17話
魔法とは、意識だという。
ガルズの屋敷に滞在する最後の日、リゲルはボリスに対してそのように説明した。
『大精霊』を宿したボリスとユキは、間違いなく魔法の力を宿した。
ならば二人には最低限の、しかし学び舎よりも正しい知識を与えなければならないということで、休日最後の一日はリゲルによる講義の時間となっていた。
「いやぁ、いよいよ先生らしい事ができるってもんだよ。嬉しいね」
客間の椅子では、ボリスもユキも背筋を伸ばして授業に臨んでいたが、講師の方は相変わらずの軽薄さだ。
しかもその内容は、最初の一言目からして学び舎の教えと大きく反することだった。
そのため予備知識がないユキはともかく、固定観念を植え付けられていたボリスは飲み込むのに苦労することになったのだ。
「意識とはなんです? 信心が、大事なのでは」
「だからねぇ、ボリス君。その信仰心ってのは何に対してだい? 神様はもしかしたらいるかもしれないけど、少なくとも魔法の源はそこじゃないって言ったじゃないか」
頭の固い生徒を前に、リゲルはやれやれと肩を竦めた。
そして、ルシアに頼んで木製の小箱を持ってきてもらうと、その中からいくつか小石を取り出した。
特別な鉱石、などではなく、河原にあるようなただの小石だ。水に磨かれて表面が滑らかな以外、特徴もない。
それを手の上に載せながら、リゲルは黄色い光をその手に宿してみせた。
「いいかね? 魔法っていうのはそもそも『精霊』に指示を出して、対応した属性に属するものを操る力のことだ。今見せているのは地の魔法だから、石とか砂とか……まぁ、地面にあるものを操作できる。それが地の『精霊』の力なんだ。こんな風に」
リゲルが光る手で小石を叩くと、次の瞬間に小石が形を失い、砂に還った。
ノロの取り巻きをしていた悪ガキは周囲の砂を集めて石を作っていたが、今リゲルがやって見せたのはその逆のことだという。
それだけでも二人は感心したように声を上げたが、
「……やはり、先生は四つの属性全てを扱えるのですね」
ボリスの関心はそこだった。
ノロから助けてもらった時、リゲルは水・火・風の三属性の力を使っていた。
三つ使えるならばもう一つも、とは思っていたが、やはりこの男はあらゆる魔法を操るらしい。
いかに賢者と言っても、二つ以上の属性持ちはいないと言われている。
リゲルは性格の軽薄さの割に、やはり相当の実力者のようだ。
調子に乗りやすいのがいささか欠点だったが。
「うーん、いいねぇ、素直な尊敬の眼差しってヤツは。でも対応する『精霊』さえ宿せば、その属性の魔法は使えるのだよ。なんだったら来週にでも賢者になってみるかい? 副作用は凄いけどね、はっはっは」
「え、遠慮しておきます……」
『大精霊』一つを飲み込んだだけでも三人そろって寝込む羽目になったのだ。
それをもう一つ、或いは三つ。どう考えても命はない。
ひとまず最初の属性を使いこなせるようにという話になり、リゲルは授業を続けた。
「『精霊』に指示を出すって言ってもね、使い手は操る対象の特性をよく知っていなければならないのさ。操作ったって、どう動かせるかを知らなくちゃいけないからね……君たちの場合風と水かな……ルシアさんは、確か」
「私は水ね……じゃあ、ユキちゃんは私が見ますね。先生はボリス君をお願いします」
属性が被る二人であれば、お互いに教え合えるという。
そのためユキの指導はルシアの担当となり、ボリスはリゲルから風の扱いを学ぶことになった。
ただ、風と言っても目に見えるものではない。
ユキはたとえとして水入りのグラスを見せられていたが、他の三属性と違って道具を使って見本にできるような物はないのだ。
そのため、ボリスの前に立ったリゲルは、手に何も持っていなかった。
「さて、ボリス君。そもそもだけど、風とは具体的に何かわかるかね?」
「えぇと……」
「あぁ、先に言っておくけど『起源書』のことは忘れたまえよ? 君がどう思うか言ってごらん」
「う……」
ボリスは賢い子供だが、頭が固い。咄嗟に『起源書』の記述を答えかけたが、それを止められると弱かった。
厳しく育てられたために、杓子定規に正義を貫くことができても、個人の意見を他人に言うのは苦手だった。目上の相手となれば猶更だ。
教えが嘘だというのなら、果たして何が真実なのか。
答えに窮するボリスの肩に、やがてリゲルの手が置かれた。
「はは、まだ難しいか……でも真実ってのは自分で考えなきゃ見つからないものさ。借りものではいけないものだよ。これからできるようになろうね」
「は、はい……」
武人とは、主君によく仕えるもの。目上の人の命令に異を唱えることが無いように。そう教えられてきたボリスが、これまでの教えを捨てるのは難しいことだった。
それでも、急な変化は良くないということで、リゲルは今のところは自分で答えを示してくれた。
「いいかい……風ってのは、言ってしまえば衝撃さ。知り合いの専門家は大気の流れって言うけど……まぁ、君は衝撃、或いは動きの余波と思っておくといい」
「動きの余波……」
「そう、こんな具合さ」
言うと、リゲルは手でボリスの頬を扇いだ。
手には光が宿っておらず、本当にただ扇いだだけだ。当然、ボリスは微風を感じるだけである。
しかし、その微風こそが扇ぐ手の動きの余波であると、リゲルは説明した。
「この通り、どんな小さな動きにも、辺りに多少の衝撃波を発するものなのさ。風の魔法は、この衝撃の威力を調節したり、向きを操作したりするものだ。勿論、元手になる衝撃が強ければ」
「魔法の威力も、強くなる……」
「そう……君は意識することで『精霊』に衝撃の動きを指示する。それで魔法は発動する」
自分が求めてやまなかった力が、こんな単純な理屈でなるものだとは、ボリスには思いもよらなかった。
『起源書』には、教会が教える神の知識のほかに自然科学にまつわる基礎的な内容も記されているが、それは魔法の発動のために必要な教養だったのだ。
だが、それは通常の『有神人種』そして通常の『小精霊』を宿した人々に向けての内容だ。
普通の人間であれば、憑りつくだけで養分を吸い尽くし、死に至らしめる『大精霊』。
この時のボリスは、まだその力を見くびっていたのだ。
実感を得たのは、その手でノロを打ちのめした後のことだった。




