元気づける
庭師は玄からお金を預かり、旅支度を調えて、わたしが急いでこしらえたお握りを持ち、出ていった。
玄は斧がなくなり、木の解体ができないので、薪拾いと魚釣りをしてきてくれる。わたしは玄が居ない間に、掃除をした。踏み台にのって、高いところを拭き、下におりて床を拭く。トイレはみんな綺麗につかうので、掃除が楽だ。梅雨の前に一回、くみとりに来てもらうことになっている。
二回、木桶の水をかえたあと、玄の部屋へはいった。玄の部屋は相変わらず整えられている。布団は、最近玄が自分で干してくれるようになったから、今はない。
天井と壁の高いところを拭き、踏み台からおりて壁を拭き、最後に畳をしっかり拭く。雑巾は一回、煮沸して綺麗なものにかえた。把手の壊れた鍋を、雑巾を煮沸消毒する用につかっているのだ。
畳はたまにひっぺがして、天日に干さないといけない。ふうの腕力ではそれはできそうになかった。前世なら、ジムで鍛えた腕力でどうにかしていたのに。今度、玄か庭師に頼もう。
ふーっと息を吐く。文机の上を拭くのを忘れていた。
木桶の水を外へ捨て、木桶は井戸端へ戻す。雑巾は軽く洗って、お勝手へ持っていき、丁度わいていた湯のなかへ放り込んだ。しばらくぐらぐらさせてから、薪を水を張った木桶へとる。こんな場所で火事になったら、誰も気付かないし、森ごと焼けて大変なことになるかもしれない。だから、火の始末は神経質なくらいでいい。
手を一回洗ってから、ぬらした布巾を持って玄の部屋へ戻った。文机の上から本や硯をどけ、布巾で拭いた。文机を綺麗にしてから、本やなにかを戻す。
表紙になにも書いていない本がある、と思って、それから、ノートだ、と気付いた。硯にはつかった形跡があるし、当然ものを書いてもいるのだろう。だから、ノートがあってもなにもおかしくない。
好奇心をおさえきれずに、わたしはそのノートをめくった。
「ふう」
びくっとしてノートを閉じ、振り返る。
玄が、肥後守を手に立っていた。わたしはノートを文机の上へ戻した。布巾を持って立ち上がる。
玄が肥後守を懐へ戻した。「読んだのか」
わたしは頷く。玄が、ああ、といって、うずくまった。
そろそろと近寄っていって、玄の隣にかがんだ。せなかを撫でてあげる。玄はショックをうけたみたいだ。
「ああ……ふう、あのな、僕はあんなこと、本気で思ってるんじゃないんだ。でも、どうにも腹がたって仕方がないと、あんなふうに……」
頷く。
玄のノートには、殺人計画が書いてあった。自分を勘当した家族をどうやって殺すか、だ。それはかなり詳細で、具体的で、実現可能なもののように思えた。
わたしは何度も何度も、玄のせなかを撫でる。この子はいい子だけれど、一歩間違ったらあれを実行するかもしれない、ということだろう。多分。でもそんなことはさせない。折角、ここで楽しそうにしているのだから、わざわざ犯罪をしなくてもいい。
玄は泣いているみたいだ。
「ふう、僕がこわいだろう?」
玄がこちらを見る。わたしは小さく頷く。正直、あれだけ詳細な計画を立てているのだから、こわい。
でも、まだ包帯をまいたままの玄の手を、ぎゅっと掴んだ。まめに触れていたかったのか、玄はうっという。
「ふう?」
口をぱくぱくさせる。声が出てくれない。ふうの体は、殺人計画にショックをうけている。
玄は洟をすする。
「……こわくても、我慢してくれるのか?」
我慢とは違う。頭を振った。通じないのがいらだたしくて、玄の襟を掴む。
玄はびくっとした。わたしは玄の体を揺する。「ふ、ふう、わかった、わかった。めそめそしない。だから、ゆるしてくれ」
いいたいこととは違うが、それでもいいような気がしたので、手をはなす。玄は殺人計画の書いてあるノートを手にとって、長く、息を吐いた。
玄と一緒にお勝手へ行く。わたしが布巾を洗って、お勝手の上のほうに渡してある紐へぶらさげる間に、玄はノートの背をまとめている紐を苦労して解き、ページをばらばらにした。
わたしが浸してあった米を炊きにかかると、玄はページを一枚ずつくどにいれ、燃やした。とっておきたいページが多いようだ。殺人計画は最初のほうのページに書いてあっただけで、途中からは「わらび餅を食べたい」「アイスクリンが恋しい」「オムレツライスをふうに頼んでつくってもらえるだろうか」「今日は薪を沢山拾った」「魚を三匹釣って戻ったらふうが喜んだ」などなど、のんき極まりない日記にかわっていたのだ。
ページは数枚燃やされ、玄はノートを再び綴った。しばらくしてから、くどから薪を外す。あがり框に座ってぼーっとしている玄の肩を叩き、かまを示す。
「ああ。飯がどうかしたか?」
見ていて、というつもりだ。わたしは村の方角を指し示した。
村は、村人がひとり殺されたからか、雰囲気が悪かった。農作業している男も女も、わたしが農道を通りかかるとさっと目を逸らす。「おふうちゃん」
二軒隣のおかみさんが走ってきた。たすき掛けで、重箱を持っている。畑におやつを持っていくのだろう。
わたしは会釈して、胸を叩いた。おかみさんは申し訳なそうにいう。
「朝はごめんね、あのひと達案内するの、ほんとはやあだったんだよう」
頭を振る。警察のひとに案内しろといわれたのだ。断ることはできまい。
おかみさんは心配げな目になっている。
「ねえ、旦那さん掴まったりしてないよね? 警察のひと達、あんたんとこから斧を持ってったって、娘がさア」
頭を振る。おかみさんはほっと息を吐く。
「ああ、よかったあ。あたしが警察の手引きしたみたいで、いやーな気持ちになってたんだア」
わたしはくすっとして、手でたまごの形を示した。おかみさんはぱっと表情を明るくする。
お握りとひきかえに、たまごふたつ、それにたまねぎが手にはいった。わたしはおかみさんにお礼をいって、お邸へ戻る。すれ違う村人達の態度がよそよそしい。
「ねえちゃん」
森の手前で、作次がとびついてきた。わたしは懐にいれたたまごが無事かたしかめ、作次の頭をぽんと撫でる。
作次はわたしの腰の辺りにしがみついている。
「ねえちゃん、だんなさんがみえちゃんころしたってほんと?」
殺された子はみえというらしい。
わたしはゆっくり頭を振る。作次はにこっとして、わたしからはなれた。
「そうだよね。芋くれたんだから、いいひとだよ」
作次の頭をするすると撫でた。作次は猫みたいに目を細める。この子だけでも、玄を信じているのなら、それでいい。
玄は横になって、寝ているみたいだった。お勝手からすぐの間には、干しておいた洗濯ものが散らばっている。とりいれてくれたらしい。布団もなくなっていたから、自分の部屋へ持っていったのだろう。
わたしは手にいれたものを、小さなざるへ移した。トマトやバターはないが、たまねぎと人参をみじん切りにして炒め、ご飯とといたたまごを加えて形成すれば、オムレツライスらしきものにはなるだろう。いや、かたまったチャーハンか……。
あがり框に膝立ちになって、玄の体を揺すった。こんなところで寝てしまったら、体がひえる。風邪をひいてしまう。
わたしの心配は、少し遅かったらしい。そっと触れた玄の体は、吃驚する程熱かった。




