芋ご飯のお握りをとりだした。お握りにはごま塩を幾らかまぶしてから、庭に植わっていた葉蘭で包んでいる。
右手に持ったお握りの包みをさしだしながら、左手をひっこめた。
「交換……ということか」
頷く。ふうの記憶がたしかなものなら、お握りひとつでたまごひとつくらいにはなる。粟飯や麦飯ではなく、白飯、それもさつま芋ご飯で、ごま塩までついているのだ。二日か三日にいっぺんなら確実に手にはいるたまごと交換しても、惜しくはない。
お握りを懐へ戻した。
玄がちょっと思案げにしてから、村のほうを指さした。「手前まで、送ろう」
妙な流れで、玄と並んで歩いている。たまに、下駄が石にひっかかって、からからと音をたてる。
ふうはでがらしみたいな紅花で染めた、黄色の麻の襦袢に、何度も染め返して濃い小豆色になった、母親のお下がりの小袖、短くてふうくらい器用でないと結べない縞の帯を身につけ、裸足に下駄をつっかけている。
履きものはそれしかないし、着るものは同じような襦袢がもう一枚と、あとは、数人分のお下がりを解体して接ぎ合わせた、珍妙なパッチワークの小袖しか持っていない。帯は一本きりだ。勿論、しごきは数本持っているが。
でも、ふうは着るものに満足していたし、わたしもそう不満でもなかった。着付けているからか、動きやすいし、黄色だけど紅絹みたいな襦袢はあたたかい。
結んで二重にし、肩からななめにかけたしごきを、なんとなく触った。玄がもそもそという。「お前、寒そうな格好をしているな」
玄を見る。寒いか寒くないかでいえば、寒い。なので頷いた。
玄はいう。
「支度金をもらわなかったのか?」
支度金……お父さんが持って帰ったお金のことだろう。あれなら、地主に滞納している地代でほとんどが消えた。あとは、しばらくふうの家の日々の糧に消費されるだろう。
去年は、この近辺の畑も田んぼも、酷い不作だった。もとから貧しい村だけれど、小作農をしている家は今、どこもあっぷあっぷしている。家財を売って難を逃れたところが大勢だが、遠くへ売られた娘も数人居た。その点、自分は運がいいと、そうふうは思っているみたいだった。
森のなかの小径はだらだらと続いている。わたしが頷かないからか、玄は事情を察してくれたみたいで、低声でいう。
「今度、父……おばあさまへ相談さしあげてみる。それまでは、男もので悪いが、僕の着ものをかしてやろう」
わたしは玄へ向けて、深く頭を下げた。ふうならそうする気がしたからだ。