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異端賢者と精霊の使徒たち  作者: 霰
戦士の子と賢者
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8話


 曇天の夕刻は暗く、白石造りの町並みは、雨に濡れると空の色を写すように陰鬱だ。

 雨が降れば露店にも人が集まらないため貴族街は勿論、露店街にも活気はなく、一応の店番をしている人々も三人に一人は居眠りをしているような有様だった。

 人々は客足の無さにかまけて、雨音を子守歌に気持ちよく眠っていたが、しかし。


「ユキ! どこだユキ! 返事をしてくれっ!」


 駆けずる足音と、緊迫した声が街に響き、驚き目覚めた人々は走り回る少年の姿を見た。


「あれ、あの子は……」


 声の主の少年、ボリスの姿はこの露店街では有名なものだった。

 司祭の息子の悪ガキに、絡まれたとはいえ魔法が使えない身で立ち向かい、傷付いた姿で家に帰っていく姿は、この通りでは馴染みのものだ。

 ノロの悪名は街中で知られていたが、それでも権力者の息子を怒鳴り散らす度胸がある者は少ない。

 万引きに気付いても泣き寝入りを決め込むしかない商人たちの手前、返り討ちに遭いながらもその悪行を指摘してくれるボリスは密かに人気があったのだ。

 今日は厄介な悪ガキが傍にいないということで、普段は気弱な通りの住民も気兼ねなく声をかけてきた。


「ボリスの坊や、今日はどうしたね? 学校はもう終わったのかい」


「あぁ、おじさん。ユキを探しているんだけど……」


 ハンチング帽の初老の男は、しょっちゅう果物の盗難被害に遭っているのだが、一度ボリスがノロを叱責したおかげで事なきを得たことがある。

 無論、直後にボリスはいじめを受けたが、そうした縁から時折ユキや母親のために売れ残りの果物をくれるようになった。

 一度そのお礼の挨拶に来たことがあるため、二人とも顔見知りだ。名前を出せば話は早かった。


「ユキちゃん……? もしかして今、顔を隠しているかい? いつものメイド服じゃなくて」


「そう、そうなんだ! やっぱり、見た?」


「あぁ、ノロと取り巻きが、それっぽいのを連れているのを見たよ。はっきりとは見えなかったけど……」


 ボリスの顔色が見るからに蒼褪めた。

 やはり、ユキはあの不良たちに連れていかれたらしい。

 状況を飲み込むと共に思い出されるのは、昨夜のリゲルとの会話だ。

 この列強で、法の加護が無い美少女は大抵酷い扱いをされる。

 美しい女の奴隷は主人が男なら慰みものにされ、女なら美貌に嫉妬されて嫌がらせを受け、果ては顔を焼かれたとか、乳房を斬り落とされたという例まである。

 法に守られていないとは、そうした仕打ちを受けても文句ひとつ言えないことを言うのだ。

 勿論、ボリスはユキを大切にしているし、奴隷の全てがそうした扱いを受けているわけではないが、それは結局主人の心次第だ。

 その点ノロは、身分が確かなだけの無法者である。

 気に入らない者には平然と手を挙げ、果ては魔法で怪我を負わせることも厭わない。子供じみた残虐性を権力を盾に振るってくる。そういう質の悪い人物だった。

 そんな悪ガキに連れていかれた以上、今頃ユキがどんな目に遭わされているか分かったものではないのだ。

 にわかにボリスは焦り出し、男に掴みかかって詰め寄ったが、


「どこ!? どこに行ったの? 教えて、おじさん!」


「お、落ち着きなさい……すまないが、わからないんだ。あいつは悪さをするとき、凄い速さで路地に隠れるからねぇ。そんなに注意してたわけじゃないし、瞬きの隙に見失ってしまったよ」


 手掛かりはない、ということだ。八百屋を解放すると、ボリスは見るからに肩を落とした。

 それでも探さないわけにはいかない。

 ユキは身分だけは奴隷だったが、ボリスは一度としてそのように扱ったことはなかったし、教会の教師が言うように人の形をした道具などとは断じて思っていなかった。

 彼女は、屋敷の中で唯一父の部下ではない。

 父の兵士たちが自分の事を愛し、案じてくれているのは知っていたが、それは父への義理があるからにすぎないのだと、ボリスは思っていた。

 その点、ユキだけは特別だった。


「引っ掴んでごめん、おじさん……俺、行くよ。あいつは俺のたった一つの宝なんだ……」


 彼女は今のところこの世でただ一人、ボリスという個人に心からついてきてくれる人だった。

 七つの頃、在りし日の父についての出先で拾い、それから紆余曲折。

 戦災孤児だった彼女は、随分時間をかけてボリスへの警戒を解き、ようやくああして笑顔を見せるようになったのだ。

 それがあの乱暴者に傷付けられるのは、我慢ならない。

 この広い首都を隅まで走り回る事になるかもしれないが、体力だけは自慢だ。ボリスは武人の子である。こうなればさっさと腹を括るのだ。

 こうなったらと、ボリスは本当にしらみつぶしに路地という路地を巡るつもりでいたが、


「ちょっと待て、坊主」


 八百屋の斜向かいから不意に声がかかった。

 呼びかけてきたガラス店の主は、仕事中に髪が燃えたとのことで、禿げ頭になっている厳つい男だ。

 強面だが、普段火の魔法を使うということで信心深く、好漢で有名な人物だった。

 そんな彼でも商品を割られれば当然に怒るし、犯人を追う少年を見つければ協力したくなるのだ。

 ガラス屋はボリスを呼び寄せると、彼の店から正面の路地を指さした。


「あそこだ、あそこに入っていった……八百屋の旦那からは確かに死角だな。憎たらしいノロの奴め、坊主をいじめる以外の悪さは実家の教会とは逆方向でやるし、逃げるんだ」


 ボリスは魔法が使えない不信心者だから、いじめても特にお咎めはない。だが盗みはどうとも言い訳できないので、父の司祭の耳に入らないようにやる、ということだ。

 盗みは犯罪だが、子供の喧嘩を咎める法はない。

 悪賢いノロは、それをよくわかっている。

 この街の一連の悪さは結構な割合でノロが犯人だが、証拠が残っているわけでは無いし、大人が指摘すれば教会への言いがかりになってしまう。だから、商人たちはノロの悪行にも強い態度を取れなかった。

 だが、ボリスが叱る分には子供の喧嘩だ。

 権力者とは面子が何より大事なものである。子供同士の喧嘩に負けたからと言って、親がしゃしゃり出るような威厳の無い真似はしないだろう。まして神職者となればなおさら。

 多くのしがらみの中生きる大人たちは、勇敢な戦士の子があの悪ガキを懲らしめてくれる日を楽しみにしていたのだ。

 ガラス屋はノロの行方の推測をボリスに話すと、にやりと笑い、


「お袋さんには叱られるだろうがな、一回でもアイツをやっつけたら言えや。おっちゃんが何でも奢ってやるぜ」


「……母上とユキが好きそうなところがいいな」


 ボリスも一つ笑みを返すと、再び駆けだした。


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