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「月下の菫」




 「月下の菫」をごぞんじだろうか?


 明治時代の初めに、ある文筆家が書いた小説だ。

 ジャンルは、当時そんな言葉があったかどうかは別として、ラブロマンス。日本のようで日本でないどことなく異国情緒のある国を舞台に、さる華族のお坊ちゃまが由ない勘当によって家を追い出され、田舎の一軒家にひっこんだところから話ははじまる。


 主人公の(くろ)(「家から追い出されたから」と名字はあかされず、この玄という名前も本名ではない)は、ずっと黒い頭巾をかぶり、顔を隠して暮らしている。物語は基本的に、彼の一人称ですすむ。

 勘当はされたものの、なにか問題でも起こしたら結局は生家が迷惑を被る。

 ということで、(くろ)には田舎の一軒家と女中ひとり、庭師ひとりが与えられ、ぜいたくをしなければ暮らしていけるだけのお金が毎年はじめに届けられるようになっていた。

 ヒロインは女中の()()で、(くろ)のいとこが(くろ)を憐れに思って手配した、女中兼お妾さんだ。

 近所の村の貧しい家庭出身で、純粋で天真爛漫、家庭的で家事は完璧、田舎くさいがなかなかの美人である、という設定である。

 ()()は貧しい暮らしから脱出できたことを旦那さま(勿論、(くろ)のこと)に感謝しているし、家庭的で優しいから(くろ)に同情しているし、美人ではあるが引っ込み思案で家族以外の男性とまともに話したこともなく、まったくの()()(くろ)もおくてなので、いとこからけしかけられてもなかなか()()に手を出せないでいる。

 実は(くろ)、頭巾を外すとなかなかの好男子。()()は最初こそ(くろ)を少しおそれていたが、好奇心で眠っている(くろ)の頭巾をそっとめくり、美男子っぷりに吃驚仰天、恋に落ちてしまう。

 (くろ)(くろ)で、ひなにはまれな美形である()()にはじめから恋心を抱いているが、自分の容姿に自信がないし、勘当の身であるということで、アプローチできない。


 「月下の菫」は、そのふたりの、じれったくて初々しい恋の模様を描いた物語である。結局は美男美女がもじもじしているだけなのだが、文章は詩情にあふれ、耽美で麗しい。新聞に前半が連載されたそれは、その二年後、満を持して書籍化された。物語では最終的に、ふたりはすれ違いつつも距離をつづめ、庭師や村人の尽力でついに結ばれる。(くろ)は家を完全に捨て、ひとりの農民としてその後を生きる、という、希望にあふれた終わりを迎える。

 しかし残念なことに、この小説は大して売れなかった。作者にとっては忘れたい出来事になってしまったのか、著作リストに書名がのっていないこともままある。

 その上、作品にとっても作品ファンにとっても不幸な出来事が、平成にはいってから起こった。「「月下の菫」二次創作騒動」である。




 「月下の菫」は忘れられた名作として、一部の人間には有名なものだった。けれど、世間一般の知名度はほぼない。

 その状態で、ネット上で「月下の菫」の二次創作小説が、「TORAMAMEANN」という人物によって発表された。

 「TORAMAMEANN」氏は、ネット上で幾つかのオリジナルの小説やまんがを公開していた人物で、かねて「月下の菫が好き」「あの小説はもっと評価されるべき」とブログで発信し、自作の読者に「月下の菫」を読むことをすすめていた。

 その「TORAMAMEANN」氏は、ある時暴走をはじめる。「月下の菫」の二次創作を、基本的には二次創作投稿を禁止しているプラットフォームに投稿しはじめたのだ。

 故意なのか? ど忘れなのか? 「TORAMAMEANN」氏はそれが二次創作であるということを表記しなかった。

 その小説のタイトルはそのまま、「月下の菫」。だが、内容はまるきり違う。ラブロマンスではなく、ゴア。スプラッターものにかわってしまっていた。


 「TORAMAMEANN」氏が本当に月下の菫を好きだったのか、ネット上では意見が分かれている。それも当然だ。「TORAMAMEANN」氏は月下の菫の設定もキャラクターも変更し、あまつさえヒロインの()()を初っ端に殺した。

 そう。()()は、「TORAMAMEANN」氏の二次創作では、最初の三行で殺されてしまうのである。

 ふたりの恋を応援してくれる庭師なんて、その前に死んでいる。その死体を発見した()()がかぼそい悲鳴を上げると、殺人鬼と化した(くろ)が駈けつけ、()()を殺してしまうのだ。


 原作ヒロイン、秒で殺害である。


 その後、(くろ)()()と庭師の死体を、家のぐるりの森に投棄する。(くろ)はからすを飼い慣らしていて、からすが死体を食べてくれるので、死体が出てこず(くろ)は嫌疑から逃れる。

 (くろ)は夜なよな、()()が育った村へこっそり赴き、見付けた人間を殺しては森に捨てる。

 村では行方不明者が続出している訳だが、貧しい村のこと、夜逃げだと思われて誰も真面目にはさがさない。


 (くろ)はその調子で村の人間を殺し続け、ある時美しい娘を発見する。その娘だけは殺す気になれず、(くろ)は娘をさらって家にとじこめる。

 娘ははじめ、(くろ)をおそれたが、(くろ)に哀しい過去があることを知る。

 (くろ)の頭巾の下には、酷い火傷をおった顔があった。兄弟間での跡目争いにまきこまれた(くろ)は、弟陣営の策略によって顔を焼かれ、いわれない罪を着せられて泣く泣く家を出たのだ。その恨みが(くろ)を殺人鬼へと変貌させる原因だったのである。

 あと森のからすの呪いとか謎の人物の持ってきたあへんとかも原因。

 娘は実は(くろ)を操っていた森のからす(美女に変身して(くろ)を誘惑する)に立ち向かい、気にいられて呪いを解いてもらえる。たまにあへんを持ってくるおっさんは箒でぼこ殴りにし、半殺し。二度と(くろ)に近寄らないと約束させる。

 (くろ)が正気に戻ったところで、やたらのんきないとこが喜んだ様子で走ってやってくる。なんと、(くろ)のきょうだいが帝都ではやっている病で皆死んでしまい、(くろ)にお鉢がまわってきたのだ。

 (くろ)は本名をとりもどし、美しい娘と結婚して華族の当主となり、いとこの補佐で家を繁栄させる。




 っていうクソみたいな二次創作である。みたいっていうかクソ。

 まずどうして()()を殺した? 庭師もいいやつじゃんよ。あと原作にない女とか謎のからす美女とかあへんのおっさんとか出すな。

 そんでその原作ヒロインぶち殺したあとに出す二次創作ヒロイン、美人でなんでもできておまけに強い、そして大概のひとに好かれ、(くろ)が殺人鬼でも愛してるって、なんだそれ。

 大体、からすの化身との件なんて、原作に居ないキャラ同士が延々会話してるの読まされるこっちの身にもなってほしい。原作に居ない二次創作ヒロインが、原作に居ないボス的な美女キャラと話し合い、「お前のような気骨のある女ははじめてじゃ」「(くろ)さまの呪いを解いて!」「よかろう。娘よ、お前が死んだらわらわの仲間に加えてやってもよいぞおほほほ」とかやってんだぞ。

 ついでにいうと、(くろ)の本名を勝手に決めているのも気にくわない。「月下の菫」は発表当時世間を騒がせた、華族のお坊ちゃんと出稼ぎで東京に来ていた女性とのかけおちが題材のひとつだとされている。その人物をもじった名前が本名だろうとファンの間ではいわれてきたのに、「TORAMAMEANN」氏の二次創作ではまったく関係ないキラキラネームが本名なのだ。

 「TORAMAMEANN」氏の気持ちはまったくわからない。なにがしたかったのか? あの二次創作で、「月下の菫」にいい影響がひとつでもあると思ったのか?


 ただ、ほんの少数の、本来の「月下の菫」ファンのなかでも、意見は割れた。

 この二次創作で、原作が有名になった。だからいいじゃないか派。

 個人が金をとらずにやっているとはいえ、内容が酷すぎて原作リスペクトが感じられない。だからギルティ派。

 内容はいやだけど、原作ではあかされていない(くろ)が勘当された理由があったり、原作設定を生かしているところもある。気持ちは半々派。

 とにかく()()を殺したのだけはゆるせない派。

 どうせならいとこを女にしてヒロインに据えるか、いとことのBLでよかったんじゃね派。

 からすの化身主人公にして一時創作しとけばよかったのに派。

 しかし、二次創作といえあまりに酷い、が、多くのファンの意見だった。

 ところがどうしてだか、この作品、めちゃくちゃはやったのだ。


 一番困ったのは「TORAMAMEANN」氏だろう。

 彼(のちの裁判に関する報道で性別が判明し、女が自己投影して二次創作ヒロインを書いたと吠えていた連中は黙った)はそれまで、一時創作ではそこまでバズったことがなく、数人の読者と細々交流しているくらいだったのだ。それが、毎日何百件ものコメントがつき、有名人がSNSで「これ面白い」と発信し、一時は祭り状態にまでなった。

 「TORAMAMEANN」氏はへたを打った。その段階でも、「月下の菫」の二次創作であることを作品ページに明記しなかったのだ。

 本来の「月下の菫」ファンからすると、タイトルとキャラ名が同じだけで内容が540度くらい違う「ネオ月下の菫」(本来のファンからはそう呼ばれる)は、もはや一時創作といっても過言ではない。だが、「月下の菫という作品があってこれはその二次創作」という知識が、「ネオ月下」からはいったファンにはない。

 不勉強極まりないと思うのだが、出版業界にも「月下の菫」を知らないひとが沢山居た。「TORAMAMEANN」氏の「月下の菫」は、大量の加筆をした上で、なんと出版されてしまったのだ。


 さすがの「TORAMAMEANN」氏もやばいと思ったのか、出版した段階ではタイトルもキャラ名も変更していた。タイトルは「月光の菫」、キャラ名は「(くろ)」が「(しろ)」になるなど、もとねたを知っている人間からすればすぐにわかるような変更だったが。

 そして、「ネオ月下」はヒットしてしまった。

 これに関しては、はっきりいって、ジャケットの勝利だと思う。有名なイラストレーターを起用し、とんでもなく綺麗な表紙と挿絵がついたのだ。

 勿論、「ネオ月下」の文章がまったく読めないということはない。

 「TORAMAMEANN」氏は語句の誤用も少なく、誤字もほぼなく、読みやすい平易な文章を書いていた。それは彼の努力と才能あってのことだ。ただ、「月下の菫」だと思って読むと腹がたつ。

 「ネオ月下」は異例の大ヒットで、とうとう実写映画化が決まった。映画が完成し、公開間際になって、「月下の菫」原作者の孫が出版社と「TORAMAMEANN」氏を提訴した。


 裁判に関する報道に拠ると、原作者の孫は、それ以前から「TORAMAMEANN」氏や出版社に対して、抗議をしていたそうだ。だが、「TORAMAMEANN」氏はそれを完全に無視(後々、裁判で、出版社の指示で無視していたとわかる)、出版社は話し合いには応じるものの、のれんに腕押しなのらくらした回答が続いた。

 原作者の孫は「TORAMAMEANN」氏と出版社に対して、莫大な慰謝料と、映画の公開中止を要求した。

 裁判は一年以上続き、映画の公開は遅れに遅れた。「月下の菫」の著作権はすでに切れていたものの、「酷似したキャラクターと設定で社会通念上ゆるされないような内容を描いている」点が問題視されて出版社の風向きが悪くなる。人気作品の映画化、有名俳優多数出演、アイドルが初演技、などと宣伝に一役買っていたメディアも、(てのひら)を返したように「TORAMAMEANN」氏や出版社を批判した。

 結果、出版社が原作者の孫に大金を支払って和解し、映画の内容も変更された。

 最初に殺される女中は名前を失い、後から(くろ)(「月光の菫」版では(しろ)だが)にさらわれる娘があらたに「()()」になった。また、(くろ)の殺人シーンはマイルドになり、村人が(くろ)を迫害しているシーンが追加されて(くろ)の殺人が復讐であったと設定しなおされた。村人達もとんでもないクズキャラにかわったものである。

 その変更が功を奏したのかもしれない。映画はどういう訳だかヒットした。


 原作者の孫はそれで納得したかもしれないが、わたし達「月下の菫」ファンはまったく納得できなかった。

 何故なら、本来の「月下の菫」では(くろ)はひとを殺したりしていないからだ。

 それにもし、(くろ)がひとを殺してしまったとしたら、()()はそれをいさめ、自首を促すだろう。だが「ネオ月下の菫」のヒロインは、(くろ)の殺人をほぼ肯定している。

 そして、オリジナルキャラクターはやっぱりのさばっていたし、心優しい(くろ)が「きょうだいが病で死に絶えた」と報されて喜ぶ件がある。それが本当にゆるせない。

 わたし達はネット上で有志を募り、「本来の「月下の菫」再出版」を目指して活動をはじめた。活動は規模の小さなものだったが、「月下の菫」ファンが思ったよりも多く集まり、考察などで楽しく交流もできた。「ネオ月下」との比較などもしたものである。

 活動は実り、ついにある出版社が、「月下の菫」の再出版を決めてくれた。わたし達は喜んだ。そして、「再出版が決まったらやろう」と計画していたオフ会を開くことになったのだ。

 わたしはその日、仕事を終え、「月下の菫復刊の会」オフ会が開かれる場所へ向かう電車にのっていた。そこまで行くのは一日がかりだ。オフ会に出る為に、夜勤を続け、なんとか休みをとっていた。

 若いし、もともと血圧が高いほうだったが体力には自信があり、数日寝不足が続いたくらいはなんでもないと思っていた。わたしは自作の、(くろ)のコスプレ衣装がはいったボストンバッグを架台へのせようと、息を詰めて持ち上げた。その瞬間、意識がとおのいた。




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