21話
縁談が持ち上がったのは去年、ボリスが十四歳の時だ。
学び舎で成績を上げ、文句のつけようのない優等生となったボリスには、自然と近づく異性も増えていった。
しかし、成績や貴族家との繋がりなど、多少の打算を持った彼女らを、ボリスは一切相手にしなかった。
何せ、ボリスの傍には何の見返りもなく自分を慕い、それでいて学友たちより遥かに美しいユキがいたのだ。
必然、ボリスは他の女性に無関心になり、鍛錬と勉強の時間以外、家ではいつでもユキに構っている有様だった。
このままでは、いつ間違いが起こるとも知れない。
焦ったアイビナ姫はボリスに無断で、自身だけでなく亡き夫の伝手からも、息子の相手に相応しい姫君を探し始めた。
だが貴族家の中でも、ユキに劣らない美姫はそうそういなかったという。
そうしてアイビナ姫が苦心の末、見出したのがリリアという令嬢だった。
ある日突然リリア嬢と対面させられたボリスは、その場の勢いのまま強引に婚約を決められてしまった。
進学を控え何かと忙しくなった頃、ボリスは予想外の事態に堪らずガルズの屋敷に相談に来ていたのだった。
「はぁ、何とも……贅沢な悩みだねぇ」
「茶化さないでくださいよ。俺はまだ結婚なんて考えてないのに、母上ときたら勝手に決めてしまって」
「相手のお膳立てをされてからそれを言うかね。未来の妻と一緒に学び舎に通うなんて、世の半分の男が嫉妬で君を呪うだろうよ……私も含めて」
相談を受けたリゲルは、本当に恨めしそうな顔でボリスを見た。
人生のほとんどが研究と逃避行の日々だったリゲルは、結婚はおろか恋人一人もいたことが無いという。
そんな男に結婚話など人選に難ありと言わざるを得ないが、ボリスも元々リゲルを当てにはしていなかった。
この屋敷で、こうした色情沙汰を話せそうな相手には、生憎と先客ができていたのだ。
その人が作ったブラウニーをつまみながら、リゲルは不貞腐れた声でぼやいた。
「大体、こういう話題はルシアさんの管轄だろう。何だって四十歳独身の私が、十四で許嫁ができちゃった子の相談に乗らなきゃならないんだい。君は先生を虐めて楽しいのかい」
「拗ねないで下さいよ……俺だってルシアさんに話したかったけど、ユキに取られてしまったんです。女同士の話だからって部屋には入れてもらえないし、つまみ出されたガルズさんなんか、がっくりしながら酒場に行きましたよ」
「……ボリス君、先生はまた傷付いたよ。何でかわかる? ねぇ」
リゲルに相談したのは要するに、本命の当てが外れたので仕方なく、と言ったところだ。
そもそも最初から期待されていなかったことを知って、リゲルはがくりと肩を落とした。
この屋敷の男衆は、ルシアに主導権を握られっぱなしだ。
何とも哀愁漂う情けない有様だったがリゲルは、それはさておき、と切り出した。
「で、どうなの? そのリリア様ってのは。どんな人なんだい」
「……綺麗なコだとは思います。父に縁ある家だから、話も合うし」
リリアの父親は、ボリスの父バードンの元同僚で、カーマルという武人だ。
カーマル卿は、現在『魔導協会』の守護に当たる『魔導騎士団』聖王国支部の団長に当たる大人物だった。
アイビナ姫は聖王国の血を引く姫君の一人だが、一介の武人と結婚したことで貴族としての家格は失っている。
対する相手は教会の守護、それもその頂点の一角だ。家柄だけ見るなら身分違いの縁談と言えたが、戦友の息子が許嫁を探していると聞いて、カーマル卿はわざわざ屋敷まで娘を連れてきてくれた。
そのため無碍に扱うこともできず、ボリスは言われるまま、しばらくリリア嬢と茶の付き合いをすることになったのだが、
「でも、どう比べてもユキの方が美人ですよ」
「……ユキさんも大概だけど、自分で言ってて恥ずかしくならないのかね、君は」
本音を言わせると、ボリスはこの通り、一切靡かなかったらしい。
主従揃って一途なことだが『有神人種』と『神なし』との結婚は、列強では認められていない。
そもそも奴隷を相手にするなら、男はわざわざ貞操の責任を取る必要も無い、というのが列強の国々の考え方なのだ。
そんな中でユキを一人の女性として扱い、正面からの好意を寄せるボリスの在り様は『有神人種』としてかなり異質と言える。
勿論、その道徳観は一人の人間としては立派だが、
「まぁ、君のそういうところは、この上なく好ましいのだがね……母上の気持ちがわからないわけじゃないんだろう?」
「……はい」
『有神人種』同士であれば、多少身分が違っても男女の気持ち次第で融通も聞いたのだが、ここでも奴隷の扱いは厳しいものだ。
特に、王侯貴族と繋がりがある人々は、異人の血を穢れとして忌避していた。
父が生きていればまだ話のしようもあっただろうが、アイビナ姫は底辺とはいえ根っからの貴族である。
主従としての関係ならまだしも、息子が奴隷と男女の仲を深める事は許せなかったのだ。
そうなる前にしかるべき配偶者を作ってしまおうという思惑は、ボリスにも薄々察せられるところだった。
しかし、ボリスとユキには、一つ考えられる活路があったのだ。
この屋敷の人間以外に話せなかったのは、その方法が原因だった。
「先生……ユキを『有神人種』にしてやることはできないんですか。彼女は魔法も使えるし、異人との混血でも、魔法が使えればそう扱われるって仰ってましたよね」
「混血なら、ね。前も話しただろう。異人が魔法を使うと、身分を徹底的に洗われるって。確認できる範囲に『有神人種』の親族がいればいいけど、ユキさんは」
ユキは異大陸から渡ってきたと言っていた。
『有神人種』は、免疫の問題で異大陸で生きる事はできないという。ならば彼女の親族に『有神人種』は存在しない筈だ。
となれば魔法を使ったが最後、ユキはリゲルたち同様に教会に追われる身になってしまう。
折角魔法を得ても、異人であるユキの立場は変わらず、ままならないものだ。
口惜しそうに唇を噛むボリスの姿を見て、しかしリゲルは微笑んだ。
「……君は、心底から彼女を愛しているのだね」
「あ、愛……」
はっきりと言われて、ボリスは顔を真っ赤にした。
決して口には出さなかったが、母親から結婚話を持ち掛けられた時、真っ先に浮かぶ相手は言うまでもなくユキだったのだ。
人となりをよく知っている相手が近くにいるのに身分違いのために遠ざけられ、突然現れた異性と結婚させられるのは男の身でも抵抗がある。
階級社会ではままある話だが、それを受け入れられるは社会の仕組みに納得がいく者だけだ。
身分が違うのだから仕方がない、と諦めるには、ボリスは多くを知りすぎていた。
『有神人種』と『神なし』の間には、免疫という小さな差。『精霊』と魔法の有無という、僅かな違いしかなかった。
つまり、異人を蔑む教会、そして列強の社会の在り様には、何の根拠も正統性もない。
ボリスにとってユキは可愛い妹分で、たった一人の大切な臣下だ。
結婚云々の話が無くとも、ボリスが彼女に人並みの尊厳を与えてやりたいと思うのはごく自然な事だった。
異人種ながら睦まじい二人をずっと見てきたリゲルは、どこまでもぶれない弟子の態度に何度も頷いていた。
そして、
「ねぇ、ボリス君。一つ撤回したい言葉があるんだけど、いいかな」
急に真顔になると、唐突にそう切り出した。
「撤回、ですか?」
「あぁ、君が弟子になったばかりの時に言ったことなんだが……協力はしなくていいって言ったの、覚えてるかい?」
ボリスは少し考えて、それから「あぁ」と声を上げた。
自分たちに協力しろとは言わないが『精霊』の知識を受け継ぐ一人になってほしい、と。
それは『大精霊』を得た直後、リゲルから言われた言葉だ。
だが、わざわざそれを撤回する理由がわからない。
目を瞬かせるボリスの前で、リゲルは席を立ち上がると、
「協力してほしい事ができたんだ……君がユキさんとの未来を望むのなら、私の過去を聞いてほしい」
そう言って、長い話を始めるのだった。