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異端賢者と精霊の使徒たち  作者: 霰
戦士の子と賢者
13/85

12話


「出かける? お前が、お友達の家に?」


 学び舎から帰ってきたボリスの言葉に、アイビナ姫は目を真ん丸にして答えた。

 日は、リゲルとの師弟関係を結んだ翌日のことだ。

 前日の騒動で雨に濡れたせいもあって、その日はノロが風邪で休みになり、ボリスは襲撃も受けずにまっすぐ家に帰り着いていた。

 珍しく日も傾かないうちに、それも無傷で帰ってきた息子の姿にアイビナ姫は微かに怪訝そうにしていた。

 それも、学び舎で孤立しているはずの息子が友達などと言ったのだから驚きを隠せない様子だった。

 それもせっせと着替えや荷物を整え、泊りがけの備えまで始めるなど屋敷の一同、誰も見たことが無かったのだ。

 友人との言葉一つにあまりにも騒ぐものだから、ボリスも流石に心外そうな顔になった。


「酷いな、母上……俺にだって、友人くらい作れますよ。近所だから、そんなに心配は要りません」


「……まさか、あの異人の学者ではないでしょうね?」


 ボリスは一瞬ぎくりとした。

 全くもって図星である。

 今日は、リゲルへの弟子入り後、ボリスが最初に彼の指導を受ける日になっていた。

 この国の学び舎は、一週間七日の内、四日。明日から三日は休みということで、その時間はリゲルの下で指導を受ける事になっていた。

 曰く、学び舎が終わった後に迎えに来る、だから泊まりの準備をしておくように、という約束でいたのだが、普段のボリスは遊び歩く方ではない。それが珍しく外出の準備をして、それも行き先を友人の家などと説明すれば、身内には当然驚かれるのだ。

 ボリスは正直者で、嘘が得意な質ではない。

 ましてこの母親は、息子の事となると妙に鋭い所があるのだ。

 なので、隣にいたユキが咄嗟に援護に入ったのだが、


「もっと逞しいお方ですよ、奥様。昨日、私たちをノロさんたちから助けてくださったのも、その方なのです」


「私はボリスに聞いているの。あなたが答えるんじゃありません」


「も、申し訳ありません……」


 リゲルに仕込まれていた話も相手が手強すぎて、この通り簡単に黙らされてしまった。

 ボリスとユキが、リゲルへの弟子入り後、最初に直面した受難がこの母の突破だった。

 元々、アイビナ姫はボリスがリゲルに接触することを禁じていた。

 ボリスは、母がなぜそんなことを言うのか知らなかったが、何にせよ本当のことを言うわけにはいかない以上、何とかこの場を欺いて家を出なければならなかったのだ。

 ひとまず迎えが来るまでの時間稼ぎができればいいのだが、こうした時間稼ぎは長引けば長引くほど怪しまれる。

 とはいえ、リゲル本人が迎えに来るわけにはいかないだろうし、二人は代わりに寄越されてくる使いがどんな人なのかも知らないのだ。

 予めリゲルが特徴を教えておいてくれたが、会ったこともない『友人』がどんな人物なのか、聞いた限りの話で説明するのは無理がある。

 曰く、髪も眉も剃った厳つい風貌で、ボリスの家の精兵でさえ、片腕一本で投げ飛ばすような大男だというが、そんな目立つ人物と突然友人になったなど確かに怪しい話だ。

 ボリスとユキは弟子入りしてすぐ、師となった人物を疑う羽目になったのだが、玄関で必死の抵抗を続けていると、やがて屋敷の門が叩かれ、


「あのぅ、奥様、宜しいでしょうか……」


 門番をしていた兵士が、おずおずと屋敷に入ってきた。

 息子に欺かれている最中で、屋敷の女主人は機嫌が悪い。

 それを察してか居心地悪そうな兵士の男に、アイビナ姫は不快も満面の顔で兵士に一睨みをくれた。


「何です。今は取り込み中ですよ」


「い、いえ、それが……若君様にお客人が」


「……なんですって?」


 哀れな兵士は気の強い女主人に睨まれてすっかり委縮している。

 だがそれ以上に、屋敷の外では孤独な若君に本当に来客があったことに驚いているようでもあったのだ。

 同じく驚愕したアイビナ姫が門番を押しのけて玄関を出ると、


「……あの、どちら様で?」


 息子と、その従者が説明した通りの偉丈夫が、玄関先で行儀よく待っていた。

 四十代くらいの客人は聞いていた通り、頭は毛という毛を残らず剃り上げた厳つい様相。肌は小麦色だが自は白いようで、小さな瞳も蒼い事から『有神人種』に見える。

 確かに特徴そのままの人物だが、筋骨隆々の身体には品の良い背広を着こんでおり、威圧的ながら粗野な印象は受けない。

 隣には二十代前半くらいの美しい娘を連れており、服装から従者らしい彼女もしっかりと会釈を送ってきた。そちらは髪が赤かったが、どうやら素性も確からしい。

 思わず声が固まるアイビナ姫の前で、男は屋敷の入口にかするような頭を下げ、優雅に一礼をして見せた。


「お初にお目にかかる。私は隣のガルズという者ですが、ボリス君をお迎えに参上しました。あなたが、お母上のアイビナ姫ですね? バードン卿の奥方の」


「は、はぁ……いかにも私がアイビナですが、ガルズさんと言いましたか? 確か、隣の屋敷は空き家だった筈なのですが……」


「一週間前まではね。私が買い取ったのです。商売のために東の『トトレサン国』から越してきたばかりで、地理に明るくなくてね。ボリス君が市場を案内してくれて助かりましたよ……なぁ、ボリス!」


「は、はいっ」


 一応、聞いていた通りの筋書だったので、ボリスははきはきと答えた。

 トトレサンという国は確かにある。

 東、と説明はされたが、実際はこの聖王国から南東に位置する南国だ。

 列強と魔導教会が版図とするこの円状大陸では最南端の版図を持ち、列強では最も温暖な国だった。

 温暖な気候のせいか住民はいずれも明るく活動的で、日差しの強い中でも盛んに歩き回るという。焼けた肌は、同国の人の特徴と言えた。

 ガルズという男は流暢に自身の身の上を話し、ボリスにも親し気に声をかけてきたが、勿論これは演技だろう。

 予めボリスは口裏を合わせておくように言われていたが、明らかに声が上ずっている。この正直者に、咄嗟の演技は荷が重いのだ。

 ガルズも初対面の少年から危ういものを感じたのか、さっさと話を打ち切りにかかった。


「案内のお礼に、屋敷にご招待する約束だったのです。休日の間、ご子息をお借りしてもよろしいかな?」


「え、いや、そんな……こちらは手土産も何も」


「はは、結構結構。私は彼に借りがあるのです。それにどうせ隣ですから、細かい挨拶は後程で良いでしょう。何かあれば、屋敷に使いを送っていただければ宜しい。では、失礼して」


 口上を言い終えると、ガルズは遠慮なく屋敷に入ってきた。

 制止しようにも体格が大きすぎて、兵士たちはまるで太刀打ちできない。

 驚く屋敷の面々の前で、ガルズはボリスとユキを軽々掬い上げると、広い両肩に二人を載せ、


「さ、行こうか友よ。いい菓子が手に入ったから、まずはたらふく喰うとしようぜ」


「あ、あの、母上。本当に御心配なさらずに。異国の話を沢山聞いて参りますから……!」


 そうして、バードン家の若き主従はあっという間に屋敷から連れ去られてしまったのだ。

 あまりに迅速な誘拐劇に、アイビナ姫も兵士たちも理解が追いつかず、去っていく若君の一行をただぼんやりと見つめるのみだった。




 ボリスの屋敷の隣には、老いた夫婦が住んでいた。

 この区画はボリスの一家も含め殉職者の家族が多く暮らしており、老夫婦が越してきたのは兵士だった息子が生前に両親のために土地を買い、遺書と共に遺していたからだという。

 暮らしは裕福だっただろうが、子も孫もない老夫婦だ。そのままでは生きる張り合いがなかったのか、幼い頃はボリスにもよく構ってくれた。

 一年前に夫が死に、その一月後に妻が死んで以来屋敷は空き家となっていたが、そうして空いた物件にリゲルは越してきたらしい。

 案内のガルズに経緯を説明してもらいながら、ボリスは主の変わった既知の屋敷へ、一年ぶりの来訪を果たしたのだ。


「改めて、自己紹介をしておくぜ……俺はガルズ。こっちの使用人に見えるのは、娘のルシアだ。親子そろって、お前さんたちの兄・姉弟子になる。よろしくな」


「バードンの子、ボリス。こちらは従者のユキです。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」


 ガルズとルシアの父娘は異人らしく、ガルズの頭にも本当は娘同様の赤い髪が生えていたという。

 父は異人と気づかれぬように髪も眉も剃っているとの事だったが、娘にそれを頼むのは酷ということで普段は使用人として扱っているらしい。

 ボリスは知らないことだったが、白い肌の異人の中は毛を剃って『有神人種』になりすまし、社会に紛れ込んでいる者もいるという。

 多くは魔法が使えないため兵士に詮議されれば直ちに奴隷にされてしまうが、ガルズはリゲルの指導で既にその力を得ていた。

 そのため、ガルズは故郷の資源を用いた商売で成功し、今はリゲルの支援をしているとのことだった。

 ボリスの屋敷より少し大きな門の前に立ち、四人で自己紹介をしていると、程なく内側から門が開き、リゲルが姿を現した。


「おや、おかえりなさいませご主人様……今日は御客人もご一緒かな?」


「馬鹿言わんでくださいよリゲルさん。そもそもボリスはあんたが呼んだんでしょうが。家の人を誤魔化すのは苦労したんですよ」


 曰く、リゲルもルシア同様、普段はガルズの部下として振舞っているのだという。

 リゲルは地の肌が黒いので日焼けと誤魔化すこともできず、髪を剃る手法も使えない。

 異人の中にも学業を修め、リゲルのような学者になる者はいるが、いずれも『有神人種』の後見が必要だった。

 そのため表向きはガルズを長として、リゲル一行はこの国へやって来たとのことだった。

 それにしても、ただ身分を隠すにしては随分と手の込んだ偽装だ。

 経緯を聞いたボリスは、思わず眉を顰めてリゲルたちを見つめた。


「……先生は魔法を使えるのですから、そんな風に隠れる必要はないのではないですか? ガルズさんもそうみたいですが、兵士に詮議されても魔法を使えれば逮捕されたりはしませんよ」


「『有神人種』以外が魔法を使うと目立つからね。それにいちいち兵士に取り合っていたら煩わしいだろう?」


「でも、こんな。犯罪者じゃないんですから」


「いや? 私たちはお尋ね者だよ」


「え」


 あまりにさらりと言うので、ボリスとユキは目を真ん丸にした。

 お尋ね者、ということは、リゲルは国に追われる身ということだ。

 微かに顔を蒼くする少年少女の前で、しかし当の本人は相変わらず気の抜けた笑顔のまま、


「はは、なに、まず細かい事は中で話そうじゃないか。とりあえず、お上がり」


 そう言ってボリスたちを促し、屋敷に招き入れた。

 ボリスが最後に見たこの屋敷は、寂れた老夫婦のための質素な住まいといった印象だったが、主が変わると玄関からして目を見張るような変わりようだった。

 まず、目に入るのは無数の硝子器だ。

 広々とした玄関の脇には台座が置かれ、その上には花瓶に皿にと形は様々、色もとりどりの多様な品が置かれている。

 見上げれば、同じ様式の硝子で作られたシャンデリア、逆に視線を落とせば床一面には精緻な刺繍のなされたカーペットと、贅を尽くした煌びやかな様相だった。

 この屋敷の主はガルズの筈だが、何故がリゲルが得意な様子で小さな客人に調度品の自慢を始めた。


「どうだい、見事だろう? 全部トトレサン国の名産なのさ。一応、ガルズはそこ出身の商人って設定だからね。これだけやれば皆信じるだろう?」


「……まさか、盗品じゃ」


「馬鹿、ちゃんと買ったんだよ。出身は嘘だが、商人なのは本当だ」


「君は人相が悪いからねぇ、疑られるのも無理はないかな」


「あんたが警戒させたんだろ!」


 お尋ね者と言われたせいで、ボリスがリゲルを見る目は若干懐疑的になっている。

 勿論、御主人が警戒していれば従う方も一緒に相手を疑うが、緊張したユキの肩にはルシアが手を置き、優しく語りかけた。


「大丈夫、たしかに私たちはお尋ね者だけど、悪い事をしたわけじゃないのよ? ただちょっと、厄介な人たちと都合が合わないだけで」


「厄介な人たち?」


「そう、どんなお尋ね者よりもずうっと悪い人たち……例えば、人間を売り物にして奴隷にしちゃうような」


 ユキはきょとんとするだけだったが、ボリスは微かに口を開いた。

 確かに、リゲルの言う通り『神なし』が魔法を授かるのなら、思い当たるところは少なくない。

 ボリスが合点のいった様子を見せるとルシアは微笑み、言い争う師と父の方を見た。


「二人とも。子供たちが不安がっているから、さっさと本題に入ってください。これ以上じゃれていると、おやつを抜きますよ」


「……はい」


 子供をあしらうような文句だが、これで大の男二人があっさりと黙ってしまった。

 ボリスとユキは思わず笑ってしまったが、料理上手だという彼女の仕事にはそれだけの力があるらしい。

 迎えられた客間では、ルシアが紅茶と手製の茶菓子を持ってきてくれたが、甘味に詳しくないボリスでさえ、一目見るなり真ん丸に目を剥くような品だった。


「これは……もしかしてショコラですか?」


「あら、よく知っているわね、ボリス君。見たことがあるの?」


「はい、母が甘味好きで。貴重品なのに、こんなにたくさん……ほらユキ」


 言うと、ボリスはバスケットに山盛りされたクッキーをユキに勧めた。

 コインくらいの一口大のそれには、表面に黒いものが塗られている。喉の奥に染みるような甘い香りのそれがショコラだと、ボリスはユキに説明した。

 ユキは主人より先に食べるのを躊躇ったが、当のボリスが嬉しそうに差し出してくれば断れない。


「い、いただきます」


 小さな口で一口齧り、


「は、わ」


 直後、小さく嬌声のようなものを上げながら、ユキはたちまち頬を真っ赤に染め上げた。

 この国では、甘味は貴重品である。基本的に庶民の口には入らないし、奴隷となれば砂糖に手を触れる機会さえない。

 特に、ショコラの原料は円状大陸では収穫できず、トトレサンのさらに南、南海の果ての異大陸でしか入手できない希少なものだった。

 ユキは優しい主人の好意で時々は食べる機会があったが、それでもここまで上等の品を口にする機会はなかったのだ。

 未知の快楽に我を失い、恍惚とする少女を笑いながら、今度はガルズが得意げに語った。


「どうだい、娘の腕は。俺の商品も含めて、中々のもんだろう」


「商品……ガルズさんはカカオの商人なのですね」


「おう。これで泥棒の疑いは解けたな?」


「す、すいません……でも、なら何で」


 ガルズの顔は笑っているが、目つきは微かに鋭い。

 どうやら根に持たれていたらしく、ボリスは慌てて頭を下げた。

 この菓子の原料は、ガルズが原料から仕入れたものなのだという。

 父娘の本来の故郷はショコラの原料であるカカオの木の原産地であり、ガルズは現地の人々を自らの立場を利用して保護しながら、代わりに高価なカカオの実を安定して入手し財を得る、という仕組みだった。

 いずれにせよ、やましい事は何もない真っ当な商売だ。少なくとも泥棒を働く必要はなさそうだし、それでお尋ね者になったわけではないらしい。

 ボリスは非礼を詫びると、改めて事情を尋ねたが、


「まぁ、落ち着きたまえ。順を追って説明するべきだ。紅茶でも飲んで一息ついたら支度をするといい……ほら、ユキさんもしっかりしなさい。君も出かけるよ」


 リゲルは答えず、クッキーを頬張りながら立ち上がった。

 いつの間にか彼の足元には取手の付いた鞄が一つ。どうやらルシアが用意していたらしい。

 リゲルはすぐにでもという様子だが、出かけるといっても今は夕刻だ。これからではどこに行くにしても帰りが夜中になってしまう。

 となれば日を跨いだ旅行になりそうだが、何をするのかと言えばこれがまた急で、


「まずは君に魔法を授けよう……話はそれからだ」


 ボリスは指導の初日から、師匠の顔に紅茶を吹き付ける羽目になった。


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