29話
リリア嬢の来訪は、アイビナ姫が取り付けたものだという。
突然の事に驚いたボリスは母親に詰め寄ったのだが、曰くカーマル卿が長い間家を空けるため、夏季休暇の間は屋敷で引き取ることにした、と。
そうしたわけで迎え入れざるを得なくなったのだが、人懐っこい質の彼女は案の定、どこへ行くとも一日中ボリスに付きまとい、気まぐれでユキに、挙句の果てにフェイにまでちょっかいを出した。
結局アルフとはまともに喋らせてもらえず、ボリスが解放されたのはリリアが遊び疲れて眠った後だ。
ボリスはユキと共にげっそりしながら部屋に戻り、シーツを整えてもらうのも待たずにばったりとベットに倒れ込んだ。
「ご主人様、お待ちください。ベッドお直ししますから」
ユキは気を遣ったが、見るからに笑顔が疲れている。ボリスはそんな彼女を無理に働かせる性格ではない。
ボリスはごろりと寝返りを打ち、仰向けのままユキに苦笑を向けた。
「そんなのいいから、お前ももうお休み。散々リリアに絡まれて疲れただろう。俺もくたくただ」
「……えへへ、そうですね。それじゃ」
ユキはにこりと了承すると、しかし自分の部屋には入らず、
「お、おい、ちょっと」
ボリスの上にのしかかるように倒れた。
小柄なユキは体重が軽く、乗られても大して負担はないが、華奢な割に豊満な身体は接触されると対応に困る。
抱き留めようにもどこを触ればいいのか、とボリスは両手を泳がせ、奴隷にそんな遠慮をする主人をユキは愛おしそうに、そして寂しそうに見つめた。
「リリア様が、言ってたんです。自分が妻になった時のために、ご主人様を女の子に慣らしてあげてって。ご主人様が女遊びをなさらないの、気にしてましたから」
「女遊びって……俺、まだ十五だぞ。そもそもそんな趣味は」
「えへ……ビルスさんは良家の嗜みにって、娼館で女の子囲ってたみたいですよ。奥様を作った時の練習のために、色々……」
「………」
ボリスは最初から、許嫁の性格に薄々勘付いていた。
リリア嬢は確かに人好きするし、ボリスを好いているのも、ユキを好んでいるのも嘘ではないだろう。ボリスとユキの絆にも気付いているはずだ。
だが結局彼女は、良い所の『お嬢様』なのだ。
夫との間にどれだけ繋がりがあろうが、例え一線を越えていようが所詮、奴隷は奴隷。
これが『有神人種』相手であれば不貞だと騒いだのだろうが、奴隷は自分と競う相手になり得ないから、ユキがどれだけボリスと接近しても笑顔で放置できる。
列強で奴隷の女と言えば、娼婦だ。少なくともリリアはそう思っているのだろうし、本心ではユキの事もそのように見ていたのだろう。
ボリスにとって、ユキはあくまでもかけがえのない家族だ。
そもそも奴隷扱いした試しはないし、リゲルの教えで異人が劣等種ではないと、不当に奴隷扱いされる謂れもないという裏付けも得ている。
しかし、あくまで純然な『有神人種』であるリリアにはその事がわからず、想像もできない。
だからボリスはどうしても、これまで許嫁に心を開けなかったのだ。
そして、その父親にも、また。
「……カーマル様は、バルマナに向かったって言ってたな。ノロの件の調査のために」
「はい。リリア様、お父様のお仕事全部喋っちゃってましたけど、そういうのって」
「普通は他言無用だな」
「ですよね……と、いうことは」
ユキは苦笑するとボリスの上から転げ落ち、代わりに隣で横になった。
カーマル卿は聖王国の人間だが、所属はあくまで教会の聖騎士団。それもその長である。
ただの殺人事件なら国軍が片付けるだろうが、聖騎士団長が直々に動くということは、教会がノロの件を気にしているということだ。
つまり。
「ノロを殺したのはやっぱり異人……『精霊の使徒』か」
その事に、教会が気付いた。
国内に『精霊の使徒』がいて『有神人種』の、それも教会の関係者を暗殺した、と。
教会は、異人の反乱を恐れている。
『有神人種』の優位性を説き、異人を『神なし』の劣等種としたのは元をただせば教会だ。となれば異人たちの復讐の矛先は、言うまでもなく真っ先に教会に向かう。
そんな彼らの手に『大精霊』の力が渡れば、教会が築いたこの列強の秩序は容易く、それも根底から崩壊するのだ。
表向きは殺人事件の調査だろうが、結局は我が身を守るのに必死なのだろう。
状況が読めたボリスは暗澹とした溜息を吐き、隣に寝ころぶユキと視線を合わせた。
「なら、いよいよ事態が動くな……こうなれば、グウィンさんも隠れてばかりはいられない」
「はい」
実際に教会の関係者が殺された以上、教会はもう使徒たちを無視できず、追うだろう。
そして『大精霊』の宿主たちは、聖騎士たちを一蹴する力を持っている。
ならば必ず、そして遠からず、衝突が起こる。
リゲルらはそんな事態を避けるためにこそ、動いてきた。
その師に従うボリスも、ユキも、無関係ではいられない。
楽しい休暇の最初の夜に、睦まじい主従はこれから起こることを想い、その不安は些細な恥じらいを捨てさせた。
「なぁ、ユキ。いつか、こんな風にくっついて寝たよな」
「えへへ……温かかったですよ」
「また、一緒に寝るか? 先輩みたいなことは、しないけど」
ユキはほんのり頬を染め、そして笑った。
奴隷の主人は、持ち物に了承など取らない。ただ命令を下せばいいだけだ。
こうして拒否権がある問いを投げかけることは、ボリスがユキを、主従とはいえあくまで対等な人間と扱っている表れだった。
ユキはそんな主人を心から愛していたし、だからこそ彼の持ち物であることに幸福さえ覚えていたのだ。
そんな主人から提案があれば、ユキが断る筈もなかった。
「……そうだな、確かに、温いなぁ」
何も言わずに抱き着いてくる背中に、ボリスも構わず手を回した。
リリアが戯れに香水を貸してくれたらしい。柔らかく、しなやかな身体からは、ほのかに花の香りがする。
だが、そんな飾り物より、彼女がこうして傍にあることが喜ばしく、その温もりに安らぎと、少しの怒りを覚えた。
間違いない、人間の温もりだ。
これが、誰かの都合で勝手に、奴隷という別の生き物に変えられてしまうのが、どうしてもボリスには許せなかった。
「こんなに温いんだから、お前はやっぱり、ちゃんと人間だよ。俺が……俺たちがそうだって、証明してみせる……」
ユキは返事をせず、もう瞼を閉じていて、この言葉が聞こえていたのかはわからない。
だが、その安らいだ顔は、見ていると酷く安心し、そして一緒に瞼が重くなる。
抱きしめた身体が脱力し、柔らかくなっていくのを感じながら、ボリスも静かに寝入っていった。




