ふう、十四歳、ヒロイン
「ふう?」
気遣うような声がして、わたしはそちらを見上げた。よく日に焼けた青年が立っている。日光にあたりつづける仕事をしているのだろう、若く見えるが皺が多い。
青年はやはり、気遣うようにいう。
「どうした、気分悪くなったか?」
鼻にかかるような、癖のある喋りかただった。わたしは両手でぎゅっと握りしめている、木桶の縁を見る。木桶には水がたまっていた。
昨夜雨が降ったのだが、井戸端から飛んでいった木桶に雨水がたまったらしい。わたしはそれを覗きこんで、自分の顔をおぼろげに確認してしまった。
顔を見た時に思ったのは、「自分の顔じゃない」だ。そこには、まるまっちい鼻とそばかすの散った頬、あまり目付きのよくない女の子が居た。自慢だがわたしはそれなりに美人で、その辺を歩けばナンパされるし、買いものをすれば端数をまけてもらえるし、商品をひとつ買ったらもうひとつおまけしてもらえる。買ったものよりおまけが多いなんて日常茶飯事だった。
だが、この顔はどうだろう。さちがうすそうな唇で、細い首で、体格もどうやらよくないらしい。こんなの、もしもの時に反撃できないじゃん。わたしはしつこいナンパに備えて、日々筋トレをしていたのだ。
自分の顔がどうして突然変化したのか、と戸惑っていると、徐々に記憶がよみがえった。というか、頭のなかに記憶が出現した感じだ。
わたしはふうという名前で、貧しい農村の小作人の娘。この間、お父さんが突然、お金を沢山持って戻ってきて、わたしに「村はずれの森のなかにあるお邸で奉公しろ」といってきた。お母さんとお父さんは喧嘩して、わたしはその喧嘩をとめたい一心で奉公に出ると決めた。
そして昨日の朝はやく、ここにやってきた。おそろしい森をぬけて、小径をゆくと、ひとのいいのんきな庭師が迎えてくれたのだ。そして、まずお勝手に通されて、食事をつくるよういわれた。
わたしは飯を炊き、そこにあった食材で汁をつくって、庭師が買ってきた納豆をどんぶりに移してねぎをのせ、醤油をふたまわしした。炊きたての飯と、汁と、納豆まであるのだ。おご馳走である。
庭師がお膳を運んでいって、すぐに戻った。旦那さまは出されたものをかきこんで眠ってしまわれた、とにこにこしていた。そこでどうやら、このお邸には旦那さまが居るとわたしは知った。
お午すぎに呼ばれて、今度はなにか甘いものをといわれ、朝のあまりの飯と塩、初めて見るくらい大量にあった砂糖をまぜ、練ってまるめ、やはりめったに見る量ではないごまと砂糖をまぶしたものを白湯と一緒に出した。それも、旦那さまはすぐに召し上がって、お部屋でごろごろしているらしい。
夕暮れ時に、もう一度食事をつくった。飯を炊いて、汁をつくって、それでお仕舞だ。ふうの家では夕飯はないか、あってもおかゆや雑炊である。だから、飯と汁で充分だろうと思ったのだ。お膳を運んだ庭師は、困った顔で戻ってきて、今度はなにか菜をつけるようにといっていた。
そのあとはお風呂の準備をさせられ、それが終わると寝んでいいといわれた。わたしは奉公というのは火の番ばかりしなくちゃいけないのだなと思って、食べていいといわれていた余りものを食べて眠った。雨風の音が凄まじかったのを覚えている。
今朝は、旦那さまはお寝坊だそうで、わたしはその間に掃除をするようにいわれた。それで、水をくみに外へ出てみると、昨日は井戸端にあった木桶が遠くに転がっている。
わたしはそれをとりに行って、自分の顔をぼんやりとだが見た。
わたしは……わたしは、「月下の菫」ファン達のオフ会へ行くところだった。多分、死んだのだ。母方の伯母さんも同じ死にかたをした。重たいものを持ち上げて、意識を失い、ふつか間生死の境をさまよって、結局亡くなった。
血圧が高いから無理をしないように、睡眠不足はよくない、いきんだりしないように、と、かかりつけの医師から度々注意されていたものである。高血圧の薬は服んでいたのだが、睡眠不足にはかなわなかったみたいだ。
それで……それで。
「ふう」
もう一度、庭師がいう。昨日、彼は、俺は庭師だとだけいって、名前を教えてくれなかった。
庭師が近付いてきて、わたしの肩を軽く叩いた。「おっかさんがこいしいか?」
まだ若いだろうに、いやに年寄りくさい喋りかただった。わたしはふるふると頭を振る。庭師はそうかそうかと哀しそうにいう。
「じゃあ、旦那さまが待ってるから、はやいとこ掃除をしちまおう。おっかないひとではねえが、不機嫌になると長いからな」
庭師は自分の言葉に自分で頷いて、雑巾を手に歩いていった。彼は庭師なのだが、配膳もするし、掃除も手伝ってくれるのだ。
庭師、と、ふう。
「月下の菫」。
わたしは、「月下の菫」のヒロイン、ふうになっているらしい。
わたしは木桶の水を捨て、井戸端で軽くゆすいで、あらためて水をためた。それを両腕で抱えて運んでいく。縁側に木桶を置くと、庭師がやってきて汚れた雑巾を洗った。
奥に見える部屋は板張りだ。旦那さまの寝間だけは、畳張りにしてあるが、それ以外は板の間である。勿論、ふうが割り当てられた部屋もそうだ。
「俺がこの辺も拭いとくからよ、ふう、お前は水くみをしてくれ」
頷いて、汚れた水のはいった木桶を持ち上げた。そのまま井戸端まで持っていこうとすると、庭師が背後からいう。「ふう、水はそのへんに捨てりゃあいいだろう。なんにもならないんだからよ」
停まった。そういえば、そうだ。ただの汚れた水だし、環境に悪いということもあるまい。
わたしは木桶をからにして、井戸端へ走った。
それから二往復して、掃除は終わった。ほとんど庭師がしてくれたようなものである。彼はわたしが旦那さまをこわがっていると思っていて、掃除の最中に顔を合わせたら可哀相だと、外での作業を割り振ってくれていたようだ。
掃除が終わると、水桶を綺麗にして、あたらしい水をくんで運んだ。それも、庭師が手伝ってくれた。庭師といっても、旦那さまが華美な庭をきらうし、花の類もあんまり植えていないらしい。だから草むしりと、薪拾いばかりしているそうだ。木の世話もあるけどよおとにこにこしていた。
おかげで、薪は山程あった。わたしは記憶のとおり、薪をくどへつっこんで火をつけ、飯を炊いた。「旦那さまは大飯ぐらいだからなあ、また米を買いに行かんと。重たいんだよなあ」
そこの訛りだかわからない、「貧しい農民」と聴いてイメージするような喋りで、庭師はもそもそと愚痴をこぼした。わたしはそれを見るだけだ。
つやつやの飯が炊きあがり、おひつへ移した。鍋に湯をわかし、ごぼうのささがきと里芋の乱切りをいれる。ごぼうは洗ってそのまま、里芋は洗って箸でつきさし、表面の毛を焼いただけだ。皮のところからいい味がする。
ごぼうと里芋が煮えたら、味噌を溶く。用意されていたししゃもを焼いて、ぐつぐつしている味噌汁へ放り込む。庭師があっと叫んだが、わたしは手を停めない。
炊きたての飯と、ごぼうと里芋とししゃもの味噌汁を、それぞれどんぶりへよそった。庭師は心配そうだったが、お膳を奥へ運んでいく。旦那さまは奥の間に閉じこもっていて、出てこない。わたしが来ても、顔を見ようともしない。
それはそうだ。不美人で田舎くさい娘をおしつけられたと、機嫌を損ねている筈だから。
ここは「月下の菫」の世界だ。ただし、二次創作のほうの。
原作のふうは、ひなにまれな美人である。いとこから美人を手配したといわれ、玄は困惑するが、やってきたふうが所作などはぎこちないものの本当に美人なのでどぎまぎする。
一方、二次創作の最初の三行で殺されるふうは、最後のほうで「田舎くさいそばかす娘」だったことがあかされる。
玄のきょうだいが死に絶えたことを伝えに来たいとこが、「例の田舎娘の件は悪かった。僕も騙されたんだ」と玄に謝り、在りし日のふうがいかに凡庸な容姿で愚鈍な娘であったかが描かれるのだ。口が重たく喋らないし、玄がなにもしないのに玄をおそれてまともに顔を見せようともしなかった、と。
ちなみに、最初に殺された庭師とふう、死体は綺麗にからすが処理しており、駈け落ちしたことになっている。ほかの死体が見付かっていない村人も似たようなものだ。
つまり、わたしはもうしばらくしたら殺されるらしい。