包帯、手袋
おかみさんはわたしにぺこぺこして、さーっと居なくなってしまった。道案内をしただけだろう。庭師が目をぱちぱちしながら、あがり框へ戻る。
ひげの男のひとは咳払いしながらはいってきた。制服警官が説明したが、なんとかいう偉い警部さんらしい。名前はすぐに忘れた。
ひげの警部は、白い手袋をした手で、ひげをねじる。
「こちらのご主人は?」
「僕だ」
玄が立ち上がった。「なんの用だ」
偉そうな口調だが、警部は玄が華族の出だと知っているのだろう。怒ることはない。が、抜け目なそうな顔付きで、玄を見ている。
わたしは庭師が手にいれてきた急須でお茶をいれ、湯呑みに注いだ。警部へさしだすが、断られる。玄が怒ったみたいにいう。
「用件はなんだと訊いてる」
「実は、昨夜、隣町への道で、こちらの村人の死体が発見されました」
死体?
顔をなにか――斧のようなものだと警部はいった――で滅多打ちにされた、若い娘。村人らしいが、名前は、ふうには聴き覚えのないものだ。
娘の死体は、村よりも町に近い場所にあった。通りがかった行商人が気付いて、届け出たのだという。
「それで、こちらに怪しい者が居ると、そういいたてるひとが幾らか居ましてね」
わたしの手から湯呑みが滑り落ち、割れた。全員がこちらを向く。これはわたしの動揺だ。いや、ふうでも動揺するだろうか。
玄が立ち上がって、わたしの傍まで来た。手を握られる。庭師が頬張った飯をもごもごしながら、まっぷたつになった湯呑みを拾い上げる。「あーあー、むすめっこをおどかしちゃいけねえよお」
「これは申し訳ない」
警部が謝ったが、おざなりだ。「お嬢さんにはおそろしい話だったかな」
「それで、僕が疑われているということだな」
玄が切り口上にいう。警部は不本意そうにいう。
「一応、こちらにも訪ねただけです。こちらの庭師は、よく隣町に買いものへ行くそうだし、昨夜もそうだったかもしれない。なら、なんぞ見てはいないかと」
「昨夜はここに居たからわかんねえ」
庭師は端的に答える。玄が続いた。「僕と、このふうも、この邸に居たぞ。大体僕は、ここに来てから、村には一度もはいっていない」
「それを証明できるひとは居ますかな。ああ、お嬢さんと同じ部屋にいらしたので?」
玄は怒ったみたいだった。ひゅっと鋭く息を吸い込んだが、なにかいう前に庭師が立ち上がる。
「警部さん、そんなやぼなことあ訊いちゃなんねえよ。うちは旦那さまも奥さまも若いんで、はずかしがるからなあ」
庭師は帰ってきてから何日かで、なんだい旦那さまと同じ布団で寝ないのかア、と、玄とわたしがそういう仲になっていないことには気付いている。だからこれは、玄が怒鳴りそうなのを停める為に、わざととんちんかんなことをいったのだ。
それは、警部にも効き目があった。口をかぱっと開け、しかし言葉が出ていない。そして、警部がなにかいう前に、わたしは玄の手を握って、上下に振った。
わたしの動きに、再び全員の目が集まる。それから、あっ、と庭師がいった。ぺたんと額を叩いている。
「そうだったあ」
「なんだ? ……あの子はなにをしてる?」
「警部さん、あんたあ、手袋の指の先をご覧なさい」
庭師がにやにやしている。警部はぱっと、手を見た。指先は、ひげを綺麗な形に整えるためのあぶらで、うす汚い。
庭師が玄の手を示す。玄の手には、包帯がまいてあるが、それはまっしろとはいえないまでも、特に汚れらしい汚れもない。
「これは、昨夜奥さまが、旦那さまがいやがるのにまいた包帯だ。殺されたむすめっこは、相当むごい状態だったんだろ? こんなまっしろな包帯して、そんなむごいことしたら、包帯が血まみれになるんじゃないのかい」
警部はなにかいいたそうだったが、それ以上は追求されず、警部も制服警官も帰っていった。また来るといっていたので、完全に嫌疑が晴れた訳ではないだろう。
わたしは玄の手をひかれ、あがり框に腰掛けた。玄が味噌汁を茶碗についで、渡してくれる。わたしは少しさめたそれを、ずずっとすすった。「ふう、お前のいうことを聴いていてよかった。僕の疑いを晴らしてくれたな」
頭を振る。玄の手の包帯は、どちらもしっかりと端を結んであって、それを玄がひとりで首尾よくやれるかどうか怪しい。だから、一旦解いてやりなおすというのは、現実的ではない。
自分の分をさっと食べて、庭師が外へ出る。外であっと声がしたと思うと、庭師が困り顔で戻ってきた。
「あんのやろう、とんだ食わせ者だあ。斧を持っていってら」
「なに?」
玄が外へ飛び出した。すぐに戻って、はらだたしそうにいう。
「なんだ、あの無礼な……おい、隣町まで行って、斧を買ってきてくれ。そうだ、ふうの着ものがまだ届かないな。ひとえを一枚、見繕ってこい」
玄はそういい、庭師は口を横ににーっとのばして笑った。猫の頬を両っ側にひっぱったみたいな顔になる。玄がそれに、ふきだして笑った。




