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異端賢者と精霊の使徒たち  作者: 霰
戦士の子と賢者
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14話


 ボリスが、子供たちが学び舎で受けてきた教え。

 大人たちが信じてきた常識。

 そのほとんどが嘘だと一蹴した当の本人は、打ちひしがれる生徒の前で、相変わらず飄々と笑っていた。


「さてボリス君、君は『精霊』を飲み込み、これを以って真に私たちの同士となった。その上で改めて名乗ろう……私はリゲル。『精霊学者』だ」


「せいれい、がくしゃ?」


「そう。まぁ、ちょっとした生物学者だと思ってくれればいいよ。専門は周りに浮いているこの『精霊』たちだけどね……あ、ユキさん、御主人を座らせておやり」


「は、はいっ。ご主人様、お気を確かに……!」


 絶句するボリスに比べ、奴隷身分のユキは常識に染まり切っておらず、それ故常識が破れても動揺が薄かったらしい。

 ユキはボリスの手を取り手頃な倒木の傍に導くと、一緒に腰を下ろした。

 そうしてボリスが落ち着くのを確認すると、リゲルは改めて宙を舞う光をいくつか手に載せ、


「……あぁっ、しかし喜ばしい! こんな年若い子供たちに『精霊』を語れる日が来るなんて! 散々危険だの秘密だのとは言ったがねぇ、ぶっちゃけてしまうと私は誰かに研究成果を言いふらしたくて堪らなかったのさ!」


 再び叫んだかと思えば、今度は熱っぽく語り出した。


「いいかねボリス君、ユキさん。繰り返すが、この『精霊』こそが魔法の源。そして君たち『有神人種』がずっと寄り添ってきた無二の隣人。しかし神の名の下に、その存在は長らく忘れられてきた……」


 言ってから、リゲルは懐から一冊の厚い本を取り出した。

 ボリスも見慣れたその表紙は、驚くべきことに『起源書』のものだ。

 リゲルはたった今否定した教えの、その礎となる教典を開くと、冒頭の一文を指でなぞった。


「我ら人間、爪牙無く、力無く、速さも無し……自然を操る魔の力。それを我が物とする力により、人間は栄えた。この本で真実と言えるのは、この一文だけさ。人間、特に『有神人種』と呼ばれる人々の父祖は、生まれたそばから滅びの危機に瀕する有様だった……弱かったのさ」


「弱かった? 『有神人種』が……?」


 現在の『有神人種』は、身に宿す魔法の力で大いに栄え、他民族を蹂躙し、奴隷として隷属を強いてきた。

 同族でありながら力を持たないボリスにはその自覚が薄かったが、少なくとも円状大陸においては人界の覇者と言ってもいい存在だった。

 それが弱い、とは不可解なことだ。

 首を傾げるボリスの前で、リゲルは辺りを見回して見せた。


「この『蛍瘴気』が証拠さ。『有神人種』は、免疫が弱いんだ。だから『精霊』の寄生を無抵抗に許し、その代償に魔法を使うことができる。だが、他の細菌や寄生虫にも弱かったんだ。だからこの円状大陸のみを版図として、外界に進出できない……不思議に思ったことはないかい? これだけ異人に対して優位なのに、異大陸を占領したって話を聞いたことはないだろう?」


 ボリスは少し考え、そしてはっとした。

 確かに、列強の国々が海外に進出したという話は、一度も聞いたことが無い。ボリスの父バードンも、隣国との戦で亡くなった。

 ユリウス聖王国は、円状大陸では西端に位置する国だ。なので国有の海路はある。

 だが、魔法の力を頼りに海外に出て、奴隷を攫ってくることはあっても、実際に占領し、国民が定住したという話が出た事はない。

 つまり、


「『有神人種』は、円状大陸の外では生きていけない……だから弱い……?」


 ボリスが述べた結論に、リゲルは「ご名答」と賞賛を贈ると、聖典をおもむろに投げ捨てた。


「そう……要するに『有神人種』は『精霊』と共生して生きる人種なのさ。決まった場所でしか生きていけないから、魔法っていう異能を使って異民族や猛獣から住処を守ってきた。その能力は神の奇跡でも何でもないし、人種としてはむしろ欠陥があった。君に言うのもなんだけど、優等種なんて片腹痛い……ってとこだね。これが真実さ」


「………」


 さらりと自種族を批判されたが、ボリスは特に腹を立てた様子もなかった。

 母や家族は愛していたが、魔法が使えなかった上、学び舎では仲間外れだったボリスは、そもそも『有神人種』への同族意識が薄いのだ。

 最初こそ驚いたものの、リゲルの言葉は案外抵抗もなくボリスの胸に納まり、そして染みていった。

 ほんのわずかな取っ掛かりはあったが、


「共生、と仰りましたが……」


「あぁ、うん。『精霊』も、生きるためには憑りつく相手が必要なんだ。彼らは地面に落ちると死んでしまうからね。言うなれば、人間と合体して初めて成体になれる生き物なのさ」


 説明を受ければ、それも完全に腑に落ちた。

 学び舎での成績が振るわないだけで、ボリスは賢い少年だ。

 『精霊』が一方的に人間に与えるだけなら神の奇跡と呼ばわれても不思議はないが、共理共生が成り立つなら自然の営みとして納得がいく。

 自ら裏付けを取った弟子に満足そうに微笑むと、リゲルは今度はユキに目を向けた。


「逆に私やユキさんは……ボリス君たちが異人と呼ぶ人種は、異大陸でも生きていけるくらい身体が丈夫なんだ。その代わりに普通の『小精霊』は身体に入るなり免疫にやられて死んでしまう……だから魔法が使えない、という絡繰りなのさ。そんな我々が力を得ようと思えば」


「『大精霊』を取り込むしかない……ですか」


「そう……ボリス君が魔法を使えなかったのは、恐らく『精霊』が宿れない身体だからだ。君は同年代の『有神人種』と比べてどう見ても身体が立派だからね。たまたま『精霊』に憑かれる前に身体が成長して、免疫がついてしまったんだろうさ」


 だからここに連れてきた。そして『精霊』の事を語った。

 それがリゲルの思惑の全てだった。

 しかし、条件付きとはいえ異人も魔法が使えるとなれば、また新たな疑問が浮かんでくる。

 ボリスはユキの肩に手を置きながら、改めて訊ねた。


「でも、先生……だったら異人たちにも、もう少し魔法が使える者がいる筈では? ユキでも『大精霊』一つで力が得られるなら、もっとたくさん異人の魔法使いがいてもおかしくないかと思うのですが」


 その辺りに当たり前に存在する生き物ではないのかもしれないが、生息地にさえ行けば『大精霊』は存在する。

 生息地へ向かい、飲み込むだけで魔法が使えるなら、奴隷たちの中にももう少し多くの能力者がいる筈だ。

 しかしそれは、彼らが奴隷として扱われる理由の最たる一つであるという。

 リゲルはユキの頬をぷにぷにと突いて見せた。


「やっ……やめてくださいぃ……」


「はは、ごめんよ。でもこの手触りが大事でねぇ、ぐふふふ」


「……先生」


 わざとらしく、そして気色の悪い笑い声に、ユキはあからさまに嫌がっている。

 縋りつかれたボリスは声を低めて師を窘め、リゲルもあっさり謝って手を止めた。


「と、まぁ、君たちはこの通り仲が良いだろう? さっきから言っているけど、奴隷が魔法を得るにはこの信頼関係が大事なのさ。免疫が大事って言っただろう」


「……仲がいいと、免疫が強まるのですか?」


 リゲルは「そうじゃない」と笑った。


「要するに、健康かどうかが大事なのさ。普通、奴隷ってのは生かさず殺さずって風に扱われるだろう? だから『大精霊』を受けるには耐性が足りないのさ。その点ユキさんは、食事を抜かれたり、寝ないで働かされたりはしてないだろう。この通り、肌もつやつや、ぷにぷにだ。単にそういうことなのさ」


 つまりは、異人でも健康でなければ『大精霊』には耐えられないということだ。

 『小精霊』では力が足りず『大精霊』では強すぎる。実に単純な絡繰りだった。

 となると、条件そのものは随分と簡単に思えたが、


「じゃあ、異大陸の異人には、魔法を使える人もいるのですね」


「異大陸の人は列強ほど栄養状態が良くないから、数は少ないがね。教会も知ってて隠している。奴隷が力を得ると、とんでもない事になってしまうからね……ボリス君には、想像がついているだろう?」


 訊ねられると、ボリスは言葉に詰まった。

 『神なし』の奴隷でも、異人でも魔法が使える。

 その話を聞いた時点で、彼の中には一つの懸念が既にあったのだ。

 だが、わかっていてもその結論は、口に出すにはあまりにも恐ろしい。

 額に汗して固まるボリスの横では、ユキがきょとんと首を傾げていたが、


「例えばだけどユキさん……君のご主人があのノロ君だったら、どう思う?」


「……嫌です」


「じゃあ、脱出する手段として魔法が使えたら、君はどうするね?」


 一連の問答の後、主従揃ってはっとした。

 虐げられている奴隷が、主人から逃げ出す力を得たなら。

 或いは弑することができたなら、どうなるか。

 ユキはボリスほど賢くはないが、それでも本人が奴隷身分だ。

 ノロを例えに出されれば、あの傲慢な主人に使われる人の苦労は簡単に察せられた。


「君たちは実感が薄いと思うがね。この聖王国だけでも奴隷の数は全国民と同数はいるんだよ。それが魔法を掲げて一斉に反乱でも起こしたらどうなるか……わかるね?」


 ボリスとユキは息を呑んだ。

 総人口と同じ数の奴隷。

 実際に魔法を得られるのがその半数以下だとしても、それが一斉に蜂起したとしたら正に大惨事だ。

 社会が転覆しかねない、とリゲルは最初に言っていたが、確かにいくつの国が滅びるかも知れない。

 だからこそ、教会は『精霊』の存在を隠し、魔法を神の奇跡であると流布してきたのだ。

 この社会を、ひいては自分たちの立場を守るために。


「まぁ、そんなわけで、私は迂闊な人に『精霊』の事を教えられなかったのさ。単に危ないし、こんな話を万一教会の人間に聞かれたら、しつこく追い回される羽目になるからね。あからさまに教えに反する話だから」


「……異端」


 ボリスは、微かに声を震わせた。

 この円状大陸では『魔導教会』に反する思想や学説を唱えた者は『異端者』とされ、いずれも罪人のように扱われた。

 罪人と言っても最大級だ。異端の罪で捕らえられた者は、ほとんどが無残な死を迎えるという。

 『有神人種』であるボリスにも奴隷のユキにも、この地で生きる人々にとってそれは常識だ。

 異端との言葉をちらつかされれば誰もが恐れ、息を呑むのは同じだったが、


「……そうか、先生は異端審問官に追われているのですね。それで母上は先生に会うなと」


 ボリスの頭の片隅に引っ掛かっていたものが今、取れた。

 アイビナ姫は、異端審問官と会ったのだ。

 彼らがリゲルを追っていると気付いたアイビナ姫はボリスに、リゲルとの対面を禁じた。

 それは息子にまで異端の嫌疑が掛からないようにとの気配りだったのだろう。結果的に無碍にしてしまうことになったが。

 リゲルもそれについては気になっていたようで一言詫びを入れたが、すぐに表情を戻すと続けた。


「まぁ、同士とは言ったけど、もし君が審問官に絡まれるようなことがあったら知らぬ存ぜぬを貫いてくれたまえよ。『精霊』の秘密さえ黙っていてくれれば、たとえ君が私たちを売っても恨んだりしない……と、言っても君はそんなことしなさそうだが」


 元々、ボリスはその素直と誠実を買われてここに来たのだ。たとえ付き合いが浅くとも、彼は絶対に師匠を売ったりはしない。

 リゲルは、言葉の代わりに胸を張った弟子に微笑むと、


「それでも、私はこの教えをできるだけ広めたいのさ。『精霊』の事が認知されれば『神なし』として奴隷扱いされている同族が……例えば、ユキさんみたいな子が、自立して生きていけるようになるからね。私は、その普及のための準備をしている。協力しろとは言わないけど、君たちさえよければこの知識を継ぐ一人になってくれたまえ。私の願いはそれだけさ」


 そう言って頭を下げた。

 それを見たボリスとユキは顔を見合わせ、そして二人で想いを共有した。

 これは大変なことだ。

 魔法を習いに来たつもりが、聞かされた話は世界中を巻き込む壮大な秘密だった。

 『精霊』を飲んだ後ではどちらにせよ秘密を守るしかないが、まずは現物を見せなければリゲルも話ができなかったのだろう。

 どちらにせよ、もう後に退く道はない。

 結局、二人は頷き、


「秘密は守ります、父の名に誓って」


「……ありがとう」


 誠実な言葉に、リゲルは礼を返した。

 知らないことばかりとはいえ、覚悟を決めてここに来たのだ。

 元々、ボリスは師を裏切るような質ではなかったし、ユキはそんな主人を愛している。主人の秘密を彼女が他人に明かすことはないだろう。

 たとえ付き合いが浅くとも、師から秘密と言われれば、二人の答えは決まっているのだ。

 誓いが果たされれば、ひとまず話は終わりである。

 契約を果たしたリゲルは再び表情を和らげ、ユキに視線を向けた。


「さて、粗方大事なことは話し終えた。暗くなったら危ないし、続きは帰ってから話すとして……その前に、ユキさんも『精霊』を飲み込んでおきたまえ」


「私もですか?」


「そりゃそうさ。元々私は、奴隷身分に苦しむ同族を解放したいんだ。その点ユキさん、君なら誰よりも相応しい。君なら決して、ボリス君から離れないだろうからね」


 力を得たからと言って、ユキは決してボリスを裏切らないだろう。

 少なくとも主人を殺して逃げ出したり、他の奴隷を先導して社会に反旗を翻すようなことはしない。

 二人の仲が大事というのは、こういうことだ。

 こうして穏便に、異人種同士で共に在れる二人は、リゲルにとって理想的な教え子だったのだ。

 微笑みあう少年少女をにこにこと見つめながら、リゲルは改めてユキを促した。


「好きなの一つ、つまんでおいき……あ、ただ、必ず一つにしておきたまえよ。君、食いしん坊みたいだからね」


「は、はい……」


 ユキは、慎み深い主人に対して少し食い意地が張っている。

 リゲルに念を押されると、ユキは少し頬を赤らめながら頷いた。

 それからユキはあちこちを見回して、しばらくどれを食べようかと迷っていたようだが、


「食べると言ったってとても小さいものだし、別に味なんか無いぞ。どれでもいいから、早く選んでおしまいよ」


 ボリスは苦笑しながら、やんわりと急かした。

 当の本人も促されるまま、手近にいた『精霊』を飲み込んだのだ。色の差など大したことはないと踏んでいたようだが、その向こうではリゲルが「おや」と声を上げた。


「実はねボリス君……『精霊』は色によって、扱える属性が違うのだよ。因みに君が飲み込んだのは風属性だね」


「……先生、そういうことは早く言ってくださいませんか」


「あはは、ごめん、忘れてた」


 魔法の属性は地水火風の四つで『精霊』の色の種類も同数だ。たまたま一緒だったというわけではなく、そういう関係性があったらしい。

 要するに、飲み込む『精霊』の色によって、宿主が習得する魔法の属性も異なるとの事だった。

 ボリスが飲み込んだ翠の『精霊』は、宿主に風の魔法を与えるものだという。

 できれば父と同じものを、と密かな願いを抱いていたボリスは、うっかり者の師匠を不貞腐れた顔で睨みつけた。

 一方、主人を犠牲に図らずも選択の自由を得たユキは、少し考えると顔を上げた。


「あの、リゲル先生。水属性は何色ですか?」


「蒼色だね……ユキさんは、御主人の代わりに水魔法が使いたいのかい?」


 この少女が敬愛しているのは父親ではなく、ボリス本人の筈だ。

 少し意外そうにリゲルが訊ねると、ユキはまたも頬を染めて答えた。


「あの、お水が使えたら、便利だから。洗い物とか、お掃除に……」


「……筋金入りだねぇ、君」


 どうやらこの少女は、思ったより実用主義でもあったらしい。

 そして、魔法が使えるようになっても主人のために使用人として仕えるつもりのようだ。

 勿論、そこまで想われる方は光栄の一言だろう。

 唯一の臣下から素直な好意を向けられて、ボリスは真っ赤になって口ごもり、ユキも一拍置いて恥ずかしそうに顔を背けた。

 これだけ睦まじい二人なら、危惧するような事態は起こらないだろう。

 日が中天を過ぎた森には、安心したリゲルの高らかな笑い声が響いた。


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