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異端賢者と精霊の使徒たち  作者: 霰
戦士の子と賢者
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9話


 ガラス屋の推測は正しかった。

 以前、彼が店を休んだ日にたむろしていたという広場には、確かにノロとニ人の取り巻きの姿があったのだ。

 入り組んだ路地の果てにあるその一角は高い家の壁に三面を囲まれており、住民も昼は仕事に出ていることから、普段は近所の子供たちの遊び場として機能していたものだ。

 しかし、ノロたち不良が出入りするようになってからというもの、彼らに怯えて子供たちは遊び場を移し、この頃は彼らが溜まり場として占拠してしまっていた。

 そして、彼らが囲う真ん中には、白い肌を露わにした少女が一人、両手で恥部を隠し、羞恥に涙を流しながら立ち竦んでいた。


「ふぅん……やっぱり女だったか。あの『神なし』くずれの持ち物にしちゃ、随分可愛いなぁ」


 学び舎にいた時はそれと気づかれないよう念入りに隠していたが、ノロは妙に目ざとくボリスの連れが女であることを見抜いていたらしい。

 主人を待つ彼女に声を掛け、取り巻きで囲んでここまで連れてきて、顔に冷や水をぶっかけ化粧を落とし、乱暴に服を剥いでみれば目を見張るようだった。

 ボリスと同い年なので十歳と幼いが、一度も鞭うたれなかった肌は白磁のように滑らかで、華奢な体の線も、丸みを帯び始めた胸も、妙齢の娘とはまた違った色気を漂わせる。

 男を振り向かせるようになるには、あと四年もあれば十分だろう。今のままでも、特殊な趣味の貴族が高値で買っていきそうな美貌だった。

 雨に濡れて艶めく同年代の少女の身体を舐めずるように見つめながら、取り巻きに持たせた傘の下、ノロは耳に触るような声で囁いた。


「お前、ボリスの奴の奴隷なんだろ? 俺のモノになれよ。武家の屋敷なんて暑っ苦しいだろうよ。まして御主人があんな冴えない奴じゃ嫌だろう?」


「……!」


 愛する主人を貶されるとユキの視線はたちまち険しくなったが、実のところノロは自分の言葉が相手への侮辱になっている事さえ気付いていなかった。

 自分は事実を語っているのだから、相手は黙って受け入れるしかないだろうということだ。

 恵まれた生まれのノロは、現実に不都合を感じたことがほとんど無い。

 だから、ままならない日常を送る者の苦しみも知らず、気配りもなしにこうした台詞が言えるのだ。

 確かに、学び舎のボリスは落ちこぼれだし、武家の屋敷は常に兵士が詰めていて物々しいと感じる事はある。

 だがユキは、それを不満に思ったことは一度としてなかった。

 そして何より、あの優しい主人との出会いは、本気で天からの授けものだと思っていたのだ。


「分不相応だよなぁ……たまたま運良く親父が底辺貴族のコネを得て、本人は何の力もないくせに、何度も何度も俺に反抗的な目をするしよぉ……あんな礼儀知らずな奴に、お前みたいな上玉は勿体ないんだよ。わかるか?」


 それを、こうして人の上辺だけを見る者に嘲われるのは、断じて我慢がならない。

 人間なら、きっと誰でもそう思うのだろう。

 ノロがそれに思い至らなかったのは、相手を奴隷と見て人間だとも思っていなかったからだ。


「だからさ、あんな『神なし』くずれの落ちこぼれなんか捨てて、俺のモノになれよ……なぁ?」


 だから、平気で相手を貶める。

 だから、唇を噛む人間の、屈辱と怒りに気付かない。

 だから、


「……っ!?」


 自分の頬が弾かれた時でさえも、ノロには何が起こったのかわからなかった。

 彼も周りにいた取り巻きも、道具に過ぎない奴隷の少女が、侮辱に怒って『有神人種』に手を上げるなど想像がつかなかったのだ。


「……取り消して、ください」


 平手で引っ叩かれ呆然とするノロを、ユキは涙目ながらも毅然と睨みつけた。

 

「ユキのご主人様は……優しい善い人です。落ちこぼれって、言わないで、ください……!」


「は……え? なんだって?」


 ノロは未だに状況が飲み込めていない。

 彼にとって奴隷と言えば、生きた人形のようなものだ。

 命令すればその通りに動く、便利な道具。彼の認識はどこまでもその程度だった。

 それが自分の意志で口を効いて、ましてや反抗してくるなど、温室育ちも極まったこの少年には天地がひっくり返るような衝撃だった。

 言葉の意味が理解できていない、というより言葉を喋った事すら信じられない様子のノロの前で、ユキはなおも言い募った。


「お父さん、お母さん……どっちも死んじゃって……お腹が空いて、哀しくて、でも誰も助けてくれなかった。私はその時、汚れてて……皆、汚いからあっち行けって……でも、ご主人様は拾ってくれて……それからはずっと、幸せでした」


 主人の影響なのか兵士たちは見た目の割に気さくで、厳格そうな女主人はその実子煩悩で母性的な女性だった。

 皆で泥と汗に汚れた少女を洗い、部屋と食事、それから若君の世話というささやかな仕事を与え、今日この時までも家族の一員に迎えてくれたのだ。

 それもこれも全て、ボリスが両親や周りに懇願したおかげだ。

 奴隷の仕事として彼の身の周りを整えてはきたが、ユキにとってはただの恩返しだ。何の苦もなく、むしろ喜んで仕えてきた。

 彼のために働く日々や、屋敷の人々との交流は、ユキにとって何にも代えがたい財産だった。

 それを無価値と一蹴されれば黙っていられない程、ユキには主人の血の熱さが移っていたのだ。


「不自由なんか、ないです。ユキは、ご主人様以外のモノにはなりません……お話は、おわりですか?」


「………」


 ノロは衝撃からか目は虚ろなまま、肩を震わせて動くことができない。

 ユキはこれを幸いとして、破れた服の欠片を拾って身体の前を隠すと、彼の隙をついて路地に逃げ込もうとした。

 奴隷とはいえ、少女が全裸で街を歩いていれば騒ぎが起こるだろうが、仕方がない。

 それより、心配するだろう主人にこの有様をどう説明するかでユキの頭はいっぱいだった。

 しかし、それは全て無事にこの場を逃れられればの話である。


「待てよ」


「!」


 ノロの声と共に取り巻きが動き出し、一人が前に立ちはだかると、もう一人は後ろからユキの両腕を捕らえた。

 彼らも先までは衝撃に打ちひしがれていたが、親分の声で立ち直ったらしい。

 ノロは拘束されたユキの前に回り込むように歩き出し、底光りする瞳で彼女を睨んだ。

 口元は笑っているが、震える肩は怒りを抑えきれていない。

 叩かれて腫れた右頬を痛そうにさすりながら、ノロは低い、しかし嫌に耳に響く声で凄んだ。


「俺、言ったよな……分不相応だって」


「え?」


「お前みたいな綺麗な人形が、あんな落ちこぼれの所有物なんて気分が悪いんだよ……それに」


「!」


 ノロはユキの顔を乱暴に掴み、痛がる彼女を悦に浸ったように見つめながらも、腫れあがった右の頬を見せつけた


「どうしてくれるんだ? 奴隷風情が『有神人種』に手を上げるなんて聞いたこと無いぞ? それも魔導協会の、この世に魔法を与えたもうた天主様の僕であるこの俺に対してよぉ……?」


 感情的な、高い声だ。

 どうしようもなく傲慢な怒り。

 相手の気持ちなど知らず、ただ自分の痛みにだけ訴える醜悪な憤激。

 この列強で、奴隷を相手にした高い身分の人間は、およそ似たような反応をする。

 確かにノロの言う通り、怒りで主人格の人間に手を上げる奴隷など前代未聞だ。

 そんなことをすればどんな仕置きを受けるか分かった者ではないし、最悪、命すらも危ぶまれる。

 となればそれを実行するには只ならぬ勇気と動機がいるが、それを想像できるほどこの悪ガキは賢くない。

 この少女が奴隷の分際で自分を殴った。彼にわかるのはその事実だけだ。

 何故そんなことをしたのかとか、どうしてこうも怒ったとか、そんなことには一切考えが及ばない。

 ただただ理不尽な怒りのまま、相手を見下しながら、慈悲なき仕打ちを与えるだけだ。

 ノロの右手の人差し指に、音を立てて小さな火の玉が灯った。


「性悪なとこだけはお似合いだけどさ……あの落ちこぼれにこんな上等な玩具は似合わないなぁ。せめて相応なくらいにその顔、焼いてやる……!」


「……!」


 その時、物陰と道から、それぞれ足音が響いた。

 早かったのは前者だが、広場に繋がる通路から足音が響くと、飛び出そうとした人物は伺うように再び身を潜めた。

 もう一方の駆ける足音は全く止まらない。

 その人物は時と共に近づき、一度転んだのかずでん、と音を立てたが、直後、


「ユキっ!」


「ご主人様!」


 叫びと共に、年の割には逞しい姿を広場に現した。

 駆けつけたボリスは、ユキの露わな姿を見るなり事情を察したらしい。


「ノロォォォォォッ!」


「あ? ……げっ、ボリス……っ」


 怒りの叫びと共に、ボリスはノロに突進し、


「ユキに、何をしたぁっ!」


 腫れあがった顔を、右手で思い切り殴り飛ばした。


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