自覚系女子
あー、仕事きつ。
薄紫の一閃が蘭丸の鼻を掠める。それと同時に白く激る炎が聖の頬を撫でた。
先に動いたのは聖。
独特の歩法で距離を変幻自在に詰めながら『金襴紫蘇』を振り抜く。蘭丸はその一撃を限界まで引きつけ、部分顕現させた火竜の鱗を用いてその刀身を弾く。
刀身を弾いた数瞬の間に生まれたわずかな隙に蘭丸が動く。
「部分顕現《partielle Manifestat》ッ!」
バックステップで聖から距離を取りながら蘭丸は杖を大きく振るう。赤色の魔法陣が両者の合間に発生すると、そこから巨大な蜥蜴の尾が発生する。
巨大な尾は鞭のようにしなり、大きく横薙ぎに振り抜かれる。その一撃は凄まじい風切り音と共に聖へと放たれた。
「ッ!!」
巨大な尾の出現に一瞬驚愕の表情を見せる聖だったが、すぐさま冷静に対処策を講じる。
聖はすぐさま金蘭紫蘇を地面へ突き立て腰のポーチを開く。指の感覚で結界符を一枚引き抜くと空中へと跳躍、結界符を足元へ展開し二段ジャンプの要領で尻尾の上を飛び抜けて回避する。
尻尾の軌道上にあった金蘭紫蘇は尾の一撃によって空中へと吹き飛ばされると、さながら曲芸師のように聖は口で柄を加え地面へと着地してみせた。
「…なんだこの試合は」「凄まじい技量だ。瞬きをしている余裕すらないぞ」「……聖様、勝ってください!!」「負けないで下さい!蘭丸様!!」「”木”陣営が、あの最弱と謳われていたかの陣営がここまで善戦するとは」「大物喰らいと為りますかな?」
開いた口が塞がらなかった外野も、次第に試合の熱に浮かれたのか喧騒へと変わっていく。
未だかつてないほどに様々な感情が渦巻いて、全てが出し尽くされているような、会場中の人間が瞬きを忘れるほどの激戦が繰り広げられていた。
しかし、その声が2人に届くことはなかった。
厳密に言えば超集中状態の2人の耳には雑音として処理されていた。
「っ、尾を飛び越えるか!」
空中へと飛んだ聖を睨みつける蘭丸は次の一撃を仕掛けるため、更に距離を取ろうと背後へと飛びのこうとしたその瞬間。
━━背中に軽い衝撃と固い感触。
「なっ?!」
思わず振り返ると、背後に薄らと緑がかった結界が展開していた。考えるまでもなくそれは聖の物理結界、気付かぬうちに蘭丸は完全に退路を塞がれていた。
(っ、いつの間にッ?!)
結界の存在に気付いた瞬間、完全に自身を取り囲むよう符が突き刺さり蘭丸は四方を結界に囲まれる。この瞬間、蘭丸は完全なる籠の鳥となった。
囲いの中で狼狽する様子を見せた蘭丸を、聖は見下ろしながら薄らと笑って告げる。
「極度の密閉空間での炎系術式は、術者の身体すら燃やしかねないというリスクがある。これでアンタのお得意の飛行魔術は使えないも同然…ねえ?」
一枚のみに見えた聖の符は、実際のところ数枚重ねて抜き取られていた。
空中で展開した足場用の結界符に隠した2枚目以降の符は、『金蘭紫蘇』へと視線が集まった瞬間に蘭丸の背後へと投じられていたのだ。
籠の鳥が空を見上げる。
空中を舞うは片腕を焼き切られた巫女、その傷は非常に痛々しい。
しかし、思わず息を呑むほどにその舞は美しかった。
蘭丸がその美しさから息を呑んだのか、はたまたこの危機的状況に唾を飲んだのかは、彼のみぞ知るといったところだが。
それはともかくとして、自由落下によって速度を増した聖は、口にくわえた刀を離すとそのまま左腕で握り込み、無表情のまま蘭丸へと宣言する。
「━━脳天から開きにして差し上げます」
紫電一閃。
ゆらりと煌いた半透明の刀身が蘭丸を縦に割らんと迫る。
「再展開させていただくッ!部分顕現《partielle Manifestat》、火竜の鱗《Feuerdrachenschuppe》!」
たらりと冷や汗を一筋垂らした蘭丸は、しかしこちらも冷静に対処策を講じた。迫り来る刀の一閃に合わせるように頭上へと火竜の鱗を顕現させ、その一撃を受け止めんとする。
━━だが。それは非常に読みやすい一手でもある。
「なッ!?」
「そう。アンタはそうする以外に選択肢はない」
頭上から落ちてきていた聖の身体が突如として真横へずれた。厳密に言えば聖は自らの術式によってあえて真横へ吹き飛ばされ、剣筋をずらしたのだ。
(この状況下なら、アンタは火竜の鱗を展開する以外に生き残る術はない。そして術式の再使用に詠唱を挟む西洋魔術は、緊急時に発動までに明確なラグが発生する!)
聖としてはこの状況で使用される魔術など予想する必要すらなかった。
であれば、対処は容易極まりない。
軌道がずれたことにより聖は蘭丸の真横へと着地。勢いを殺さぬように体を捻り、蘭丸の体を結界ごと横薙ぎに切断しようとした━━
━━そう、その瞬間だった。
聖はようやく気付いたのだ。
自分の方を恨めしそうに見つめる竜の首に。
空中からは見えないよう、鱗の盾を遮蔽とし、その真下から生やされた火竜の頭部に。
「|部分顕現《partielle Manifestat》、|火竜の首《Salamanderkopf》ッ!」
蘭丸の声に遅れ、眩い光が聖の視界を塗りつぶした。
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「…あ〜あ」
聖がそう呟いたのは無意識だろう。その投げやりな言葉には明確に”自らへの失望”が感じられる。
気付けば聖は地面に倒れこんでいた。
しかし、問題はそこではない。
(右足、ふくらはぎから下の感覚が完全にない…これは、消し飛んだか)
先のブレスによって、聖は右足の脹脛から下を焼き切られてしまった。幸いにも傷口は熱によって癒着しており、出血こそしていないがこれでは碌に動くことはできないだろう。
「……あ〜あ、あっ、う゛、あぁ……」
灰色の空を見上げた聖の視界が歪んだ。涙が顔の横から零れ落ち、焦げたコンクリートを濡らす。
(…勝てなかった。復讐心でも、自棄っぱちでもどうしても一歩及ばなかった。
悔しいなあ。やっと私の生きる価値を示してもらったのに…示してくれた人もむざむざ殺されて、そして私は、こうして地面に惨めに転がってる…私は、何にも成し遂げられないのね)
右足だった部位に感じる激痛でも、右腕の幻痛でもなく、聖は己の無力感に苛まれ涙を流していた。
「…やってくれたな、土御門聖」
感傷に浸っていた聖はその声と足を引きずる音の方へ視線を向ける。
涙で歪んだ視線の先、芦屋蘭丸は左腕を半ばまで切断され苦痛に顔を歪めていた。
聖が光に視線を焼かれたあの瞬間、『金蘭紫蘇』が結界の薄膜を切り裂いたのと、火竜の口から熱光線が放たれたのは全くの同時だった。
『金蘭紫蘇』が蘭丸の左腕の肉を断った刻、蘭丸はその激痛によって熱光線の照準を乱し、結果として聖は熱光線が直撃せず右足を失っただけで済んだ。
(…だからなんだ、なんだって言うのよ)
指ひとつ動かすのも億劫だった。正真正銘、全身全霊を込めたあの攻撃を躱された時点で聖は万策尽きたのだ。
今更腕の一本落としたところで、満身創痍の自分にこれ以上できることはない。もはや聖は、この状況をいっそ清清しくすら感じていた。
しかし、その自暴自棄は長く続かなかった。
「ここまで俺を追い詰めたのはお前が初めてだ。誇れよ、土御門聖」
その意外な言葉に聖は一瞬目を丸く見開いた。
先ほど自身の価値を否定した筈の蘭丸、彼の口からここまで自身を称賛する言葉が出るとは聖は梅雨にも思っていなかったためである。
恵まれた容姿でも、生まれでも、自身に流れる血でもなく、自身の能力を称賛された。
であるならば。
『土御門聖』は無駄ではないのだ。
「━━他でもないアンタが認めるのね、認めてしまうのね。私の足掻きは無駄ではなかったって…ふふ、あははは!!」
自身の価値を示した『浅田真』と、その価値を裏付けた『芦屋蘭丸』。
であれば、なぜ自分はこんなにもうじうじしているのだろうか。
(また、自分の価値を勝手に決めつけちゃった。真に合わせる顔がないな、全く)
笑い転げていた聖は、一瞬だけ寂しそうに微笑んだ。
「…?」
怪訝そうな表情でこちらを見つめる蘭丸のことなど御構い無しに聖は笑う。気がすむまで笑った聖は生気を取り戻した表情で独り言のように呟く。
「今代最強に認めてもらえる程度には無駄じゃなかったのね……だったら、いいわ。さっさと決着をつけましょうか」
聖は左腕で器用に体を起こすとゆっくりと立ち上がる。
片足がなくともその立ち姿はどこか優雅である。
「そうだな、俺もお前も限界だろう。次の一撃で終いとさせていただく」
そう話す蘭丸の腹部は血で黒く染まっていた。激戦によって火による止血も虚しく傷口が開いてしまったのだ。
仮に動かなかったとしてもあと5分もしない内に蘭丸は多量出血によって死亡する。
聖も四肢のうちの二本を欠損したことによる激痛と、それに伴う出血によっていつショック死してもおかしくない状況。
すでに両者には余裕がない。
しかし、両者の表情にそのような様子は一切見られなかった。
ここにいる全ての人間が息を呑み、そして感覚的に理解した。
もうすぐこの長い戦いが終わる、と。
「――もう一度力を貸してもらうぞ、サラマンダー」
蘭丸は祈るように杖を振るう。
何千何万と繰り返してきた筈のその動作は、まるで祈祷かのように美しかった。
空中で赤色に煌めく円、その内に描かれた幾何学模様は脈動するように輝くと、光の粒子が次第に竜の頭へと形を変えていく。
「部分顕現《partielle Manifestat》、火竜の首《Salamanderkopf》ィッ!!」
魔力によって編まれた竜の首は、主人の先に立つ女魔術師へ向け熱光線をチャージする。
先ほど聖の右足を一瞬で蒸発されたその一撃、次こそ当たれば聖の命は塵芥のごとく吹き飛ぶことは想像に難くない。
(あの熱光線を迎え撃つとしても…私の術式じゃ火力が圧倒的に足らない)
指先でポーチ内の術式符を確認する聖は、自身の立つ状況に冷や汗を垂らすしかなかった。足場や武器として結界術式符を多用した結果、残された結界術式符は僅か2枚。
”今手元にある結界符ではあれを完全に防ぐのは不可能だろう”、その結論に至った聖には防御という選択肢が無くなった。
「だったら、とるべき選択肢は一つのみ」
聖は勢いよく5枚の符を抜き取ると、聖は深く息を吸い込み吐き出す。そしてありったけの魔力を符へと注ぎ込むと仰々しいほどの雷鳴が辺りに木霊する。
その術式に蘭丸は見覚えがあった。
(あれは、枝垂、藤?!
…いやしかし、あの術式は制御ができなかったはず。あれを放つということは印となるアンカーが……!?)
そう。どこへ放たれるかわからない『枝垂藤』には、その道筋を示す指針が必要不可欠である。
では、彼女が目印とする指針とは━━
「━━まさかッ!!?」
背後を振り向いた蘭丸は驚愕で開いた口が塞がらなくなった。
視線の先では地面へ倒れていた筈の真が、こちらへ向き腕を向けていた。その腕に巻かれた弓籠手は微かに光り輝き、雷の刺繍が浮かび上がっている。
「ありがとう真。貴方が私の式神で、本当によかった」
自らの術式によって構築された極光が放たれる直前、確かに蘭丸は目にした。
真の遺体が満足げな笑みを浮かべていたことを。
「……はは、これは参った。死んでも忠義者だったか」
━━これでは敵うはずも無いだろう。そんなふうに思いながら、蘭丸はいっそ愉快にすら感じながら極光を前にして笑った。
「――攻性術式符、真紅種『枝垂藤』ッッッ!!!!」
諦観の混ざった笑い声を塗りつぶすような声と共に、会場は猛烈な光に包み込まれた。
直後、真の腕に巻かれた弓籠手『雷上動』を道標にして放たれた極大の雷撃が、火竜の頭ごと芦屋蘭丸を呑み込んだ。
「ありがとう、私の初恋」
眩い光の中、誰かがそう呟いた、気がした。
死体は動きません。でも、人間の体は電気信号によって動くことが可能です。
カエルの死骸に電気を流せば足が動くのと同じですね。
……でも、少なくとも『雷上動』は真の意思によって動くものであるならば。
あっ、次の話でこの章終わります。楽しみにしててください。
早ければ2ヶ月後くらいには投稿するんじゃないですかね?
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よろしくお願い致します。




