19話
「ユキさんが魔法を使える事は、絶対に他所に漏らしてはいけないよ」
ボリスがユキの魔法習得を報告すると、リゲルはそのように忠告した。
報告の際は、本人も一緒だ。リゲルに会いに行くとき、ボリスは必ずユキを同伴させていた。
ユキはボリスやリゲルらと『精霊』の秘密を共有する一人であり、それ故に魔法の扱いやその知識についても主人と共に勉強していた。
ボリスはあわよくば彼女を奴隷身分から解放してやりたいとの志を抱いていたし、魔法を得たならばそれも現実的かと思っていたが、そう簡単な話でもないらしい。
丁度仕事を終えて帰ってきていたガルズも交えて、リゲルは奴隷が魔法を得る問題について詳しく話してくれた。
「この家だと、ルシアさんなんかがいい例だけど……彼女は魔法を使えるけど、あえて奴隷身分のままにしているんだ。どうしてだと思うね?」
「……『神なし』が魔法を使うと目立つから、ですよね?」
ボリスは『神なし』との表現を嫌っているが『魔法が使えない者』という意味で敢えて使った。
何せ少し前まで、ボリス自身もそうだったのだ。力を持たない者が突然それを得た時、周りがどんな反応をするのか、この頃の彼は毎日のように思い知っていた。
それでも、ボリスは元々『有神人種』だったので、一般的には素養があってもおかしくはない。そう見られる。
しかし、絶対に力を得る筈がないと言われる異人たちがそれを得たなら、周りの反応は全く別物になるという。
リゲルとガルズは実体験も交えて、危惧される事態について話してくれた。
「目立つって言うか……異人が魔法を使うとね、まずは身元について徹底的に調べられるんだ。異人の血を引いていても、片親が『有神人種』だったりもするからね。その場合は特に問題も無いんだけど、ユキさんのご両親は……」
「……お父さんもお母さんも、奴隷です。最初にお母さんが売られて、その後お父さんと私もその家に……」
ユキの母親は性奴隷として売られたという。
元は円状大陸の西、西海の果ての異大陸出身だというユキの一家は、奴隷狩りの船団に拉致された後、この聖王国北端の貴族に売り払われた。
最初は母親だけが売れたとの事だが、家族が離散しそうになった時、母親は自らの喉元に刃物を当て「家族と引き離さないでほしい」抵抗したという。
普通、奴隷の懇願など誰も歯牙にもかけないし、死んでも代わりはいくらでもいると考えるものだが、何せユキの母親だ。貴族はその美貌を惜しみ、結局彼女の願いを聞き入れた。
そうしたわけで、ユキには『有神人種』の血が流れていない。
調べられればそれと知れるし、純血の異人が魔法を使ったとなれば、ボリスの想像を越えた大騒ぎが起こるというのがリゲルの言だった。
「私たちがまだ研究を始めたての頃なんだが……あぁ、これがガルズがはげになるきっかけなんだがね」
「はげ言うな。スキンヘッドだ」
「同じでしょ、お父さん」
本人たちは茶化しているが、当時は大変な目に遭ったらしい。
リゲル一行は一度、教会の憲兵に詮議を受けた事がことがあるという。
彼らは全員が異人だ。『有神人種』の主人も連れずに歩いていれば、逃亡奴隷かと怪しまれる。
とある国で街を歩いていたところ案の定、憲兵につかまり、当時教会の仕組みに明るくなかったリゲルは、身元を検められた際に魔法を使ってしまったという。
それが逃避行の始まりだったと、リゲルは遠い目で語った。
「奴隷が魔法を使える……虐げていた人たちが、自分たちに反撃する力を持てる……彼らは、よっぽどそれが恐ろしかったんだろうね」
魔法が使える異人の発見。
それは教会が掲げる『有神人種』優位の教義を根底から揺るがすものだった。
事実を聞いた教会は大混乱に陥り、恐慌状態に陥った権力者たちは直ちに一行の抹消を決断した。
不穏な匂いを感じた一行は詰め所を抜け出したが、一歩遅ければ全員が捕縛されていたという。
その日以来リゲル一行は異端審問官に追われるようになり、ガルズは手配から逃れるために髪と眉を剃り『有神人種』の商人に正体を偽装して各地を転々とするようになった。
ルシアとリゲルはその手が使えないので、ガルズの使用人として奴隷身分のまま振舞っている。
魔法が使えると知れただけでも、そこまでの大事になるのだ。
ボリスとユキは、話を聞くなりごくりと唾を呑んだ。
「……絶対、秘密は守ります。ユキ、ご主人様とお別れは嫌です……!」
しっかりと覚悟を決めたボリスに対し、ユキは促されるまま軽い気持ちで『大精霊』を飲んでしまった節がある。
それがこんな大きな話になってしまい、ユキはすっかり怯えた声で誓いを立てた。
とはいえ、リゲルが危険性を承知で教えを授けるのは概ね善意からだ。
彼には同族が虐げられる身分制を打破したいという想いがある。
だからこそ水面下でこうして知識を広めているのに、それをここまで恐れるのも良くないだろう。
リゲルはいつもの軽薄な笑顔で二人を励まし、
「まぁ、それはそれとして、ユキさんも勉強は続けるといい。隠してなきゃいけないのは肩身が狭いだろうけど、それでも使える事に変わりはないからね。危険性さえわかっていれば『大精霊』の魔法は、身を守る分には十分な力だ。ボリス君は薄々わかっていると思うけど」
「……そうですね」
ボリスもそれに同調した。
少なくとも力という一点だけで言えば、ボリスはこの時、既にある程度の自信があったのだ。
魔法が使えず、それ故に唯一の武器として鍛え続けた肉体と剣術は、周囲の人々から散々に蔑まれ続けた。
だが鍛錬の日々は、風の魔法の元手となる力を、膂力を育んでくれた。
「風の魔法は衝撃の力……当然、主が物理的な力を持つ程威力も増す。君があの『大精霊』を選んだのは、正に幸運だったね」
「はい。先生の教えも、父上の教えも、決して無駄にはならなかった」
これまでは使い処もなく、誰に顧みられるでもない能力だったが、今は違う。
『大精霊』との出会い、そしてリゲルとの出会いは、この時点でボリスの境遇を大きく変えていたのだ。
今回の来訪は、そんな彼の出世を祝ってのものだった。
「まぁ、湿っぽくなっちゃったけど、とりあえず本題に戻ろうじゃないか。ルシアさん、よろしく」
「もう、先生もお父さんも、ちょっとは手伝ってくださいよ……まぁ、とりあえずどうぞ、二人とも」
父と師とに文句を垂れながら、ルシアは各人に盃を配った。勿論、ボリスとユキはジュースだ。
盃が全員に行き渡ると、リゲルは自分のそれを高く掲げ、
「では、ボリス君の試験一位を祝って」
「乾杯!」
彼の音頭で、五人は盃を打ち合わせた。