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自殺禁止区域  作者: 丹野海里
3/9

第3話 死なせてくれよ

—1—


『神奈川県が自殺禁止区域に指定されてから1年が経ちました。昨日の自殺者も0人。これで自殺禁止区域では1年連続で自殺者が出ていないことになります』


 聞き覚えのあるアナウンサーの声に聞き覚えのあるニュース。

 ここはオレの家か?

 だとしたらおかしい。オレは確実に電車に撥ねられて死んだはずだ。


 徐々に意識が覚醒していく。まずは状況の把握だ。

 使い古されたソファーに曲がった壁掛け時計。カーペットについた醤油のシミ。

 20年間見続けてきた自分の家を見間違えるはずがない。


「一体何がどうなってるんだ」


 あり得ない話だが、時間が巻き戻った?

 そんなのファンタジーの世界でしか聞いたことがない。


 だが、現にオレの身に起こっている現象を説明するならそうとしか言いようがない。


 だとすればベランダにはシロがいるはずだ。

 窓の外に目をやると予想通り野良猫のシロがオレの顔をまじまじと見ていた。


「ナー、ナー」


 シロは猫らしくご飯を求めて撫でるように2回鳴いた。


「なんで?」


 人間の言葉を話せるんじゃないのか?

『ダメだよ。自殺なんてしちゃ』っていうあの言葉は何だったんだよ。


 シロはベランダをぐるりと1周するとプイッとそっぽを向き、走り出してしまった。


「待ってくれシロ! 聞きたいことが山ほどあるんだ!」


 オレの必死の問い掛けも虚しく、シロの姿は見えなくなった。


—2—


 込み上げてくる胃液。

 オレはトイレで膝をついていた。


 こうなったのはつい最近の話ではない。

 あの出来事をきっかけにオレは酷い人間不信に陥っていた。


 信頼していた人に崖から突き落とされるような感覚を味わった。

 裏切られることが怖いから初めから過度な期待はしない。


 一種の自己防衛に近いだろうな。


 そうでもしていないと立ってはいられない精神状態だった。

 夜になると理由も無く涙が溢れてきて親に心配をかけたこともあった。


 自分の力ではどうすることもできない不安。

 しまいには自分が何に対して怯えているのか分からなくなった。


 オレは疲れているんだ。疲れているから色々考え込んでしまうんだ。大丈夫。寝れば治る。

 そう自己暗示をかけて長い夜をやり過ごす。


 そして、また何度目かの朝を迎える。


 1日が始まったと思うと胃が逆流してしまう。

 現実世界に拒否反応を示しているのかもしれない。

 つくづく体は正直だなと実感する。


 今日は大学を休むことにした。

 とても講義を受けられる体調ではない。


 コップに水を汲み、喉に流し込む。

 まだ気分は優れないがさっきよりはマシになった。


「動くか」


 大学には行かないことに決めたけど、家にずっといるのも息が詰まる。

 動くことで頭に酸素を回して脳をリフレッシュさせる。

 そういう意味でも散歩はいい。


 太陽の光を全身で浴びて、爽やかな風を感じ、自然の豊かな景色で目を癒す。

 数時間前に自殺をした人間の行動とは思えない贅沢な時間の使い方だ。

 誰にも邪魔されないゆっくりとした時間が流れる。


 オレはバスを使ってとある橋まで来ていた。

 高さ100メートル以上あるこの橋は昼間は観光地として有名だが、夜は他県からも人が押しかけるほどの自殺スポットとして知られている。


 それも神奈川県が自殺禁止区域に指定される前までの話だが。

 オレが飛び込んだ踏切なんかとは比べ物にならないくらい有名だ。


 昼間ということもあって多くの観光客が橋の上を行き来していた。

 オレも観光客の1人として橋の上からしか見ることができない絶景をスマホのカメラに収めたり、立ち止まって物思いにふけったりしていた。


 鳥が羽ばたく姿を見て自分も鳥に生まれていたらよかったのになんて叶わない願いを本気で思ったりもした。


 これだけ呑気に観光をしておいてなんだが、ここに来た目的は観光ではない。

 オレは今度こそ全てを終わらせにきた。


 自殺禁止区域で自殺者が0人の秘密。

 それは自殺をしても自殺をする前に時間が巻き戻ってしまうから結果として自殺者が出ない。


 自殺をした時の記憶は引き継がれるから当然痛みも覚えている。

 ソースはオレ。


 死ぬくらいの痛みを経験して死ぬことができないのなら自ら自殺を試みる人間はいなくなる。

 それが自殺禁止区域で自殺者が出ない秘密だ。


 そして、ここにはシロが関わっているとオレは睨んでいる。

 人の言葉を話す猫と時間が巻き戻る現象。

 一見何の繋がりもないように感じる2つの事象だが、オレの直感がこの2つを結びつけて離さない。


「きゃー!!」


 橋の手すりによじ登ったオレを見て観光客の1人が甲高い悲鳴を上げる。

 この世界から、この苦しみから解放されたいオレとそれを許してはくれない自殺禁止区域の謎。


 このまま一歩踏み出せばオレは死ぬことができる。

 もしくはまた朝からやり直すことになる。


「いざ死ぬとなると足が震えるな」


 電車に轢かれて体の四肢が引き裂かれた痛みを思い出し、穴という穴から嫌な汗が噴き出してきた。


「どうしてまた死のうとしているの?」


 背後から声を掛けられた。

 シロの声だ。

 オレは振り返らずに自分の抱えている苦しみを吐き出すことにした。オレの話を最後まで聞いてくれたのはこの世界でシロだけだったから。


「生きているのが辛いんだよ。朝起きて、今日もまた1日が始まると思うと吐き気がするんだ。これから先、何年も何十年も代わり映えのない日々を過ごすと思うと不安が、恐怖がオレの心を蝕んでいくんだ。この逃れられようの無い苦しみから解放されるならいっそのこと死んだ方がマシだって」


「でも自殺禁止区域で自殺することはできないよ。それは直斗が1番理解しているんじゃない?」


「それは……」


「本当に死にたいのなら自殺禁止区域の外で死ねばいい。それか他の人に殺してもらうか。まあ、後者は難しいとしてこれだけの行動力があるなら自殺禁止区域の外で死ぬことくらい簡単にできたんじゃない?」


 シロの気配が近くなった。

 シロに核心を突かれたことでオレの思考が停止する。


「それでも直斗はこの場所を選んだ。つまり、心のどこかでやり直したいって気持ちがあるってことだよ」


「そんなことは。オレはもう耐えられないんだ。この世界で生きていく意味がない。もう、終わりにしたいんだよ」


「そっか。でも、直斗の気持ちがどうであれ私の目が届く範囲で自殺することは許さないよ」


「じゃあ、シロ、お前がオレを殺してくれないか?」


 シロがオレの体を押してくれればオレは自殺ではなくなる。

 体はぐちゃぐちゃになってしまうだろうが、オレの目的は達成される。


 オレは振り返ってシロの答えを聞くことにした。


「直斗、それはできない相談です」


 オレの前には会ったことのない白髪の少女が立っていた。

 少女は真剣な眼差しでそう言うと首を横に振った。


「君は誰だ?」


 刹那、急な突風に体を押され、オレの足が手すりから離れた。

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