15話
ボリスら三人が王都に帰り着いたのは、彼とユキが『精霊』を得てからさらに翌朝の事だった。
屋敷を出発してからはおよそ二日。三日ある学び舎の休日のうち、二日目に帰ってきたことになる。
往路・復路共に深夜の行軍で疲れ果てた一行は、ガルズの屋敷に帰り着くなり、用意されていたベッドに倒れ込んだ。
だが、寝込む理由は疲労からではなく病のためだ。
『精霊』を飲み込んだボリスとユキは、人間を憑り殺すというその生物の一端を身を以って味わう羽目になっていた。
「……はい、ボリス君。『プラム風邪』だからプラムジュースね。よく効くのよ」
「あ、ありがとうございます……」
『プラム風邪』は『有神人種』の子供なら誰もが罹る有名な小児病だ。発症すると頬が赤く腫れあがる様が果実に似ている事からその名がついた。
他には軽い発熱と倦怠感、人によっては吐き気と、普通の風邪によく似た症状が出て、一度罹ると二度と発症しない。
他にも『神なし』の奴隷には発症しない事で知られていたが、ボリスと共にユキも倒れた。
この事から、これが『精霊』の寄生による副反応であることが証明できると、ボリスは床に臥せながら聞くことになったのだ。
「あの、先生。そういうことは『精霊』を飲む前に言ってくださいませんか。先に言っておくものですよね、普通」
ボリスは解説するリゲルを見ないまま、低く言った。
幸いユキは軽症で、ボリスより早く、帰りの馬車の中で発症したことで今は落ち着いている。
隣ですやすや眠っている彼女の手前、大声を出したりはしなかったが、それでもあからさまに怒りがこもった声で、師匠の失態を責めたのだ。
しかし、怒りに歪んだ顔は、次の瞬間には少し緩み、
「……あと、何で先生まで倒れてるんですか。熱も出てないのに」
代わりに呆れかえった表情で、ちらりと横に視線を向けた。
隣のベッドに倒れたリゲルは、ボリスと違ってジュースを飲む余力も無いようで、ばったりと仰向けに伸びている。
師の無様な寝相に肩を竦めているのはボリスだけではなく、三人の看病をするルシアも一緒に苦笑を浮かべていた。
「いや、ほら、私も『大精霊』を飲み込んだだろう? 体内にもとからいる『精霊』に負けちゃうから熱は出ないけど、ちょっとは養分を取られるんだよ。ついノリでやっちゃったけど……」
「……それは、間抜けですね」
「あはは、辛辣だねぇ、お師匠に対して」
真面目なボリスもいよいよ遠慮が無くなり、師に正面から苦言を呈する有様だ。
これまでの経緯から、ボリスがリゲルを見る目は随分と懐疑的になっていた。
一応、大切な秘密を共有し、互いに仲間としての誓いを交わしはしたが、この男がかなりいい加減な性格であることは、付き合いの短いボリスにも既に察せられた。
勿論、付き合いが長い人の評価は言うまでもない事だ。
ボリスの隣では、ルシアが溜息を吐いていた。
「ボリス君、遠慮しないでどんどん言っちゃうのよ? この人の無茶はまだまだこんなもんじゃないんだから。私もお父さんも何回怒鳴ったり引っ叩いたりしたことか、ねぇ?」
「そんなこともあったね。ガルズより君の一発の方が痛かったよ。こう見えてルシア君は中々の怪力で」
「身体で思い出させてあげましょうか?」
「ゴメンナサイ」
最初はユキにも無礼を働いたが、リゲルは女性相手への慎みもないらしい。
直後のルシアの笑顔は、身も凍るような底知れない迫力があった。
怒った母より怖いかもしれない、とボリスが思った目の前では、既にリゲルがベッドの上で土下座の格好をしていた。
どうも、この人の立ち位置はこんなものらしい。
ガルズとルシアの父もボリスら同様、リゲルから教えを得た弟子とのことだったが、上下関係はなく対等な仲間のようだ。少なくとも手放しで尊敬されている様子はない。
というより、
「あぁ、ごめんねボリス君。そのジュースちょっとぬるいでしょう。先生、魔法で冷やしてくださいな」
「おいおい、私は病人」
「やっぱり身体で思い出しますか?」
「はい、わかりました、すぐにやります」
以前は父であるガルズを黙らせていたところを見るに、この一行の中ではルシアが一番の権力者らしい。
ルシアに脅されたリゲルはあっさりと屈服し、その手を魔法に輝かせた。
一色ではなく、右手に蒼、左手に翠の輝きだ。それぞれ水と風の魔法が宿った両手をボリスのグラスに掲げると、その上に小さな氷塊が生じてジュースの中に落ちた。
氷の魔法。以前見た雷と同じく、これも聞いたことのない属性の力だ。
氷が入って程よく冷えたジュースを受け取りながら、ボリスは不思議そうにリゲルの方を見つめていた。
「ん? あぁ、これかい。単純に属性の合わせ技さ。君らを助けるのに使った雷は水と火だけど、複数属性を扱える賢者なら、誰でもできるよ。あぁ、美味い!」
視線に気付いたリゲルは、自分のジュースに同じように氷を入れ、一息に呷ると歓声を上げた。
リゲルはかなり気安く、便利に使っているが、それはボリスが、或いは『神なし』の奴隷たちが求めてやまなかった力だ。
今は自分の身の内にも、その力の萌芽が宿っている。
それを思い出したボリスは、自分の胸に手を当てながら、
「……俺にも、そんな風にできるのでしょうか」
そのようにふと、呟いた。
リゲルの話を信じるのなら、ボリスは既に魔法の力を得ている。
だが現状、熱が出た以外にさしたる変化は感じなかった。
師の力を再確認すると共に、自分の力が本物かどうか、ボリスは不安になったのだ。
「まぁ、君は、成果がでない頑張りを続けてきたわけだからね。気持ちはわかるが……」
悩む弟子の様子を見たリゲルは、先の軽薄な様子から一変、深く優しい微笑みでボリスを見つめた。
「心配いらないさ。君は確かに『大精霊』を飲み込み、発熱した所を見るにしっかりと定着した。絶対大丈夫だから、まずは私を信じてくれよ」
「でも、不安にもなるわよね? こんないい加減な人ですもの。ねぇ、ボリス君?」
「……そうですね」
言いながらボリスは、いい加減さも使いようだ、と思った。
ボリスはこれまで、偉大な父の名の下に母や兵士たちから様々な期待を掛けられ、そして、結果的にそれを裏切ってきた。
勿論、本人には何の落ち度もない。だが、真摯な期待に応えられなかったボリスは、掛けられた想いの分だけ傷付くことになった。
しかし、
「まぁ、焦ることはないさ。十中八九は大丈夫だし、まずは回復することを考えなさい。どっちみち今日中に結果は出ないよ」
リゲルのようにいい加減な人が、胡散臭い物言いで陽気に励ましてくるのは、却って気持ちが軽くなる気がしたのだ。
万一失敗したとしても、きっと笑って許してくれる。
理屈が正しいというのなら、次善の策も講じてくれるだろう。
そう思えば、そこまで先行きを心配することもなく、挑戦を続けられるような気がした。
「と、言うわけだから、そのためにもまずはジュースね。効くわよ」
「……目が覚めたら、ユキにも一杯お願いします」
「そればっかりだねぇ」
「ユキちゃんが起きる前に、馴れ初めでも聞かせてね」
「馴れ初めって、そんな大した話じゃないですよ」
気が楽になったボリスは、ジュース片手に談笑の後、再び眠りについた。




