20話
『精霊』により魔法を、リゲルによって知識を得たボリスは、学び舎での成績を上げていった。
上げる、と言っても有頂天もいい所だ。
元々、授業は真面目に受けていたボリスにとって、学び舎での失点は魔法に関することのみだった。
魔法の力はこの列強で人を見る最大の価値観であり『有神人種』を優等種たらしめる一つの基準、教会の信者にとっては誇りと言ってもいいものだ。
その唯一が無かったために、これまでボリスは冷遇され、うだつの上がらない思いをしてきた。それを得たならば、周囲からの評価は文字通りひっくり返るのだ。
最初こそ落ちこぼれの烙印を押されていたボリスは、学び舎の中等部に上がる頃には一転、秀才として誰もの羨望を浴びるようになっていた。
逆に、面白くないのがノロたちだ。
ボリスが人気を集める一方、彼をいじめて遊んでいたノロたちは必然、学び舎で居場所を無くしていった。
元々、そこまで授業に身が入っていなかった彼らは、それだけなら鬱憤を溜めることもなかったかもしれない。
しかしボリスの存在は、学び舎の外でも彼らの癌になっていたのだ。
「……おいノロ、お前また売り物を盗ったな?」
「げっ、ボリス……!」
学び舎で立場を無くしたノロたちは、憂さ晴らしの場を街での悪遊びに求めようとした。
しかし、露店街で窃盗を働こうとすれば、いつものようにボリスが目を光らせているのだ。
以前までは複数人で囲み、魔法をちらつかせて、或いは実際に振るって無力なボリスを黙らせていた。
だが、力関係が逆転した今、
「……なんだ、早く品物を返せ。それとも、今の俺とやるのか」
「く、くそっ」
「こら、逃げるなっ!」
力づくでボリスを黙らせられなくなったノロは、彼に見つかれば情けなく逃げ回るしかなかった。
ノロを取り巻いていた少年たちは、悪遊びのおこぼれを目当てに彼にすり寄っていた所もあった。
しかしボリスを玩具にできなくなり、物欲も満たせなくなれば、ノロの求心力はそれまでである。
自然とノロの周りからは人が離れていき、以降の彼はボリスの影に怯えながら、身を縮めて日々を過ごすことになった。
どこまでも自業自得なのだが、ノロはそれを素直に反省できる人物ではない。
「くそ……あんな落ちこぼれが、こんな急に強くなってたまるか……! 絶対秘密がある筈だ……!」
逆恨みしたノロは悪事こそ鳴りを潜めたものの、ボリスを目の敵にしながら彼の秘密を探るようになった。
一方のボリスも、成績が上がったからと手放しで悦に浸れたわけではない。
ボリスの強さの秘密を知りたがったのは、ノロだけではなかったのだ。
誰もが認める劣等生から、急に学び舎の主席にまで成り上がった彼は、否応なく周囲の注目を集めた。
大人にも子供にも、権力者にすり寄って保身を図ろうとする者はいる。
ノロの周りにいたような悪ガキたちから、好意を装って近づく女子生徒たちまで、ボリスは連日同級生たちに取り囲まれ、勉強の仕方やら鍛錬の方法やらの質問責めにあっていた。
『落ちこぼれ』の烙印は剥がれたものの、結局、同級生に苦労させられることは変わらなかったのだ。
「お帰りなさいませ……ご主人様、お疲れですか?」
「あぁ、うん……今日も大分、絡まれたから……」
中等部の卒業も近づく頃には、受験を控えた同級生に泣きつかれる日々だった。
だが『精霊』の話題は大事な秘密だ。おいそれと他人に話すわけにはいかない。
そのためボリスは、多少心を痛めながらも彼らを振り切り、帰りはノロの悪行に目を光らせながら、疲労困憊した様子で家に帰り着く日々を送っていた。
「大変ですねぇ。ご主人様はずっと前にお受験終わったのに」
「その大変に、春からはお前も付き合うんだよ、ユキ」
「はい、楽しみです!」
二人は共に十五歳になり、ボリスは母親の伝手もあって、この年の春から聖王国の貴族学校に通う事になった。
王都から少し離れ、独立して広い土地を持つその学院は全寮制を採っており、世話係として使用人を連れていくことが許されていた。
金持ちの子息・息女ばかりの学校ということで、中には十人規模で奴隷や家臣を連れていく生徒もいるらしいが、ボリスの連れはユキ一人だけだ。
母親は家臣を何人か付けようとしたが、ボリスの家に使える者はほとんどが武人だ。学校に兵士を寄越すのは問題なので、ユキの他に頼める相手がいなかった。
三年の課程の間、大好きな主人と水入らずで過ごせるということで、ボリスの合格を聞いてからのユキはずっと機嫌良さそうに笑っていた。
「……お前、能天気だなぁ」
手放しで喜ぶユキを前に、ボリスは溜息をついていた。
ボリスも相応に成長し、すっかり逞しくなっていたが、ユキはそれは美しい娘に育っていた。
幼い頃から素地は良かったものの、線だけは細いまま、しかし所々ふくらかに肉づいた姿は、今の時点でも匂い立つように美しい。
そんな彼女とこれから三年。課程が終わるまでは、同室で二人暮らすことになるかもしれない。
ボリスは決して嫌がっているわけではなかったが、今でさえ怪しい自分のタガをどこまで保てるかの保証は無い。
何せ、二人は長い付き合いだ。奴隷と主人という間柄だったが、リゲルの教えを受けたボリスは身分意識というものをすっかり無くしていた。
関係こそ主従のままながら、二人は誰もが認める相思相愛だったのだ。
母親には無理を言って同伴を取り付けたが、まだまだ成長していく彼女と三年間。どうなるものかと心配だった。
メイド服の下、柔らかく揺らぐ胸元から目を逸らしながら、先を憂いたボリスは溜息を吐いた。
「あのコも、来るんだ」
「あ……」
『あのコ』との言葉が主人の口から出ると、ユキは途端にしょんぼりと項垂れた。
ボリスとユキの仲の良さは、屋敷の人間なら誰もが知るところだった。それは勿論、母親のアイビナ姫も例外ではない。
特にユキの美貌は、貴族生まれのアイビナ姫から見ても認めざるを得ないものだった。
息子と同い年の美しい少女が、自分の目が届かないところで二人きりになることに、アイビナ姫は相当の危惧を示したものだ。
日に日に色香を蓄えていくユキに、いつかボリスが惑わされるかもしれない。
寄る辺ないユキを追い出さなかったのはせめてもの温情だろうが、息子が奴隷と結ばれることを良しとしないアイビナ姫は、先んじて一手を講じていた。
「そっか……リリア様も、同じ学び舎なんですね」
ユキが寂しそうに呼んだのは、ボリスの許嫁の名前だった。