11話
結局、二月ほどは何事もなく、ボリスの学園生活は平穏に過ぎていった。
睨むべきところは分かったものの、各家の奴隷の事情などそうそう表に出はしない。
『起源書』には『有神人種』と『神なし』の優劣関係については記されているが、別に人種差別を促しているわけではないのだ。
結局、人間が人間を打つ行為は、道義に照らせばどうやっても弁明できない。
自分が誰をいたぶって遊んでいる、など、少なくとも嬉々として自慢するような事ではないので、露骨に探れば怪しまれる。
当然、調査は難航し、リゲルからの使者に会うボリスの顔は俯きがちになっていた。
「ガルズさん、すみません……今回も、特に動きは」
「ふん……まぁ、そりゃそうだろうさ。お偉方と接点を持てないったって、俺たちだって十年も探してるんだ。貴族の集まりと言っても学校なんだし、そんな何か月で何か掴めるとは思っちゃいねぇよ、気にすんな」
この夜、ガルズはたまたま、荷運びでバルマナを訪れていた。
先に彼自身も言っていたが、ここは基本的に金持ちの子息ばかりが集まる場所だ。嗜好品としてカカオを使った高級な菓子を取り寄せる学生もいるらしく、注文が入ればこうして配達に来ることもあるという。
一応ガルズは、偽装とはいえ身分上は『有神人種」だ。
そのため異人が入れない領域にも入ることができ、雇っている同郷の従業員を派遣できないときは、こうしてガルズ自ら赴く、とのことだった。
このバルマナで、異人禁制の場所と言えば神学部だ。
神学部の敷地内には大きな聖堂が建てられており、そこに詰める学生たちも聖堂の部屋で修道士さながらの生活を送る。
基本的に贅沢はできないとはいえ、いつでも雁字搦めの私生活というわけでもなく、週に一度は皆で茶会を催したりもするという。
リリアは従者を二人連れているが、いずれも一緒に入学した騎士の娘たちらしく、娘を可愛がる父親から菓子の仕送りを受けていた。
ガルズが受けたのはその注文だったようで、今も神学部の寮を覗いた帰りとの事だった。
「そういえばよ、会ったぜ、リリアちゃんに。よかったじゃねぇか、未来の嫁さんがあんな美人でよぉ。まぁ、お前さんは複雑かもしれんがな」
「ユキの方が美人ですよ。それに、ルシアさんだってきれいじゃないですか」
「はは……まぁ、そう言ってくれるのは嬉しいがな。お前も大概、異人贔屓だよなぁ。同級生に友達とか、いないのかい?」
「……いえ」
まるで親戚のようなガルズの質問に、ボリスは少しむっとしながら頭を振った。
ボリスはそもそも、同族にそこまでの愛着が無い。
母親や実家の兵士たちには親しみがあるが、家の外で出会う『有神人種』は、ボリスの事を『神なしくずれ』と呼んで蔑んできた。
ボリスは努めて恨み言を言わなかったが、露店街の人々はともかく、同年代の同族にはあまりいい思い出が無いのだ。
その点、ユキはずっと変らぬ態度で尽くしてくれたし、リゲルやガルズは師だ。ボリスが異人に肩入れしていくのも自然な事だった。
ガルズも、慕われて悪い気はしない、という顔だったが、それでも年若い少年が同族から離れていくのには憂いを覚えたらしい。
「でもな、ボリスよ……お前さんはそれでも『有神人種』なんだぜ」
ガルズは苦笑の後、厳つい顔を引き締めると、少しだけ声を固めた。
「あれこれ余計なことを知っちまったから仕方ないのかもしれんが、だからってお前さんまで同族に恨みを持つ事はないさ。学校なんて、普通は楽しいもんだぜ? 細かい事は気にしないで、まずはここの暮らしに馴染むのもいいじゃねぇか。お前さんもまだまだガキなんだから、ちっとは青春して来いよ……な?」
「……友達、かぁ」
思えば、馴染みのない響きだった。
ボリスは以前、母にガルズを友人として紹介したことがあるが、その時のアイビナ姫には大層驚かれたものだ。
いくら息子相手とはいえああも驚くとは失礼、と当時は思ったが、考えてみれば自然な反応だったのかもしれない。
王都ではリゲルも心配しているようで、となれば母も当然、ボリスがまた孤立していないかと気を揉んでいる事だろう。
ボリスの脳裏に、厳しくも慈しみ深い母の姿が浮かんだ。
「……貴族の息子なら、人脈くらい自分で作れ、ですね」
「おう、そうさ。平民だって、奴隷だって、それくらいはやってるぜ」
説教がましいガルズを一つ笑うと、ボリスは門限が来る前にと、寮へ戻っていった。